スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

コーフィールドカップ&共通点

2024-10-19 19:09:59 | 海外競馬
 オーストラリアのコーフィールド競馬場で行われたコーフィールドカップGⅠ芝2400m。
 ワープスピードは最後尾からのレースになりました。先頭との差は10馬身から12馬身の前後でレースが進捗。最終コーナーのところで一旦は前から2馬身ほど離れた単独の最後尾となり,そこから追われました。直線の入口では馬群には取りついたものの位置は最後尾のまま。最後まで追われましたがばてた馬を差しただけの13着でした。
 後方からレースを進める馬なので,最後尾は意外でしたがレースの前半は後ろ目になったのは自然なところ。途中から動いていかなければ勝負にはならなかったのだと思いますが,もしかしたら馬あるいは馬場の状態でそういうレースができなかったのかもしれません。この距離は南半球の馬はそれほどレベルが高くないので,重賞を勝っていないこの馬にも通用の余地はあったと思うのですが,今日のレースだけでいえば,もっと距離があった方がよいようには感じます。

 ここまでに示してきた3つのプロットは,いくつかの共通点を有しています。
                            
 まず第一に,これらのプロットの大筋は,常識的に考えるといかにもフィクションのように感じられます
 『Βάτραχοι』のプロットは,たまたま船の故障で滞在せざるを得なくなった村で,そのような用意を何もしていなかった,演劇に関しては素人と思われる集団が,村人を集めて演劇の興行を行うということがあり得るようには思えません。アメリカのプロットは,ユダヤ人の学校ではスピノザの師匠に当たるメナセ・ベン・イスラエルMenasseh Ben Israelというユダヤ教会で高い位のラビが,アメリカがまだヨーロッパないしはアフリカと陸続きだった時代の話,聞いている人からすれば妄想としか思えなかったような話を,真実のこととして話すなどということがあり得るのか疑問を感じざるを得ないでしょう。模型のプロットでは,一介の教師であるファン・デン・エンデンFranciscus Affinius van den Endenが,戦艦の砲火装置に新しい工夫を考え出した上に,わざわざその模型を製作して,海軍省の人に売り込もうとするのはあまりに常識外れの行動だと思われます。つまりこれらのプロットの大筋は,史実というより創作であることを強く窺わせます。
 一方,これらのプロットのディテールには,世の中にはそれほど知られているとは思えないような,史実もまた含まれています。『蛙』のプロットではスピノザがヘブライ語で長い祈りを唱えたことになっていますが,これはスピノザがそれを知っていたということが前提です。もちろんスピノザはそういう教育を受けていましたからそれができたことになりますが,それが広く知られているかといえばそうでもないでしょう。アメリカのプロットではレンブラントRembrandt Harmenszoon van Rijnがメナセ・ベン・イスラエルのエッチングを創作したといわれています。レンブラントはアムステルダムAmsterdamのユダヤ人街のすぐそばに住んでいたので,メナセに限らずユダヤ人を相手にそうしたものを数多く創作しているのですが,このことも広く知られている事実とはいえません。模型のプロットではファン・デン・エンデンが足の悪い娘がいると言っていますが,この史実はこれらの中でもとくに知られていないことだと思われます。
コメント
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