スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

加古川青流戦&脚色

2024-10-22 19:11:42 | 将棋
 13日に鶴林寺で指された第14回加古川青流戦決勝三番勝負第一局。対戦成績は岡部怜央四段が0勝,上野裕寿四段が2勝。
 加古川市長による振駒で岡部四段の先手となり角換り。先手の腰掛銀に後手の上野四段の早繰り銀。この将棋は中盤で千日手となりました。
 上野四段が先手になっての指し直し局は後手の岡部四段の一手損角換り1-Ⅱ。先手の早繰り銀に後手の腰掛銀に。この将棋は先手の端攻めが甘かったために後手が優勢になりました。
                            
 先手が金を打ったところ。先手が苦しいのですがこの局面では最善の粘り。しかし後手の読みにはなかったようです。
 ☖7七桂成と攻めていきました。☗同玉に☖5七馬ですが☗6四金と飛車を取られました。☖7五銀と上から押さえたところで☗3一銀。
                            
 これを☖同玉は☗7一飛,☖同金は☗7二飛で銀を抜かれ,駒が少ない後手に勝ち目はありません。なので☖1二王と逃げましたが☗2四桂からの追撃が厳しく先手の勝ちになりました。
 第1図から攻めていったのが敗着で,飛車を引いておけばまだ後手に分があったようです。
 上野四段が先勝。第二局は14日の午前に指されました。

 それが脚色であるとすれば,ヘンドリックHendrik Wilem van Loonが意図したような脚色になっていないということは,それがヘンドリック自身による純然たる脚色ではないからだと僕は判断します。いい換えればヘンドリックは何らかの資料にはあたっているのであって,その資料にそうしたことが書かれているから,ヘンドリックもそのように書いたのだと判断します。そしてその資料というのは,ファン・ローンJoanis van Loonが書き残したものであったとしか考えられません。そもそも自身の9代前の先祖が書いたものだという設定でヘンドリックが何かを書くということ自体が不自然なのであって,実際にファン・ローンが書き残したものをヘンドリックが入手したから,ヘンドリックはそれを書こうとしたとする方が自然なのではないでしょうか。
 ですから,ファン・ローンが何かを書いていた,それも『レンブラントの生涯と時代The life and times of Rembrandt』の基になるものを書いていたことは間違いないと思います。ヘンドリックがそれを正しく全訳しているかどうかは分かりませんが,ヘンドリックが出版したものの中には,ファン・ローンが書いたものの残骸は間違いなく残っているのであって,ファン・ローンは出版する意図があってそれを書いているとは必ずしもいえませんから,読者に喜んでもらうような脚色を加える必要はありません。もちろんファン・ローンの記憶が確かであるとは断定できませんから,ファン・ローンが史実と異なったことを書いているという可能性は考慮しなければなりませんが,たとえばファン・デン・エンデンFranciscus Affinius van den Endenが船の模型をもってきたというようなことは,記憶として鮮明に残る筈なので,実際に書かれていてヘンドリックがそれを誤訳をしていない限り,そのことは実際にあった出来事だと判断していいように思えます。同様に,スピノザがロープで作ったかつらをかぶったというようなことも,記憶違いとして生じるようなことだとは思えませんから,それは同じ条件の下に実際にあったのではないかと思えます。
 このことをさらに強化するために,『Βάτραχοι』のプロットというのは,その大筋からして信憑性を疑わせるものとなっているけれども,それは真実であったとしてもおかしくはなかったということを示していきます。
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