スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

リコー杯女流王座戦&演出

2024-10-30 19:13:14 | 将棋
 23日に目白で指された第14期女流王座戦五番勝負第一局。対戦成績は福間香奈女流王座が43勝,西山朋佳女流三冠が37勝。NHK杯の予選を含んでいます。
 リコーの社長による振駒で福間女流王座の先手。先に向飛車に振ったのが後手の西山女流三冠で,後から福間女流王座も向飛車にしての相振飛車。後手が玉を左に戻すという力戦になりました。
                            
 ここで後手は☖6四歩と打ちました。これは☗6五桂と跳ねさせないという意味。先手は☗7五銀と銀を進出させました。
 桂馬が跳ねてくる手はなくなったので☖5三金と歩を払いました。先手は☗7四歩☖8二銀とへこませてから☗1五歩。
 後手はここから☖7六歩☗同飛に☖8七角と打ったのですが☗2六飛と回られました。
                            
 馬を作ることはできるのですが,働きに乏しくさほど効果的ではないため,大きな差がついてしまいました。感想戦では☖7六歩と打ったところで☖3五歩と取ればまだやれたとのことですので,それなら第1図で☖3五同歩と取るのがさらに有力だったのではないかと思います。
 福間女流王座が先勝。第二局は福間女流王座の休場が明けた後,来年の2月に指される予定です。

 『Βάτραχοι』の台本があったとは書かれていませんが,ホラティウスQuintus Horatius Flaccusの写本が出てきたと書かれているくらいですから,書かれていなくてもその台本らしきものもヨットの中にあったかもしれません。むしろそうしたものが見つかったから,一行はそれを上演しようとなったという方が自然です。また,そうでなくとも『蛙』は有名な話ですから,一行の中にそれを詳しく知っている人がいて,その人が台本を書くからそれを上演してみようと提案したということもなくはないでしょう。不自然に感じることは否定しませんが,この点については問わないことにします。
 しかし,台本があれば上演することができるわけではありません。上演するとなれば演出が必要であって,その専門的知識を持った人が一行の中にいなかったとすれば,これを上演することなど不可能であったといわなければなりません。これは実際に僕たちが『蛙』に限らず何かを演じなければならないとなった場合を想定すれば明らかでしょう。つまり,このプロットの中で最も不自然に感じられるのはこの点なのです。確かに台本が本当にあったのかということも問わなければならないのですが,仮に台本があったとしても,それを実演するのにだれがどのように演者を指導したのかということは,より強く問われなければなりません。一行が『蛙』を本当に上演したのであれば,台本と演出のふたつは不可欠だからです。
 それでもこのことが史実であり得たということができるのは,スピノザは演劇を演出するやり方というのを知っていたと想定されるからです。スピノザはファン・デン・エンデンFranciscus Affinius van den Endenの下でラテン語を学び,後に助手的な役割を果たしていたということは,『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』では確定した史実とされています。そしてエンデンのラテン語学校の授業では,演劇が採用されていました。つまりラテン語で劇を演じることでラテン語を習得するということが,教育の一環として行われていたのです。ですからまず,原語はギリシア語とはいえ,ラテン語に訳されたアリストファネスἈριστοφάνηςの『蛙』がその教材のひとつであったかもしれませんから,スピノザはかつてそれを演じた経験があったかもしれません。
コメント
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