スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

金亀杯争覇戦&上から目線

2024-12-10 18:57:52 | 競輪
 8日の松山記念の決勝。並びは山崎‐大槻の北日本,深谷‐松谷‐山賀の南関東,犬伏‐松本‐橋本の四国で浅井は単騎。
 松本がスタートを取って犬伏の前受け。このラインの後ろは内の深谷と外の浅井でしばらく併走していましたが,深谷が譲り4番手に浅井,5番手に深谷となって8番手に山崎で周回。残り3周のバックから山崎が上昇を開始。犬伏の外に並んでホームへ。誘導が退避するタイミングで犬伏が突っ張り,コーナーで山崎は一時的に浮いてしまいましたがうまく下りてきて,浅井の内に潜り込んで併走のまま打鐘。深谷が大槻の後ろになった隊列から犬伏が本格的に発進。松本は犬伏との車間を徐々に開けていきました。バックから深谷が発進。待ち構えていた松本が合わせて牽制をしながら番手から発進。外を回らされた深谷もよく食い下がりましたが,松本に追いつくところまではいかず,優勝は松本。深谷が1車身差で2着。松本マークの橋本が8分の1車輪差で3着。
 優勝した愛媛の松本貴治選手は防府記念以来の優勝で記念競輪3勝目。松山記念は2021年にも優勝していて2勝目。このレースは犬伏の先行が有力で,松本の二段駆けが見込めるところ。それを脚力で上位の深谷が捲れるかが焦点。この焦点通りのレースになりました。松本がただ番手から捲っていくのではなく,深谷を牽制するように発進していったのがうまく,最後まで抜かせないことに成功。純粋な脚力勝負になっていれば少なくとももっと差は詰まっていたでしょうし,あるいは深谷の逆転まであったかもしれません。

 吉田がいうように,書簡六十七の二は,スピノザに宛てられたわけではなく,パンフレットのような公開書簡であったとしてみましょう。この場合は考慮しておかなければならない点があります。
                            
 書簡六十七と書簡六十七の二の大きな差異は,何度もいっているようにその内容にあります。アルベルトAlbert Burghはスピノザに対して憎悪のような感情affectusを抱いていて,それを剝き出しにしています。しかしステノNicola Stenoの書簡からスピノザに対する憎悪のような感情はみられません。むしろ感情としていえば,憐れみcommiseratioに近いものが感じ取れるのであって,誤った道に進んでいるスピノザを,カトリックという正しい道に誘導しようという,一種の心遣いが感じられます。
 憎悪を剥き出しにして罵詈雑言を浴びせるのも,憐れみを抱いて道を正そうとするのも,自身の立場が正しいということでは一致しているのであって,上から目線をスピノザに対して発しているという点ではアルベルトもステノも同じといえます。しかし,罵詈雑言を浴びせるのと,相手を正しい道に導こうとするのでは,読み手の印象は明らかに異なるでしょう。アルベルトの書簡はスピノザという個人に向けられたものですから,スピノザがどういう印象を抱いたとしてもアルベルトには関係ないといえます。ですからアルベルトは躊躇なくスピノザに罵詈雑言を浴びせることができます。しかしステノの書簡は公開されることが前提とされているとしたら,それを読むのはスピノザであるとはいえないのであって,不特定多数の人がその書簡の相手になっているとみることができます。当然ながらステノは書簡を書くにあたって,そのことを意識するでしょう。したがってもしその内容が憎悪に満ち満ちたもので,スピノザに対する罵詈雑言に溢れていたとしたら,それを読んだ人の印象は甚だ悪くなるでしょう。なので,書簡六十七の二の内容が,現にあるもののようになった要因が,これが公開書簡であったという点にあったかもしれないことになります。逆にいえば,本当はステノはスピノザに対して憎悪を抱いていたのであって,もしスピノザ宛に書簡を書けば,アルベルトと同じようなものになっていたかもしれません。

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