『なぜ漱石は終わらないのか』の第九章で,長男の次男化ということが論じられているのですが,これに関連することが,『こころ』の私と兄との間にもみられるのではないかと僕には思えました。
『こころ』の中の十五の最後のところで,私と兄が会話をする場面があります。これはふたりの父にいよいよ生命の危機が迫っているということが,ふたりにも理解できる状況でのものです。
兄が私に対して,ここへ帰ってきてこの家を管理する気はないかと尋ねます。要するに父の遺産を相続する気はないかという意味です。しかし父の遺産を相続するのは長男である兄ですから,私は兄が帰ってくるのが順だろうと答えます。すると兄はそんなことはできないといいます。それがなぜかは兄の口からは語られませんが,私は,兄は世の中で仕事をしようとする気に満ちているように感じます。
本来なら兄である自身が相続すべき家督を,次男である私に譲って,自分は田舎を出て都会で仕事をしようとすることは,ある意味では長男である兄の次男化であるといえるのではないでしょうか。ただこの文脈では,相続しなければならない家督が田舎にあり,父が死んでも母が残るので,相続する場合には田舎に引きこもらなければならないということになっていて,そのことを兄が拒絶したというようにも読めます。しかし一方で,この当時の長男の次男化の理由のひとつとして,こうした事情も含まれていたかもしれません。
ただし次の点は事実です。家督を相続した長男は,残された家族を養っていく義務がありました。この義務については明らかに兄は放棄しようとしています。これは兄が私に,家督を相続すれば働く必要がないと言っていることから明白です。つまり私の兄は,父が死んだ後に,母のことはともかく私のことを養っていくというつもりはさらさらないのです。これは明らかに次男化といえるのではないでしょうか。
書簡六十七の二が公開書簡の形式であったから現にあるような内容になったとすれば,その影響によって,書簡六十七の二は書簡六十七よりも,遺稿集Opera Posthumaに掲載する価値のある書簡になった可能性が残されます。この場合は,これらふたつの書簡によって,ステノNicola StenoとアルベルトAlbert Burghの人間性の相違を考察するのは危険が伴うことになります。僕はアルベルトが書簡六十七の二のような内容を有する書簡を書くことができたとは思いませんから,それを書くことができたというだけで,知性的にステノがアルベルトより優れていただろうと思いますが,ステノが書簡六十七のような書簡を書いた可能性の方は否定できないので,この書簡の内容だけで,ステノの人間性を評価することは避けなければならないと思うようになりました。
もうひとつ,この書簡が公開されることが前提とされていたとするなら,それは不特定多数の人が読むことを前提としなければならないわけですが,とくにカトリックの信者が多く読むことになるであろうということは容易に想像され,かつその中で高位にある人物も読むことになるという可能性があります。それが本当に公開書簡であったのなら,たぶんステノはそうしたことも前提としてそれを書いていたと思うのです。そしてその中でステノは,かつて自身がスピノザときわめて親しかったし,今でも疎遠ではないと思っていると書いているのです。
前もっていっておいたように,この書簡はスピノザ宛になっているわけではなく,新哲学の改革者宛となっていますし,本文の中にもスピノザの名前が出ているわけではありませんから,その新哲学の改革者というのがスピノザを指しているということは明示されていません。ここでいわれている新哲学というのは,当時の習いとしてデカルトRené Descartesの哲学を指していることがだれにでも明白なのですが,その改革者がスピノザだけであったというようには断定できないからです。同様に,この書簡の中では『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』に対する言及もあるのですが,『神学・政治論』とはっきり書かれているわけではなく,新哲学の改革者が書いたといわれていて,ステノ自身もそう思っている本とだけいわれています。
『こころ』の中の十五の最後のところで,私と兄が会話をする場面があります。これはふたりの父にいよいよ生命の危機が迫っているということが,ふたりにも理解できる状況でのものです。
兄が私に対して,ここへ帰ってきてこの家を管理する気はないかと尋ねます。要するに父の遺産を相続する気はないかという意味です。しかし父の遺産を相続するのは長男である兄ですから,私は兄が帰ってくるのが順だろうと答えます。すると兄はそんなことはできないといいます。それがなぜかは兄の口からは語られませんが,私は,兄は世の中で仕事をしようとする気に満ちているように感じます。
本来なら兄である自身が相続すべき家督を,次男である私に譲って,自分は田舎を出て都会で仕事をしようとすることは,ある意味では長男である兄の次男化であるといえるのではないでしょうか。ただこの文脈では,相続しなければならない家督が田舎にあり,父が死んでも母が残るので,相続する場合には田舎に引きこもらなければならないということになっていて,そのことを兄が拒絶したというようにも読めます。しかし一方で,この当時の長男の次男化の理由のひとつとして,こうした事情も含まれていたかもしれません。
ただし次の点は事実です。家督を相続した長男は,残された家族を養っていく義務がありました。この義務については明らかに兄は放棄しようとしています。これは兄が私に,家督を相続すれば働く必要がないと言っていることから明白です。つまり私の兄は,父が死んだ後に,母のことはともかく私のことを養っていくというつもりはさらさらないのです。これは明らかに次男化といえるのではないでしょうか。
書簡六十七の二が公開書簡の形式であったから現にあるような内容になったとすれば,その影響によって,書簡六十七の二は書簡六十七よりも,遺稿集Opera Posthumaに掲載する価値のある書簡になった可能性が残されます。この場合は,これらふたつの書簡によって,ステノNicola StenoとアルベルトAlbert Burghの人間性の相違を考察するのは危険が伴うことになります。僕はアルベルトが書簡六十七の二のような内容を有する書簡を書くことができたとは思いませんから,それを書くことができたというだけで,知性的にステノがアルベルトより優れていただろうと思いますが,ステノが書簡六十七のような書簡を書いた可能性の方は否定できないので,この書簡の内容だけで,ステノの人間性を評価することは避けなければならないと思うようになりました。
もうひとつ,この書簡が公開されることが前提とされていたとするなら,それは不特定多数の人が読むことを前提としなければならないわけですが,とくにカトリックの信者が多く読むことになるであろうということは容易に想像され,かつその中で高位にある人物も読むことになるという可能性があります。それが本当に公開書簡であったのなら,たぶんステノはそうしたことも前提としてそれを書いていたと思うのです。そしてその中でステノは,かつて自身がスピノザときわめて親しかったし,今でも疎遠ではないと思っていると書いているのです。
前もっていっておいたように,この書簡はスピノザ宛になっているわけではなく,新哲学の改革者宛となっていますし,本文の中にもスピノザの名前が出ているわけではありませんから,その新哲学の改革者というのがスピノザを指しているということは明示されていません。ここでいわれている新哲学というのは,当時の習いとしてデカルトRené Descartesの哲学を指していることがだれにでも明白なのですが,その改革者がスピノザだけであったというようには断定できないからです。同様に,この書簡の中では『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』に対する言及もあるのですが,『神学・政治論』とはっきり書かれているわけではなく,新哲学の改革者が書いたといわれていて,ステノ自身もそう思っている本とだけいわれています。
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