スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

読売新聞社杯全日本選抜競輪&悲しみの消失

2025-02-27 10:23:41 | 競輪
 24日に豊橋競輪場で行われた第40回全日本選抜競輪の決勝。並びは真杉‐吉田の関東,寺崎‐脇本の福井に三谷,古性‐南の大阪に村田で深谷は単騎。
 古性,吉田,寺崎がスタートを取りにいき,誘導の後ろに入ったのは吉田。真杉の前受けとなり,3番手に寺崎,6番手に古性,最後尾に深谷で周回。残り3周のバックに入って古性が上昇開始。残り2周のホームで真杉を叩きにいきましたが,真杉が突っ張りました。古性は吉田の後ろに入り,6番手に寺崎,最後尾に深谷で打鐘。直後に深谷がインから上昇。ホームで寺崎をどかして6番手に入りました。ホームから吉田は真杉との車間を開け始めました。バックに入って寺崎が発進。古性も出ると吉田も番手捲りを敢行。古性は吉田にスイッチしましたが,外の寺崎の勢いがよく,最終コーナーでは前を捲ろうかという態勢。早めに寺崎の外に出していた脇本も踏み込み,捲った寺崎を差して優勝。寺崎が1車身半差で2着で福井のワンツー。やや踏み遅れる形になった深谷が4分の3車輪差で3着。
                            
 優勝した福井の脇本雄太選手は競輪祭以来の優勝でビッグは11勝目。GⅠは9勝目。全日本選抜競輪は初優勝。豊橋では一昨年1月の記念競輪を優勝しています。このレースは寺崎の出方がひとつの注目点でしたが,後ろを引き出すのではなく自身の優勝を目指すというレースに。真杉と古性で先行争いをするのは意外でしたが,これがあったために展開は絶好となりました。1車身半の差がついたのは,脇本が早い段階から踏み込んだためだと思います。

 現在の考察と直接的に関連するわけではないのですが,これはスピノザの哲学のほかの部分と重要な関連をもちますので,その点も考察します。
 第五部定理三では,受動感情Affectus,qui passioはそれについて明瞭判然とした観念ideaが形成されれば,受動であることをやめるといわれています。したがってここで示した例でいえば,菊の花を表象するimaginariと悲しみtristitiaを感じるということが,菊の花の表象像imagoが大切な人の葬儀の表象像と結びついているから悲しみを感じるのだということを,悲しみを感じている当人が明瞭判然と把握すれば,この悲しみは受動感情であることをやめるのです。もっとも,第三部定理五九により,悲しみは必ず受動感情なので,悲しみが受動感情であるということをやめるということは,悲しみが消失するという意味にほかなりません。
 このことはその通りですが,これはこの場合にのみ成立します。つまり,悲しみを実際に感じているときに,その悲しみは,菊の花の表象像が葬儀の表象像と自分の精神mensのうちで結びついているということを明瞭判然と認識するcognoscere限りにおいて,その悲しみが受動であることをやめる,いい換えれば悲しみが消滅するということであって,それを明瞭判然と認識したからといって,菊の花を表象しなくなるというわけではありませんし,菊の花と葬儀の表象像の連結connexioが解除されるというものでもありません。したがってこの人が後にまた菊の花を表象することがあったとしたら,そのときはまたその人は悲しみを感じることになります。ただその悲しみもまた,菊の花の表象像が葬儀の表象像と結びついていることを明瞭判然と認識することによって,悲しみであることをやめるというまでです。
 もちろんこうしたことが繰り返されることによって,いずれは菊の花を表象しても悲しみを感じなくなるということはあり得るかもしれませんが,こうしたことは単に時間tempusの経過とともに生じることもあるわけですから,そこに特別の意味を見出す必要はないでしょう。葬儀から時間が経過すればするほど,感じる悲しみが軽減していくということは,僕たちが経験的に知っているところであり,このことについて深く説明する必要はないと思います。

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