スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ゴールドカップレース&台本

2024-10-29 18:59:26 | 競輪
 京王閣記念の決勝。並びは新山‐新田の北日本,小林‐木暮の群馬,真杉‐鈴木の関東,古性‐南の大阪で犬伏は単騎。
 スタートを取りにいったのは古性と小林。古性が誘導の後ろに入って前受け。3番手に小林,5番手に新山,7番手に真杉,最後尾に犬伏で周回。残り3周のバックから真杉が上昇。ただし新山の横で併走し,そのままホームからバックへ。ここから小林が発進。古性を叩くとさらに真杉も発進して打鐘。真杉の逃げになり,3番手に小林,5番手に古性,7番手に新山,最後尾に犬伏という一列棒状になりました。バックに戻って新山が発進するとそれに合わせて古性も発進。古性が前を捲って先頭で直線に。古性より後ろにいた5人の争いとなり,最後尾から大外を伸びた犬伏が優勝。古性の外から捲った新山が4分の3車輪差で2着。古性と古性マークの南が同着で半車輪差の3着。南と新山の間を突こうとした新田は伸びを欠いて半車身差で5着。
 優勝した徳島の犬伏湧也選手は前々回出走の小松島のFⅠ以来の優勝。記念競輪は7月の小松島記念以来で3勝目。京王閣記念は初優勝。このレースは分かれて戦った関東勢が協力したようなレースになったのですが,どうもペースが速すぎたようで,後方に控えていた選手たちの捲り合戦になりました。犬伏は最後尾にいて,真杉が上昇したときにもついていかず,最終周回のバックでもまだ最後尾でしたが,結果的にはだれよりも脚を溜められるレースができ,それが勝因となりました。単騎だったのですが,その他のラインが4つあったこともプラスになったと思います。

 現実的なことをいえば,同じ戯曲であっても演出家の演出次第で上演のあり方は変化します。したがって,ファン・ローンJoanis van LoonがフォンデルJoost van Voendelの戯曲の上演を観劇したことがあった,それも複数回にわたって観劇したことがあったとしても,そこにどのような演出があったかということは異なった筈であって,フォンデルの戯曲が上演されるときの共通の演出というのがあったかどうかは分かりません。ですからフォンデルの戯曲であるかのように上演したという表現は,表現としては不適切だと僕は思います。なのでこの部分は不自然であると思いますが,ファン・ローンがそう書いたのかヘンドリックHendrik Wilem van Loonがそのように書いたのかは別として,このような表現になり得るということは理解しますので,この点について深く詰めることはしません。ローンが書いてもこのような表現にはなり得るだろうし,ヘンドリックがフォンデルの戯曲を観劇したことがあったかどうかは不明ですが,ヘンドリックがフォンデルはこの当時のオランダにおける著名な詩人にして戯曲家であったということさえ知っていれば,このような表現をすることもあり得るでしょう。いい換えればこの部分を詰めて考えても,ヘンドリックが完全に創作したか,何らかの資料に依拠したかということは分からないと思います。
                            
 もっと不自然に感じられるのは,アリストファネスἈριστοφάνηςの『Βάτραχοι』を上演するにあたって,何らかの台本があったと仮定されていないことです。ホラティウスQuintus Horatius Flaccusの古い写本が出てきたとは書いてありますが,アリストファネスの書いたものがヨットの中にあったとは書いていないのです。もしもそうしたものがなかったのなら,一行は台本もなしに『蛙』を上演したと解さなければなりませんが,そんなことが本当に可能だったのかはかなり疑問です。『蛙』というのがとても有名な話で,だれでもそのあらすじを知っているような戯曲であったとしても,上演するのであれば台詞の段取りなどがなければならないのであって,定まった台本なしにそれができたかは疑問です。いい換えればこの場合は,一行のだれかが,簡単なものであったとしても何らかの台本を作成したのでなければならないと思います。

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