スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典サマーチャンピオン&統治権

2022-08-25 19:40:23 | 地方競馬
 第22回サマーチャンピオン
 好発はラウダシオンでしたが,内からサクセスエナジーも出ていき,1コーナーからのコーナーワークで前に出ての逃げ。ラウダシオンが2番手。2馬身差でコンバスチョンとシャマル。3馬身差でコウエイアンカ。6番手にレディバグ。2馬身差でリュウノシンゲン。8番手にスーパースナッズ。2馬身差でナンヨーアミーコ。4馬身差でキタカラキタムスメ。11番手にユアマイラブ。5馬身差の最後尾にグレートコマンダーという縦長の隊列。前半の600mは35秒8のミドルペース。
 3コーナーを回ってサクセスエナジーにシャマルが並び掛けていきました。内から追い上げてきたのがコンバスチョンで外を回って追ってきたのがコウエイアンカ。直線の入口ではシャマルが前に出て,そのまま抜け出して優勝。外を回ったコウエイアンカが2馬身差で2着。逃げ粘ったサクセスエナジーがクビ差で3着。
 優勝したシャマルは前々走の東京スプリント以来の勝利で重賞2勝目。近況からは負けられないようなメンバー構成。前走のさきたま杯は3着だったので,コースを1周するレースと,斤量差があったので軽量の馬に足をすくわれるというケースを心配していたのですが,どちらも問題ありませんでした。とくにコースを1周するレースを克服したのは大きく,これからの活躍を大いに見込めそうです。父はスマートファルコン。母の父はアグネスデジタル。祖母の父はダンスインザダーク。Shamalはペルシャ湾岸地域に吹く砂塵を伴う強風
 騎乗した川須栄彦騎手と管理している松下武士調教師はサマーチャンピオン初勝利。

 スピノザは『国家論Tractatus Politicus』の第二章第一七節で,主権と政治体制のあり方を簡単に説明しています。ただしそこでは主権ではなく統治権imperiumという語が使用されていますので,ここでもそれに倣うことにします。
                                        
 スピノザがいう統治権とは,多数者の力potentiaによって規定される権利jusです。したがってそれは,人間の共同の権利というべき権利で,ある人間が単独で有する権利ではありません。人間は相互の援助なしには生活を支えるということができないので,共同で生活するようになります。そうすることで人間は自然権jus naturaeを拡張していくわけです。統治権というのは,人間がそのような仕方で自然権を拡張していく中で,生じてくるような権利,というか人間が共同で生活するために生じてこざるを得ないような権利のひとつであると解するのがよいと僕は考えています。
 この統治権は,共同の意志voluntasに基づいて共同する人間を統治する人間に与えられています。事実上はこのような統治権を有する人間の共同体が国家Imperiumといわれますので,これは共同の意志に基づいて国事の配慮をなす人間といっていいでしょう。ここでいわれる配慮とは,法律lexの制定や廃止,また法律の解釈,国防などの一切を意味します。つまり,行政権だけを意味するのではなく,立法権や司法権も含まれます。そして政治体制のあり方というのは,この国事に対する配慮をだれがなすのかということと関係します。
 もしもこの配慮が,すべての民衆からなる会議体に属するのであれば,この統治形態は民主制といわれます。またその会議体が,若干の選ばれた人びとのみから構成されるのなら,その統治形態が貴族制といわれます。そしてこの配慮がひとりの手中にあるなら,その政治体制は君主制といわれるのです。ただしこれは配慮のあり方についていわれるのであって,たとえばその統治権がひとりの君主にあるのだとしても,君主が補佐役の意見opinioを聞くことによって決定されるということはありますし,スピノザは君主制国家の統治形態としては,そのような形態が望ましいと考えています。これは前にいっておいたように,たとえ君主制であっても,民衆とのコミュニケーションを欠いてはならないからです。

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