棋聖戦五番勝負第三局。
ここは羽生善治名人の先手。相矢倉風の立ち上がりでしたが,後手の佐藤康光棋聖が引き飛車から中住まいという,風車戦法のような趣向をみせ,第1図のように組み上がりました。
玉は先手が固く,仕掛ける権利も先手にあります。先手の不安は強いてあげるなら,▲1七香と▲2五歩のバランスが悪く,右の桂馬も使いづらいといったところでしょうか。それでもここから▲3五歩と仕掛け,銀交換から金銀交換。さらに駒の損得なしに飛車も成り込めましたので,先手がはっきりと優勢に。
おそらく決め手となったのは第2図で▲4五銀と打った手。▲4四歩と▲5四歩が厳しい狙いとなっていますし,△6七銀成▲同金△5六金と絡んでくるような順も防いでいます。後手は△7三玉と逃げましたが,▲7五歩の追撃が厳しく,以下は一方的に押し切った先手の勝ち。たぶん後手の構想にそもそも問題があったのではないかと思います。どうもこのシリーズはこのふたりの対戦にしては珍しく,終盤の競り合いになりません。
ところでこの将棋,佐藤棋聖が玉の早逃げというやつを3回やっています。将棋の格言のひとつに「玉の早逃げ8手の得」というのがありますが,かつて佐藤棋聖はこれは信じてはいけない将棋の格言のひとつであると明言していました。8手も得ならもっと早逃げするんだそうです。
これで羽生名人が1勝2敗とひとつ戻しました。次が佐藤棋聖の先手ですので,大きな一番となりそうです。これは来週,8日に指されます。
これによりここで考える第二部定理四〇の意味は,人間の精神のうちにある十全な観念があって,この十全な観念を原因としてこの人間の精神のうちにある観念が生じてくるならば,このようにして生じるこの観念もまた十全な観念であるということになります。
ただし,僕はこの定理の中にはこの意味だけを見出すわけではありません。というか,この意味だけしかないのであれば,この定理から,前提が誤っているならば結論も誤っているという,この考察で導き出したい事柄自体が生じてこないといえます。僕はこの定理には,この意味のほかにさらに3つの意味,つまり合計で4つの意味が含まれていると考えています。まずはその4つの意味がどのような意味であるかを挙げておくことにします。
第一の意味ですが,これはこの定理でスピノザが直接的にいっていることです。すなわち,説明したように,人間の精神のうちにある十全な観念を原因としては,十全な観念だけがその人間の精神のうちに生じてくるということです。
第二の意味はこれと逆で,もしもある人間の精神のうちに混乱した観念があるならば,この混乱した観念を原因としてこの人間の精神のうちに生じてくる観念は,混乱した観念であるという意味です。
第三の意味は,第一の意味を結果の側からみた場合です。すなわちある人間の精神のうちに,何らかの十全な観念が生じるなら,この観念の原因は,やはりこの人間の精神のうちにある十全な観念であるという意味になります。
第四の意味は第三の意味の逆で,第二の意味を結果の側からみた場合です。つまりある人間の精神のうちにある混乱した観念が生じるなら,この観念の原因は,この人間の精神のうちにある混乱した観念であるという意味です。
ここは羽生善治名人の先手。相矢倉風の立ち上がりでしたが,後手の佐藤康光棋聖が引き飛車から中住まいという,風車戦法のような趣向をみせ,第1図のように組み上がりました。
玉は先手が固く,仕掛ける権利も先手にあります。先手の不安は強いてあげるなら,▲1七香と▲2五歩のバランスが悪く,右の桂馬も使いづらいといったところでしょうか。それでもここから▲3五歩と仕掛け,銀交換から金銀交換。さらに駒の損得なしに飛車も成り込めましたので,先手がはっきりと優勢に。
おそらく決め手となったのは第2図で▲4五銀と打った手。▲4四歩と▲5四歩が厳しい狙いとなっていますし,△6七銀成▲同金△5六金と絡んでくるような順も防いでいます。後手は△7三玉と逃げましたが,▲7五歩の追撃が厳しく,以下は一方的に押し切った先手の勝ち。たぶん後手の構想にそもそも問題があったのではないかと思います。どうもこのシリーズはこのふたりの対戦にしては珍しく,終盤の競り合いになりません。
ところでこの将棋,佐藤棋聖が玉の早逃げというやつを3回やっています。将棋の格言のひとつに「玉の早逃げ8手の得」というのがありますが,かつて佐藤棋聖はこれは信じてはいけない将棋の格言のひとつであると明言していました。8手も得ならもっと早逃げするんだそうです。
これで羽生名人が1勝2敗とひとつ戻しました。次が佐藤棋聖の先手ですので,大きな一番となりそうです。これは来週,8日に指されます。
これによりここで考える第二部定理四〇の意味は,人間の精神のうちにある十全な観念があって,この十全な観念を原因としてこの人間の精神のうちにある観念が生じてくるならば,このようにして生じるこの観念もまた十全な観念であるということになります。
ただし,僕はこの定理の中にはこの意味だけを見出すわけではありません。というか,この意味だけしかないのであれば,この定理から,前提が誤っているならば結論も誤っているという,この考察で導き出したい事柄自体が生じてこないといえます。僕はこの定理には,この意味のほかにさらに3つの意味,つまり合計で4つの意味が含まれていると考えています。まずはその4つの意味がどのような意味であるかを挙げておくことにします。
第一の意味ですが,これはこの定理でスピノザが直接的にいっていることです。すなわち,説明したように,人間の精神のうちにある十全な観念を原因としては,十全な観念だけがその人間の精神のうちに生じてくるということです。
第二の意味はこれと逆で,もしもある人間の精神のうちに混乱した観念があるならば,この混乱した観念を原因としてこの人間の精神のうちに生じてくる観念は,混乱した観念であるという意味です。
第三の意味は,第一の意味を結果の側からみた場合です。すなわちある人間の精神のうちに,何らかの十全な観念が生じるなら,この観念の原因は,やはりこの人間の精神のうちにある十全な観念であるという意味になります。
第四の意味は第三の意味の逆で,第二の意味を結果の側からみた場合です。つまりある人間の精神のうちにある混乱した観念が生じるなら,この観念の原因は,この人間の精神のうちにある混乱した観念であるという意味です。
プロは、はっきりと勝ちを意識したのは、▲7四銀(87手目)と言うと思います。
▲2二飛成(71手目)の局面は、厳密には先手の1歩損なので、1歩の代償が竜を作ったことと解釈すれば、形勢不明だと思います。
71手目は、先手の主導権があるので、先手の方が面白いとは思います。
私のブログでも▲4五銀(73手目)は、次のように書きました。
「▲4五銀がうまく攻めをつないで、そのまま勝ちきりました。」
これは、先手の主導権をうまく活かして、微差のまま勝ちきりました。 という意味なので、形勢判断は不明だと思います。
71手目は、先手の主導権で先手が面白いと思いますけど、形勢は不明だと思います。
僕は昨日はずっと観戦したわけではありませんが
棋譜を並べていて,第2図の近辺では
先手がえらくうまくやっているように思いました。
一歩損しているとはいっても
歩切れではないので,このあたりは先手が優勢と思いましたし
今になって考えても先手が優勢であると思います。
ただしこれはあくまでも僕がそう感じたということであって
両対局者がどう思っていたかはまた別の話です。
形勢は、「玉の固さ、駒の損得、駒の効率、手番」の4つの要素から判断するのが形勢判断です。
指しやすいは、自分の棋風通りの展開です。
<例>
駒損しても穴熊に組めれば、指しやすい。
中原名人のように、桂・銀交換は、桂がいいので指しやすい。
たぶん、spinoza05さんは、第2図は指しやすいと感じたと思います。
私も第2図は先手が指しやすいと思います。
指しやすいとは、竜が成って羽生三冠の勝ちパターンだと感じる意味です。
でも、形勢は不明だと思います。(冷静に考えて)
おっしゃる通りです。
僕は形勢というものは判断されるものと考えますので
主観的な意味でこのことばを用いるのです。
いい方を換えれば,判断の伴わない形勢は存在しないという考えです。