スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マーキュリーカップ&棋士の力

2007-07-16 22:23:35 | 地方競馬
 台風の影響で中央の土曜の小倉開催が今日に代替となったため,JRA所属馬3頭に乗り換りが発生した今日の盛岡でのマーキュリーカップ(動画)。
 発走後,シャーベットトーンが押していって先手を奪い,クーリンガーとエイシンロンバードがこれを追っていきました。ラップが不明なのでペースは分かりません。4コーナー手前で一旦はエイシンロンバードの方が2番手に上がって直線に入りましたがここからは逃げたシャーベットトーンの土壇場。後ろを離していく一方で,9馬身もの差をつける圧勝となりました。一旦はエイシンロンバードに前に出られたクーリンガーですが,直線ではまた盛り返し,競り合いを制して2着。エイシンロンバードが3着と,力量上位の馬が先行したということもあって,前に行った馬での平穏な決着となりました。
 優勝したシャーベットトーンはこれが重賞初制覇。昨年の暮れから力をつけてきた馬で,川崎記念では後ろからの競馬となり,離されはしましたが4着に入っていて,ここは順当な勝利。まだ上位クラスとは少しばかり差があるように思いますが,レース振りは安定していて,長く活躍できるのではないかと思います。

 読み筋の過程で見落としがあったり自分の都合のよいように勝手読みをしたりするのはプロの棋士にもあることですし,また,人間の精神は有限な精神ですから,事物の表象には限界というものがあって,そのために一般的に人間は一般名詞というものを必要とし,棋士の将棋の対局においては,いわゆる大局観というものが必要とされるのであって,それが絶対的な基準になるということはありませんが,少なくとも多くの局面を表象できるということは,棋士が将棋に勝つという点に関しては重要なことであって,この表象が棋士にとって力であるということ,そして,この表象が多ければ多いほど,それだけ大きな力であるということは,理解しやすいのではないかと思います。
 しかし,ここで僕たちが注意しておかなくてはならないことは,スピノザの哲学において表象が力であるとされるのは,この場合には,それによって棋士が将棋に勝てるから,あるいは勝つ確率が高くなるから力であるといわれるのではないということです。つまりこの例は,表象が力であるということを分かりやすく説明できるその分だけ,間違えやすいともいえるのです。
 スピノザの哲学において表象が力であるといわれるのは,それが虚偽にとどまっていて,誤謬には至っていないという場合です。つまり棋士が読み筋の過程で出現していない局面を表象する際に,当の棋士自身がそれが出現していない局面であるということに気付いていない限りにおいて,それは力であると規定されます。もちろんこのことは自明なこととして前提しても構わないと僕は思いますので,これが棋士の力であるという点に関しては,問題がないだろうと思います。
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フジキセキ&読み筋

2007-07-15 20:44:50 | 名馬
 ヴィクトリアマイルを勝ったコイウタの父,フジキセキを紹介します。
 タヤスツヨシと同じサンデーサイレンスの初年度産駒。デビューは2歳の8月で,新馬を勝つと一息入れ,10月のオープン特別に出走して連勝。さらに12月の朝日杯3歳ステークス,現在の朝日杯フューチュリティステークスまで3連勝して大レース制覇を達成。サンデーサイレンスの産駒で初めて大レースを勝った記念すべき馬がこのフジキセキでした。3戦3勝の内容も文句なしで,もちろん翌年のクラシックの最有力候補となりました。
 年が明け3歳になると皐月賞の最大の前哨戦である弥生賞から復帰。ここまではデビュー戦が1200,その後の2戦が1600ということで,2000メートルへの適性が問われたわけですが,抜け出して詰め寄られそうになってまた突き放すというかなり強い内容で問題なくクリアしました。これは皐月賞もこの馬で仕方がないという雰囲気になったのですが,残念ながら故障を発症。この若さにして引退,種牡馬入りとなってしまいました。
 結果的に4戦全勝の競走馬生活はなんというか,予告編だけで本編のない映画のような印象ですが,もしも無事にいっていれば,ダービーは分かりませんが,少なくとも皐月賞は勝っていたのではないかと思います。
 種牡馬入り後も順調に重賞の勝ち馬を送り出しています。日本での大レースの勝ち馬は休養中のカネヒキリグレイスティアラに続いてコイウタが3頭目です。また,この馬もタヤスツヨシと同様にシャトル種牡馬として活躍。オーストラリア産の産駒からも,南アフリカでGⅠを勝ったSun Classiqueという産駒を出しています。

 明日は盛岡でマーキュリーカップ。ここはシャーベットトーン◎が中心で,クーリンガー○とエイシンロンバード▲,さらにサイレントエクセル△とテンショウボス△の地元2頭。

 台風で順延となった四日市記念の決勝。並びは成田ー有坂の北日本,小嶋ー岩見ー山内の中部,井上ー前田の西日本で,残った佐々木に渡辺。当然ながら小嶋選手◎が中心で,岩見選手○が相手になります。ほかのラインでは井上選手▲と思いますが,渡辺選手△の突込みには警戒が必要でしょう。

 唯名論イデア論に関する話はここではひとまずこれまでとして,再び話題をスピノザの哲学でいう想像力という力potentiaのあり方の方へと戻します。
 ここまでは,たとえば小倉優子の精神mensのうちにあるこりん星の観念ideaとか,あるいはある人間の精神mens humanaのうちにあるペガサスの観念という,一見するとなぜそれが力であるといえるのか理解に苦しむような例を示してきましたので,今度は,確かにそれが力であるということが容易に認められるような実例を挙げてみます。
 棋士は,というか,正確にいうならこれはプロ棋士に限らず将棋を指す場合には多かれ少なかれだれにも妥当することだと思いますが,ある局面で指し手を選択する場合に,先を読むことによって,最も自分にとって有利になるような手を選択します。この過程のうちにおいて棋士の精神のうちには,出現していない局面の観念がたくさん生じます。そしてそれは間違いなく現実的に存在する観念として,すなわち表象imaginatioとして生じるのであって,これは僕がいう表象の種類として想像に属すること(過去に経験がある局面の場合には,単に想起memoriaの場合もあるでしょうが)は否定できないと思います。
 ところでこのとき,この表象がより多く生じるということは,それだけ多く局面を読んでいるということに等しくなります。より多く読めれば,その分だけ自分を有利に導く可能性が高くなるでしょう。いい換えれば,棋士の強さというのは,少なくとも部分的に,この表象するimaginari力の大きさに左右されるわけです。この点からすれば,棋士の読み筋は,まだ出現していない局面の表象なので混乱した観念idea inadaequataであるということは間違いないところですが,棋士にとって力であるということがよく理解できるのではないかと思います。
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弥彦記念&全体と個

2007-07-14 20:35:30 | 競輪
 弥彦記念は雨に祟られ,11日に争われた決勝(動画)も,滑りやすいバンクでの争いとなりました。
 坂上選手がSを取って山田選手の前受け。新田選手が中団,矢口選手が後方で周回。残り2周のホームから矢口選手が上昇,バックで山田選手を叩きました。ここで中団の攻防となり,内から新田選手が制して4番手,山田選手は7番手に後退。この攻防を前で見ながら流していた矢口選手が,決着したとみてホームから先行となりました。新田選手はバックの入口あたりから捲り発進。行けるだけの勢いもあるように思いましたが,矢口選手の番手の藤原選手にうまくブロックされ失速。藤原選手はその勢いでそのまま発進,バック8番手から外を一気に伸びてきた山口選手にかなり詰め寄られたもののわずかに凌いで優勝。山口選手が2着に突っ込み,3着は藤原選手マークの内海選手でした。
 優勝した新潟の藤原憲征選手は嬉しい記念競輪初優勝を地元で決めました。骨折明けでそんなに調子はよくなかったとのことですが,有力選手が脱落,決勝もまず先行が予想される矢口選手の番手を回れるなど,今回は運に恵まれた感があります。まだ本当のトップクラスとはいえない選手ですが,まだ27歳ですし,今後も頑張ってほしいです。
 特筆すべきは山口選手の伸び脚。ゴール後に手を挙げてしまったのはご愛嬌としても,もう少し展開に恵まれていればこちらが優勝だったでしょう。

 明日の四日市記念は台風の影響を考慮して明後日への順延が早々に決定しています。メンバーも出揃い,並びも分かっていますが,予想は前日がこのブログの基本ですので明日。

 スピノザがイデア論の立場を採用せずに唯名論の立場に立つということは,ここでのテーマとはあまり関係してはいないといっても,そんなに軽く扱えないような事柄です。なぜなら,事物の一般性と特殊性の関係というのをどのように考えるのかということは常に,類と個とか,全体と個といった関係をどのように把握するのかということとパラレルな関係にあるからです。
 たとえば,国家と国民の関係をどのように把握するかとなった場合に,もしもイデア論の立場に立つならば,特殊的なものは一般的なものに還元できる,すなわち,一人ひとりの人間はある国家の国民という一般性に還元が可能であるということになりますから,国家があることによってはじめて国民は存在することが可能になるという考え方に傾きます。国民というのは国家の一部分であって,部分というのは全体があって成立できるという考え方です。
 これに対してスピノザのように唯名論の立場になると,国家というのは国民,この場合にはある意味では国民といういい方でさえあまり適切ではなく,ほかのものに還元が不可能であるような固有名詞を有する各々の人間のある一定の集団の総体が国家であるにすぎないということになりますから,個人がなければ国家なるものも存在することができないという考えに傾斜します。
 これらのことは国家論,あるいは政治論に属することであって,そもそもこのブログ自体の趣旨に沿いませんが,哲学的立場というのが,そうした政治的立場に密接に関連してくること,あるいは関連せざるを得ないということの,これはひとつのよい例であると思います。
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フォーリンカップ&イデア

2007-07-13 22:07:00 | 競輪
 四日市記念2日目優秀のフォーリンカップ(動画)。並びは中部が小嶋ー岩見ー浜口,井上ー小野ー加倉ー島田で九州は結束,残った佐々木に兵藤でした。。
 前受けは小嶋選手。以下,中団が井上選手で後方から佐々木選手の周回。残り2周のホームから佐々木選手が上昇し,小嶋選手を抑えました。打鐘から3番手で内の小嶋選手と並んでいた井上選手が発進,残り1周のホームの入口で佐々木選手を抑えて,九州勢の先行になりました。しかしこのホームのうちに小嶋選手も発進。前を捕まえるのに時間は掛かりましたが,3コーナーでは捲りきり,さらに後ろとの差を広げて,悠々と1着でのゴール。地元ということで番手となった岩見選手ですが,井上選手の番手の小野選手にやや絡まれたために少し離れ,3番手から浜口選手が差し込んでの2着。岩見選手も差されはしたものの3着で,中部の上位独占となっています。
 小嶋選手の強さについてはもう表現すべきことばも見当たりません。明日の準決勝はそれでもひとつの鍵にはなると思いますが,1着で突破できれば完全優勝が濃厚ではないかと思います。

 哲学の世界では,唯名論に対してイデア論という考え方があります。これはスピノザの考え方ではないのでざっと紹介するにとどめますが,各々の事物,あるいは『エチカ』のいい方では各々の個物にはそのイデアなるものがあって,個々の個物というのはそのイデアがあることによって存在することができるようになるというのがこの考え方です。すなわち,この考え方では,一般的なものが真理であって,特殊的とされるものは何らかの仕方で一般的なものに還元することができるということになります。文法的な考え方をすれば,唯名論とイデア論の間には,固有名詞に対する考え方に相違があって,唯名論ではこの固有名詞がほかのことば,とくに一般名詞には還元が不可能であると考えられるのに対し,イデア論では固有名詞は一般名詞に置き換えることができると考えられていると考えれば,両論の対立のあり方というのがより分かりやすく理解できるのではないかと僕は考えています。
 これについてはここでのテーマとかけ離れるのでこれ以上詳しい説明は今はしませんが,スピノザが事物が一般的に概念されるほど混乱して認識されると考えていることのうちには,たとえば人間とか馬といったような一般名詞まで,実はある混乱した認識なのであるということが含意されています。このこと,また,いかにして人間の精神のうちにそうした一般名詞が生じるのか,あるいはなぜ人間の精神にはそうした一般名詞が必要とされるのかということについては,人間の精神が有限知性であるという観点から,第二部定理四〇の備考においてスピノザ自身が詳しく説明していますので,興味がある方はそちらをお読みになってください。
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ジャパンダートダービー&一般性と特殊性

2007-07-12 22:37:45 | 地方競馬
 南関東勢のレベルが高いことがはっきりしていたので楽しみにしていた昨日の第9回ジャパンダートダービーは,そのレベルの高さを裏付けるような素晴らしいタイムでの決着になりました。
 出遅れが心配されたトップサバトンもまずまずの発走。スタンド前では逃げるかの態勢でしたが外からエイシンイッキが前に出て,フリオーソがこれを追いました。ただ,向正面では早々とフリオーソがこれを交わして先頭。トップサバトンが2番手でマーク。前半の1000メートルが60秒ちょうどのハイペースとなりました。
 このままこの2頭が後ろを離していき,3コーナーあたりから追い上げてきたのがアンパサンドとロングプライド。この時点で実力馬による争いになることが確実になりました。
 直線に入ったところでフリオーソが後ろを突き放し,ずっと追い掛けていたトップサバトンが脱落。替わってアンパサンドが2番手に上がりましたが,前に追いつくだけの脚はなく,フリオーソが優勝。アンパサンドが2着で,伏兵に詰め寄られるところはありましたがロングプライドが3着を確保しました。
 優勝したフリオーソ,管理する川島正行調教師は昨年の全日本2歳優駿以来の大レース優勝。南関東№2に成長した川崎の今野忠成騎手はこれが大レース初制覇。2分2秒9というタイムはこの時期の3歳にすれば破格。落鉄というアクシデントがあっただけになおさらです。ずっとこの馬が最も強いと考え中心に推してきましたが,接戦を繰り返していた馬たちに差をつけて勝ちましたので,世代トップの座は確保したのではないかと思います。アクシデントがなければ,今後もかなりの活躍が見込める馬でしょう。
 アンパサンドもロングプライドも,時計を考えるとかなりの力を発揮していると思います。武豊騎手がいうように,不良馬場は前にいったフリオーソに有利に働いた面はあるかもしれません。
 トップサバトンには残念な結果ですが,勝った馬を追いかけていってばててしまったものですから,今日のところはフリオーソが強かったということ。ただ,自身の体調面にはやや問題があったかもしれません。

 明日は四日市記念2日目優秀のフォーリンカップ。小嶋選手の後ろが普通に浜口選手なのか地元で岩見選手なのか,九州は4人が連携するのか,だれかが佐々木選手の後ろにいくのかと,不確定要素が大きいので予想は割愛。

 スピノザの哲学が唯名論に傾いていく最大の原因は,『知性改善論』の五五でいわれていること,すなわち,事物は一般的に概念されるほど混乱して認識され,特殊的に概念されるほど明瞭に理解されるとスピノザが考えていることに関係していると僕は考えています。つまりスピノザは,ある観念がより多くの対象を含めば含むほど,その観念は混乱しているのであって,観念がその対象の範囲を最も狭めた場合に,その対象が明瞭に認識されると考えているのです。
 たとえばこれを意志について考えてみます。すると,意志というのは,それぞれが個別の意志作用として認識される場合に最も明瞭に認識され,意志一般として認識される場合には,最も混乱して認識されているということになります。スピノザは意志一般なるものは個々の意志作用の総体にほかならないということをいいますが,そこにはこのようなことが含意されていると考えるべきだと僕は思っています。
 したがって,このとき,個別の意志作用の総体は,どのような名前で呼ばれようとも,問題にはならにということになります。なぜなら,認識としてはそれは混乱した認識にすぎず,重要なのは個々の思惟作用,意志作用という名で表現されている思惟作用だからです。だからこの部分にスピノザの哲学が唯名論に傾斜していく要因があると僕には思えるのです。
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王位戦&唯名論

2007-07-11 22:49:45 | 将棋
 王位戦七番勝負第一局は,挑戦者の深浦康市八段が勝利,幸先のよいスタートを切りました。
 この将棋の土台となっているのは2月に指された王将戦第五局。このときは羽生王将が後手でしたが,封じ手の直前まで同一の局面でした。その王将戦は後手の攻めを先手の佐藤棋聖が凌いで勝ったわけですが,この将棋は攻め合いに。難しい矢倉ですし,今日は途中経過をまったく見ていないこともあり,確たることはいえませんが,96手目に☖5六銀と打ったところでは後手が優勢であると僕には思えます。
 この後,103手目の☗7五角の王手成銀取りは後手としても折込済みでしょう。105手目,すぐに☗5七角は☖8八と~☖9九飛成でまずいので一旦☗9七香。ここから先手が粘りましたが,114手目の☖5六歩が好手で,ここからは後手の勝ちになっているのではないかと思います。
 先手が最後の反撃をし。123手目に☗1五飛と走りましたがこの瞬間に☖5七桂の王手。ここで☗5九王は☖2六馬の王手飛車で先手は見込みがありませんから☗同角でしたが,ここから長手順の即詰みになりました。この手順中,132手目の☖4五桂以下☗同歩☖5六歩☗同王☖4五銀というのは会心の手順という感じ。投了以下は☗7八同王に☖5六桂と打ち☗5八王☖5七香☗同王☖3九角以下で詰むようです。
 土台となった将棋に比べていうならば,この将棋は後手の攻めがうまくつながったということではないかと思います。先手としては,もっと徹底的に受ける将棋にした方がよかったのかもしれません。
 挑戦者の先勝で,シリーズは面白くなったといえると思います。第二局は24日と25日に指されます。

 明日からは四日市記念。ここは小嶋選手が中心です。

 こりん星の場合であれペガサスの場合であれ,人間の精神mens humanaがそれを表象するimaginariとき,神Deusのうちにあるその十全な観念idea adaequataは,それらのことばの説明の観念ideaであるわけです。そこでこれを逆に考えれば,こりん星にしろペガサスにしろ,説明さえ与えられていれば,それがどのような名前で呼ばれようと,人間はそれを同様に表象し,したがって,神のうちにある十全な観念も,同様の観念としてあるでしょう。実際,ペガサスというのは天空を駆ける翼のある馬に,便宜的に命名されただけにすぎないと考えられますし,こりん星というのも,小倉優子によってそう命名された星と考えることができ,別にそれらは異なった名前であってもよかったわけです。むしろ,ペガサスもこりん星も,別の名前で同様の説明が与えられるのであれば,人間はその説明によって,今はペガサス,あるいはこりん星といわれているものと同じものを,与えられた別の名前によって表象することになるでしょう。
 これを一般的にいうと,あるものがどのように呼ばれるか,あるいはどのように命名されるのかということは,さして重要ではないということになります。哲学では,こういうのを唯名論といいますが,基本的にスピノザの考え方自体は唯名論的です。それはこのような混乱した観念idea inadaequataに関係するだけではなく,たとえば最も重要な定義Definitioであると考えられる第一部定義六の場合でも,重要なのはそれが絶対に無限な実有ens absolute infinitumであるということなのであって,それを神というのは,ある意味では便宜的にすぎないといえるからです。これはここでのテーマとは直接的には関係しませんが,もう少し考えてみることにします。
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白と黒&ペガサス

2007-07-10 20:56:02 | NOAH
 前シリーズの異色対決を制した志賀選手と川畑選手。同じ日にRODを相手にGHCタッグを防衛した秋山選手と力皇選手に挑戦を志願しましたが,保留の形になっていました。
 NOAHの新シリーズは先月の30日に始まり,予定通りに力皇選手は海外遠征で欠場。1日の有明大会では秋山・金丸組と志賀・川畑組の試合が組まれ,手錠で秋山選手を場外フェンスに括りつけて志賀組の勝ち。この試合後の宣言で,3日の千葉大会で事前に組まれていた秋山・谷口組と志賀組の試合は,グローバルハードコアの選手権試合に変更されました。この選手権はいろいろなルールが適用されますが,今回は王者組が防衛すれば,GHCタッグへの挑戦を認めるというもの。結果,川畑選手のダイビングセントーンが谷口選手に炸裂,白(グローバルハードコア)の王者組が黒(GHCタッグ)への挑戦権を獲得。力皇選手は急遽の帰国が決定,15日の日本武道館大会でのタイトルマッチが実現することになりました。
 正直なところ,この試合が武道館で行われるだけの価値があるものかどうか疑問です。志賀選手にしろ川畑選手にしろ,武道館でこれだけのビッグマッチは初めてですので,雰囲気に萎縮することなく,僕の予想を裏切るだけ試合を見せてほしいです。なお,バイソン・スミス選手を相手に防衛に成功した三沢選手には,田上選手が挑戦者としての名乗りを上げ,同じ武道館大会でのタイトルマッチが決定済みです。

 王位戦第一局は羽生王位が先手を得て,相矢倉の森下システムの戦型になりました。封じ手局面は角が逃げる一手ですが,右に逃げるか左に逃げるかで,この後の展開もだいぶ違ってきそうです。

 明日は大井でジャパンダートダービー。ここはフリオーソ◎,トップサバトン○,アンパサンド▲の南関東三強とJRAのロングプライド△の争いになるでしょう。

 弥彦記念は決勝。並びは矢口-藤原-内海の上越,新田-斎藤の東日本に佐藤,山田-山口-坂上の中部。僕は藤原選手◎から。矢口選手○が相手で,山田選手▲と新田選手△。

 一見するとであると思えるようなものについても,その十全な観念が神のうちにあるということを示す場合,こりん星の例はあまりに特殊ですので,もうひとつ別の例で説明しておくことにします。
 天空を駆ける翼のある馬という説明があって,このように説明されるものについて,それをペガサスということにします。文字で表されるにせよ,口から発せられるにせよ,あるいは絵として描かれるにしろ,この説明というのが,説明されている対象を考えずにそれ自体で考えられるならば,実在的であるということは否定できないと思います。
 そこである人間がこの説明に刺激される場合,天空を駆けるとか,翼とか,馬といったものは個別に表象できると仮定すれば(これを仮定するのは不条理ではない筈です),それらの表象の組み合わせによって,まさに天空を駆ける馬を表象し,それをペガサスというということにより,その後でペガサスということばに刺激される限り,このときに表象した天空を駆ける馬を表象することになります。したがって,これをこの人間の精神のうちにあるペガサスの観念というなら,神のうちにある十全なペガサスの観念とは,まさに実在的であることを否定しようのない,このペガサスに関する説明の観念であるということになります。
 この説明からも分かるように,神のうちにペガサスの観念があるといえば,ペガサスが現実的に実在するものでない以上,あたかも非実在的なものの観念が神のうちにあるようですが,実際には,ある実在的なものの観念なのです。こりん星の観念の場合にも,これと同じことが生じているということになります。
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十宝賞&無の観念

2007-07-09 21:50:58 | 競輪
 弥彦記念2日目優秀の十宝賞(動画)。
 前受けは岡部選手。単騎の後閑選手が上昇し,残り2周のホームで岡部選手を抑えて一旦前に。バックで岐阜勢がさらにこれを抑えました。新田選手は前に出ずに,4番手を外で内の岡部選手と争って打鐘。そのまま山田選手の先行となりました。外外を踏んで追い上げてきた新田選手に合わせるように3コーナーから後閑選手が発進。この捲り追い込みが決まって後閑選手が1着,終始行き場のなかった岡部選手が,山田選手の番手から出た山口選手と後閑選手の中を割って2着。山口選手は3着でした。
 今日は位置を決めずにうまく3番手に入った後閑選手のレースのうまさが目立ったと思います。それに対して新田選手はやや消極的だった気がします。岡部選手は動くに動けない位置となってしまい,よく2着まで届きました。

 明日から王位戦七番勝負の第一局が始まります。これまでの対戦成績は羽生善治王位が15勝,挑戦者の深浦康市八段が13勝となっています。

 僕がそのことばによってこりん星を表象するとき,神との関連でこれを考えれば,僕の精神の本性を構成するとともに,ほかのものの観念を有する限りで,神のうちにこりん星の観念があるということになります。しかしこの仕方で神のうちにあるこりん星の観念の対象というのは,ある星ではなくて,この仮定の限りでは,こりん星ということばそのものであるということになります。このことは,第二部定理一七および第二部定理一六系二から明らかであるといえるでしょう。小倉優子の精神のうちにどのようにしてこりん星の観念が生じたのかについては,僕は具体的には知りませんので,このような仕方で詳しくそれを説明することはできませんが,これと同じ方法を用いることによって,神のうちにこりん星の観念があるということについては,矛盾なくそれを説明することができると思います。
 したがって,こりん星というのが形相的に実在するような星ではないのだとしても,それに関する何らかの説明があって,それがこりん星であると名付けられさえすれば,人間はその説明に刺激されることによってこりん星を表象することなり,その観念は十全な観念として神のうちにあることになります。そしてその十全な観念とは,こりん星と名付けられる説明の観念であり,この説明自体は実在的なものと考えることができますから,こりん星の十全な観念,すなわち一見は無と思えるようなものを対象とするような十全な観念が神のうちにあるとしても,何ら矛盾ではないと僕は考えます。
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キャッシュコールマイル・アメリカンオークス&ことばの表象

2007-07-08 21:59:09 | 海外競馬
 アメリカ西海岸で行われた2レースを,例によって日本馬を中心に回顧します。
 まず日本時間では昨日の午後にあったキャッシュコールマイルGⅡ。ここは3頭が出走していて,コイウタが先行集団の外の3番手,キストゥへヴンは5番手,ディアデラノビアは後方から2番手という位置取り。3~4コーナーの中間あたりでコイウタは早々と失速,最下位でした。一旦は最後方まで下がっていたディアデラノビアが変わるように外を回って進出。しかし前を行ったアメリカの2頭に追いつくまでの脚はなく,ディアデラノビアを行かせてからさらに外を回ったフランスのLady of Veniceにも交わされました。結局このLady of Veniceが前の2頭をまとめて差し切って優勝。ゴール寸前で内側からキストゥへヴンがディアデラノビアを交わして4着に入り,ディアデラノビアは5着でした。
 展望にも書いたように,ダンスインザムードクラスの馬であればまず勝ち負けになるわけですが,このクラスの馬では厳しかったようです。ただ,コイウタはいくら何でも負け過ぎで,体調面に問題があったものと推測します。
 日本時間では今朝となるアメリカンオークスGⅠ。ローブデコルテはやや遅れたような発走となり,すぐ内に入れて後方2番手からの競馬。3~4コーナーの中間から仕掛けていったものの,そのまま外に出せず,前が詰まっている間に馬が嫌気をさしてしまったようで,ある程度は前が開いてからもさしたる伸びは見せずに5着でした。勝ったのはアメリカのPanty Raid。
 こちらは正直なところ消化不良といったレース振りでした。過去の実績から日本の馬が強いということはよく知られていますから,マークもきつくなるのは当然で,今後はいかにしてそれをかいくぐっていくかということもひとつの課題となってくるのではないでしょうか。

 明日は弥彦記念2日目優秀の十宝賞です。並びは岡部-斎藤-内藤-紺野の北日本,新田-村本の静岡,山田-山口の岐阜で,後閑は自在に戦うようです。新田選手○の先行とみて村本選手◎。たぶんここを追走するだろう後閑選手▲で。

 こりん星ということばを聞いたときに,あるいはそれがどういった星であるというような説明をされたときに,僕はこりん星という星が実在しないということはよく知っていますが,それでもこりん星を表象します。これはちょうど,たとえば月と地球との間の距離を正しく知っている人間でも,を実際に見れば,本当にあるよりは近い位置にあるように表象するというのと同じことであって,何も不思議なことではありません。神のうちにあるこりん星の十全な観念というのは,たとえば僕がこのような仕方で表象するこりん星の観念の十全な観念であると考えることができます。
 これは,端的にいうとことばによって僕の身体が刺激されることによって,僕の精神のうちに表象されるものの観念で,たとえば僕が何の前提もなくこりん星といわれればそれを表象することはありませんが,それについて何らかの説明を受ければ,その説明がこりん星ということばと結び付けられることによって,その後でこりん星ということばに刺激されれば,今度はその説明によって表象した事柄を,こりん星ということばだけで表象するようになるという仕組みで,この仕組みは第二部定理一七系によって説明することができると僕は考えます。
 このように,人間というのは現実的には存在しないもの,あるいは現実的には刺激されたことがないようなものに対しても,単にことばだけによって刺激され,それを表象するということがあり得るわけです。そこで,たとえばこうした観念は,どのような仕方で神と関係付けることができるのかということを考えることによって,神のうちにあるこりん星の十全な観念というのがどんなものであるのかを考えることができると思われます。
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サクラローレル&こりん星の十全な観念

2007-07-07 21:16:05 | 名馬
 ゴールデンウィークに船橋で東京湾カップを優勝したウエスタンローレル。今日はこの馬の父,サクラローレルを紹介することにします。
 デビューは3歳。2勝してダービートライアルの青葉賞で3着。これでダービーの出走権利を得たのですが,出走せず4ヶ月休養。暮れにオープン入りすると4歳1月の金杯(現在の中山金杯)で重賞初制覇。続く目黒記念は2着。ここから実に1年以上の休養を余儀なくされ,復帰戦となったのが5歳3月の中山記念。休み明けをものともせずにこれを制すると,続く天皇賞(春)では人気になっていたナリタブライアンマヤノトップガンをまとめて差し切り大レース優勝を達成。秋,オールカマー優勝をステップに天皇賞(秋)に進んだもののここは馬群を捌けずに3着。ジャパンカップをスキップして挑んだ有馬記念で大レース2勝目を達成し,この年(1996年)の年度代表馬に選出されました。
 翌年,天皇賞(春)を2着し,秋は凱旋門賞を目指して渡仏したのですが,前哨戦で故障を発症。残念ながらそれで引退となってしまいました。
 やや重厚な血統構成のため,コンスタントに活躍馬を出すような種牡馬ではなく,凡庸な産駒も多いものの,何頭かが大物に育つといったタイプなのではないかと思います。

 キャッシュコールマイルの日本馬は4着が最高でした。日本時間明朝はアメリカンオークス。ここはローブデコルテが1番人気のようです。詳細はまとめて。

 明日から弥彦記念です。優勝争いとは別に,91期生が参加してくるのはひとつの注目点です。

 こりん星の観念ideaについては,ここまで検討してきたこととは別に,これを神の観念idea Deiと関連させた場合に,次のような疑問を提示することができます。
 たとえば小倉優子の精神mensのうちにこりん星の観念があるという場合,第二部定理一一系の意味から考えれば,これは,小倉優子の精神の本性naturaを構成するとともに,ほかのものの観念を有する限りで,神のうちにこりん星の観念があるという意味になります。これは,観念というものがそれ自体で積極的に虚偽falsitasを構成することはないという第二部定理三三証明した仕方から考えても,そうでなければならないということになると思います。
 次に第二部定理七系の意味からして,このような仕方でこりん星の観念が神のうちにあるとき,神のうちにあるこりん星の観念は十全な観念idea adaequataであり,十全な観念の定義Definitioからして,これは真の観念idea veraであるということになります。さらに第一部公理六により,この観念は観念の対象ideatum,すなわち,形相的なこりん星に一致することになります。
 ところが,ここでの考察はこりん星が形相的にformaliterは実在しないということを前提としているのであって,これについてはだれも異論のないところだろうと思います。するとこれはあたかも,形相的に実在しないものの観念が実在するという意味になり,非実在的な対象に実在的な観念があるという意味になりますから,観念とその対象ideatumの秩序ordoは一致するという第二部定理七に反することになります。一体いかにして神のうちにこりん星の観念があることができるのでしょうか。
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棋聖戦&こりん星の否定

2007-07-06 23:07:38 | 将棋
 棋聖戦第四局は佐藤康光棋聖が勝ち,3勝1敗で防衛,このタイトル六連覇という偉業を達成しました。実はこのシリーズの開始前,今期の両者の成績は7勝2敗と好調の渡辺明竜王に対し,佐藤棋聖は2勝5敗と不調でしたので,タイトル移動があるのではないかと予想していたのですが,ここを境に調子が入れ替わってしまったようです。
 将棋は後手・佐藤棋聖のごきげん中飛車に渡辺竜王の▲5八金という超急戦。ふたりの将棋だと昨年の竜王戦第四局(この将棋は佐藤棋聖が急戦を避けましたが),渡辺竜王にとってはこの棋聖戦の挑戦者決定戦と同じ戦型。定跡ではLogical Spaceさんの解説のように進むのですが,本譜は22手目に後手が△5四歩と新手を出しました。しかしわざわざ交換した筋に歩を打つのですから損な気もします。
 途中はほとんど見ていないのでまた端折ります。形勢は微差で揺れ動いている(渡辺竜王は30手目の△6二銀打の時点で不利と感じられていたようです)と思うのですが,56手目の△6二同歩まで進んだところでは先手の攻めが切れ模様で後手が優勢だと思います。
 66手目に△7四銀とかなり上の方から押さえていったのはおそらく好手(これは渡辺竜王によるとその通りだったみたいです)。▲同金△同歩で角が逃げるのでは駄目でしょうから,飛車交換になったのは妥当なのではないでしょうか。この後,74手目の△5七歩成では△5八飛▲同玉△6六桂で詰んでいたとのことですがこれは逃しました。しかし本譜の76手目の△7七角も豪快な手。取るのは△7九馬で変化は多いものの詰むようなので▲6六歩(ですのでここで先に▲6四桂の方が難しかったとのこと)。この瞬間,後手の玉が少し危なくなっていますが,△5五金が攻防の手。▲5六飛と打ったのには驚きましたがこれに対しては△7八馬が決め手。▲6四桂に飛車を使わせているので△8二玉。ここで▲5五飛と金の方を取ると△5六金▲同飛△7九馬で詰み。なので▲7八銀と馬の方を取りましたがこれも△5八飛で詰みでした。
 竜王戦,棋聖戦と観戦して,終盤力は渡辺竜王の方が上回っているように僕には思えます。逆にいうとトッププロレベルではそれ以前が渡辺竜王の課題なのかもしれません。一般に,年齢とともに終盤力だけでは勝てなくなってくるものですが,まだ若いですからそんなに心配することもないのでしょう。
 佐藤棋聖は冒頭にも書いたようにこれで六連覇。郷田,丸山,森内,羽生,鈴木,渡辺と,当然ながら倒してきた相手も豪華メンバーです。

 日本時間で明日の午後,キャッシュコールマイルの発走です。

 こりん星の観念をどういう場合に否定し得るのかといえば,少なくともスピノザの哲学においては,それがある誤謬を含んでいる限り,すなわち,こりん星の観念を有する人間が,その観念が混乱した観念であるという認識をもたない場合に限られるのであって,それが虚偽であるということだけ,つまり,この観念が実在的な対象を形相的にはもたないということだけでは,否定することができないわけです。
 もしもそれが形相的な対象をもたないということだけをもって,こりん星の観念を有する人間,たとえば小倉優子を否定するなら,この否定には二重の意味で誤りが含まれていると僕は考えています。ひとつはもちろん,そうした仕方での否定が,虚偽と誤謬の相違を認識していないという意味の誤りです。
 さらにもうひとつ,この否定は,形相的に現実的に存在するものを表象することは真理であるという前提からなされています。そうであるからその対象が形相的に実在しない観念を否定し得るのですからこれは明らかだと思います。しかし実際には,想像であれ知覚であれ,表象が混乱した観念すなわち虚偽であるということに変わりはないのです。すなわちこの否定は,虚偽を真理とみなすような誤りも同時に犯しているということになるのです。
 この例から分かるように,観念というのはそれが単に虚偽であるということだけをもって否定できるものではないのです。むしろそのように否定することこそ,虚偽を真理と信じているわけで,誤謬を犯しているのですから,否定されるべき当のものであるということになると僕は思います。

 ※昨日も冒頭に書きましたが,ここでこりん星を実例として挙げていることに他意はありません。小倉優子のみに関連したトラックバックは一切受け付けませんのであらかじめご了承ください。
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順位戦展望&こりん星

2007-07-05 20:45:30 | 将棋トピック
 朝日と毎日の共催になった順位戦はすでに熱闘が始まっていますが,名人戦が終了してすべての参加者が決まりましたので,ここでクラス毎の展望・予想をします。
 まずA級。正直なところ予想は困難ですが,森内名人が一八世名人になったこともあり,先をいかれた羽生善治三冠にモチベーションありとみて本命に予想。ここのところ緒戦を落としていたのですが,今年は白星スタートをきったのも好材料です。
 B級1組。昇級はふたりで,ここは渡辺明竜王と深浦康市八段で固いと思っていましたが,渡辺竜王がよもやの連敗スタート。このクラスは局数が多いので巻き返しが可能ですのでこの予想のままいきますが,順位も下ですので苦しくなったことは間違いありません。ほかでは鈴木大介八段。
 B級2組は間違いなく混戦になりそうです。一応の本命は山崎隆之七段ですが,将棋にややむらがあるように思えるのと,いささか淡白に感じるのは不安です。昇級してきた橋本崇載七段も実力者ですが,緒戦は山崎七段に負けてしまいました。それなら同じ昇級組の松尾歩六段。次が山崎・松尾戦ですから,勝った方はかなり有力と思います。野月七段,先崎八段,屋敷九段なども有力と思いますが,この3人は揃って黒星発進となっています。
 C級1組は阿久津主税五段が大本命で,対抗には飯島栄治五段を。ほかでは昇級してきた片上大輔五段ですが,この順位での緒戦負けは痛い感じ。これを破った同じ昇級組の広瀬章人五段も有力者の一人。このふたりは阿久津五段との対戦がありますので,そこが鍵になりそうです。
 C級2組は大所帯で予想が困難。本命は村山慈明四段と考えていましたが,緒戦は負けてしまいました。ほかで個人的に戦いぶりに注目しているのは糸谷哲郎四段と,新参加の佐藤天彦四段で,このふたりは白星スタートを決めました。
 順位戦は息の長い戦いです。3月の回顧のときにどんな結果が出ているのか楽しみです。

 明日は棋聖戦五番勝負の第四局です。また熱戦を期待したいところです。

 人間の精神による事物の表象,なかんずく事物の想像が力であるということが具体的にはどういった意味をもたらすのかということを説明するために実例を挙げますけれども,これについては他意はないということをあらかじめお断りしておきます。
 小倉優子というタレントがいて,この人が「こりん星」ということをよく口にします。小倉優子の中にこりん星という星の観念があるということ,またそれがこりん星という星が現実的に存在するという観念,すなわち,小倉優子の精神によるこりん星なる星の表象であるということは間違いないところと思います。一方,こりん星なる星は現実的に形相的に存在するというわけではありませんから,これが混乱した観念であるということも間違いなく,これは多くの人が同意するところなのではないかと思います。したがって,こりん星という星が,これはとくに小倉優子の精神に限らずとも,だれか(ある人間)の精神のうちに観念としてあるとしても,これは完全に想像の産物であるということになります。
 したがってこのとき,たとえば小倉優子の精神がある虚偽によって構成されているということは間違いありません。しかし一方で,だから小倉優子が誤謬を犯しているということにはなりません。それどころか,もしも小倉優子が自分の精神のうちにあるこりん星なる星の観念が,虚偽であるということを知っているならば,というか,常識的に考えれば,僕には小倉優子がそれを知っているとしか思えないのですが,これはむしろ小倉優子の力である,あるいは小倉優子の精神の欠点であるどころか長所であるというのが,スピノザの哲学における想像力の意味になるのです。どこかおかしいようにも感じられはするのですが,僕もこの考え方に同意します。
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スパーキングレディーカップ&想像力

2007-07-04 22:38:56 | 地方競馬
 どうも川崎で行われる重賞は雨に祟られやすいという印象が僕にはあります。今晩の第11回スパーキングレディーカップもそうなってしまいました。川崎競馬場は川崎駅からも歩いていけるくらい立地条件に恵まれていますので,これは残念なことです。
 先手を奪ったのは愛知のレイナワルツ。前半の800メートルが48秒7でミドルペース。これをアグネスカルミア,クインオブクイン,ヤマトマリオン,クリムゾンルージュが追い掛け,メイショウバトラーはその後ろの外。3コーナーあたりからそのまま外を上昇し,レイナワルツに並び掛けると,ここで後続との差がかなり離れました。直線に入るとメイショウバトラーの土壇場で,楽々と抜け出し,6馬身もの差をつける圧勝となっています。レイナワルツが2着に逃げ粘り,後方から追い上げたベルモントノーヴァに詰められたものの,先行して粘ったクリムゾンルージュが3着を確保しました。
 勝ったメイショウバトラーさきたま杯に続いて重賞3連勝。父はメイショウホムラ。牡馬相手に重賞を勝ってきた馬ですので,牝馬同士のここは勝って当然。武豊騎手も負けるわけにはいかないといった感じの騎乗に思えました。重馬場とはいえ,1分38秒7の勝ちタイムは,時計の出にくい川崎としてはかなり優秀で,後ろが離れたのも当然でしょう。
 レイナワルツは能力を安定して出せない弱みを抱えていますが,出し切ればおそらくここではメイショウバトラーに次ぐ力の持ち主ですので,ある意味では順当な結果。今日はスムーズに逃げられたのが幸いしたと思います。
 3着~5着のクリムゾンルージュ,ベルモントノーヴァ,ライラプスはほぼ互角の能力と思いますので,競馬場や展開面で今後も着順の入れ替わりがありそうです。

 僕たちはよく,想像力ということばを用います。しかし用いながらも,想像が何ゆえに力potentiaであるのかということについては,はっきりと理解していないのではないかと思います。このように考えた場合に,ここでテーマとしている第二部定理一七備考の一文の中には,それに対するスピノザの哲学としての答えが入っているといえるのではないかと思います。
 たとえば,もしも人間が,事物を表象するimaginari際に,現実的に外部の物体corpusからある刺激を受けている場合にのみ,その物体を現実的に存在すると表象することができる,すなわち,僕のいう表象の種類のうち,知覚だけが人間には可能であって,想像や想起memoriaは可能ではないと仮定してみます。するとこう考えただけで,いかに現実的には存在していないものを現実的に存在すると表象することが,人間にとって大きな力となっているかが理解できると思います。イエスの復活について僕はこの想起をあたかも否定的に説明しましたが,これは誤謬errorに関してであって虚偽falsitasに関してではありません。たとえばマグダラのマリアがこの想起を十全な観念idea adaequataでないと把握するなら,これはむしろマグダラのマリアの力に相違ないのです。
 もちろんこの例からも分かるように,想像や想起が人間にとっての力となるのは,あくまでもその観念が十全な観念ではないということをその当人が認識している場合のみに限定されるのは間違いありません。そこでこれを条件にして,さらにどのようなことがいえるのかということを,もっと具体的に考えることにします。
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寛仁親王牌&力

2007-07-03 22:15:27 | 競輪
 9選手全員が自力を打てるメンバーとなった寛仁親王牌の決勝
 Sは渡部選手が取って荒井選手の前受け。一旦この後ろが離れましたが3番手には佐藤選手が入り,永井選手が7番手から。残り3周のバックから永井選手が一気に上昇し,残り2周のホームで荒井選手を抑えると,そのままほとんど流すところなく先行。荒井選手が4番手,佐藤選手が6番手の一列棒状から残り1周のホームで佐藤選手が発進すると,これに合わせて荒井選手も発進。しかしこの両者が前に届く前にバックから小嶋選手も番手発進。そのまま後ろの手島選手をうまく牽制しつつゴールまで先頭キープ,優勝となりました。牽制で小嶋選手が最終コーナーを外に行ったので,手島選手と荒井選手は失速。がら空きのインを突いた渡部選手が,直線は小嶋選手の外に持ち出して2着。渡部選手のさらに内をいった成田選手と渡部選手の間を割った岡部選手が3着でした。
 優勝した石川の小嶋敬二選手は先月の高松宮記念杯に続いてGⅠ連覇。このレースは一昨年も勝っていて2勝目。このメンバーでは最強と思え,それが番手捲りですから優勝も当然でしょう。緩めずにいった永井選手のアシストも大きかったですし,昨日の準決勝で4着入線ながら3着の佐藤慎太郎選手の失格で繰り上がって決勝に駒を進められたように,この大会は幸運にも恵まれました。
 佐藤選手や荒井選手は自分でも優勝を狙っているわけで,無欲の永井選手にこうも思い切りいかれてしまっては成す術がありませんでした。

 明日は川崎でスパーキングレディーカップ。ここはメイショウバトラー◎が勝つと思います。相手は難しいですが,一応はライラプス○が筆頭で,ベルモントノーヴァ△,クリムゾンルージュ△,チャームアスリープ△,レイナワルツ△あたりまで。

 問題となっている一文の意味というのは,大体においてはこれでいいのだろうと思うのですが,表象が長所とみなされる場合に,それがひとつの力(能力)としてという場合には,もう少し積極的な理由がほしいという気もします。というのは,人間の精神による事物の知覚というのが,人間が現実的生活を営んでいく上での役に立つということは,実はその知覚が混乱した観念であるということを認識しているかどうかということは無関係であるといえるからです。つまり,人間が誤謬を犯していようと誤謬から免れていようと,知覚がこの方面で役に立つということは否定し難く,それでは,この一文にスピノザが,それが現実に存在しないということを知っていたとしたら,つまりそれが十全な観念ではないということを知っていたとしたらという仮定を付した意味を取り逃がしかねないと思われます。
 人間の精神による事物の表象が混乱した観念であるということは間違いありません。しかし,人間が事物を知覚するという場合には,具体的な意味に示したパソコンの例からも明白なように,人間の精神が知覚している事物が現実的に存在しているということは間違いないといえます。したがってこれを逆に考えるならば,表象が力という観点から人間の長所と認められるのは,この表象の対象となっている事物が現実的には存在しない場合,すなわち,想起や想像の場合であるといえるのではないでしょうか。
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名人戦&一文の意味

2007-07-02 21:37:32 | 将棋
 6月28日と29日に指された名人戦七番勝負第七局は,振駒で後手となった森内俊之名人が郷田真隆九段を破り,名人四連覇を果たすとともに,通算で5期目の名人位を獲得,一八世名人の称号を合わせて獲得しました。
 戦型は角換り相腰掛銀。ただし後手が6一の金の動きを保留して△4二飛と回ったので,よく指される先後同型にはなりませんでした。対して先手が穴熊に組替えるという工夫を見せ,組まれてはかなわないと後手から先攻。息の長い戦いとなり,後手の桂得となったのですが,優劣は不明でした。
 77手目,▲4七歩の馬取りに△7四歩の返し技。ここから▲6三歩成△7五歩▲5二とと大駒の取り合いに進展。これは後手に分があったようですが,84手目の△6六歩はミスで,ここは△5六馬とした方がよかったようです。本譜の進展はこの5六の銀が6七に引く形になったので,先手の玉が固くなりました。97手目の▲8九同玉まで進んでみると,また優劣不明になっています。
 101手目から▲6四歩と攻め合いに出たのはまずく,ここは▲8三角のようにさらに息長く指すべきだったようです。△同銀に▲7二龍と入ったものの△6三角で後手を引いてしまいました。
 109手目▲2四桂では▲7六桂か▲7七桂と受けに回った方がまだよかったかもしれませんが,▲6四歩からは攻めを目指しているわけですから,ここでまた受けに回るのは指し辛かったのだろうと思います。
 ここからは後手の勝ち筋。144手目の△8三飛に▲8四歩と打ったのは最善の受けでしたが,ここから▲9七桂△7四金の交換は入れずに▲7三銀△8三飛▲2三角成△同玉▲8四金と進めた方が難しかったようです。ただしこれも正しく指せば後手が勝つそうです。これについては片上五段の解説を参照してください。
 将棋の名人位は江戸時代からありましたが昭和中期まで世襲でした。実力制になってからの永世名人は,木村義雄,大山康晴,中原誠,谷川浩司に続いて5人目ということになります。

 明日は寛仁親王牌の決勝。並びは佐藤-伏見-成田-岡部の北日本,永井-小嶋の中部に手島,荒井-渡部の西国。永井選手の先行と考え,小嶋選手◎と手島選手○が本線。不発なら伏見選手▲と佐藤選手△。一発なら荒井選手でしょう。

 ここまで考察してくると,ここで問題としている第二部定理一七備考の一文に,スピノザが託したかった意味のようなものがおぼろげながらも浮かび上がってくるように思います。すなわち,人間の身体というのはほかの物体を刺激し,またほかの物体から刺激されるということに対する適性が非常に高い物体であり,この適性の高さのゆえに人間の精神は多くのものを表象する,すなわち,人間の精神のうちに多くの混乱した観念が生じるのですが,少なくとも表象が混乱した観念であることに気付いている限り,いい換えれば表象を真理と思い込まない限り,この表象を人間自身にとってのある力であると考えることができるわけです。
 実際,表象が人間が現実的に生活をしていく上で大いに役立っているということは,知覚について考えただけでも明らかでしょう。もしも人間が多くのものを知覚することができないとしたら,人間の生活はあまりに危険に満ち満ちたものとなります。したがって表象というのは,混乱した観念であったとしても,人間が生きていく上では絶対に必要なものであることは間違いないと思います。
 ただし,そうはいってもこれはあくまでも混乱した観念なのです。したがって,もしも人間が知覚したものについてそれを真理であると信じ込むならば,その人間が誤謬を犯しているということもまた事実であるのです。いかに表象が力であると考えることができるにしても,これだけはよくよく間違えないようにしなければいけないと思います。
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