このレース自体が目標とはなりにくく,かといってステップレースとはならないというやや中途半端な位置づけの戸塚記念。
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ナイセストスターとジーエスライカー。どちらが逃げるのかにも個人的に注目していました。ナイセストスターがやや出負けしたこともあり,ジーエスライカーの逃げに。ウインクゴールドが2番手につけ,ハーミアが3番手。盛り返したナイセストスターが4番手のインに続くという隊列。1周目の正面に入ってからぐんとペースが落ちました。
そのまま向正面に入ると,後方に控えていたビクトリースガが一気に進出。ハーミアも一緒に動き出し,ジーエスライカーとウインクゴールドは後退。2頭が並んで直線に入りましたが,直線の半ばではビクトリースガが力尽き,1馬身半の差をつけたハーミアの優勝。ビクトリースガが2着で3着にはインを追い上げたミヤビジンダイコ。
優勝したハーミアは南関東重賞こそ初勝利ですが,重賞でも2着していたくらいで力量は上位。いずれは南関東重賞を制覇する筈の馬で,ようやく今日その日が来たといったところ。この馬は牝馬限定戦ならば重賞での活躍も見込める馬なのではないかと思います。母系はアストニシメント系アンジェラスの分枝で,桜花賞を勝ったブロケードの子孫になります。
鞍上は大井の戸崎圭太騎手。先月は南関東重賞を勝てませんでしたが,7月にはジャパンダートダービーなどを勝っています。管理している大井の荒山勝徳調教師と共に戸塚記念初制覇。
5月31日の月曜からは父はちょっとした外出もしなくなり,ほぼ1日中,自室で横になっているという日が続きました。一昨年の暮れに僕はほぼ寝たきりという状態に陥りましたが,そのもととなった原因は違えど,状態はほぼ同じ。何かを食べるとき,そしてトイレに行くときにだけ起きるというような状況でした。もっとも僕の場合は多尿がありましたから,起き出す回数自体は僕の方がまだ多かったかもしれません。そして6月5日の土曜日を迎えたのです。
どんなに具合が悪くても中央競馬の馬券だけは買いに行っていたということは,結局のところ父はそれだけ競馬が好きだったということなのだと思います。この日もその前の週までと同様に,午後になると1階の方に下りてきました。しかしもう馬券も買いに行かれるような状態ではないから,病院に行きたいと言い出しました。前にもいったように,父は極度に病院には行きたがらない人でしたから,自分からそう言い出した以上,このときはもう本当に辛い状態であったのだろうと思います。
しかし,ひとつ問題がありました。それはこれが土曜であったということです。つまり,診察をしてくれる病院がそう多くはないと思われたのです。もちろん父としては,やはり糖尿病と糖尿病性網膜症の診察を受けているみなと赤十字病院で診察を受けるということが希望でした。ただ,みなと赤十字病院は土曜は外来はすべての科が休診でしたから,父は救急車を呼ぶようにと言ったのです。しかし,救急車を呼んだからといって,必ずみなと赤十字病院に運んでくれるとは限りません。そこで,その場にいた母が一計を案じました。
母はまず,別の病院の名前をあげました。これは僕がかつて頭部の裂傷を負ったときに救急車で運ばれた病院,また,父が腸ヘルニアを発症したときに,最初に行った病院です。この病院は365日,24時間の診療態勢が整っていました。母は電話でそれを確認し,父が診察を受けられると確かめて,自動車に父を乗せてその病院へ連れて行ったのです。腸ヘルニアのときもそうでしたが,この病院は患者が重篤である場合には,大概はもっと大きな病院を紹介してくれました。そしてその病院は,きまってみなと赤十字病院,以前の合併前なら港湾病院だったのです。
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ナイセストスターとジーエスライカー。どちらが逃げるのかにも個人的に注目していました。ナイセストスターがやや出負けしたこともあり,ジーエスライカーの逃げに。ウインクゴールドが2番手につけ,ハーミアが3番手。盛り返したナイセストスターが4番手のインに続くという隊列。1周目の正面に入ってからぐんとペースが落ちました。
そのまま向正面に入ると,後方に控えていたビクトリースガが一気に進出。ハーミアも一緒に動き出し,ジーエスライカーとウインクゴールドは後退。2頭が並んで直線に入りましたが,直線の半ばではビクトリースガが力尽き,1馬身半の差をつけたハーミアの優勝。ビクトリースガが2着で3着にはインを追い上げたミヤビジンダイコ。
優勝したハーミアは南関東重賞こそ初勝利ですが,重賞でも2着していたくらいで力量は上位。いずれは南関東重賞を制覇する筈の馬で,ようやく今日その日が来たといったところ。この馬は牝馬限定戦ならば重賞での活躍も見込める馬なのではないかと思います。母系はアストニシメント系アンジェラスの分枝で,桜花賞を勝ったブロケードの子孫になります。
鞍上は大井の戸崎圭太騎手。先月は南関東重賞を勝てませんでしたが,7月にはジャパンダートダービーなどを勝っています。管理している大井の荒山勝徳調教師と共に戸塚記念初制覇。
5月31日の月曜からは父はちょっとした外出もしなくなり,ほぼ1日中,自室で横になっているという日が続きました。一昨年の暮れに僕はほぼ寝たきりという状態に陥りましたが,そのもととなった原因は違えど,状態はほぼ同じ。何かを食べるとき,そしてトイレに行くときにだけ起きるというような状況でした。もっとも僕の場合は多尿がありましたから,起き出す回数自体は僕の方がまだ多かったかもしれません。そして6月5日の土曜日を迎えたのです。
どんなに具合が悪くても中央競馬の馬券だけは買いに行っていたということは,結局のところ父はそれだけ競馬が好きだったということなのだと思います。この日もその前の週までと同様に,午後になると1階の方に下りてきました。しかしもう馬券も買いに行かれるような状態ではないから,病院に行きたいと言い出しました。前にもいったように,父は極度に病院には行きたがらない人でしたから,自分からそう言い出した以上,このときはもう本当に辛い状態であったのだろうと思います。
しかし,ひとつ問題がありました。それはこれが土曜であったということです。つまり,診察をしてくれる病院がそう多くはないと思われたのです。もちろん父としては,やはり糖尿病と糖尿病性網膜症の診察を受けているみなと赤十字病院で診察を受けるということが希望でした。ただ,みなと赤十字病院は土曜は外来はすべての科が休診でしたから,父は救急車を呼ぶようにと言ったのです。しかし,救急車を呼んだからといって,必ずみなと赤十字病院に運んでくれるとは限りません。そこで,その場にいた母が一計を案じました。
母はまず,別の病院の名前をあげました。これは僕がかつて頭部の裂傷を負ったときに救急車で運ばれた病院,また,父が腸ヘルニアを発症したときに,最初に行った病院です。この病院は365日,24時間の診療態勢が整っていました。母は電話でそれを確認し,父が診察を受けられると確かめて,自動車に父を乗せてその病院へ連れて行ったのです。腸ヘルニアのときもそうでしたが,この病院は患者が重篤である場合には,大概はもっと大きな病院を紹介してくれました。そしてその病院は,きまってみなと赤十字病院,以前の合併前なら港湾病院だったのです。