スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

霧島酒造杯女流王将戦&予約

2011-11-14 19:16:34 | 将棋
 今月の5日に放映された第33期女流王将戦挑戦者決定戦。対局は9月16日で,それまでの対戦成績は石橋幸緒女流四段の6戦全勝。
 振駒で中村真梨花女流二段の先手。やや変則的な手順でしたが先手のノーマル四間飛車に後手が斜め棒銀ともいわれる5三銀右の急戦で対抗する将棋に。定跡にもある金銀交換の進展となりました。
                         
 ここは定跡でも岐路とされる局面で,振飛車らしく▲5五飛から捌き合うのも有力。しかし本局の▲7六同銀もある指し方。対して△5七歩と打ち,▲同飛とさせてから△4六角と出たのは後手の工夫。単に▲5九飛と引くと△7八金の心配もあり,▲5六飛と浮いて△7九角成となりました。
                         
 おそらくここでは▲5九飛と引き,△7八馬に▲6五歩と突くべきだったと思うのですが単に▲6五歩。後手は構わず△8九馬と桂を取り,そこで▲5九飛と引きましたが△9八馬と香車も取って銀取り。先手は▲8七銀打と受けました。
                         
 後手は熟考し△5八歩と叩き,▲同飛に△9七馬。▲1一角成は大きな手ですが△7九馬と入ったのが△4六馬を狙いとした厳しい手で,ここでは後手の方が指せているように思えます。先手は左辺の2枚の銀が働きの悪い駒となってしまい,この後の指し方もまずかったようで,以下は後手の快勝となりました。
 石橋四段が勝って挑戦権を獲得。石橋四段の女流王将戦挑戦は2004年以来です。

 実際のところ,もしもこのときにI先生にそう指摘されなかったなら,この部分に虫歯があるということに,僕自身は気付かなかっただろうと思います。というのも,痛みというものはいっかな感じていなかったからです。僕は歯を磨くときに歯間ブラシを用いることがあります。この箇所はちょうど歯と歯の隙間ですから,歯間ブラシで磨く部分にあたるわけですが,そのときにも何の痛みも感じていませんでした。ただ,I先生は手鏡でその部分を僕にも見せてくれましたが,確かにその部分は変色していて,虫歯があるということは間違いないということは分かりました。
 必要性という観点からいうなら,僅かな痛みも感じてはいなかったのですから,緊急に治療しなければならないという性質のものではありません。ただ,放置しておけば進行するおそれはありますし,少なくとも改善するということは絶対にあり得ません。I先生の話だと,この程度の虫歯であれば1度の通院で治療を完了することができるということでしたので,治療のための予約を取って,この日はI歯科をあとにしました。そもそもこういうことのために定期的に歯科に通っているのだといえるわけですから,緊急に処置する必要はなくても,治療を決断することはごく当然の成り行きであったといえるでしょう。
 翌週の9月13日。この日は母の磯子中央病院の内科の診察の予定が入っていました。前にもいったかと思いますが,内科の場合は午後からの診察ですので,午前中に妹を作業所まで送っていくことができます。だからこの点は問題がなかったのですが,母によれば,この診察の予約というのが,ただこの日の午後ということになっているとのこと。普通は午後何時という形で予約が入るものでしょうが,どういうわけかそうではなかったのです。したがって,午後に磯子中央病院に行っても,すぐに診察ができるのかどうか不明だし,だから何時頃に帰れるのかも分からなかったのです。母のことだけでいえばいくら遅くなってもどうというわけではありませんが,妹の帰りよりも遅くなってはいけません。こうした事情がありましたので,この日は僕は午前のうちに仕事を済ませてしまい,午後は念のために家で待機していました。
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エリザベス女王杯&虫歯

2011-11-13 18:33:03 | 中央競馬
 イギリスから2頭が遠征してきた第36回エリザベス女王杯
 逃げて結果を残していたイギリスのダンシングレインですが,行き脚がつかず後方から。シンメイフジが先頭に立つと後ろをぐんぐんと引き離していくという,事前には思いもよらなかった展開となりました。離れた2番手がホエールキャプチャで,実質的にはこの馬がペースメーカー。アニメイトバイオが続き,アパパネ,グルヴェイグ,アヴェンチュラ,イタリアンレッドと,このあたりは集団を形成。最初の1000mは57秒5という超ハイペースですが,集団は離れていましたから,ミドルペースであったものと思われます。
 直線に入るところでシンメイフジはまだ相当のリードをつけていましたが,一杯一杯。変わってホエールキャプチャが先頭に立つと,外にアパパネ,さらに外にアヴェンチュラが並んで襲い掛かり,この2頭がホエールキャプチャを捕えました。しかし開いていたホエールキャプチャとアパパネの間を後方から中団に待機していたスノーフェアリーが一気に突き抜け,外の2頭を交わして優勝。2着は大外のアヴェンチュラでアパパネが3着。
 優勝したイギリスのスノーフェアリー昨年も来日してこのレースを制していますので連覇。その後の活躍から能力上位は疑い得ないところ。今年は昨年に比べてかなりきついローテーションだったのを不安視していましたが,来日は当初からの予定であったようで,あまり問題なかったようです。
 騎乗したのは昨年と同じイギリスのライアン・ムーア騎手。連覇で日本での大レース2勝目となりました。

 その翌日,8月26日の金曜日に僕は網膜症の検査О眼科に行きました。毎度のようにいっていますが,ここはいつもいつも混んでいます。この日は10時過ぎに家を出まして帰ってきたのが12時過ぎ。行き帰りの時間を30分と見積もったとしても,1時間半はО眼科に滞在したということになります。もちろん網膜症の検査のためには散瞳をしなければならず,これは点眼薬を使った後で少しの時間を置く必要があります。また,これ以外に眼圧のチェックと視力検査もしていますから,医師による診察の時間を含め,ずっと待っていたということにはなりませんが,少なくともこの1時間半のうちの1時間は単純な待ち時間であったと考えていいだろうと思います。なお,検査結果は異常なしでした。
 月が変わって9月に入り,しばらくは何事もない日常が続きました。このうち7日の水曜日に,僕は前月に火事を目撃することとなった六角橋にまた立ち寄る機会がありました。このときは六角橋の交差点から現場となった商店街を抜けて東急東横線の白楽駅方面へと向ったもの。道を曲がって商店街に入ったすぐ左手には,火事で焼失してしまった建物がまだ残っていました。ただ,この道沿いについていえば,奥の方はそれ以前とあまり変わらない光景がありました。どうも焼失したのはこの道沿いの建物よりも,もう少し左の細い路地に並んでいたところが多かったようです。
 そして9月9日,今度はI歯科へと歯の定期検診に赴きました。こちらの方も本当は8月中に行かなければならなかったのですが,時間を作ることができずにこの日にずれ込んでしまったもの。О眼科も同様に8月中ということで,眼科に先に行くか歯科に先に行くかとなれば,眼科の方を優先します。やはり何か異常が発見されたという場合には,どう考えても目の方が歯よりも重大であるように思えるからです。
 この日も歯はクリーニングを施しただけなのですが,虫歯があると言われました。前歯の右側に少しの隙間があったのですが,そこが当該の部分でした。定期的に通っていることもあり,歯茎が以前よりもだいぶ引き締まってきたため,ここにきてそれが目立ってきたようなのです。
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デイリー盃ロジータ記念&脳外科の診察

2011-11-12 19:46:01 | 地方競馬
 笠松から1頭が遠征してきた9日の第22回ロジータ記念
                         
 トーセンノーブルが事前に逃げを宣言していたのですが,枠順の差もあるからナターレが逃げることになるのだろうと思っていました。ところがインからハートゴールドが先手を主張しこちらの先導に。ナターレは2番手に控え,これをマークするようにクラーベセクレタ。マルヒロブライティ,ハルサンサンと続き,トーセンノーブルはその後ろに。発走後のラップの分だけハイペースにはなりましたが,途中からは緩やかに。
 2周目の向正面に入ってナターレがハートゴールドを交わして先頭に。クラーベセクレタもついていき,ハートゴールドも3コーナーまでは頑張りましたが力尽き,ハルサンサンが3番手に。直線はこの3頭の争いでしたが,クラーベセクレタはあっさりと抜け出し,最後は突き放す形で3馬身差の快勝。外のハルサンサンが2着になり,ナターレは3着。
 優勝したクラーベセクレタは6月の東京ダービー以来となる南関東重賞6勝目。JBCレディスクラシックに出走してもそれなりのレースができた筈の馬で,ここでは力が違いすぎますから当然の優勝でしょう。東京ダービーの後のレースでカフェインが検出され,ややみそをつけてしまいましたがそれは馬には関係のないこと。その事故も払拭し,今後は重賞でも活躍してくれるものと思います。ブルードメアサイアーはタイキシャトル。曾祖母の弟に2000年の中山大障害を勝ったランドパワーの父となったグロウ。Clave Secretaはスペイン語で秘密の鍵。
 騎乗した大井の戸崎圭太騎手は東京ダービー以来となる南関東重賞制覇。管理している船橋の川島正行調教師と揃ってロジータ記念初勝利。

 翌週の木曜,8月25日はの磯子中央病院の脳外科の通院。前回の診察で降圧剤の中止という決定がなされたわけですが,この日もその措置が継続されることになりました。そのときにもいったように,母の血圧の変移は気温と関係があったようですが,この時期は一年のうちでも最も暑い時期ですから,血圧の方も高くならずにすんでいたようです。そして様子をうかがうために1ヶ月の間隔となっていた通院も,次回はまた2ヶ月に戻り,10月ということになりました。
 木曜ですから妹の新たなる支援の,迎えのサービスはありません。僕が妹を作業所まで送っていくべく,午前中は予定を空白にしておきました。しかし母によれば,この日は診察だけで,検査はないから,早く帰れるだろうとのこと。だからその後で妹を送っていくということでした。もしも遅くなっては困りますから僕も家で待機していましたが,10時過ぎには母は帰宅しましたので,母に託しました。もちろんこれは本来は出勤するべき時間からすれば遅刻ということになりますが,作業所としては来るか来ないかが大きな問題であり,遅刻するとか早退するとかはあまり関係がないのです。実際に妹は寝坊して遅刻するということもしょっちゅうでした。妹にとって作業所に通うことの楽しみは,作業そのものよりも,昼に出される給食であったりしますので,それに間に合うような時間であればいいというのが母や僕の考え方。実はこの日も妹はなかなか起きてきませんで,僕が9時半頃に起こしたものでした。ただ,いずれにしても妹をひとりにするということはなるべく避けたいところですから,少なくともこのくらいの時間帯には僕が家にいるという必要はありました。
 次回の母の脳外科の診察となる10月は,ちょうど母の異変が生じてから1年という節目にあたります。なのでその日は診察だけでなく検査,これは採血と脳のCTですが,それを行うとのこと。したがってその日はさすがにこのときのようには早い時間に母が家に戻るということはできません。よってその日は僕が妹を作業所に送り届けることになりましたが,この日のことは母の検査の結果などと合わせ,またそのときに記すことにします。
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サンケイスポーツ盃ローレル賞&連日の病院

2011-11-11 20:45:37 | 地方競馬
 北海道から2頭,名古屋から1頭が遠征してきた2011年11月11日の第11回ローレル賞
                         
 とくに先手にこだわった馬がなく,ごく自然な形でドラゴンシップが先頭に。1周目の正面ではエスティイレイシャ,ヴァイタルローズ,ロニーフロラシオンと続きましたが,ロニーフロラシオンは1コーナーで外に膨れてしまい,ローエンプリンセス,バーチディダーマ,ラブミーファストといったあたりが順位を上げました。最初の800mは49秒5で,これはハイペース。
 3コーナーを過ぎると逃げたドラゴンシップとくらいついていったヴァイタルローズで3番手以下を少し離しましたが,手応えは差があり,直線に入るとヴァイタルローズは一杯。変わって追い上げてきたのは外を回ったショコラヴェリーヌと中を割ったクリヤマキアート。ショコラヴェリーヌはかなり迫りましたが4分の3馬身だけ届かず,逃げ切ったドラゴンシップの優勝。ショコラヴェリーヌが2着でクリヤマキアートが3着。
 優勝したドラゴンシップは前走のハイセイコー記念に続いて南関東重賞連勝。牡馬相手に勝っているわけですから牝馬限定ならば力量は上位。川崎は初コースでしたが船橋の左回りは経験済みですから問題にならず。遠征馬との力量比較は未知の部分がありましたが,結果的に凌駕されるほどレベルの高い馬はいなかったようです。不良馬場でしたので逃げてスピードを生かせたのはプラスだったのではないでしょうか。東京2歳優駿牝馬に進むなら有力候補でしょう。父はクロフネ,曾祖母は1986年のクイーンカップでメジロラモーヌを相手に勝ったスーパーショット
 騎乗した大井の御神本訓史[みかもとのりふみ]騎手はハイセイコー記念以来の南関東重賞制覇でローレル賞は初勝利。管理している船橋の川島正行調教師は2005年以来となるローレル賞2勝目。

 この翌日,8月9日は妹のみなと赤十字病院の歯科の予約が入っていました。これはが連れていっています。
 前回の予定ですと,この日に歯のクリーニングを完了し,それで一応の治療が完了。しばらくは通わなくてよいということになっていました。しかし,妹がどうしても痛がるので,右下の被せものをしてある奥歯の何らかの治療を継続するということに変更になりました。この日はクリーニングだけをして終了。実際に問題になっていると考えられる個所に関しては,改めて17日に予約を入れ,そのときに治療方針を決定するということになったようです。
 その17日の前日である16日は,こども医療センターの遺伝科の予約が入っていました。したがって母と妹は,場所こそ違えど2日連続で病院に通うということになったのです。こういう場合は作業所を早退しなければなりませんから,事前に連絡帳でそれを伝えておくわけなのですが,この週はお盆ということもあり,妹がちょうど夏休みの期間中ですから,その必要がありませんでした。ということで,こども医療センターもみなと赤十字病院も自宅から出向くということになったのですが,このうちこども医療センターに関しては,作業所から行くよりも家から行った方がずっと楽です。実際に妹を連れていった母の方がそのことを実感したようで,これからはこども医療センターに通う日は,早退するのではなくて休ませてしまうことにするということでした。作業所からしますと,実は早退と欠席とでは補助とか認定に関する制度の面で意味合いが違いまして,たとえ僅かな時間であっても出席してもらった方がいいようです。母が自動車で連れて行くことができるのであれば問題はありませんが,そうはいかなくなっていますから,こちらとしても協力したい気持ちはありますが,止むを得ないといったところでしょうか。
 こども医療センターの方はいつも通りで,特別の変化というのはなかったようです。一方,歯科の方ですが,詳しく調べますと被せもの自体に少しのひびが入っていたということで,それが痛みの原因かもしれないということ。ということで17日はそのひびを埋めるという治療をしたそうです。
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農林水産大臣賞典道新スポーツ杯北海道2歳優駿&六角橋

2011-11-10 20:23:27 | 地方競馬
 ラストスパートに入った今年の北海道競馬。今日は第38回北海道2歳優駿
 発馬は揃いましたがこれといって逃げたかった馬がいなかったようで,徐に先頭に立ったダブルスターの逃げに。オーブルチェフが2番手でこれをがっちりとマーク。インにゴールドメダル,外にケージーハヤブサと続き,ベルモントレーサーとグッドタイガー,ステルミナートとブラックビーンがそれぞれ内外に並ぶようにして追走。
 オーブルチェフは3コーナーを回ると逃げるダブルスターに馬体を併せていき,ほぼ並ぶようにして直線に。しかしここからはオーブルチェフの独擅場となり,逃げ馬を置き去りにすると追ってこられる馬もなく,8馬身という圧倒的な差をつけて楽勝。大外を回ったベルモントレーサーが2着。後方から末脚を伸ばしたシーキングブレーヴが3着。
 優勝したオーブルチェフはデビュー戦は芝で負けたものの,ダートに転じて連勝。どちらも圧勝で,現時点でははっきり能力上位。距離には不安なく,強いていえば門別の夜のレースというのが不安点でしたが,ほとんど問題となりませんでした。全日本2歳優駿を目指すことになるなら,当然ながら優勝候補でしょう。Obruchevは月のクレーターの名前。
 騎乗したのは中舘英二騎手で管理しているのは萩原清調教師。北海道2歳優駿は揃って初勝利です。

 歩いていた方向からすれば明らかに現場と思しき場所に近付きつつあったわけで,あまり気分がいいものではありません。しかし僕にも事情がありますから引き返すというわけにもいきませんでした。それでそのまま歩を進め,六角橋という交差点にさしかかったのです。これが午後2時頃のことでした。
 その名称からも類推できると思いますが,ここはやや複雑な形状の交差点です。基本的に僕の歩いていた側,つまり東白楽から岸根公園方面に向うとすれば左側に曲がりますと,昨年の12月に妹を連れていった神奈川大学で,道を挟んで右側の路地は商店街になっていて,それを抜けると東横線の白楽駅です。火事現場となっていたのはその商店街の一角でした。
 僕もこの年ですから,火事の現場を目撃したというのはこれが初めてではありません。とくに小学校のまだ低学年であった頃,僕の家からそうも遠くないアパートで火事が発生したことがあり,そのときは僕の家からもこのときと同じような黒い煙が立ち上るのが見えました。ただ,そのときと違っていたのは,このときは単に煙が上がっているのが見えたというだけではなく,燃え上がる炎までがはっきりとこの目で確認できたのです。これは僕にも初めてのことでした。道の向う側では消防隊員が必死に消火作業にあたっていて,さすがにそちら側は歩行できるような状況にありませんでしたが,僕がいた現場の反対側には大勢の人が屯していて,携帯電話を片手に撮影している人もいました。ただ僕自身は見物しているような時間的余裕もありませんでしたから,今度は現場から遠ざかるように岸根公園方面へと歩を進めていったのです。そしてその間にも,何台かの消防自動車とすれ違いました。
 メディアの報道によれば,出火したのは1時40分頃とのことで,僕が目撃したのは出火直後であったということになります。合計で50台の消防車が出動し,午後6時頃になってようやく鎮火したとのことですから,かなり大規模な火災であったといっていいのではないかと思います。商店街というのは火が回りやすいような構造となっていると思われ,それも影響したのでしょう。負傷者はなかったとのことで,その点だけは不幸中の幸いでした。
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竜王戦&火事

2011-11-09 19:16:21 | 将棋
 久しぶりにうなずきトリオのうなずきマーチを思い出しました。これというのも第24期竜王戦七番勝負第三局の舞台が宇奈月温泉だったからです。
 渡辺明竜王の先手で丸山忠久九段の一手損角換り4。銀は2二に上がりましたが,3三に上がれば同じこと。後手が腰掛銀から玉側にその銀を引きつけ,先手が早繰り銀から銀を交換する将棋に。その後,封じ手前後の攻防で先手が香得,それも後手玉側の香車を取って馬を作り,さすがにこのあたりは先手の方が指せる局面であったと思います。後手はじり貧を避けるためにも攻めるほかなく,先手も受けきるのではなく攻め合って勝つ順を目指しました。
                          
 後手が3四の銀で香車を取ったところ。ここで先手は▲2三歩成とし,△同銀に▲同飛成と飛車の方を切り,△同金▲同馬と進めました。第1図で香車を取られる手は織り込み済みで,薄くなった2三に殺到すれば勝ちという読み筋だった筈だと思われます。後手は△8九飛の王手。
                          
 ここで先手は71分という長考。それだけ考えなければならなかったということ自体が誤算があったことの証明のようなものでしょう。▲5八玉と逃げたのに△4一香と打った手が攻防で,どうやらこれで体が入れ替わっていたようです。おそらくこの手が第1図の段階では見えていなかったのだと思います。この後は後手が確実に押し切って勝ちとなりました。
 丸山九段がひとつ返して1勝2敗。後手で返したのは大きいかもしれません。第四局は24日と25日です。

 みなと赤十字病院での次の通院は9月26日に設定されました。通院は基本的に2ヶ月に1度なのですが,これは正しくいいますと中8週ということ。8月は1日が月曜で,この日が診察に該当したので,2ヶ月連続での通院ということになったわけですが,通院と通院との間隔でいえばこれは変更があったわけではありません。ここまでしばらくは月初めの通院が続いていたわけですが,この後しばらくは月末の通院が続くということになります。
 一方,М先生による診察は14時半になりました。前にも説明したことですが,みなと赤十字病院の目の前まで運行するバスの関係で,この時間設定ははなはだ不便。個人的にいえば帰るのが多少は遅くなったとしても15時の方がありがたいのですがこればかりは致し方ありません。14時半ですと検査を終えてから一旦は家に戻り,食事をしてからまた病院に行くということは可能ですが,少しやり方を変えてみました。ただこれについてはその日の通院を説明するときに詳しく説明することにします。
 この週の木曜,8月4日ですが,伯母がロサンゼルスに帰国しました。父の一周忌法要を営むにあたっての来日であったわけですが,滞在中は迎えのサービスがない火曜と木曜は妹を作業所まで送っていってもらっていました。この日からはまたそれが母の仕事になったということになります。
 週が明けて8月8日の月曜日。これは糖尿病共生記という名目からすればいっかな関係がないような事柄なのですが,思わぬハプニングに遭遇しましたのでここにも記しておくことにします。
 この日,僕は東急東横線の東白楽駅の近くにいました。東白楽駅は高架になっていて,その下を片道2~3車線のわりと広い道路が走っています。この道はJRの東神奈川駅方面から僕がいた東白楽駅を抜け,岸根公園を通って新横浜方面へと続いています。僕は東白楽から岸根公園方面に向っていました。広い通りですから両側に歩道がありますが,僕が歩いていたのは僕が歩いている方向に向って左側です。そしてこの高架をくぐってすぐ,右側前方から明らかに火事としか思えないような黒煙が上がっているのに気付きました。僕はその方向に歩いていたわけですが,何台かの消防車が追い抜いていきましたので,間違いなく火事だと悟ったわけです。
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東日本大震災被災地支援大垣記念&検査結果

2011-11-08 19:07:15 | 競輪
 先週は祝日がありましたので大垣記念もそれに合わせて3日が初日。決勝は一昨日でした。並びは山崎-佐藤の福島,武田-岡田の関東,白戸-渡辺の南関東,山田-山口の岐阜で三谷は単騎。
 前受けは白戸。3番手に山田,5番手に山崎,三谷を挟んで8番手に武田で周回。まず武田が上昇するも白戸を叩かず誘導の後ろで並走。これを山崎が抑えて打鐘。さらに山田が叩き,残り1周のホームから山田の先行に。山崎が3番手で三谷の後ろ,6番手となった武田はインを上昇し,バックで3番手を奪取するとそのまま捲り発進。前とは少し差があったのですが,見事に捲りきって優勝。直線は山口が武田を牽制したため,山田と山口の中に突っ込んだ岡田がかなり迫っての2着で関東ワンツー。ホームからは武田ライン追走のようなレースになった白戸が外から山口を交わして3着。
 優勝した茨城の武田豊樹選手は4月に岸和田で行われた被災地支援競輪以来のGⅢ制覇。1月には和歌山記念を制していて,純粋な記念競輪はそれ以来。やや後手を踏んだ印象となりましたが,うまく内から追い上げることができました。地元勢はわりと飛ばしていましたが,捲りきったのは現状の力の差ではなかったかと思います。これで記念競輪は関東勢の4連続優勝。この流れはどこまで続くでしょうか。
                         

 この日も検査項目のオーダーとその結果がプリントされた検査詳細情報をもらいました。その中に,これまではオーダーされていなかった項目がひとつだけ入っていました。それが乳ビという項目。検査結果についてМ先生から詳細な説明というのがあるわけではなく,僕には分かりませんでしたので少し調べてみたのですが,この乳ビというのは検体となる血液自体が,検査に適合するのかどうかを調べるためのもののようです。血液の状態というのは,食事の状況によって変化を来します。こうした検査のときに,食事を抜くように指示されることがありますが,それはこのためでしょう。僕の結果は弱乳ビと出ていましたが,これならば問題はなかったようです。
 ヘモグロビンA1cは7.2%でした。前回の検査のときは7%を下回っていたので,それでみれば悪くなったといえるのですが,基本的に僕のこの数値は7%前後で推移していますので,これくらいの値であるならそんなに問題とはなりません。
 もうひとつ,この日の検査で気になったのはGOTです。これは10から40の間が正常値とされていますが,この日は39でした。つまり上限ぎりぎりで正常の範囲内ということだったのです。僕の肝機能に異常が出たことがあったということはすでに何度か説明した通りですが,GOTの数値だけでいいますと,もう1年以上は低くて17,高くても20と,かなり一定の値で推移していましたから,これは急に高くなってしまったという感があります。とはいえ,何かとくに生活上の変化があったというわけでもなく,数値自体は注意しなければならないということを示してはいるものの,さて具体的に何をどうするのかといわれれば,僕自身には何らかの有効な手段というものがあったわけではありません。ただ,これまでも特別な治療を施すことなく,この高めの数値は正常に戻っていましたので,まだ正常の範囲内で高くなったというだけですから,僕自身としてもこれに関して特別に心配をしていたというわけではありません。なお,GOTはGPTとのバランスが大事ともいわれますが,GPTの方は前回のときの数値とほとんど変化がありませんでした。
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リコー杯女流王座戦&注射針の処理

2011-11-07 18:49:40 | 将棋
 文化の日の対局となった第1期女流王座戦決勝五番勝負第二局。
 加藤桃子奨励会1級の先手。清水市代女流六段は相矢倉を志向したようですが,先手が角換りを目指し,後手がそれを拒否する形で横歩取り8四飛,相中住いという戦型に。この将棋は最後のところではわりと大きめの差がついたのですが,遡ってもどこがその発端となったのかが分からない,僕のレベルでは難しい将棋でした。
                         
 ここで先手は▲2五桂と跳ねました。角取りですから後手は△5五角と逃げたのですが,これが香取り。先手はそれを受けて▲4六歩と突きました。強いていうならこの先手の手順はやや変調と感じられ,先手としてはこのあたりが問題であったのかもしれません。
 一局の全体を通しての印象としては,難しい中盤でごちゃごちゃとやっていたらいつの間にか後手がよくなっていたという感じ。何となく地力の差を感じさせるような内容で,実力にそんなに大差があるとも思えませんから,加藤1級としては自身の力を存分に発揮できなかった不本意な将棋であったのではないかと思います。
 内容的には圧倒したという印象も抱かせて清水六段が勝利し1勝1敗。こうなると非常に重要な一局となる第三局は19日です。

 一周忌法要の翌日,月も替って8月1日ですが,この日は僕のみなと赤十字病院の通院の日でした。前回の通院のときに説明しましたように,この日は検査の後のМ先生の診察の時間が午後1時となっていましたので,いつものように正午前くらいに病院に到着し,採尿と採血の検査をした後で,病院内の食堂で昼食を摂りました。ここの食堂はとくに父が入院していたときには僕も何度か利用したことがありますが,メニューにはすべて熱量が記載されていますので,僕のようなインスリン注射をしている糖尿病患者にとっても,何をどの程度まで摂取すればよいかが一目瞭然で便利。もっとも,これは最近ではファミリーレストランなどにも採用されていますので,そこで食事をするような場合にも同じです。
 ところで,前回は採血をした後,その患部を押さえるためのアームバンドというのをつけられたのですが,この日はそれがありませんでした。というか,アームバンドを使ったのは前回の1度だけ。バンド自体は中央検査室に置いてはあるのですが,全員が使うのではなく,自分で押さえていることができる患者には使用されなくなったようです。理由は定かではありませんが,何か問題が生じたためなのかもしれません。押さえていなければならない時間というのは5分程度ですから,別に何の問題もない,そもそもそれ以前は使用していなかったのですから問題がないのは当然ですが,1度でも使ってしまいますとあれは便利に感じられますので,使用できなくなったことは個人的には残念に思っています。
 それからこの日,ひとつの変更事項がありました。今まで,診察の終了時に主治医に対して使用済みの注射針を渡していたのですが,この方法は衛生上の問題があるということで,中央検査室の横に専用のボックスが設けられ,患者自身,つまり僕の場合には僕自身がということになりますが,そこに直接的に捨てるということになったのです。個人的にいいますとこれはありがたい変更でした。というのも主治医に手渡す場合にはそのときまでカバンなりに保管しておかなければなりませんが,これならば病院に着いてすぐに捨てられますし,定期通院とは関係なく捨てることもできるからです。
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大山名人杯倉敷藤花戦&一周忌法要

2011-11-06 19:35:36 | 将棋
 この棋戦では3年ぶりの対決となる第18期倉敷藤花戦三番勝負の第一局。対戦成績は里見香奈倉敷藤花が10勝,清水市代女流六段が8勝。
 振駒で里見倉敷藤花の先手。最近の振飛車は先手の出方で作戦を決めますが,この将棋は2手目が△8四歩だったので中飛車に。対して後手は金を6三に上がる独自の清水システムとでもいうべき形。先手がうまくその金を翻弄するように戦端を開いて龍を作ったのですが,その作り方に問題があったようで後手は再びその金を使って龍を抑え込みにいき,盛り返しました。
                         
 さらに龍を抑えるべく角を打ったのですが,この手が敗着となりました。▲5五歩がうまい返し技。とりあえず△6五歩と打ちましたが▲7六龍で忙しくなっています。△7五歩▲同龍△7四歩と進めましたが,そこで逃げずに▲5四歩。△7五歩はこれしかありませんが▲5三歩成で急所にと金ができました。後手も△7六歩で何とか攻め合いに持ち込もうとしましたが▲5二と△同飛▲6三角△7七歩成▲5三歩と打った局面は玉の堅さも違いますし,先手の攻めが切れる心配もないので,早くも先手の勝勢といえそうです。
                         
 このまま押し切って里見倉敷藤花が先勝。第二局は倉敷に舞台を移して27日の対局です。

 寺で法事を営む場合には,手順というのが大体は決まっています。まず住職による読経。本門仏立宗はこの読経の時間というのが長く,1時間ほどかけます。これを終えて墓参りです。前にもいったようにうちの墓は日野公園墓地というところにありまして,これは寺から歩いていくというわけにはいきません。以前は母がマイカーを出していたわけですが,現在はそれもできなくなっていますので,タクシーを呼んでもらいました。
 墓参りを終えますと精進落としということになります。これはふたつのパターンがありまして,ひとつは寺へ戻って弁当を食べるというもの。この寺にはわりと広い食堂がありましたので,こうしたことが可能でした。たとえば父の葬儀のときは,遺体を焼いてから寺に戻ってすぐに初七日の法要を営んだわけですが,こういう場合にはこの方法が便利です。しかしこのときは寺に戻らなければならない理由というのもありませんでしたし,食堂を利用する場合にはほかの信者たちにも多少の手間をかけるということもありますので,近くのファミリーレストランを利用しました。もちろんこれはいきなり店に押しかけるというわけではなく,事前に予約をしておきます。大概は同じ店舗を利用していますので,このあたりは親戚一同がもう慣れたものです。
 ところで,この精進落としというのが現在の僕にはいささか厄介なのです。というのも,僕は1日に3回,超速効性のインスリンを注射することになっています。3回というのは食事の前です。この日の場合,2時が開始の時間でしたから,昼食は先に家で済ませました。つまりこのタイプのインスリンはすでに2回は打ち終えています。そこでこの精進落としの前に打つなら,これを夕食としなければなりません。しかしそれにはいくらなんでも時間が早すぎるのです。したがって,こうした場合は僕は出された料理にはあまり手をつけることができません。注射をしないで食べてしまうと血糖値が上昇し,これは体感的にも苦しさが伴うので嫌です。ただ,血糖値は原則的に熱量に応じて上がりますので,熱量の少ないようなものが料理の中にあれば,そうしたものについては例外的に食するというようにしています。
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農林水産大臣賞典JBCレディスクラシック&K伯母の状況

2011-11-05 19:28:44 | 地方競馬
 今年度から新設された第1回JBCレディスクラシック
 最内でしたしエーシンクールディの逃げになるのは当初から予想されたところ。ブラボーデイジー,カラフルデイズと追っていき,ラヴェリータはその後ろ。さらにウェディングフジコとギンガセブンを挟んでミラクルレジェンド。最初の800mが47秒8ですから,ミドルペース。ただこのレースはペースが緩むところがいっかななく,レコードタイムでの決着になりました。
 ミラクルレジェンドが向正面で少し押し上げていったほかはほとんど隊列に変化がなく直線に。まずはラヴェリータが先頭に立ったのですが,外からミラクルレジェンドがわりと楽にそれを交わし優勝。ラヴェリータが2着。7馬身差の3着にカラフルデイズ。
 優勝したミラクルレジェンドは8月のオープン,9月のレディスプレリュードと連勝できていて3連勝。重賞は4勝目。前走の回顧でもいったように,2着馬に勝るとも劣らない力の持ち主で,ここは同じ斤量で破ったというのがひとつの収穫。ただマークする強みはありました。今後も一緒に走るケースがあるかと思いますが,確実に先着するとはまだいえず,負けることもあるのだろうと思います。この後は牡馬相手の路線を選択するようですが,それなりに走れるのではないでしょうか。父はフジキセキ
 騎乗したのは岩田康誠[やすなり]騎手で管理しているのは藤原英昭調教師。記念すべき第1回にその名を刻むことになりました。

 僕の部屋に新しいエアコンが設置された翌日,7月31日の日曜日ですが,この日が昨年の8月に死んだの一周忌の法要でした。通夜と葬式は斎場で行いましたが,こうした法要に関しては,自宅で行うか,さもなければ寺の本堂で行うかのどちらか。百日法要のときは母の入院中ということもあり,あまり多くの人は呼べないような状況であったために自宅で済ませたわけですが,この日は寺の方で行うことになっていました。日取りに関してはある程度の融通がききますが,時間となると寺の住職の都合が優先され,この日は午後2時からでした。ロサンゼルスの伯母のこのときの来日は,この日程に合わせてのものです。
 親戚の間で懸案となっていたのは父の最も下の姉であるK伯母のことです。伯母のことは父の長兄であるY伯父にほとんど任せていましたので,少なくとも僕は,この日まで詳しい状況というのを知りませんでした。そこでこの日にそれを聞いてみたのですが,K伯母の具合が悪くなったのは,泌尿器に問題があったからとのことでした。実はK伯母は排尿の回数が少ない人で,以前にも膀胱炎にかかったことがありました。それで薬を飲んでいたようなのですが,本人は完治したつもりになっていて,ある時期からは放置していたとのこと。それが再発してしまったのが,結果的には入院の理由となったのです。ただ,検査を重ねてそうした原因が突き止められましたので,治療の成果が上がり,この直前には一時的には家に戻っていたそうです。これは退院したものなのか,あるいは一時的な帰宅であったのか,はっきりしたことは分かりませんでした。ただ,長く寝込んでしまっていたために,筋力の劣化がひどく,この7月31日の時点ではまた入院していまして,残念ながら一周忌法要に出席することはできませんでした。
 入院は再び本郷台の横浜栄共済病院にしたとのことですが,病気自体は改善していました。つまりこのときのK伯母に必要であったのは筋力を取り戻すためのリハビリでした。このために,翌週にはリハビリ専門の病院の方に転院する予定になっていまして,これは伯母の住む市営住宅のほど近く。具体的な日時は不明ですが,実際に伯母はそちらに転院したのです。
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農林水産大臣賞典JBCスプリント&エアコン

2011-11-04 19:32:37 | 地方競馬
 今年のJBC3レースの中では最も混戦模様となったのが第11回JBCスプリント。オーロマイスターが除外となって14頭。
 このメンバーでも枠順からジーエスライカーの逃げになるのは予想されたところ。ラブミーチャンが2番手でセイクリムズン,ブリーズフレイバー,サマーウインド,ナイキマドリード,ダッシャーゴーゴーといったあたりの追走。最初の600mが33秒5という猛烈なハイペースに。
 前に行った中で頑張れたのはラブミーチャンとセイクリムズンだけ。とりわけセイクリムズンは一旦は先頭に立って力のあるところをみせましたが,ペースに乗じて大外を追い込んだスーニがこれを捕えてレコードタイムで優勝。セイクリムズンが2着に頑張り,ダートに矛先を向けてきたダッシャーゴーゴーが健闘といっていいであろう3着。
 優勝したスーニは8月にサマーチャンピオンで復活を遂げると前哨戦の東京盃も制してこれで3連勝。一昨年のこのレースの勝ち馬で大レースはそれ以来の3勝目。一時的にまったく能力を出せなくなっていたのですが,それが嘘のような復活劇。どういった事情で落ち込んでしまったのかがやや不明ですので,心配な点があるのは確かですが,少なくとも単に早熟であったというわけではないことははっきりと証明されました。たぶん距離はもう少しあった方がレースはしやすいように感じられ,ペースが速くなったのは好材料であったものと思います。曾祖母の姉がファンシミン。Suniはイタリアの地名。
 騎乗した川田将雅[ゆうが]騎手は昨年の菊花賞以来の大レース制覇でJBCスプリントは2年ぶりの2勝目。管理している吉田直弘調教師はこの馬で大レース3勝目。
                         

 新しいエアコンを設置する場合には,古いものを撤去する必要があります。また,エアコンは室外機と一体になって作動しています。僕が使っていた室外機はエアコンと同時に僕の部屋にやってきたものですから,同じような年代物。実はこれが作動するときに以前よりも大きな音を響かせるようになっていまして,これも買い替えの動機のひとつでした。とくに室外機は文字通りに家屋の外部に設置してあるものですから,あまり大きな音を出すと近所迷惑にもなりかねません。下見というのはそういった撤去作業や設置作業が順調に行えるかどうかの確認。僕は自分がよく使うものが手に届く範囲にあるということを重視しますので,部屋に物が散乱しているような状況であってもさほど気にはならないのですが,撤去にしろ設置にしろ,僕が日常的に部屋の中で行っているようなことと比べたら大掛かりな作業です。このため,作業に必要な場所を十分に確保するために,部屋の中を少しばかり片づけなければなりませんでした。
 作業自体が実際に行われたのは2日後となる7月30日の土曜日。午前中に同じ電気屋の人が来ることになっていました。僕はこの日は9時過ぎには出掛けなければならなかったのですが,その時間にはすでに作業は始まっていました。要するにもう電気屋さんが来ていたということです。僕はもちろんその作業の終了まで見届けることはできませんでしたが,家にはがいましたので問題はありませんでした。自分が思っていたよりも早くに帰ってくることができたのですが,その時点では作業はすでに終了していました。ただ,作業をした電気屋さんはまだ家にいましたので,使用上の注意点などは実際に使用することになる僕自身が聞くことができました。
 7月よりは8月の方がエアコンを使用する機会は間違いなく多かった筈です。ただ,我が家の電気料金は,7月よりも8月の方が安くなっていました。つまり使用した電気が少なくなっていたわけです。もちろんエアコンだけで電気を使っているというわけでもありませんから,一概にはいえませんが,ほかには思い当たる節がまったくありませんので,このことには間違いなくこの買い替えが影響したのだろうと思われます。
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農林水産大臣賞典JBCクラシック&降圧剤の中止

2011-11-03 20:46:28 | 地方競馬
 今年から1レースが増え,3レースとなったJBC。もちろんメーンとなるのは第11回JBCクラシック
 2強が共に逃げがベストと思え,どちらが先手を奪うのかが最大の焦点でしたが,スマートファルコンの方が行きました。向正面では3馬身ばかりのリードとなり,2番手にトランセンド。さらに5馬身ほど離れてシビルウォーが追い,大きく離れてテラザクラウドとボンネビルレコード。最初の1000mは60秒7でこれはミドルペースですから,離れた馬にはノーチャンス。
 スマートファルコンはほとんどペースを落とさずにレースを続け,このために追っていくトランセンドの方がかなり押していくことに。直線に入るとスマートファルコンが追い出され,またリードが広がりましたので勝負あったかに思えましたが,最後の200mはスマートファルコンが止まったために再びトランセンドがワンサイドで詰め寄りました。ただ,そこまでの貯金が大きく,1馬身凌いだスマートファルコンの優勝。トランセンドが2着,シビルウォーが3着と,極度の堅い決着でした。
 優勝したスマートファルコン昨年もこのレースを制していて連覇。それ以後は浦和記念,東京大賞典,ダイオライト記念,帝王賞,日本テレビ盃と負け知らずの7連勝。大レースは4勝目。この条件はおそらくトランセンドより向いていると思われ,その分の利もあったと思います。自分のレースに徹し,最後は止まったものの力は存分に発揮した格好。ジャパンカップダートに出走するようならそれが試金石にはなりそうです。父はゴールドアリュール,兄に1999年の東京大賞典を勝ったワールドクリーク,曾祖母はアリアーン
 騎乗した武豊騎手はこのレースに強く,2005年に初勝利を挙げると2007年,2008年,2009年,2010年と制して実に5連覇となる6勝目。大レースは帝王賞以来。管理している小崎憲調教師も帝王賞以来の大レース制覇でこのレース連覇となる2勝目です。
                         

 この日のの通院では,ひとつの変化がありました。それは,退院してからずっと処方されていた降圧剤の服用が中止になったことでした。肝機能の障害が降圧剤の影響ではないかと推測されたために,薬剤自体の変化はありましたが,降圧剤はずっと処方されていました。もちろん母も飲み続けていたわけです。今回の服用の中止は,肝機能とは何の関係もなく,母の血圧の推移をみての判断でした。
 家には血圧計がありまして,母は1日に2度,計測していました。もちろん単に計測するだけではなく,標準化していたのです。それによれば,退院してきた当初は上が140くらいあったのですが,この当時は高くても120くらい,日によっては100くらいのときもあったようです。母の言い分では,血圧は気温と関係しているらしく,気温が低いと血圧も高くなりがちで,逆に気温が高くなると血圧も低下するようなのです。退院してきたのは冬で,この当時はもう夏といってもいい暑さの日々が多くなっていましたから,そうした影響もあったのかもしれません。いずれにせよ,高くても120くらいであれば降圧剤を服用する必要はないということで,この日は処方されませんでした。ただ,それまでは飲んでいて出ていた数値でしたから,服用を停止すれば高くなるという可能性は大いに考えられます。ということで,この時期の脳外科の通院は2ヶ月の間隔であったわけですが,様子をみるために次は1ヶ月の間隔でまた通院するということになりました。
                         
 この時期,暑くなってきましたので,エアコンを使う機会が出てきました。僕は冬場の暖房は使いますが,夏場の冷房はまず使用しません。ただし,除湿は使います。とくに眠るときには30分ほどですが必ず使います。僕の部屋のエアコンは,アパートを借りるときに,それまで祖母や叔父が住んでいた家で使っていたものを譲り受けたもの。アパートを借りたのがもう10年以上前で,それ以前から使用されていたものでしたから相当な年代物になります。ということで,新しいものに買い替えることにしました。古いものは使えるには使えますが,電気を多く使います。節電というわけでもなかったのですが,もうガタがきていたのも事実。それでこの日,付け替えをする電気屋さんが部屋の下見に来ました。
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マイルグランプリ&祖母の検査

2011-11-02 20:46:57 | 地方競馬
 JBCを明日に控えた大井競馬場の今日のメーンは第18回マイルグランプリ
 一旦はケイアイゲンブが先頭に立ちましたが,外からセントラルコーストが交わしてこの馬の逃げ。2番手には同じ厩舎のルクレルクとなり,ケイアイゲンブは3番手に控えました。シャインウェーヴ,ジェイケイボストン,ツルオカオウジ,フジノウェーブ,ザッハーマインなどが一団になっての追走。最初の800mは48秒6のミドルペース。
 まず動いたのはツルオカオウジで,3コーナーを回ると外を追い上げ,前の2頭に接近。ザッハーマインはこのあたりで早くも一杯。結果的にはツルオカオウジが先行勢を一掃するようなレースとなり,直線は差し馬が台頭。ツルオカオウジのすぐ外にフジノウェーブ,その外からボク,大外をイーグルショウ,内に回ったラインジュエルとこの5頭があまり差がなくゴール。僅かに出ていたフジノウェーブとボクで写真判定となり,結果はボクの優勝でフジノウェーブは2着。最も強い競馬をしたと思えるツルオカオウジが3着に踏ん張りました。
 優勝したボクは北海道デビューで北海道重賞2勝。一昨年に南関東に転入するとずっと堅実な成績を続け,南関東重賞は初挑戦。一気に相手が強化されましたが,おそらく相手なりに走るタイプの馬なのでしょう。南関東重賞としてはそれなりにメンバーが揃っていましたので,今後も勝つのはともかく大きくは崩れず堅実に走り続けていくことになるのではないかと思います。父はタヤスツヨシ
 騎乗したのは短期免許で来日中のイギリスのアラン・ムンロ騎手。JRAでは重賞勝利もありましたが,南関東重賞はこれが初勝利。管理している大井の月岡健二調教師はマイルグランプリ初勝利です。

 祖母が診察のために病院に行ったのは7月27日のこと。祖母を病院に連れて行くためには自動車を出す必要があり,は現在は運転ができませんのでそれが可能なのはアパートの叔父だけ。そしてその叔父にとってそれが可能だったのがこの近辺ではこの日だけであったということから,この日になりました。祖母はかかりつけはみなと赤十字病院ですので,本当はみなと赤十字病院へ連れて行きたかったところですが,この日はみなと赤十字病院の診察ができず,祖母が入所している特別養護老人ホームの近くの本牧病院というところへ連れて行きました。もっとも,本牧病院は特別養護老人ホームのかかりつけの病院でしたから,まったくの初診というのとは少し意味合いは異なります。
 僕は一緒に行ったというわけではありませんから,すべては聞いた上でのことですが,CT検査を実施したようです。結果は異常なし。嘔吐に関して詳しい診断を下すためには胃カメラを使った検査が必要であったようですが,これは祖母の体力的なことも考慮して行わなかったとのこと。ただ少なくとも,肺に水が溜まっているというわけではないということ,そしてまた癌が肺に転移しているというわけではないということだけは確かめられました。異常がないわけですから入院する必要というのもなく,祖母はそのまま特別養護老人ホームの方へと戻りました。癌に関しては特別の治療は行ってはいないとはいえ,みなと赤十字病院で腫瘍マーカーのチェックはしていまして,そちらでは数値に特別の変異があったわけではなく,そういう点からは癌の転移というのは考えにくかったわけですが,実際にその通りであったわけです。その後の状況に関しては僕には詳しく伝えられませんでしたから,食べた物を吐いてしまうような状況が改善されたのかどうかまでは僕は知りませんが,少なくとも特別養護老人ホームの方からこれといった連絡はありませんでした。
 その翌日,28日は母の磯子中央病院での脳外科の診察でした。これはいつもと同様に木曜のことで,妹の支援のうち迎えが行われない日でしたが,ちょうど伯母が来日中ということもあり,伯母が妹を作業所まで送ってくれました。
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東日本大震災被災地支援観音寺記念&糖尿病共生記③

2011-11-01 18:58:23 | 競輪
 今年度一杯での廃止が決定しているため,これで最後となる観音寺記念の決勝。やや変則的に感じられる並びとなり,まず山口-十文字の栃木茨城,村上には大塚がつけ,稲村はこちらを追走。村上に香川-小倉の四国で海老根が単騎。
 前受けの村上を深谷が抑えに行ったのが残り2周のホーム。しかし村上はスピードを上げて出させず。バックから再び深谷が叩きにいったものの村上も打鐘発進で応戦。香川の牽制もあってホームでは深谷が外に大きく浮く形に。しかし大塚がうまく海老根の前の位置を確保し,4番手に迎え入れました。後方となった山口がバックから発進すると深谷も4番手からまた出ていき,今度は村上を捲りきり,外の山口と激しい競り合い。おそらく力尽きたためでしょう,直線は深谷が内,山口が外に流れ中が大きく開き,ここを山口マークの十文字と,十文字の後ろにスイッチするような形になった小倉が突き抜け,十文字の優勝で小倉が2着。3着は外の山口で大波乱といっていいであろう結果となりました。
 優勝した茨城の十文字貴信選手は現行制度になってからは初の記念競輪制覇。1986年のアトランタオリンピックの1㎞で銅メダルを獲得したのは有名。このレースは村上と深谷がかなりやり合って,本来なら山口が漁夫の利を得る筈だったレース。しかし深谷の脚力があまりにすごく,その山口もかなりの脚を使わざるを得なくなったために転がり込んできた優勝といえなくもありません。今世紀に入ってからヘルニアの影響でそれ以前の力を出せなくなっていますが,現在でもS級に残っているのは立派なことで,本人にとってもかなり思い出に残る優勝となったのではないでしょうか。

 今日からしばらくの間は糖尿病共生記です。②は6月25日の出来事で終っていますので,今回の③はそれ以降のことになります。
 といっても7月の前半はここに記しておくべきであるような事柄は何もありません。強いていうなら7月15日にロサンゼルスの伯母が来日しました。ちょうどこの頃,円が急騰しています。為替相場というのは僕の日常生活には直接的には何の関係もないのですが,伯母のようにしょっちゅう日本とアメリカを行き来するという場合には,わりと影響します。この頃はたぶん1ドルが78円台だった筈で,現在はさらに円高が進んでいます。こういう時代は円の貨幣価値というものが相対的に高くなってきているわけで,僕などからしたら一生懸命に円を手に入れる,要するに稼ぐということですが,それが手っ取り早くメリットを得る最高の方法なのだろうとは思いますが,なかなかうまいことはいきません。
 この翌週,特別養護老人ホームに入所している祖母,母の母の具合が悪くなりました。僕は祖母と会っているわけではありませんから,詳しい状況というのは把握できていませんが,どうも食べた物を嘔吐してしまうようになったようです。特別養護老人ホームには看護師もいまして,その方の話ですと,肺に水が溜まっていて,その影響で苦しくなっているのではないだろうかとのことでした。前にも説明しましたように,祖母は大腸癌を患っていますから,その癌が肺に転移したと考えれば,肺に水が溜まるということもあり得ない話ではありません。ただもしも本当にそうであるならば,その肺の水を取り除けば一時的には楽になり,嘔吐するような状況からも解放されはするでしょうが,あくまでも一時的にすぎず,また肺に水が溜まって同じことの繰り返しになるということは目に見えています。ですから祖母の年齢的なことも考慮に入れるなら,肺に溜まった水を取り除くべきなのかそうではないのかということも問題になってくるわけです。ちょうど伯母も来日中で,祖母の3人の子どもが揃っているということもあり,そうしたことについても念入りに話し合ったようです。とはいえ,とりあえず本当にそれが嘔吐の原因であるのか,確認しておかなければなりません。
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