スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

九十九島賞争奪戦&平行論的内容

2012-12-11 18:42:14 | 競輪
 グランプリの出走が決まっている選手はそこに専念したいところではあり,事前の予定とは有力選手の入替があった佐世保記念の決勝。並びは木暮に岡部-関戸の北日本,海老根ー中村の千葉,金子に小倉,脇本に小野。
 海老根ー中村-木暮-岡部-関戸の外に金子ー小倉が並び掛け,さらに外を脇本-小野で追い上げていったのが残り2周のホーム。金子が海老根を抑えるとここに木暮が続き,バックで脇本が金子を抑えて打鐘。木暮がまた切り替えてこのラインに続き,6番手に金子,8番手に海老根の一列棒状となり,ホームから脇本の抑え先行に。後方に置かれた海老根は早めの発進でしたが,届く前にバックで3番手の木暮が先捲り。脇本もかなり粘り,直線まで先頭争いが続きましたが最後は木暮がねじふせて優勝。後方からインを追い上げ,直線は脇本と木暮の中を突いた小倉が2着。岡部をどかして外を通った小野が3着。
 優勝した群馬の木暮安由選手は2009年の名古屋記念以来となる記念競輪2勝目。ここは自力型の中では脚力が上位とはいい難く,苦しいのではないかと思っていたのですが,立ち回りがうまかったです。3番手から自分の行かれるところから発進できましたし,結果的にラインが3人となったのも有利に働きました。うまくチャンスを掴んだという感じですが,こういう戦い方ができるのなら,記念競輪はまたどこかで勝てるのではないでしょうか。

 第二部定理九に平行論的内容が含まれているというのは,僕には思いもよらない見解でした。というのもその文言を読む限り,ここには個物の観念の結果と原因の無限連鎖,すなわち因果論的内容だけが含まれているのであって,そのほかには何もないと思えたからです。ところが,福居純の見解を知って考え直してみると,福居のいっていることにも明らかに一理あるというように思えてきたのです。ただし,福居がここでいっているのはふたつの平行論のうちの思惟属性内の平行論です。しかし僕が一理あるという場合には,むしろもうひとつの平行論の方なのです。
 僕による第二部定理九証明をお読みいただければ理解してもらえると思うのですが,僕は基本的に第二部定理九というのは,第一部定理二八第二部定理六から帰結すると考えています。第一部定理二八は,個物が現実的に存在するという限定はなく,一方で第二部定理九の場合には現実的に存在する個物の観念だけを対象として言及されているという相違は確かにあります。しかしこの場合には第一部定理二八というのは,個物の存在の両方の場合に妥当すると理解されるべきなのであって,そうであるならその個物が現実的に存在するという場合にも妥当しているということになります。よって,第一部定理二八から第二部定理九を帰結させるのに,特段の不都合が生じるということはありません。そもそもスピノザ自身によるこの定理の証明が,そのような手続きを経ています。
 しかし僕の証明と,スピノザの証明の大きな違いは,第一部定理二八から第二部定理九を帰結させる際に,第二部定理六を第一部定理二八に当てはめるのではなく,第一部定理二八を第二部定理七で変換させるという方法が主になっているという点です。いうまでもなく第二部定理七というのは,平行論的内容,というよりも平行論の基本原理を示したものです。よって第二部定理七が介在して第二部定理九が帰結するということになるなら,第二部定理九の文言がどうであれ,ここには平行論的内容が含まれていると理解しなければなりません。少なくともスピノザがそう考えていたことは,確かではなかったかと僕は思うようになったのです。
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香港国際競走&興味深い点

2012-12-10 18:51:13 | 海外競馬
 昨日の香港国際競走には,日本から3レースにのべ5頭が招待されました。
 香港ヴァーズGⅠ芝2400mには一昨年の天皇賞(春)を勝ったジャガーメイルが実に4年連続の参戦。中団の内の追走から向正面で好位まで進出。超スローペースで直線入口では雁行状態。外から2頭目をよく伸びましたが,すぐ内の馬との叩き合いに敗れ,僅差の2着でした。
 そもそも天皇賞を勝って以来は3着が最高という馬で,その点を考えれば健闘でしょう。香港の馬場にも適性があるのでしょうし,能力が極端に衰えているというわけではないようです。この馬で2着ならば,日本のトップクラスならば勝てる計算ですが,国内のレース日程からはそれは難しそうではあります。
 香港スプリントGⅠ芝1200mには昨年のJRA賞最優秀短距離馬のカレンチャンと,そのカレンチャンを今秋のスプリンターズステークスで2着に降したロードカナロアの同厩舎の2頭。
 カレンチャンは出負け。逆にロードカナロアは逃げることもできそうな発馬から2番手3頭の外。さらに1頭が追い上げたので3番手から追走。そのまま手応えよく直線も外から伸び,残り100m手前で先頭に立つと2馬身半差の快勝。カレンチャンはずっと内を回ってきましたが,ミドルペースということもあり,目立った伸び脚はなく7着。
 よくいうようにこの路線の日本馬は全体的なレベルが低いのですが,近況と近年の結果から,今年の2頭は優勝争いをしてもおかしくはないと思っていました。とはいえこれだけの着差をつけてロードカナロアが勝つとは想像以上の結果で,この馬は日本を代表する歴史的スプリンターの1頭になったといえるでしょう。カレンチャンはおそらく想定していたようなレースができなかった筈で,結果以前にその点が残念でした。
 優勝したロードカナロアスプリンターズステークスに続いて大レース2勝目。父はキングカメハメハ。Kanaloaはハワイの海の神。日本馬による海外重賞制覇は9月のフォワ賞以来。香港では4月のエリザベス女王Ⅱ世カップ以来。香港スプリントは初勝利。騎乗した岩田康誠[やすなり]騎手はジャパンカップ以来の大レース制覇。海外重賞は2006年のメルボルンカップ以来の2勝目。管理している安田隆行調教師はスプリンターズステークス以来の大レース制覇で海外重賞初勝利。
 香港マイルGⅠ芝1600mには一昨年のJRA賞最優秀2歳牡馬のグランプリボスと,そのグランプリボスを先月のマイルチャンピオンシップで2着に降したサダムパテック。
 グランプリボスは3,4番手の外,サダムパテックは中団追走。このレースはスローペースで,直線入口辺りからはペースアップ。グランプリボスはそこからもう騎手の手が激しく動き始め,前からは離され,後ろからは飲み込まれでよいところなく最下位に惨敗。サダムパテックはそのグランプリボスの外に出てきましたが,目立った脚色はなく,6着まで。
 サダムパテックの前走はあまりにうまくいった感がありましたので,恵まれなければ厳しいだろうと思っていました。そういう意味では能力通りの結果だったといえなくもないのではないかと思います。むしろグランプリボスの方が期待できると考えていて,この結果は何らかの理由で力を十全には発揮できなかったもの。勝ち負けは難しかったようにも思いますが,それでもこんなに負ける馬ではない筈で,やや残念な気持ちも残ります。

 スピノザ自身がふたつの平行論を,分類可能な別種の平行論であると考えていたかどうかは僕には分かりませんから,その点についての判断は差し控えます。ただ,僕は確かにこれは,ふたつの平行論であるといえるように思います。
                          
 こうした考え方は僕に特有のものではありません。たとえば松田克進は『スピノザの形而上学』の中で,平行論についても論述しています。そしてそこでは確かに,形相的事物と客観的事物すなわちその観念ideaとの平行論と,思惟属性Cogitationis attributum内での平行論というのが,分類することが可能であるようなふたつの平行論であると読解できるように論述されています。もっとも,松田の分析というのは,たとえば形相的なあるAという属性と思惟の属性との間にある平行論と,それとは別の形相的なBという属性と思惟の属性との間に成立するような平行論も,別の平行論であると読解できるような分析にはなっています。第一部定義六からして,形相的な属性というのは無限に多くあるわけですから,この場合には無限に多くのinfinita平行論があると考えてもよいかもしれません。ただ,いずれにしても,少なくともふたつの平行論があるという点に関しては,松田と僕との間では一致が図れるものと僕は思っています。
 ただし,第二部定理九系の読解に関して,僕と福居純との間にある相違に関連して,僕が注目したいのは,各々がこれらふたつの平行論の,別の平行論によって第二部定理九系を理解しているということではないのです。なので,福居が第二部定理九系,福居の場合には第二部定理九を含むわけですが,これらをどういった根拠によって,思惟属性内における平行論的内容を有していると読解するのかということについては,僕はここでは触れません。書評にも書いたように,『スピノザ『エチカ』の研究』は,『エチカ』を探求しようという場合の必携の書ですから,その部分は福居自身の著書をお読みください。
 では,僕にとって何が興味深いのかといえば,たとえそれが思惟属性内でのことであったとしても,福居が第二部定理九のうちに平行論的内容を見出したということなのです。これは僕には斬新な視点でした。
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農林水産省賞典阪神ジュベナイルフィリーズ&ふたつの平行論

2012-12-09 19:10:00 | 中央競馬
 今年の2歳女王を決定する第64回阪神ジュベナイルフィリーズ
 先手を奪ったのはタガノミューチャン。クロフネサプライズが2番手で追い,コウエイピース,ストークアンドレイ,ディアマイベイビー,サウンドリアーナ,サンブルエミューズまでは差なく追走。エイシンラトゥナ,プリンセスジャックといて,ローブティサージュとコレクターアイテム。前半の800mは45秒9でこれは超ハイペース。
 先頭と2番手がほぼ並んで直線に。逃げたタガノミューチャンは一杯で,クロフネサプライズがまずは先頭。外に並び掛けてきたのがローブディサージュで後方の外寄りを追走していたレッドセシリアが馬群を縫うように伸びて最後はクロフネサプライズの内に。この3頭による叩き合いのレースとなり,最後は外から差したローブティサージュの優勝。クビ差の2着に一旦先頭のクロフネサプライズが粘り,さらにクビ差の3着がレッドセシリア。
 優勝したローブティサージュは7月に函館で新馬勝ち。一息入れて先月のファンタジーステークスは2着。これは勝ち馬に離されてのものでしたが,相手がいかにもうまくいったというレースで,キャリアを考えれば逆転濃厚,優勝候補の1頭と考えていました。枠順に恵まれた部分があったのは確かですが,阪神競馬場が改装されて以降,このレースの勝ち馬は無事であればその後もかなりの活躍をしていて,この馬にもそれと同様のことを期待することもできるだろうと思います。祖母の姉がホワイトウォーターアフェア。Robe Tissageはフランス語で服の生地。
 騎乗した秋山真一郎騎手は春のNHKマイルカップ以来の大レース2勝目。管理している須貝尚介調教師は菊花賞以来の大レース制覇で,阪神ジュベナイルフィリーズは初勝利。

 僕の考えでは,第二部定理九系平行論的証明だけで論証される系Corollariumであれば,それは第二部定理七から帰結するのでなければなりません。しかし福居純の主張は違います。福居によれば,第二部定理九系が平行論的系であったとしても,それは第二部定理九から帰結します。なぜなら,第二部定理九自体が平行論的定理だからなのです。
                           
 この点に関しては,僕と福居との第二部定理九の読解も関係していると思うのですが,これについては後回しにして,まずふたつの平行論について説明しておかなければなりません。
 一口に平行論といっても,実際には『エチカ』のうちには,ふたつの平行論が存在していると考えられるのです。ひとつは普通に理解される平行論です。これはスピノザが形相的と客観的,formalisとobjectivusを分けた場合の,形相的有esse formaleと客観的有esse objectivumすなわちその観念ideaとの間にある平行論です。この場合,形相的事物AとAの観念が同一個体であるということになります。第二部定理七,第二部定理七系,およびその後の備考Scholiumで示されているのは,このタイプの平行論であるといえます。そして僕が第二部定理九系を平行論的であるというとき,このような意味において平行論的であるということを意味しています。
 しかしもうひとつ,思惟属性内での平行論というのがあります。これはある観念と観念の観念idea ideae,その観念,そのまた観念といった具合に無限に続いていく平行関係です。この場合にはAの観念とAの観念の観念,さらにAの観念の観念の観念といった具合に,同一個体の連鎖が無限に連鎖していくことになります。スピノザはこのことを定理Propositioや系として直接的には示していません。ただ,たとえば第二部定理二〇とか第二部定理四三,ほかにもありますがこういった定理はこの平行論を前提としなければ成立しないといえますから,スピノザがこうした平行論についても,そうした関係が存在する,あるいは成立すると認めていたということは疑い得ません。福居が第二部定理九と第二部定理九系を平行論的であるというとき,含意されているのはこちらの平行論です。
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帰国の決断&第二部定理九系の読解

2012-12-08 18:48:46 | NOAH
 馬場は2度めのアメリカ武者修行の期間中に力道山の死を知らされ,まだ残っていた契約を満了すると翌年の4月に帰国。日本プロレスの実質的なエースという立場で,その後の日本のプロレス界の繁栄を支えました。武者修行は元来が力道山の指示によるものでしたから,この決断は当然といえば当然のものではありますが,当時の状況からいえば,むしろよくその決断をしたとも考えられます。
                         
 馬場がアメリカで高額のファイトマネーを獲得していたことはすでに書いた通りですが,力道山の死を受けて,全米のプロモーターは馬場にアメリカに残るように要請。このときに提示された契約内容についても馬場は明かしています。それによれば契約期間は10年。契約金が16万ドル,すなわち当時の為替レートで5840万円,年収は手取りで27万ドル,同じく9720万円というもの。フレッド・アトキンスはグレート・東郷との契約を勧め,東郷から提示された内容であったようです。
 破格の条件ですから馬場は自分の心もかなり揺れ動いたと告白しています。ただ,アトキンスは日本に帰るか,アメリカにとどまるかは馬場自身が考えるべき問題であり,結論は自分で出せばよいという態度で,高額の契約金で縛ろうとする態度は見せず,またアメリカに残ることを無理強いすることもなかったそうです。
 この後,馬場は後の元子夫人に手紙を書き,このことも決断のひとつの理由になったといっていますが,破格の条件を蹴って日本に帰ることにしました。馬場がそのことをアトキンスに伝えると,アトキンスは頷いてみせたそうですから,アトキンスはおそらく馬場がそういう決断をすると思っていたのでしょう。
 もしこのとき,馬場がアメリカに残っていたら,日本のプロレスの歴史は大きく違っていた筈です。全日本プロレスは何度かピンチはチャンスということばを実践しましたが,力道山の死はおそらく日本プロレス史の中で最大のピンチだったといえると思います。きちんと後継者を育てようとしていた力道山も立派だったと思いますし,たぶんそれをよく理解していた馬場もアトキンスも非常に立派であったと思います。

 僕と福居純との共通点で,僕に最も興味深く思えたのは,第二部定理九系に関するある理解の内容でした。
 僕は第二部定理九系のスピノザによる論証の一部を,因果論的迂回であるといいました。すなわちこの定理は平行論的証明だけで証明することが可能である定理だと考えたわけです。これを指摘した当時,僕はこのことを,ある観念の対象ideatumの中に起こることの観念は,その観念を有する限りで神のうちで十全であるという意味に理解していました。これは後に示した第二部定理九系の消極的意味とは齟齬を来します。僕の考察では,第二部定理九を神の無限知性とみなし,かつ因果論的迂回を重視することによって第二部定理九系を第二部定理九からの帰結とみなし,なおかつ第二部定理九の無限知性を前提とすることによって第二部定理九系の消極的意味を導くという論理的道筋を辿りました。これでみれば第二部定理九系が平行論的証明のみで論証可能であるという考え方は改めなければならないということになります。しかし実際にはそうではありません。第二部定理九系が平行論的証明だけで論証されるとしても,僕が第二部定理一一系の具体的意味を抽出したのと同じ方法を辿れば,第二部定理九系の消極的意味を導出することは可能だからです。したがって僕は,第二部定理九系が平行論的証明だけで論証可能であるという考え方については,現在でもこれを放棄したというわけではありません。
                         
 それが平行論的証明だけで論証可能であると主張することは,第二部定理九系は平行論的内容を有する系であると主張することにほかなりません。そしてこの点において,僕と福居との間で明らかな一致というのがみられます。それがどのような意味において平行論を示しているのかという点に関して,やや違いがみられるということは確かなのですが,福居は『スピノザ『エチカ』の研究』の中で,第二部定理九系に関して,これは平行論の定理であると明言しています。
 この点では一致するのですが,この後の考え方に相違が出てきます。この相違がまた僕にはとても興味深く思えるのです。
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ミルレーサーとミルカレント&福居との共通点

2012-12-06 18:36:53 | 血統
 日曜日のジャパンカップダートニホンピロアワーズが勝ちました。この馬の輸入基礎繁殖牝馬は曾祖母のミルカレント。1992年,アメリカ産です。ファミリーナンバー22-dで,これはナイトライトと同じ。ミルカレントからみて5代母の姉が,ナイトライトの母にあたります。
                         
 ニホンピロアワーズもそうですが,ミルカレントから続く一族はほとんどが小林百太郎さんの名義で,ニホンピロ○○と名付けれて出走。ただ,重賞の勝ち馬はニホンピロアワーズ以外には出ていませんでした。
 ミルカレントの半姉で1983年にアメリカで産まれたのがミルレーサー。アメリカで2頭の産駒を出産した後,輸入され,3年目に新種牡馬のサンデーサイレンスを配合されて誕生したのがフジキセキ。フジキセキが誕生したのは1992年で,血統関係からはミルカレントの甥ということになりますが,この2頭は同い年。ミルカレントが輸入されたのは,その姉からフジキセキが産まれていたということも大きな要因であったと思われます。
 フジキセキのひとつ上の半姉はシャイニンレーサー。この馬は1996年のマーメイドステークスを勝っています。そして繁殖入り後に2002年のクイーンカップを勝ったシャイニンルビーを産みました。
 この一族の重賞の勝ち馬は現在のところこの4頭。ほかにフジキセキのひとつ下の半妹からは,2009年のトゥインクルレディー賞を勝ったフサイチミライが出ています。
 ミルカレントはそうでもありませんが,ミルレーサーの方はわりと分枝が広がっていますので,今後も活躍馬が出る可能性は残っているのではないでしょうか。

 『スピノザ『エチカ』の研究』で福居純が示している読解と,今回の僕の考察の根幹部分の一部が一致するということは,逆にいえば僕の考察を全体としてみた場合には,共通する点と相違する点の両方が含まれているということになります。ここではそれをすべて取り上げることはしませんが,共通点および相違点のうち,興味深く思われるところ,ないしは僕の考察と大きく関係する部分を抽出しておきます。
                         
 まずは共通点からです。
 福居は第二部定理九を,神の無限知性を構成するものと読解します。いい換えれば,単にある人間の精神のうちにある個物の観念とそれをみるならば,それが十全な観念であるか混乱した観念であるかは関係なく,この定理でいわれている個物の観念には該当しないということになります。
 次に,福居はこのことを前提として第二部定理九系を読解します。いい換えれば第二部定理九系の消極的意味が成立しなければならないと考える点において,僕の考察と福居の読解とは完全に一致しているといえるでしょう。
 そしてこのことを前提として,福居は第二部定理一二を読解します。よって第二部定理一二の新しい意味が成立しているという点で,僕の考察と一致することになります。要するに考察の最初の部分と,そこから得ることができる結論に関しては,福居と僕とは一致しているといっていいでしょう。
 第二部定理一一系に関していえば,僕が出した第二部定理一一系の具体的意味のうち,第二の点には福居は言及していません。しかし僕が触れなかったいわば第四の意味を抽出しています。それは,Aの精神の本性を構成する限りで神のうちにXの観念がないのであれば,AはXを認識しない,つまりAの精神のうちにはXの十全な観念も混乱した観念も存在しないということです。僕はそれは第三の点に依拠すれば証明が可能であると思いますが,福居が指摘しているように,第二部定理一九はこの意味から帰結していると考えることは可能でしょう。
 これはいわば第二部定理一一系の消極的意味というべきものであって,消極的の意味を考えれば,僕の第二部定理九系の消極的意味とパラレルな関係にあることはお分かりいただけるものと思います。このことは,第二部定理九系の消極的意味,第二部定理一一の具体的意味,第二部定理一二の新しい意味が,三つ組の関係にあることの,ひとつの根拠になるでしょう。
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デイリー盃クイーン賞&スピノザ『エチカ』の研究

2012-12-05 18:52:39 | 地方競馬
 12月を迎えたばかりですが,船橋競馬は今週が今年最後の開催。メーンは第58回クイーン賞
 最内からレッドクラウディアの逃げ。ネオグラティアが2番手につけ,プリンセスペスカ,インに潜り込んだハルサンサン,クラーベセクレタという隊列に。最初の800mは48秒6でこれはハイペースですが,最初が早くて隊列が定まると一気にペースダウンという変則ペースでした。
 クラーベセクレタは3コーナー過ぎから外を上昇。よい手応えのまま直線に入り,これは勝ったと思ったのですが,ここから逃げたレッドクラウディアが脚を伸ばし,むしろ差を広げて4馬身差の圧勝。クラーベセクレタが2着。1馬身半差の3着は後方内から直線も最内を突いた高知のアドマイヤインディ。51キロとはいえこれは大健闘といっていいでしょう。
 優勝したレッドクラウディアは3歳馬。5月に牡馬相手のオープン勝ちはありますが重賞は初制覇。休み明けということで人気を落としていて,あまりマークされずに逃げることができた点は恵まれましたし,ハンデの差もありました。ただこれだけ差をつけて勝つというのは並大抵のことではない筈で,この路線の主役級に台頭したと考えていいのではないでしょうか。父はアグネスタキオン。母の従妹に昨年の関東オークスを勝った現役のカラフルデイズ
 騎乗したのは内田博幸騎手で管理しているのは石坂正[せい]調教師。クイーン賞は共に初勝利。

 第二部定理九を神の無限知性を構成する原因と結果の無限連鎖とみなし,これを前提に第二部定理九系を読解することによって第二部定理九系の消極的意味を見出し,さらにここから第二部定理一二の新しい意味を帰結させるというのは,今回の僕の考察の根幹部分の一部をなします。そしてこれと同じように『エチカ』を読解しているものがあります。福居純の『スピノザ『エチカ』の研究』です。
                         
 この本は副題に『エチカ』読解入門とあるように,『エチカ』の注解書です。『エチカ』は公理系に基づいて記されていますが,これを一般的な記述に書き直したもの。ただし順序はほとんどスピノザが『エチカ』で示した配置通りに進められています。
 僕がこのブログを開始した直後に示したいくつかの参考文献のうちでは,アランによる『スピノザに倣いて』は『エチカ』の注解という側面があります。ただ,その懇切丁寧さという点において,福居のこの著書は比較にならないくらい優れているといっていいでしょう。少なくとも現在の僕が知る限り,『エチカ』の最良の注解であると思います。
                         
 ただ,『エチカ』は部分的には識者によって解釈の相違というのがあります。したがって注解といっても,あくまでもこれは福居による読解ということになります。ですから読者の中には,この注解のある部分について,あるいはもしかしたらその全体について,怪訝に感じるということがあったとしても不思議ではないと思います。また,福居自身が,後の『スピノザ「共通概念」試論』においては,この著書のある部分の読解に関しては,考え方を改めたという主旨のことをいっています。これは,僕自身の理解でいえば現実的に存在する人間の精神のうちにある十全な観念と混乱した観念の関係に関してなのですが,この点については,僕もいずれはテーマとして設定し,詳しく探求するつもりでいます。
                         
 福居の『エチカ』の読解というものを支持するのかどうかということは別にしても,この本が『エチカ』について考えるという上で役に立つということは間違いありません。そのためには必携の一冊といっていいくらいだと僕は思っています。
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クレアーブリッジ&『エチカ』での援用

2012-12-04 18:35:11 | 血統
 先月のJBCスプリントで待望の大レース制覇を達成したタイセイレジェンド。この馬の基礎輸入繁殖牝馬は4代母にあたる1967年アメリカ産のクレアーブリッジファミリーナンバーフォルカーと同じ13-cで,フォルカーの母がクレアーブリッジの曾祖母の姉にあたります。
                         
 輸入は社台で,1975年の産駒から登録されています。1981年産のダイナキャロルがタイセイレジェンドの曾祖母。この一族は現在も多く続いていますが,重賞の勝ち馬はタイセイレジェンドだけです。
 ダイナキャロルのひとつ下の全妹がサクラクレアー。この馬も社台ファームの生産ですが,さくらコマースに買われたので谷岡牧場で繁殖入り。サクラユタカオーを配された2頭目の産駒,サクラヤマトオーは,重賞は2着2回が最高でしたが2歳時にオープンを3勝するなどした活躍馬でした。
 さらに1年をおいてトニービンとの間に産まれたのがサクラチトセオーで,1994年の中山記念を勝ちました。これがこの一族の初重賞制覇。翌年,アメリカジョッキークラブカップで重賞2勝目をあげ,10月29日の秋の天皇賞で大レース優勝。有馬記念でもマヤノトップガンの3着に入り,この年のJRA賞最優秀4歳以上牡馬に選出されました。
 サクラチトセオーのふたつ下の妹はサクラヤマトオーの全妹となるサクラキャンドル。3歳秋にクイーンステークスで重賞制覇を達成すると半兄の天皇賞制覇の2週後のエリザベス女王杯を優勝。兄妹で大レースの勝ち馬となりました。翌年は府中牝馬ステークスも勝っています。
 この兄妹の半妹で1998年に産まれたのがサクラメガ。この馬は繁殖入り後,重賞4勝のサクラメガワンダーを産んでいます。
 これまでも活躍馬はいたものの,重賞までいったのはいずれもサクラクレアー経由でした。別系統から大レースの勝ち馬が出たことは,この系統の繁栄のためには大きかったといえるのではないでしょうか。

 第二部定理一二の論証で第二部定理一一系が援用されるとき,これは第二部定理一一系の具体的意味のうち第一の点に依拠しています。第二部定理一三,第二部定理二二の論証の場合にも同様です。
 第二部定理一九,第二部定理二三,第二部定理二四,第二部定理三〇の論証において援用されている場合も,同じように考えることが可能であると思いますが,これらの論証は,それらの観念が単に人間の精神と関係する限りでは混乱した観念ではあっても,神のうちでは十全な観念であるということ,いい換えれば第二部定理七系の意味を前提とした上で成立している論証です。よってむしろこの点を含意しているといえる第三の点に依拠しているというのが正しい見方であると僕は思います。
 第二部定理三四,第二部定理三八,第二部定理三九,第二部定理四〇,第二部定理四三,そして第三部定理一の論証では,第二の点に依拠しています。そしてこれらはいずれも人間の精神のうちにある十全な観念に関係した論証で,人間の精神の本性を構成する限りで神のうちで十全であるといわれています。すなわち第二の点を構成するあらゆる条件を満たしています。
 第二部定理四三備考と第三部定理三八の論証でも第二部定理一一系が言及されていますが,これらふたつは単に人間の精神が神の無限知性の一部であるという点に訴求していると考えるだけで十分であり,具体的意味のどれに該当するかは考慮する必要がありません。
 第五部定理三六の論証をどう考えるかは難しいです。ただこの定理は,現実的に存在する人間の精神ではなく,永遠の観点aeternitatis specieの下での人間の精神と関連します。永遠であるものが真であるということは第二部定理一一系とは無関係に論証できます。ですからどう考えようと,ここでの援用が具体的意味を崩壊させる要素を有することはありません。
 『エチカ』における第二部定理一一系の援用は以上ですべてです。つまり具体的意味は『エチカ』の中で十全に成立します。これによりこの課題は乗り越えられました。よって新しい課題に挑みます。
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朝日新聞社杯競輪祭&第二部定理一一系の具体的意味

2012-12-03 18:38:06 | 競輪
 小倉競輪場で昨日まで4日間にわたって開催された第54回競輪祭の決勝。並びは成田-伏見の福島,武田-長塚-神山-飯嶋の茨城栃木,藤木ー山口の近畿中部で後閑が単騎。
 前受けとなったのが藤木。後閑が続き成田が4番手,6番手から武田で周回。残り3周のバックから武田が上昇開始。ホームに入ると藤木が誘導を交わして武田が前に。引いた藤木がバックから巻き返していき,打鐘で武田を叩いて先行。後閑も続いて4番手に武田。すぐに成田が自力を出し,武田に迫ったところで長塚が牽制。この両者が絡み合ったままバックに入って武田が発進。番手は長塚が確保も神山は離れ後ろは成田。さらに伏見も離れて成田の後ろは飯嶋。この4人で前を飲み込み,危なげないまま武田が優勝。マークの長塚が4分の3車身差で2着。直線ゴール手前で成田を捕えた飯嶋が1車身差で3着となり,茨城栃木で上位を独占。
                         
 優勝した茨城の武田豊樹選手は前回出走の取手記念からの連続優勝。ビッグは8月のサマーナイトフェスティバル以来の11勝目。GⅠは6月の高松宮記念杯以来で4勝目。競輪祭は初優勝。ここはメンバー構成から武田か長塚の優勝が濃厚と思っていました。長塚が成田と絡んだ分,脚を残せなかったという面はあるでしょうが,これだけ差をつけての優勝ですから強かったとしかいいようがありません。もちろんグランプリでも優勝候補でしょう。

 ある観念ideaが人間の精神の現実的本性を構成する限りで神Deusのうちにあるといわれるとき,この観念が十全な観念idea adaequataであるか混乱した観念idea inadaequataであるかを問われない,いい換えればどちらの場合も意味し得るとしたら,もしも人間の精神mens humanaのうちに十全な観念があるときには,それはどのように神と関連付けられればよいのでしょうか。
 その答えはすでに出ているといえます。なぜならスピノザ自身が,ある観念が人間の精神の本性naturaを構成する限りで神のうちにある場合には混乱した観念であるという言明を許容している,要するにこの言明は第二部定理七系の意味に反しないということを認めているからです。すなわちこれを逆に考えれば,ある観念が人間の精神の本性を構成する限りで神のうちで十全adaequatumであるといわれる場合に,初めてこの観念はその人間の精神のうちでも十全な観念であるということになります。
 したがって第二部定理一一系のうちには,具体的にはみっつの意味が混在していると考えられることになるでしょう。なお,この系Corollariumは人間の精神が現実的に存在するといわれる場合にのみ妥当するとはいえませんから,ここではこの前提は外します。そして以下にAというのはある人間を意味します。
 第一に,Xの観念がAの精神の本性を構成する限りで神のうちにあるといわれるとき,AはXを認識します。この場合,AのうちにあるXの観念は,十全な観念であるか混乱した観念であるかは問われません。
 第二に,Xの観念がAの精神の本性を構成する限りで神のうちで十全であるといわれるとき,AはXを十全に認識します。
 第三に,Xの観念がAの精神の本性を構成する限りで神のうちで混乱しているといわれる場合,AはXを混乱して認識します。また,Xの観念がAの精神の本性を構成するとともに,ほかのものの観念を有する限りで神のうちにあるといわれる場合にも,AはXを混乱して認識します。このふたつの相違は,前者はAの精神のうちでXの観念が混乱しているという点を重視しているのに対し,後者は神のうちにあるXの観念は十全な観念であるということを重視しているという点に存すると考えられます。
 それではこの理解が『エチカ』の内部で妥当するか,確認します。
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ジャパンカップダート&第二部定理七系との関係

2012-12-02 18:38:00 | 中央競馬
 今年もまた日本馬のみでの争いとなった第13回ジャパンカップダート
 ナムラタイタンとイジゲンは出負け。エスポワールシチーが逃げたのは僕の予想通りだったのですが,向正面に入って後ろに差をつけていったのは意外でした。先手を奪いにいったものの叶わなかったトランセンドとホッコータルマエが2番手並走。その後ろがニホンピロアワーズで,さらにワンダーアキュートという並び。最初の800mは47秒5のミドルペース。先頭と2番手が離れていたことを考慮すれば,前に位置していた馬に有利な流れであったと思います。
 エスポワールシチーは快調に飛ばしているように見えましたが,直線入口付近でホッコータルマエに並び掛けられるとギブアップ。後方から外を回ってきた馬もいたのですが,ホッコータルマエとニホンピロアワーズがまずは抜け出しました。しかしこの時点で手応えの差が大きく,余裕があったニホンピロアワーズが直線半ばから追い出されるとホッコータルマエを置き去りにし,3馬身半の差をつけて快勝。内目の位置を離さず,外の各馬に対して一旦は控えたワンダーアキュートが盛り返し,ホッコータルマエとの叩き合いを制して2着。半馬身遅れたホッコータルマエが3着。
 優勝したニホンピロアワーズは前々走の白山大賞典以来の重賞4勝目で大レース初制覇。ずっと堅実に走ってきていた馬で,今日もチャンスはあるだろうと思ってはいましたが,これだけの差をつけて勝ったのは驚きました。展開が向いたということもあるのでしょうが,ここにきて一皮剥けたと考える方がよさそうです。母の父はアドマイヤベガ。祖母の従兄にフジキセキ
 騎乗した酒井学騎手,管理している大橋勇樹調教師にとっては揃って大レース初勝利になりました。

 このような理解の下では,ある人間の精神の現実的本性を構成する限りで神のうちにある観念があるといわれる場合には,その観念は十全な観念であるかもしれないし,混乱した観念であるかもしれないと理解するということになります。すると,このことが第二部定理七系の意味に反するのではないかという疑問が生じるかもしれません。確かに現実的に存在する人間の精神の本性を構成する限りで,というのはある限定を含んではいるものの,その限りで神のうちに混乱した観念があるという言明は,第二部定理七系の意味に反していると考えることは可能だからです。
 しかしこれは成立します。まず第一に,第二部定理一一系でスピノザは,人間の精神の本性を構成する限りで神のうちにある観念があるということが,人間の精神がそれを認識するということだと示した直後に,人間の精神の本性を構成するとともにほかのものの観念を有する限りで神のうちにある観念があるのなら,それはその人間の精神のうちに混乱した観念があるということだといっています。この場合には確かに人間の精神のうちには混乱した観念があるでしょうが,神のうちには十全な観念があるということも含意されています。だから単にある人間の精神の本性を構成する限りで神のうちに混乱した観念があるとしても,それはそうみられる限りで混乱した観念であるということが,同時に説明されているのです。
 これは論理に訴える方法ですが,単に事実に訴えれば,さらに強力な根拠があります。それは第二部定理三〇でスピノザが示している論証過程です。ここではスピノザは,自分の身体の持続の認識に関して,その人間の精神の本性を構成する限りにおいては神の中で混乱した観念であるという意味のことをいっています。つまりスピノザ自身が,こうした限定が付随している場合には,神のうちにある混乱した観念があるという言明を許容しているのです。一方,第二部定理七系の意味というのは,スピノザがこの系を援用する際に用いるものですから,このふたつはスピノザ自身のうちでまったく矛盾していなかったと理解できるでしょう。よってこうした言明が十分に成立するのです。
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霧島酒造杯女流王将戦&人間の精神の現実的本性

2012-12-01 18:46:32 | 将棋
 第二局のすぐ後に指された第34期女流王将戦三番勝負第三局は,先月24日の放映でした。
 振駒で里見香奈女流王将の先手となり,直前の将棋をなぞるような相三間飛車の相金無双。中村真梨花女流二段が手を替え,先手が9筋の位を取りました。相振飛車では端の位は大きい筈で,たとえば先攻するといった代償が必要だと思うのですが,そうはならなかったので,後手の作戦負けだったのではないかと思います。
                        
 ここで後手は△8四歩と突きました。銀が8三に上がれれば問題ありませんが,瞬間的には大胆です。先手は天王山の歩を狙って▲7七角。△4三角の銀取りに構わず▲5五角と出ました。△6五角▲3三角成は駒損でも馬を作って先手が指せるということで,△4四銀と受けたのですが,▲8四飛と取られてしまいました。角を取れば飛車を抜かれますから△5三金直で銀を受けましたが,▲5六銀と引かれ,△8四歩も△4三角も空を切った格好となりました。
                        
 このままでは相変らず角を取れない後手はここから1筋で歩を入手して8三に打ち,角は取れたのですが銀と香車との二枚換え。その後も攻め立てましたが先手にきっちりと受け止められ,チャンスといえる局面を迎えることはありませんでした。
 2勝1敗で里見女流王将の防衛。第32期で奪取し,第33期に続く三連覇です。

 まず最初に,この場合に非常に大事なことを再確認しておきます。
 人間が持続のうちに存在する,すなわち現実的に存在するといわれる場合には,岩波文庫版117ページの第二部自然学②要請三により,その身体は外部の物体によって多種多様に刺激されます。
 このとき,第二部定理一七により,その人間の精神はそうした外部の物体を現前するものと知覚します。そして第二部定理二五により,この表象像は混乱した観念です。ほかの仕方でも説明できますが,これで少なくとも現実的に存在する人間の精神を組織する観念には,混乱した観念が必ずあるということは証明できます。
 一方,第二部定理三八によれば,すべてのものに共通であるものは十全に認識されます。そして岩波文庫版111ページ,第二部自然学①補助定理二によれば,すべての物体には共通する点があります。したがって第二部定理三八系にあるように,現実的に存在するすべての人間が有するある十全な観念があるということになります。このこともまた別の仕方で説明可能ですが,これで少なくとも現実的に存在する人間の精神の一部が,必ず十全な観念によって構成されているということは証明できています。
 このことから分かるように,もしも人間が現実的に存在するといわれる場合には,この人間の精神はいくつかの十全な観念とそれ以外の混乱した観念とから成立しているのです。したがってこれを現実的に存在する人間の精神の本性を構成するものであると考えるなら,そうした人間の精神の本性によって説明される限りでの神,いい換えれば現実的に存在する人間の精神の本性を構成する限りでの神とは,いくつかの十全な観念といくつかの混乱した観念の両方を含んでいるような神であると考えるのが妥当であるということになるでしょう。
 すでに触れたように,実際には松田克進の主張の中には,第二部定理一二でいわれている人間の精神というのが,現実的に存在するといわれる場合の人間の精神であるということは含まれていないのですが,その点を考慮に入れたならば,その主張の正当性はさらに強力なものとなるだろうと僕は考えます。
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