スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

報知盃東京記念&2014年4月の通院

2014-09-15 19:33:31 | 地方競馬
 金沢から1頭が遠征してきた第51回東京記念。本田正重騎手が病気でジェネラルノブレスは笹川騎手に変更。
 先手を奪ったのはサミットストーン。内枠が有利なコース形態ですから,最内枠を引いたこの馬が逃げることもあり得ると思っていました。ツルオカオウジが2番手。その後ろは内がユーロビートで外がジェネラルノブレス。道中で動く馬が不在だったため,ずっとこの隊列でレースは進展。最初の1000mが64秒8で,予想された以上の超スローペースになりました。
 直線に入らんとする付近からサミットストーンが後ろを離しにかかりました。ツルオカオウジが何とか食い下がろうとしましたが,ついていかれなくなると,コーナーでは一旦は離されかけたユーロビートが内から外に切り替えて猛追。並んでからサミットストーンも粘りましたが,最後はユーロビートが前に出て優勝。半馬身差の2着にサミットストーン。7馬身の差をつけられましたが粘ったツルオカオウジが3着。
 優勝したユーロビートはJRA4勝馬で今夏から大井に転入。初戦はこのレースのトライアルで2馬身差の完勝。昨年2月に準オープンを勝ち,中央最終戦の5月の準オープンも5着と,頭打ちになっての転入ではなく,活躍はほぼ約束されていました。この距離の適性,スローペースでの瞬発力勝負,2キロの斤量差と,2着馬に上回る点がありましたので,はっきりと上位に立ったとはいえないと思います。ただ,2着馬は重賞でも通用しますから,この馬にもそこまでの期待をしていいのではないでしょうか。父はスズカマンボビューチフルドリーマー系アサマクインの分枝。
 騎乗した大井の真島大輔騎手は一昨年暮れの東京シンデレラマイル以来の南関東重賞制覇。勝利数を伸ばしてきているので,南関東重賞勝利数もこれから急激に増えていくものと思います。東京記念は初勝利。管理している大井の渡辺和雄調教師は開業6年半弱で南関東重賞初制覇。

 検査結果ですが,HbA1cは7.5%でした。まだ悪いものではありますが,2月3月は7.8%だったわけですから,改善傾向にあることは事実。もっとも,僕は血糖値の計測をしていますから,どの程度の数値が出るかはともかく,よくなっていることは間違いないと確信していました。また,このときだけよくなるのではなく,自然にいけばまだよくなるだろうと考えていました。
 ただ,K先生は6%台までは下げたいという数値目標を示しました。数値目標をこのように具体的に示したのは,K先生が初めてです。M先生が7%前後であればよい,というかその程度の数値で妥協するのは止むを得ないという考え方をもっていたのは僕には確かなことだと思われますが,それとて目標といえるような意味合いとしての数値ではなかったのです。
                         
 このままの注射でも改善することは間違いないと思えましたが,いきなり6%台にするのは不可能であるように僕には思えましたので,すぐには難しいのではないかという主旨のことをK先生に伝えました。それならばということで,ランタスの注射量をさらに0.02ml増量し,0.1mlにするという措置を講ずることになりました。これがどの程度の効果をもたらすかは僕には分かりませんでしたが,示された数値目標を達成するというためには,必要な措置であろうと思えました。
 この日はこれ以外には何の異常も出ていません。
 この後の栄養指導は午後2時半の予約。とはいえ内分泌科の診察の開始が午後2時20分にずれ込んだのですから,間に合う筈はありません。診察の終了後に,すぐに指導室へ向いました。
 事前には何も言われていなかったのですが,担当の管理栄養士もこの日から変更になりました。4月は異動の時期であり,あるいは前任者も退職されたのかもしれません。引き継ぎはきちんとなされていて,前回の僕の提案も把握されていました。摂取する炭水化物量のバランスは,それ以前より明らかに三食で平均化されていましたから,この食べ方を継続することになりました。ただ,HbA1cの推移を見守るため,次回の通院時にも予約を入れることになりました。
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ドストエフスキーとゲーテ&K先生

2014-09-14 18:56:11 | 歌・小説
 ニーチェがゲーテを愛読し,その思想を好意的に評価していたことは,ニーチェとゲーテという稿で紹介しました。また,僕がドストエフスキーを再読するようになったのは,ニーチェがドストエフスキーにも好意的な評価をしていたからでした。そしてドストエフスキーもゲーテの愛読者でした。もちろんドストエフスキーは小説家ですから,好んだのはゲーテの小説であったことでしょう。ゲーテの小説のモチーフは,ドストエフスキーの小説に用いられているようです。
                         
 『悪霊』では,スタヴローギンがフェージカを唆して,妻のマリヤとその兄のレビャートキンを殺害させた後,火事を起こさせます。その火事を,スタヴローギンとリーザは,川の対岸で発見します。『ドストエフスキー 父殺しの文学』には,このシーンが,『ファウスト』のモチーフであるという説を,ベームが指摘しているとあります。ファウストは新国家建設の障害になっている老夫婦に頭を悩ませていました。それに気付いたメフィストフェレスが,この老夫婦を焼き殺すのです。
                         
 ファウストはメフィストフェレスに何か命令を下したわけではありません。スタヴローギンもまた殺害の具体的な指示をフェージカに与えたわけではありませんが,金を与えていますので,意味合いはやや違うかもしれません。ただ,これらふたつのシーンの状況が酷似していることは事実で,ドストエフスキーが『ファウスト』を意識していたことは,たぶん間違いないのだろうと思います。
 リーザの死に関して僕が得たひらめきというのは,このベームの説と少しばかり関係しています。老夫婦はファウストの欲望をメフィストフェレスが代行するという図式で殺害されました。レビャートキンは分かりませんが,マリヤに関しては,スタヴローギンの欲望をフェージカが代行するという図式で殺されたと理解して間違いないと思います。そしてこれと同じような図式が,リーザにも当て嵌まるのではないかと僕は気付いたのです。

 この日から僕の主治医になったのは,K先生でした。男の先生で,見た目から受ける印象としては,最初の主治医であったG先生と同じくらいの年齢と思われます。体格はG先生よりも一回りくらい大きいかなといった印象。ただし,診察室では医師が立ち上がるということはほぼありませんから,実際に身長がどれくらいかということは分かりません。G先生は入院中から病室に来ていましたので,身長がどれくらいかは把握していますが,それほど背が高いというわけではありませんでした。K先生はG先生よりは大きいと思いますが,G先生の次の主治医だったM先生よりは低いのではないかと思います。そして一回り大きいというのは,身長だけでなく体格全体の意味でもあります。実際にK先生は,今までの主治医で最も肉付きがいいのは間違いありません。ただしそれは,太っているという意味ではないです。また,年齢についても,僕がG先生の診察を受けていたのは5年前のことで,退職後はG先生に会ったことがありません。つまり僕が表象するG先生は,5年前のG先生です。なのでK先生がG先生と同じくらいの年齢に見えるということは,実際にはK先生の方がG先生よりも若いものと思われます。
 この日の診察室が4番であった理由は分かりません。その後も何度かの通院の機会があったわけですが,常にこの4番の診察室が利用されたのかといえばそうではなく,2番の方が多いからです。かつてM先生が主治医であったとき,ハッピーマンデーの影響で通院が木曜日に設定されたことがありました。そのときは5番の診察室が使われたので,僕はそのことを根拠に2番と5番の相違を推測しました。しかしこの日はそれまでと同じ月曜日でしたし,それ以後の通院も一貫して月曜日になっています。2番が使われることの方が多いのは事実なので,基本的に内分泌科の診察が2番で行われているのは間違いないと思うのですが,2番を別の医師が使用して,K先生の診察は4番で行われるというケースも生じています。もっとも部屋自体は対称ですから,こちらの診察室の方がいいとか悪いとかいうことが,僕にとって生じるというわけではありません。
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第四部定理五二&検査と診察

2014-09-13 19:11:13 | 哲学
 「汝自身を助けよ」というニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheのことばと,類比的に語れるような定理Propositioが『エチカ』にはあります。第四部定理五二です。
                         
 「自己満足は理性から生ずることができる。そして理性から生ずるこの満足のみが(acquiescentia in se ipso, quae ex ratione oritur),存在しうる最高の満足である」。
 この定理にとって最も重要なのは,第三部定理七です。どんな事物も,現実的に存在するようになると,その現実的本性actualis essentiaとして,現実的存在の維持に努める傾向を有しますconari。いい換えれば第三部定理六により,それ自身にとって可能な限り,自己の有に固執する傾向conatusを有します。つまり事物がそれ自身の有esseを維持する傾向を有するのは,それ自身のためなのであって,ほかのもののためではありません。このために,人間にとって最高の喜びlaetitiaは,自身の能動actioを観想するcontemplariことによって生じる喜びになります。スピノザはこの種の喜びを自己満足acquiescentia in se ipsoと定義します。だから精神の能動actio Mentis,すなわち理性ratioによって生じる自己満足が存在する最高の満足であることになるのです。
 かつて僕は「他人のため」の否定という考え方を,スピノザの哲学との関係で説明しました。そのときにはそれを,それがもたらす悪影響という,消極的側面から語りましたが,同じことは,この定理からも積極的に説明できるだろうと思います。もしも他人のために動くことが,自己満足と反対の結果effectusをもたらし得るとすれば,その人は,他人のために,最高の満足を失うことになるからです。
 スピノザの哲学では,「隣人を愛せ」と「汝自身を助けよ」は両立すると僕は考えます。しかしどちらが最高の満足,すなわち徳virtusであるかというなら,「汝自身を助けよ」の方なのだといえそうです。
 ここのところには,ニーチェの思想とスピノザの哲学の近似性があると僕は思います。そしてそれを,ニーチェはいかにもニーチェらしいと思えるようなことばで表現し,スピノザもまたスピノザらしいいい方で表現しています。そしてこの表現方法が,同時に両者の差異を表しているように思います。

 この日は通常の検査が終了してから,診察が開始されるまで,かなりの時間を要しました。
 僕は網膜症の検査のために通っています。しかしすべての患者がそうではないということは当然です。ですから診察に要する時間というのは,患者によって差が生じます。診察に長時間を要する患者が多ければ,待ち時間は長くなるのです。さらに,来院するすべての患者が診察を受けるわけではありません。検査だけという患者もいますし,診察も検査もなく,処方箋だけを受け取るという患者も存在します。ですから,僕の前に何人の患者がいるのかということによっては,診察までの経過時間を推定することはできません。この日は確かに空いていたのですが,僕より前に来院していた患者の多くが診察を受け,かつそれに時間を要する患者も多かったので,こういった現象が発生したのだと思われます。
 結果は異常なし。それでも9時半頃にО眼科に到着し,11時10分頃には帰宅できましたから,トータルの時間としては普段よりも短かったことになります。午後は長者町へ。
 4月19日,土曜日。母と妹が美容院へ。日曜日に予約が取り消された分の代替です。予約は午後1時。帰宅したのが午後3時半前。その後,午後4時からピアノのレッスンがありましたので,妹の休日としてはハードな日程でした。
 4月22日,月曜日。内分泌科の通院です。この日の中央検査室はがらがら。先に採血をして採尿。それから院内の食堂で昼食。こういう場合にもやはり果物を口にすることはできません。診察の予約は午後2時。昼食を終えてもまだ少しの時間がありましたので,最寄りのコンビニエンスストアに行ってみましたが,このときは週刊競馬ブックを入手することはできませんでした。
 受付に行ってみますと,診察室が決まっていないと言われました。今までの2番の部屋か,その向いの4番の部屋のなるとのこと。実際に呼ばれたのは4番の方。14時20分くらいになっていました。U先生が担当していたすべての患者の主治医が新しくなるので,時間が遅れるであろうということは想定していたので驚きませんでした。
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王位戦&墓参

2014-09-12 19:03:54 | 将棋
 一昨日,昨日と鶴巻温泉で指された第55期王位戦七番勝負第六局。
 木村一基八段の先手で角換り相腰掛銀。定跡には含まれているものの,あまり見られない仕掛けを羽生善治王位が敢行して戦いが始まりました。
                         
 これがその仕掛け。▲同歩と取らせて△2四銀が一連の手順。そこで▲3四歩と突き出して逃げておくのも,たぶん最も多い受け方なのではないかと思います。対して△2七角と打っていますが,おそらくこの手に期待しての仕掛けであったのではないかと推測します。
 そのまま△3六角成は許せないので受けるほかありませんが,▲4七銀と引きました。△3五銀は継続手といえるのではないでしょうか。先手は▲2八飛と回り,△4九角成を許して▲5八金と寄りました。
 仕掛けは,事前に先手が▲6八金寄としていたために生じた面があり,明らかな手損で指しにくそうなのですが,これでやれるという判断はなかなかのものだったのではないでしょうか。黙して▲2九飛とされれば終了ですから△3九馬はほぼこの一手。▲2七飛と逃げた手に,△4三金左で歩を払いにいきました。
                         
 局面自体はまだ難しいのではないかと思います。仕掛けて悪くならなかったのであれば,仕掛けた価値はあったともいえるのでしょうが,自玉を崩しての攻めなので,明確な戦果がないと,勝ちにくくなっているとも考えられます。後手がリスクに見合った代償を入手したといえるのかどうかが,この局面の課題だといえそうです。
 第2図は封じ手の局面で,実際の勝敗の帰趨はこの後にありました。ただ少しばかり強引なところがあって,それがこれ以降の後手を苦しめた部分があった,そしてそれが勝敗にも影響した可能性はあったように思います。
 木村八段の勝利で2勝3敗1持将棋。第七局は24日と25日です。

 この後,清算に時間を要しました。とはいえ午後2時前には病院を出発。乗ったバスが渋滞に巻き込まれ,薬局でインスリンと注射針を受け取って帰宅できたのは午後3時過ぎ。それでも早かったので,この後さらに長者町へ出ています。
 翌週,3月24日,月曜日。午前中に本牧に行き,午後はオフ。日野公園墓地に父の墓参りに行きました。彼岸だったからです。ひとりで行くのはこれが2度目。約3年前と同様,線香と空のペットボトルを持ってバスで汐見台に。そこからは徒歩。これは運動療法としてのウォーキングの一環です。途中で花を買い,無事に墓参りは終了。やはり前回と同様,来たのとは別の入口から出て,上大岡経由でバスを乗り継いで帰りました。なお,彼岸には塔婆を立てますが,このときの塔婆は母の手配で,お寺に預けてありました。帰国したら母も墓参りに行くつもりだったからです。ですからこのときは塔婆は持っていってはいません。
 4月1日,火曜日。この日に母と妹が帰国。家に着いたのは夜9時半過ぎでした。
 4月6日,日曜日。妹のピアノのレッスン。午後4時からの予定でしたが,10分ほど遅れての開始になりました。この程度の遅れはどうということはありませんが,先生からは直前に電話が入っています。
 4月11日,金曜日。この日に塔婆を持って母と墓参りに。帰国して10日ほど経過してしまったのは,まずお寺から塔婆を受け取らなければならなかったことがひとつですが,僕と母とで日程を合わせるなら,この日まで待たなければならなかったというのが最大のもの。帰りにファミリーレストランで外食。こういう場合に,果物を摂取できなくなるのです。この日も帰宅してから長者町に。
 4月13日,日曜日。母と妹は午後1時から美容院の予約を入れてありました。しかし当日の正午過ぎに先方から電話があり,発熱したので休みにするとのこと。なのでこの日は行くことができませんでした。
 4月15日,火曜日。午前中にО眼科に。この日はこの眼科にしては空いていました。視力検査はいつもはまず裸眼からですが,この日はなぜか矯正視力だけの検査でした。
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テレ玉杯オーバルスプリント&提案

2014-09-11 19:10:25 | 地方競馬
 馬券という観点からは枠順確定前に投了したくなるくらい難しそうなメンバーで争われた第25回テレ玉杯オーバルスプリント
 最内のナイキマドリードが押してハナへ。揉まれるのを嫌う馬なので,これは考えられた展開のひとつ。やはり逃げ候補と目されたエーシンビートロンが2番手に控え,ネオザウイナーが外の3番手。行き脚がよくなかったこれも逃げ候補のセイントメモリーは内で4番手。最初の600mは35秒2でハイペース。
 向正面でアドマイヤサガスが外を一気に上昇。3コーナーでは前をいった4頭すべてを交わして先頭に。これをマークするようについていったのがキョウエイアシュラで,この2頭が並んで直線に。さすがに早めに動きすぎたか苦しくなったのはアドマイヤサガスの方。キョウエイアシュラが交わして先頭に立つとそのまま抜け出して優勝。捲られる形になったものの外から巻き返したエーシンビートロンが2馬身差で2着。アドマイヤサガスは1馬身半差で3着。
 優勝したキョウエイアシュラは重賞初制覇。2009年にデビュー戦,オープンと勝って函館2歳ステークスが2着。その後,重賞で3着が1度はあったものの勝てず,1000万まで降級。その後も伸び悩み,ようやく昨年12月に勝ち上がり,今年の6月に準オープンも勝って再度のオープン入り。若い頃に走って停滞した馬は,復活するのは難しく,稀な1頭といえるでしょう。ただ今日は明らかに展開に乗じたという面があり,これからも上位の存在として戦っていかれるかはまだ微妙ではないかと思います。祖母はミルレーサー。母の半兄にフジキセキ
 騎乗したのは戸崎圭太騎手でオーバルスプリントは初勝利。管理している森田直行調教師は開業が今年の3月。これが重賞初勝利。

 栄養指導の予約は13時半。しかしこちらも13時25分頃には開始となりました。ここ2回ほど,別の方の担当でしたが,この日は正式に僕を担当している管理栄養士が相手でした。
 前回のときにもらった記録用紙に,食事の記録はつけたのですが,この日は記録用紙自体を家に忘れてきてしまいました。ただ,それまでに何度も提出していますし,その内容に問題はなかったですから,これは大したことではありませんでした。食事の内容に変化があったというわけでもないからです。なのですぐに終了となりそうだったのですが,僕の方からひとつの提案をしました。
                         
 糖尿病の食餌療法は,単に摂取カロリーを制限しているだけでなく,栄養のバランスも考慮されています。その一環として,僕は朝には果物を食し,昼には乳製品を摂取していました。これは実は入院中の病院食の流れが影響しています。朝に果物が出て,昼に牛乳というケースが多かったのです。僕の提案というのは,これを逆にして,朝に乳製品,昼に果物とするというものでした。
 摂取する単位,つまり熱量でいえば,乳製品が1.5単位で果物は1単位。すなわち乳製品の方が40kcal多いのです。しかし炭水化物量を計算すると,果物の方が多いということに僕は気付いていました。血糖値は夕食前が最も良好であることが多かったのです。さらに食事記録を取ると,摂取している炭水化物量も,朝食が最多で,ややアンバランスになっていました。血糖値上昇の主要因が熱量よりも炭水化物量であるならば,熱量がアンバランスになっても炭水化物量を均一化させた方がよいと僕には思えましたし,血糖値もその方がより統御しやすいのではないかと思えたのです。
 この提案は管理栄養士に受け入れられました。なので翌日から,原則的にそのような摂取となっています。ただし,昼は家で食べるとは限りません。乳製品は外でも手軽に購入できますが,果物はそうでもありません。なので,そういう場合に,果物を摂取しない日というのが生じることになっています。
 この変更の結果を見るため,次回の通院のときにも,栄養指導が行われることになりました。
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サンケイスポーツ盃戸塚記念&2014年3月の通院

2014-09-10 19:08:01 | 地方競馬
 昨晩の第43回戸塚記念
                         
 トキノセレブが逃げるとみていましたが,最内のエスケイアリュールが先手を主張。枠順の差もあり,そちらに譲ってトキノセレブは2番手。やや行きたがったかノットオーソリティが追い上げるように3番手。最初はこの3頭が後ろを離す形に。1周目の正面でペースが落ちてその差も詰まり始め,4番手は内にスコペルタ。ノーキディングが外に続き,さらに外にマークするようにキットピーク。変則的ですが,全体としてみるならばハイペースでしょう。
 ノットオーソリティは舌を巻き込んだとのことで2周目のバックストレッチで後退。逃げたエスケイアリュールも一杯で,トキノセレブが単独で先頭,外にノーキディングが2番手,さらにキットピークも追いすがって直線に。まずトキノセレブが脱落してノーキディングが先頭。コーナーでは置かれそうだったキットピークが外から巻き返し,一旦は引く形になったスコペルタが最内から伸びてこの3頭の優勝争い。ゴール前でノーキディングを捕えたキットピークが優勝。アタマ差の2着にノーキディング。クビ差の3着にスコペルタ。
 優勝したキットピークは南関東重賞初制覇。ここは上昇馬が多い組合せで,クラシックを戦っていたこの馬は実績的には上位の存在。2着馬も実績上位組でしたので,ここは経験の差を生かしての優勝といえるでしょう。4コーナーで置かれかかったのは,おそらく初めての左回りが影響したものと推測します。ただ,このメンバーでこの着差ですと,すぐに古馬に混じっての南関東重賞では厳しいかもしれません。父はマーベラスサンデー。母の父はサクラバクシンオー。Kitt Peakはアリゾナにある天文台の名称と思われます。
 騎乗したのは期間限定免許で浦和に所属している愛知の岡部誠騎手で,南関東重賞は初勝利。管理しているのは大井の宮浦正行調教師で,戸塚記念は初勝利。

 予約は午後1時でしたが,診察はそれより10分ほど前に開始されました。
 HbA1cがどうなっているかが最大の注目点でしたが,7.8%で,2月の通院のときと同じでした。ただ,血糖値だけでいえば,それまでより改善されていたのは事実で,ランタスを増量した効果があるということは,僕自身は感じていました。HbA1cは過去2ヶ月ほどの血糖値の推移を示します。つまりこのときの検査結果のうちには,増量前の値も含まれていたことになります。HbA1cの値に改善がみられなかったのはその影響だと僕には思えました。さらにいえば,この結果は1年で最も寒い時期のものが含まれています。なので今回は改善されていなかったわけですが,この後はよい方向に動いていくとしか僕には考えられませんでした。このような話をU先生ともしまして,今回はインスリンの増量は行わず,経過を観察することになりました。ただし,数値が悪いのは事実でしたから,次の通院も1ヶ月後に組まれることになりました。すでに説明したように,U先生は3月一杯での退職が決定していましたので,そのときは新しい主治医による診察になります。
 この後,U先生から改めて,炭水化物量,血糖値,インスリンの相関関係の説明がありました。公式だけ示しておきましょう。炭水化物量14gで,血糖値は50㎎/㎗上昇すると見込まれます。ここの部分の数値が中途半端になっているのは,それに対応するインスリンが1単位,すなわち0.01mlだからです。つまりインスリン1単位で血糖値が50,炭水化物量14g分を下げます。この公式に合わせて,注射するインスリンの量を調整した方が,血糖値を良好に保てるし,HbA1cの値もよくなるだろうとのことでした。
 この日はほかには異常はみられませんでした。
                         
 この後で栄養指導です。指導室に向おうとしたのですが,あることに気付きました。新しくなった血糖値測定器一式のうち,測定器はメモリが内蔵されているので,事前に受付に渡します。いつもは診察時にU先生から返却されますが,この日は返してもらっていませんでした。なので受付に戻り,返してもらったのです。
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竜王戦&発作

2014-09-09 19:24:23 | 将棋
 昨日の第27期竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第三局。
 振駒の結果,糸谷哲郎六段の先手で羽生善治名人の横歩取り△3三角。後手が早くに飛車交換を挑み,先手が応じたことで,中盤をすっ飛ばして終盤という将棋になりました。
                         
 先手が叩いた局面で,△同桂と取ったのですが,これ以降は後手が足りないというのが局後の結論になっています。△2五角と打たなければならなかったとのこと。昨晩は観戦していて,非常に面白い将棋だっただけに,この結論には驚きました。第1図以下,長いので手順は割愛して,第2図に進みました。
                         
 先手は△1九飛成か△3七桂を予想。後手は△7三桂は遅いとみて指し手は△1九飛成。そこで▲2三歩と垂らされ,やる手がなくて困ったという後手の感想が残っています。それでも取る手がないなら何らかの攻めを繰り出すほかありません。△1六龍▲3五馬△5四飛と指し,先手は▲6八金と受けました。
                         
 △5四飛は攻防で,▲6八金は受けただけ。最終盤でこういう交換が入れば攻防手を出した方がよくなりそうなものなのですが,この場合には後手に手段がありませんでした。ここに至っては後手が勝つのは困難で,▲6八金が最終的な決め手であったように思います。
 糸谷六段が挑戦者に。またこれにより七段に昇段。タイトル戦は初出場。第一局は来月16日と17日,ハワイで指されます。

 観劇の後,保護者による昼食会が予定されていましたが,母はこれには出席しませんでした。午後から整体の予約が入っていたためです。通常は火曜日か木曜日で,この週も前日の木曜日の予約だったのですが,先生の都合でこの日に変更になっていたのです。
 3月8日,土曜日。この日は妹の土曜出勤でした。午前中は施設で懇談。その後,弁当を買いに行って施設で食べ,午後からは三渓園での散策でした。
 3月9日,日曜日。母と妹は美容院へ。13時の予約で,帰ってきたのは15時45分くらいです。
 3月10日,月曜日。妹の遺伝科の通院。通常に比べて間隔が短かったのは,前回の脳波の測定の結果が出ていたためです。癲癇の発作は,小さいものは出ているのだそうです。でもそれは発作にカウントしなくてもよいという程度のもの。実際,以前は発作で横になってしまうというようなケースがありましたが,最近はそういうことは皆無です。ですからカウントしなくてもよいという説明は,非常に納得のいくものでした。また,鉄剤の処方半減されたとはいえ続いていました。貧血も明らかに改善されてきているとのことでしたが,朝に1錠の服用は継続することになりました。帰ってきたのは午後2時半くらい。僕はこの日は屏風浦に行っていまして,近いですが戻ったのは午後4時15分頃でした。
 3月14日,金曜日。この日に母と妹がアメリカに飛び立ちました。成田を夜に出発するシンガポール航空の便で,家を出たのは午後2時前。この日の夕食から,しばらくは僕ひとりでの日本での生活になりました。僕はこの日は日野に行ったのですが,思いのほか早く,午後4時前に帰ることができました。
 3月17日,月曜日。内分泌科通院がありました。この日は診察の予約が午後1時と,早くなっていましたので,ここ最近よりは1時間ほど早く家を出て,病院に到着したのは午前11時45分頃。中央検査室では3人ほどの患者が待っていましたので,先に採尿を済ませてから採血となりました。前回から新しくなったアームバンドを巻いてもらい,食堂へ。食事を済ませたらすぐに内分泌科の受付に向いました。
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頭脳勝負&出っ歯

2014-09-08 19:15:25 | 将棋トピック
 将棋関係の書籍の紹介の第二弾は渡辺明の『頭脳勝負』。2007年11月10日、ちくま新書として発刊。僕が所有しているのは第一刷なので、発行直後に購入したものです。
                         
 選手と同様の身体能力を有さない人間がプロスポーツを観戦するのと同様の仕方で、棋士と同様の知的能力を有さない人間が将棋を観戦してもよいというコンセプトを前提に、そこにどのような楽しみ方があるのかを、観戦されるプロの立場から解説するという内容。おおよそプロ棋士の著作としては異色の内容で、意欲作といえると思います。
 僕が圧巻に感じたのは、自身の実戦の観点から解説した第四章。
 第19期竜王戦七番勝負第三局は、最終盤で絶妙手を指して勝った将棋。その手を指す前後の自身の精神の動きが克明に記されています。また、相手のおそらくは無意識の呟きを、どのように解したのかも説明されています。
 第78期棋聖戦五番勝負第四局は、偉大なる悪手が指された将棋。その手が指されたときの驚きの様子、▲7五角という応手を選んだ理由、それに対する相手の雰囲気が、昼食休憩を挟んで明らかに変化したのを感じたこと、休憩後の3手目に考えていなかった手を指され、その変化の理由を理解したことなどが赤裸々に語られています。
 これらから理解できるのは、著者である渡辺二冠の将棋観は、盤上の駒の戦いであると同時に、駒を動かす人間同士の戦いであるという点を重視していること。あるいは少なくとも、この当時はそうであったということです。最近の渡辺二冠は、僕にも分かりやすく新しいスタイルの確立に取り組んでいます。ことによると将棋観にも変化が出るかもしれません。若き日の渡辺二冠の将棋観を示す著作としての記録的価値も、この本には含まれていると思います。

 外見を気にしないのが昔からであったかというと,そうではありません。僕は歯並びが悪いのです。いわゆる出っ歯というやつ。僕にとってこれはコンプレックスのひとつでした。少なくとも高校に入学した頃はそうでしたから,その当時は外見を気に掛けていたことになります。コンプレックスという意味ではこの当時が一番ひどく,たとえば電車の中で笑い声がしたりすると,自分の容姿が笑いの対象になっているのではないかと疑ってしまうほどでした。今から考えればそれこそ僕自身が笑ってしまうような被害妄想ですが,僕にも確かにそういう時代というのはあったのです。
 いつからかは分かりませんが,学生生活を送るようになった頃には,それはコンプレックスではなくなっていました。なので僕が外見に気を使わなくなり始めたのも,その頃だったといえそうです。面白いもので自分で気にしなくなりますと,相手も気にならなくなるようでした。当時のアルバイト先の同僚からは,歯並びが良いと言われたことがあったくらいです。どこをどう見ているのかと言いたくなりますが,当人が思っているほど他人は当人のことを見ているわけではないということは,一般的に妥当するのかもしれません。
 2月28日、金曜日。妹が卒業した養護学校の保護者の会というのがありました。これは書くのは初めてかもしれませんが,概ね3ヶ月に1度ほど開催されているもの。といっても正式な会合ではなく,保護者の同窓会のようなもので,単なる昼食会です。都合がつけば母は参加していて,この日も出掛けて行きました。
 3月4日,火曜日。妹が2泊3日のショートステイへ。南区内の施設を利用。この月のショートステイの利用が,定例よりも早まったのは,この後,母と妹の渡米が予定されていたためでした。
 6日に妹は帰り、翌7日の金曜日に,施設で賛美礼拝という行事が開催されました。これは母も参加しています。午前中は利用者による演劇。50年前から現代までの歴史劇だったということです。妹は東洋の魔女を演じたとのこと。ただ,イエスの生誕劇と同様で、事前に説明があったからそう理解できたようです。
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ナスターシャと鞭身派&外見

2014-09-07 18:50:56 | 歌・小説
 『ドストエフスキー 謎とちから』には、ナスターシャの処女性に関して、宗教的な観点からの言及があります。異端派のひとつ、鞭身派とナスターシャを結び付ける読解です。
                         
 ナスターシャの父はフィリッポフという名前です。これが鞭身派の開祖の名と同じ。つまりナスターシャ・フィリッポブナという彼女の名前からは、鞭身派の開祖の娘という読解が可能です。
 ナスターシャがトーツキイのになった理由は、幼い頃に火事で家を焼け出されたからでした。一般に鞭身派の儀式、文字通りに身体を鞭で打ち合うことですが、これは風呂で行われることが多かったそう。ナスターシャの家で儀式が催され、風呂のかまどから失火して家が焼けた可能性すら否定できないと書かれています。
 僕は異端派について詳しい知識を持ち合わせているわけではありません。ですからこうした読解について何かいうことは危険であるとは思います。ただ、この読解にはかなりの無理があるのではないかという疑問を感じずにいられないのは事実です。
                         
 ただし、『白痴』のテクストとの関係では、気になる部分というのもあるのです。ムイシュキン公爵がナスターシャに求婚する場面で、ムイシュキンはナスターシャが純潔であると言った後、ナスターシャは地獄の中から清らかな姿で出てきたという主旨のことを言うのです。これを言うとき、明らかにムイシュキンの意識のうちには、ナスターシャが囲われていたトーツキーから解放されたというだけの意味が含まれているようには思えないのです。でも、ムイシュキンがナスターシャにとっての地獄として何を意味しようとしていたのか、それはあまりよく分からないのです。
 鞭身派の儀式というのは、男女が入り混じり、乱交状態になることもあったようです。性的不能者であるムイシュキンが、それを地獄とみなすことは大いに考えられます。まして彼のことばは、そこからナスターシャが清らかな姿で出てきたと続いているからです。ここに何らかの隠れた意味があることだけは間違いなく、鞭身派がそのひとつであり得るということは、否定できないのかもしれません。

 厳密にいえば、僕はその時点ですぐにこれを円形脱毛症であると判断したわけではありませんでした。
 僕は頭頂部を裂傷したのを契機に、坊主になりました。その傷跡は現在でも残っていて、そこからは毛髪は生えてきません。つまり部分的に毛が生えてこない要因としては、精神的なものだけでなく、物理的なものもあるということになります。僕の家の鴨居などの高さは、僕の身長に対しては十分であるとはいえません。そのために家の中で、頭をぶつけてしまうということはよくあることでした。なのでこの時点では、そうした要因によって髪が生えなくなったという可能性を完全には否定できなかったのです。これが確かに円形脱毛症であったと判断したのは、時期でいえばゴールデンウィークの頃。その頃からまた髪が生え始めたのです。物理的要因であれば、こんな短期の間で回復するとは考えられません。ですからあれは精神的な要因で生じた円形脱毛症であったと今は判断しているのです。現在は完全に生え揃っていて、どの部分が脱毛していたのかも分からないくらいです。
 このことから理解してもらえると思えますが、円形脱毛症を発症したからといって、僕は何の対策も講じませんでした。僕は自分の外見がどうであるかということについてはほとんど興味がないからです。脱毛に悩んでいる方には申し訳ないのですが、坊主とはいっても手入れは必要ですので、どうせなら全体が脱毛してしまえば楽だと思っていたくらいだったのです。見た目があまりよろしくないということは自分でも分かっていますが、別にそれで自分の生命が脅かされるわけではありません。またそれを他人からどう思われるかということも気になりません。あるいはもしもそうしたことでだれかに嫌われるということがあったとしたら、一般的にその人は外見から人間を判断するのであり、そうした人に嫌われるのは、その人と付き合わなくてよいだけ好ましいと思えるのです。ですから身体だけに限った話ではなく、僕はファッションにもほとんど興味がありません。喪服がそうであったように,必要なら買いますが、それ以外の理由で服を買うということはありません。自分でも極端に過ぎると思いはしますが、現状の性格的なものなので仕方がないのです。
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印象的な将棋⑨-1&円形脱毛症

2014-09-06 19:07:08 | ポカと妙手etc
 佳境に入っている今期の銀河戦にも、印象的な将棋がありました。Dブロックの10回戦より。
 谷川浩司九段と丸山忠久九段の対戦で、谷川九段の先手。なので一手損角換り4になると予想。しかし初手は▲5六歩。
 僕にとっては意外でしたが、最近の谷川九段は先手の中飛車を指していますから、あり得る展開。事前の予想はあまりに独断的でした。以下、△3四歩▲5八飛。
                         
 第1図から後手には主に3通りの対応があるというのが僕の認識。ひとつは△8四歩と突いて先手の5筋位取り中飛車を許す指し方。次に△5四歩でそれを阻止する指し方。最後にたとえば△3五歩などで相振飛車を志向する指し方。この将棋は△5四歩でした。先手は角道は開けずに▲4八王。次の一手が驚きでした。△5二飛です。
                         
 僕は子どもの頃から居飛車党ですが、例外的に相中飛車を指すことがありました。K伯母の夫の中飛車の攻めが強力すぎて、そうしないと当時は受け止められなかったからです。しかしプロの将棋で相中飛車というのはとても珍しい戦型。どのように推移するのか興味津々でしたが、ここから思わぬ展開になっていったのです。

 講習が終ったのは午後3時頃。清算を済ませて帰途に薬局で処方されたインスリンと注射針を入手。帰宅したのは午後4時15分頃のことでした。
 2月19日、水曜日。バスの定期券を新しくしました。母が入院したのを機に最初に買ったのが1ヶ月の定期券。以降はずっとそれを継続して買っていました。それをこの日から、3ヶ月のものにしたのです。
 当然ながら期間が長くなるほど、割引率は高くなります。ですからずっと使うということが分かっているなら、1ヶ月よりは3ヶ月、3ヶ月よりは半年の方が得です。ただ僕は未来のことに確かなことはないという考え方ですので、将来のことは、先になればなるほど考えません。1ヶ月の定期をずっと使い続けていたのは、そうした理由から。たださすがにこれだけ使い続けているなら、3ヶ月にしても大丈夫だろうと思えましたので、新しくしました。当分の間はこれでいくでしょう。いずれはまた1ヶ月に戻すことになるかもしれませんし、あるいはさらに半年のものに移行するということもあるかもしれません。
 2月22日、土曜日。この月2度目となるピアノのレッスン。この日は午後5時からでした。時間がまちまちになるのは先生の都合で、こちらから何か要望を出すということはありません。
 2月23日、日曜日。ガイドヘルパーを利用。この日もカラオケ。いつもの本牧町のカラオケボックスでした。
 2月24日、月曜日。夜のことですが、テレビを視ながら何気なく頭部を触っていたら、毛がない部分があるように感じられました。僕は坊主ですから、短くなっているというのではなく、文字通りに毛がなく、頭の皮膚に手が直接的に触れているような感覚です。洗面台の鏡と手鏡も使ってよく調べてみると、頭頂部のやや左側に、無毛状態の部分があることが確認できました。いわゆる円形脱毛症というものです。
 これは一般的には心的ストレスが原因でなるといわれています。僕はあまりストレスを感じるような生活を送っているとは思えませんでしたが、知らないうちに精神に負荷が掛かっていたということなのでしょう。
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王座戦&血糖値測定器一式

2014-09-05 19:28:06 | 将棋
 大阪で指された昨日の第62期王座戦五番勝負第一局。対戦成績は羽生善治王座が3勝,豊島将之七段が2勝。
 振駒で羽生王座の先手で相矢倉。すごくきわどい終盤戦になりましたが,後手に疑問手が出て,あっという間に差がつきました。
                         
 これがその局面で,先手が4一にいた飛車で桂馬を取ったところ。ここでは△7一歩と打てば先手が僅かに指せるながらも難解,△3ニ金なら優劣不明であったようです。
 実戦は夕食休憩を挟んで△6六歩と打ったのですが,結果的に一手パスに等しくなってしまいました。▲3一銀は王手なので△1三玉と逃げなければなりません。▲9二龍は詰めろなので△同香の一手。▲2一飛も詰めろなので△3ニ金と受けるほかなく,そこで▲6九金と銀を取られました。
                         
 これも詰めろなので受けるほかありませんが,こうなってしまうと後手に勝ち目はなくなったといえそうです。以降,一手一手の寄りとなりました。
 羽生王座が先勝。第二局は18日です。

 新しくなった血糖値測定器の一式を紹介します。
                         
 血糖値を測定するのですから、必要とされる種類は同じです。画像の中央にあるのが血液を出すための注射器。その下にあるのが針です。今回から、この注射器には大きな変更点がありました。従来のものは、打とうと思えば何度でも打つことが可能でした。ですから打って、出すことができた血液の量が十分でないと判断した場合、また同じ針を使用するということがありました。ですが今回の注射器は、針を打ってしまうと同じものを再び装着することができないような仕組みになっています。なのでそのような失敗をした場合には、また新しい針を使用することになります。
 測定時に、センサーに血液を注入しても、量が不足で測定器がエラーを示す場合があります。こういう場合、これまではセンサーを新しいものに変え、針は同じものを使用していたので、センサーの方が先に減りました。この日からはこういう場合には針も同じように減り、注入前に打ち直す場合が生じることになるので、針が減る方が早くなることになります。
 右側にあるのがセンサーの入れ物で、その下にあるのがセンサー。センサーはこれまでは1枚ずつ封入されていましたが、今回からは容器に15枚が封入されています。渡されるときは、この容器が2本ずつ、さらに大きな箱に封入されています。そうされていないと持ち帰るのには大変です。
 測定器自体はそれまでのものより大きくなったのですが、センサーの大きさにはさほどの変化がありません。つまり注入しなければならない血液の量は、コンパクトだった従来のものとほとんど変りません。
 それまで使用していたものの残量はありました。しかし測定器と注射器はこの日のうちに病院に返却し、この日の夜からはこの新しい血糖値測定器一式を使うようになっています。これは測定器に記録が残る仕組みのためです。
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合同興行&次回の通院

2014-09-04 19:11:53 | NOAH
 馬場が大巨人と初めてタッグを結成したのは1990年4月13日の東京ドーム大会。全日本プロレスと新日本プロレス、そしてWWFの合同興行でした。このときWWF側の交渉の全権を任されていたのが佐藤昭雄。この興行の経緯についても佐藤はインタビューで明かしています。
 佐藤が準備のために帰国したのは1989年1月。まず馬場に会いました。佐藤は全権を委任されていましたが、過去の立場からしてまずは馬場に会いにいくべきだと考えたようです。ただ、このときの佐藤の頭の中には、WWFと全日本プロレスで合同興行を開催し、もしも馬場が断ったら、新日本と交渉して、新日本との合同興行を開催するという考えがあったようです。
 佐藤との会談の中で、馬場の方から、全日本とWWFだけでなく、新日本も一緒にやろうという提案がありました。新日本とは馬場の方から話をするとのこと。当時、新日本は坂口が社長で、猪木や長州がトップであったならこうしたことはあり得なかったと僕は思いますが、馬場と坂口はそれほど険悪な関係ではなかったので、馬場もこうした提案をしやすかったのでしょう。
 ここから話はとんとん拍子で進み、28日にはWWFの社長だったビンス・マクマホンが全日本のリングに登場。翌日に馬場、坂口、ビンスの3人で記者会見が行われました。
 マッチメークに関して、WWFから日本側には注文はなかったと佐藤はいっています。馬場がカードについて佐藤に尋ねたとき、佐藤がアンドレとのタッグを提案すると馬場はにっこりと笑ったとのこと。おそらくそれが馬場にとって最も望んでいたことであり、佐藤にもそのことがよく分かっていたのでしょう。
 合同興行の直後に天龍源一郎が全日本を離脱。天龍が移籍したSWSがWWFと提携することになりました。それが11月のこと。佐藤はこのときも事前に馬場を訪ね、WWFとの提携をもちかけたそうですが、天井を向いて葉巻の煙を吐くだけで無言。佐藤はすべてを察し、馬場のもとを立ち去りました。
 WWFにとっては分かりませんが、この提携を拒んだことは馬場にとっては正しい判断だったといえるでしょう。そうでなければ最良の時代を迎えることはなかったであろうからです。

 次回の通院は1ヶ月後に設定されました。通常は2ヶ月後ですから、期間が短くなったことになります。これはHbA1cの値が悪かったため。そしてもうひとつの事情もありました。U先生が3月一杯で,みなと赤十字病院を退職することになったのです。したがって、それまでと同じ間隔での通院となると、4月になりますから、新しい主治医が担当することになります。もしも検査の結果に異常がなかったなら、そういうふうになったでしょう。しかし今回は結果が悪く、そのために注射するインスリンを増量するという措置を講じました。ですからU先生としても、すぐに新しい主治医に引き継ぐよりも、もう1度、自身で診察したいということだったのです。なのでもしもU先生の退職ということがなかったなら、2ヶ月後の通院ということになっていたかもしれません。
                         
 そしてこの日から、また血糖値測定器が変更されることになりました。血糖値測定器具一式が変更されたのは、2012年の12月の通院のとき。まだ1年半も経過していなかったわけですから、再度の変更には多少の驚きがありました。こういうのは病院側の事情によるものと思われますから、その理由は定かではありません。患者としては指示に従うよりないところです。ただし、患者からの都合でいえば、ひとつだけ考えられることはあります。このときまで使用していた測定器は、従来のものと比較したなら、だいぶコンパクトになっていました。ただし小型化されることは、一概に利便性が高まることを意味するわけではありません。針の着脱などで使い勝手が悪くなったと感じた患者はおそらくそれなりにいた筈で、もう少し大きなものを要望する声があり、それに応えたという可能性は皆無ではありません。ここからお分かりのように、今度のものはまた大きなものになっています。
 この変更のためにまた講習が必要となりました。前回と同じように、奥の処置室で。このときは看護士が対応しました。測定の方法は同じです。また、測定器の内部にメモリがあって、通院のときに測定器を渡すと、結果が自動的に出てくるのも同様。つまり自己管理ノートが僕だけに必要なものであるという状況に変化はありませんでした。
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竜王戦&2014年2月の通院

2014-09-03 19:24:02 | 将棋
 昨日の第27期竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第二局。
 羽生善治名人の先手で糸谷哲郎六段の一手損角換り1-Ⅰに。先手が棒銀,後手が四間飛車から右玉になりました。一言で僕の印象をいえば,先手の寄せの構想に瞠目の将棋でした。
                         
 後手が銀を4六から引いた局面。ここで▲4五歩。これには△3三角の一手であったと思います。それから▲5六金△同銀で銀を入手しておいて▲3五歩。△5五角が一時的に先手ですが,▲2六飛で後手を引くためでしょう,△4五金と交わしました。▲3四歩と突き出し△5五角に▲2四飛が流れるような手順。△8二飛の銀取りに▲7四銀と捨ててしまい,△同玉に▲3三歩成の空き王手を掛けました。
                         
 まだ大変そうにも見えるのですが,これで決まっているようです。後手は31分の考慮で△8三玉でしたが,以下は先手が寄せきりました。
 羽生名人が勝って1勝1敗のタイに。第三局は8日。明日は王座戦があり,羽生名人にはタイトなスケジュールです。

 少し前後しますが、この日は栄養指導が14時からで、診察の予約が14時半になっていました。その診察は、ほとんど待つことなく開始されました。
 悪化していたといったHbA1cですが、具体的な数値は7.8%でした。前年の12月の通院のときは6.7%であったわけですから、一気に1%以上も上昇していたことになります。食事もその他の生活も、とりたてて変化があったわけではありません。ただ、とくに朝の血糖値が高いという日が多く、あるいはこのくらいの結果が出ることもあり得ると思っていました。ただ、なぜ高くなるのか、はっきりとした理由は分かりません。睡眠不足が血糖値に悪影響を及ぼすことは、経験的に分かっています。どうしても遅くまで起きていなければならないという日は生じてしまいますが、眠れる場合には早めに横になるように心掛けてはいました。それでも朝の血糖値が、前夜の血糖値よりも高くなってしまうということが、何度も生じたのです。
 このあたりの話は、U先生ともしました。血糖値はストレスとも関係するので、冬の寒い朝に起きることがストレスとなり、血糖値が上昇するということはあり得るということでした。ただあくまでもこれは可能性であって、原因がそれであったかは不明です。
 ただ、この値は異常に高い。ということで、夕食前に注射しているランタスの方を、0.07㎎から0.08㎎に増量するという措置を取ることにしました。
 この日のオーダーでその他で異常があったのはふたつ。ひとつは中性脂肪で、47㎎/㎗と、正常値を少しだけ下回っていました。ただこの程度の値はそれまでにも出ていたことがあり、気にするようなものではありません。前年10月の通院のときが同じ47、12月は81と一気に増え、また47ですから、こんなに増減するものかという驚きはあります。もうひとつがクレアチンキナーゼ。昨年4月の通院のとき以来の異常です。この日は207U/Lでしたので、そのときよりも高く、過去最高値。ただし、これは次の検査のときからはまた低くなっています。どういうときに高くなるのか、僕には把握できていません。
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哲学者たちのワンダーランド&アームバンド

2014-09-02 19:16:42 | 哲学
 『デカルト、ホッブズ、スピノザ』のように、スピノザ以外の思想家にも言及している上野修の著作には、『哲学者たちのワンダーランド』があります。
                         
 『デカルト、ホッブズ、スピノザ』が論文集であるのに対し、こちらは書き下ろし。ですから最初から最後まで話が続いています。取り上げられているのは順番にデカルト、スピノザ、ホッブズ、ライプニッツの4人。ただ、ホッブズの最後のところで、スピノザに関する言及が再出現します。
 これには次のような事情があると考えられます。デカルトとスピノザはまず哲学者です。ライプニッツもまあ哲学者と表現するのが最適でしょう。しかしホッブズの思想は、哲学者としての思想というより、政治学者としての思想という面が色濃く出ています。実際、ホッブズの規定は、一般的には哲学者というよりは政治学者でしょう。
 『デカルト、ホッブズ、スピノザ』の方を読んでも分かるのですが、上野は政治論としては、ホッブズのものよりもスピノザの方に高評価を与えています。したがってこちらの著作でも、ホッブズについて言及するときに、政治論を外すという選択はあり得ず、しかしホッブズの政治論について言及するなら、スピノザと比較しないわけにはいかなかったのでしょう。
 ライプニッツについては、上野は修復の哲学者と規定しています。この規定は、部分的には宮廷人という規定に重なり合うだろうと僕は思います。というのは、ライプニッツは宮廷人であったからこそ、デカルトやスピノザ、ホッブズが壊していったものを修復する必要に迫られたともいえるからです。
 ただ、最後の方で上野がいっているように、ライプニッツが修復しなければならないと考えた事柄は、デカルト、スピノザ、ホッブズにとっては、ライプニッツがそう考えたように、修復しなければならないような事柄ではなかったのだし、ライプニッツが危惧したような危険なものでもなかった筈です。この意味において、上野はライプニッツは反動的だったといっていますが、それは確かな判断であるように思います。

 2月12日、水曜日。妹の歯科検診。この日はクリーニングだけでした。
 2月14日、金曜日。妹が作業所を欠勤しました。これは体調の問題ではなく、雪が降ったためです。送っていくのも大変ですし、ひとりで帰ってくるのも大変。妹は以前に雪で滑って転んだことでもあったのか、雪の日に外出することを極度に嫌がります。
 2月15日、土曜日。この日にピアノのレッスンが組まれました。先週の雪で中止にした回の代替です。午後2時からでした。
 2月17日、月曜日。この日からこの月のショートステイ。2泊3日で、磯子区内の施設でした。
 そしてこの日は、僕の内分泌科への通院の日でもありました。中央検査室に待っている患者はありませんでした。なので先に採血。この日から、注射後に巻くアームバンドに変更がありました。それまではブルーのゴム製で、使用後に専用の入れ物に返却していました。返却されたアームバンドは使い回されていたものと推測します。この日からはそれが白い包帯状のものに変わりました。使用後は、各科の受付に備え付けられている専用のごみ箱に捨てることに。つまり使い捨てになったわけです。このアームバンドを巻いてもらい、採尿、注射針の処理と済ませて院内の食堂に。この日はパンをオーダーしたのですが、予期していたより少量でした。これでは低血糖を発症することが必至と思えましたので、少し食べ足しています。
 先に栄養指導でしたので指導室へ。担当されたのは前回のときと同じ管理栄養士でした。このときも食事の記録をつけていき、その内容には問題はないとのことでした。ただし、次回の通院のときにもまた栄養指導を行うことになりました。詳しい検査結果については後で示しますが、この日はHbA1cの結果が悪かったのです。検査の結果はこのときにはすでに出ていて、管理栄養士はそれを知ることができたのです。なのでまた食事の記録を記入する用紙をもらいました。
 HbA1cの悪化については、僕は血糖値を計測していますから、ある程度は予期できていました。それに寒い時期になると血糖値が高くなるのは例年のことで、とくに心配はしていませんでした。
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エッジヒル夫人&予定通りに雪が降る

2014-09-01 19:17:25 | 歌・小説
 留学中の漱石の知り合いに、エッジヒル夫人がいました。漱石はしばしばお茶に招かれたようです。
                         
 日記に最初に登場するのが1901年2月16日。お茶の招待がありました。続けて、行かねばならぬ、厭だなーとあります。つまり漱石にとって、あまり会いたくない人物だったのです。会うたびにキリスト教の説教を聞かされていたからだと思います。
 4月17日付に、また招待のことが書かれています。このときはノット夫人も同席していました。エッジヒル夫人からキリスト教の説教を承ったので、仕方がないから自分の思うことを述べたとあります。あるいは船内での論争と同じようなことがあったのかもしれません。
 断片と思われますが、内容も記されています。エッジヒル夫人は祈る気にならないかと問いました。漱石は祈るべき対象は存在しないと答えます。夫人はその答えに、この至福を知らないとは情けないといって泣きました。漱石は気の毒に感じました。夫人が漱石のために祈ろうと言ったので、漱石はよろしくとお願いしました。夫人はその代わりに約束をしてほしいと言います。漱石は夫人が自分のことをそこまで思ってくれるのだから約束すると答えました。夫人の申し出は、漱石が福音書を読むことでした。漱石は、気の毒だから読みましょうと答えました。別れ際に夫人は約束の念押しをします。これからゴスペルを読むんだ、という文章でこの日の日記は終っています。
 漱石にとって福音書を含め、聖書を読むことは、そんなに苦ではなかった筈です。ノット夫人からもらった漱石の聖書に多くの書き込みがあったという事実がそれを裏付けるでしょう。ただ、ノットは聖書をあげても、説教をすることはありませんでした。だから漱石とノットは良好な関係を築けました。エッジヒル夫人は説教をするので、漱石にとってはあまり付き合いたくない人物であったのでしょう。つまり漱石のキリスト教に対する印象は、こういった説教によって、むしろ悪化したといえるように思います。

 2月5日、水曜日。母がI歯科へ。クリーニングです。
 2月7日、金曜日。妹の三者面談。年度末に向けての総括と、来年度の予定を話し合うため。作業終了後の午後4時から予定されていて、母がそれに合わせて出掛けました。といっても僕は伊勢佐木町に行っていましたので、母が出掛けたのを見たというわけではありません。ふたりが帰宅したのは午後5時50分頃。このときには僕が先に帰宅していました。とりたてて特別の内容はなかったようです。
 2月8日、土曜日。ピアノのレッスンが予定されていましたが、こちらから断りました。大雪でしたので、先生が来るのに大変だろうと判断したため。関係ありませんが、僕はこういうことを書く場合に、「予定通りに雪が降る」といいたくなるのです。「吹雪」でいった枕詞とか結語というのは、たぶん意味不明だったと思いますが、具体的にはこういうことです。
 2月9日、日曜日。母と妹が美容院に。午後3時過ぎには帰ってきました。あまり早く帰ってきますとまた具合でも悪くなったのではないだろうかと心配になりますが、この日はふたりを同時にカットしてもらえたので早くなったとのこと。あるいは前日の雪の影響があり、予約を取り消した方がいらっしゃったのかもしれません。
 2月10日、月曜日。こども医療センターへの通院。午後1時から。この日は脳波の測定も行いました。帰ってきたのは午後3時半頃。土曜日に降った雪の影響があり、この日は僕は午後はずっと家にいました。母によると、行くときに乗った神奈中のバスが故障してしまい、途中で降ろされるというハプニングがあったようです。医療センターを経由するバスは、横浜駅から戸塚駅へ向うものは30分に1本。ですが井土ヶ谷より先まで行けば、東戸塚行きが出ています。そちらに乗り換えることができたので、予約時間に遅れてしまうということはありませんでした。
 2月11日、火曜日。ESTAの申請を行いました。翌月に母と妹が渡米することになったため。前回の申請から時間が経過し、期限が切れていたようです。相変らずクレジットカードはありませんので、伯母のものを使うことになりました。
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