スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典黒船賞&総講

2022-03-16 20:16:55 | 地方競馬
 第24回黒船賞。ピンシャンが出走取消となり11頭。松山騎手が乗る予定だったサクセスエナジーは土曜日の9レースで落馬し負傷したため吉原騎手に変更。
 あまり激しい先行争いとはならず,ラプタスが逃げて2番手にヘリオス。3番手がイグナイターとサクセスエナジー。5番手にダノングッド。6番手にモズヘラクレス。7番手にトーラスジェミニ。8番手にサンライズナイトとグレートコマンダー。5馬身差でナラ。最後尾にメイショウオオゼキで発馬後の正面を通過。ミドルペースでした。
 前の隊列には変化がないまま3コーナーに。ラプタスの外にヘリオスでその外にサクセスエナジー。直線の手前でラプタスの内に進路を取ったイグナイターが先頭に。さらに5番手から一番内を回ってきたダノングッドが2番手に上がって直線。イグナイターはそのまま抜け出して快勝。ラプタスは一杯になり,ヘリオスとサクセスエナジーは外から並んで伸びてきて,ヘリオスはダノングッドを差し返して1馬身差の2着。コーナーワークを最大限に生かしたダノングッドがクビ差で3着。距離のロスが響いたサクセスエナジーはクビ差で4着。
 優勝した兵庫のイグナイターは重賞初勝利。ただ兵庫ゴールドトロフィーで3着に入っていて,そのときの勝ち馬でこの路線では実力上位のテイエムサウスダンが不在のメンバー構成でしたから,ここでは有力候補だと考えていました。逃げたラプタスの進路取りが結果に大きな影響を及ぼしたのは間違いありませんが,逃げずに重賞で結果を出したのは大きな成果といえるでしょう。父はエスポワールシチー。4代母がファーザの祖母。Igniterは点火器。
 騎乗した兵庫の田中学騎手は2014年の兵庫ジュニアグランプリ以来となる重賞2勝目。管理している兵庫の新子雅司調教師は2018年のサマーチャンピオン以来となる重賞4勝目。第20回以来4年ぶりの黒船賞2勝目。

 10月2日,土曜日。お寺の総講に行きました。
 総講についてはもう少し詳しく説明しておきましょう。
 お寺の住職は現在は東京に住んでいます。つまり基本的にはお寺にはいません。いるのは檀家の法要がお寺で営まれる場合を除くと,お会式と総講がある日ということになります。住職がいないときは,別の寺の僧侶が滞在していますので,お寺に僧侶が不在になるということはありません。現在はふたりの僧侶が交替でお寺に来ています。総講の日はそのふたりの僧侶が共にお寺に来ます。つまり読経は住職も含めた3人で行われます。お会式のときもそれは同じですが,お会式のときはさらに別の寺の住職も来るという場合があります。彼岸会だと3人のことが多いですが,それ以外のお会式だともっと人数が増えることが多いということは,僕の経験からはいえます。
 総講は現在は月に5回で,毎月2日,8日,13日,17日,25日です。このうち17日は朝参詣といって,午前6時半からで,それ以外は午前10時半からですが,事情によって朝参詣になることもあります。後に僕もこの時間の変更によって,総講に参加できなくなったことがあったのですが,それについてはそのときに記します。
 もっと年をとったら分かりませんが,僕は今は朝の6時半からお寺に参詣する気にはなれません。ですから17日の総講に出掛けることはしません。また,妹が家にいる日も行きません。総講というのは読経だけでなく,読経後の住職の法話まで含めていうのですが,その法話が終わるのに概ね2時間はかかります。なので10時半からの総講に出ると,帰宅するのは早くても午後1時になります。その時間まで妹をひとりで家に置いていくわけにはいかないからです。また妹を送る日は総講の開始に間に合いません。また,迎えに行く日は行って行かれないことはありませんが,あまりに忙しくなるので行きません。それ以外に僕自身の事情というのもありますから,僕が参詣することができるのはそう多くないのです。この日は妹が不在の土曜日で,僕にもほかの用事がありませんでしたから,参詣することにしました。参詣した日は会堂の納骨堂にも行きます。
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炎の七番勝負&2021年9月の通院

2022-03-15 19:06:48 | 将棋トピック
 藤井聡太の棋士デビューとAbemaTVの将棋チャンネルの開設が組み合わさった追い風というのは,炎の七番勝負のことです。これは2017年4月から放映された番組。収録はもっと早かった筈ですから佐藤が新会長に就任した後に企画されたものなのか,その前に企画されていたものであったのかは分かりません。チャンネルの開設が2月でしたから,開設後に企画されたのだとすれば,佐藤が会長となった後の企画だったことになります。
 番組の内容は,藤井が7人の棋士と対戦するというもの。相手は増田康宏,永瀬拓矢,斎藤慎太郎,中村太地,深浦康市,佐藤康光,羽生善治という錚々たる面々でした。デビューしたばかりの棋士を主役とする,これほど大掛かりな企画というのは異例で,その意味でかなり思い切った決断だったと思います。企画としては考えられる内容ですが,将棋連盟がこの企画にゴーサインを出したのは,僕にとっては意外でしたし,英断であるようにも思えました。
 僕は最初にこの企画を知ったとき,無茶なことをすると思いました。僕は藤井どれほどの棋士であるのかということを見誤っていたために,将来的に大成する棋士であるのは疑い得ないとしても,すぐにこれだけの棋士との対戦となると,善戦するのも難しいのではないかと思ったからです。藤井の師匠である杉本昌隆は,藤井が7連勝しても驚かないと言っていましたが,この時点で藤井にそれだけの力があると理解していた将棋ファンはほとんどいなかったのではないでしょうか。
 藤井はこの企画で6勝1敗という成績を修めました。これで僕は,本当にすごい棋士が現れたのだということを知ったのです。おそらく多くの人も同様だったと思います。藤井はこの時点で公式戦では負け知らずでしたが,棋士として実績を出していたというわけではありません。その実績の何もない棋士が,この企画によって大きく注目されていくことになり,この後の一つひとつの実績を積み上げていくさまを目撃することになったのです。中学生で棋士になったプロは過去にもいましたが,その棋士が世間的に注目されるようになったのは,何らかの実績をあげてからでした。仮にこの企画がなくても,藤井は最多連勝記録を達成しましたから,早い時点で注目の的にはなったでしょう。ただ,戦った相手という観点からすると,デビュー以来の連勝記録より,炎の七番勝負の方がより衝撃的でした。この企画により藤井は将棋界だけでないスターとなったのであり,このスターの誕生が将棋連盟の大きな追い風となったのです。

 この日の午後は内分泌科の通院でした。
 病院に到着したのは午後2時15分でした。中央検査室では5人の患者が採血の順番を待っていました。ですから僕は先に採尿を済ませ,注射針の処理もしてから採血をしました。
                                   
 この日は血糖値測定器を持参するのを忘れてしまいました。よってこの日はサマリーは受け取ることができませんでした。ただ測定器には記録は残っていますから,次回の診察のときのサマリーには,今回の期間分の記録も出てくることになります。なので僕のように概ね月に1度の通院をしているのなら,1度くらいは持参するのを忘れてしまっても,大した問題が生じてしまうというわけではありません。
 この日は診察が開始になったのが遅く,午後3時40分でした。前述したように,中央検査室にも多くの患者がいたわけですが,中央検査室の状況と内分泌科の混雑度合いは,必ずしもリンクするわけではありません。とはいえこの日は両方とも混んでいたわけですから,そこに何らかの関係はあったかもしれません。
 HbA1Cは6.7%と,8月の通院のときと同じ値になっていました。これは僕としてはかなり良好な値です。サマリーは出ていませんでしたが,低血糖の発症がほとんどなかったことは僕自身が分かっていました。ですから注射の量を変更する理由は何もありません。現状の措置を継続することになりました。そしてほかの異常は何も出ていませんでした。この日も臨時代行の医師による診察でしたが,10月になると主治医がこちらに戻ってきます。なのでこの臨時代行の医師の診察は,これで最後,というか僕にとっては8月と9月の2回だけで終了になりました。ただし前にもいったように,この臨時代行の医師は,今年の4月,つまり来月から主治医となる予定です。
 薬局にはインスリンも注射針も在庫がありました。おくすり手帳が一杯になってしまいましたので,新しいものをもらいました。以前は薬剤が印刷されたシールを帰宅後に僕がおくすり手帳に添付していましたが,今はおくすり手帳を薬局に持参していくようになりましたから,この添付も薬剤師がやるようになっています。帰宅したのは午後4時45分でした。
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出会い&福祉乗車券

2022-03-14 19:04:24 | 歌・小説
 『漱石と三人の読者』の中で,読者によって読解が異なることになるということの一例が.『三四郎』のテクストから例証されています。これは,三人の読者というのが何を意味するのかということも分かりやすく説明できると思いますので,ここでそのことを詳しく紹介します。
                                        
 石原が示しているのは,三四郎と美禰子が初めて出会う場面,二の中盤です。三四郎は同郷の先輩である野々宮を,理科大学に訪問します。野々宮はそこで光線の圧力の研究をしています。三四郎はその研究室で野々宮の研究の内容などを話してから,別れてひとりで外に出ます。研究の関係から研究室は暗いのですが,外はまだ西日が照っていました。これは三四郎の入学の直後のことで,当時の大学は9月が入学でしたので,9月のことです。外に出た三四郎は森の中に入り,池の傍にしゃがみました。以前に紹介した三四郎の想起は,このときに生じています。
 池を見つめていた三四郎が目を上げると,左手の岡の上にふたりの女が立っていました。このうちのひとりが美禰子でもうひとりは看護師です。このふたりが坂を下りてきました。坂の下に石橋があり,三四郎がいるのは石橋の対岸で,ふたりはそのまま石橋を渡って三四郎の方に歩いてきました。このときに美禰子が,手にしていた白い花を三四郎の前に落としていきます。三四郎はその花を拾い,鼻を近づけましたが大した香りはありませんでした。それでその花を池の中に投げ捨てます。そのときに三四郎は名前を呼ばれます。三四郎を呼んだのは野々宮でした。野々宮が立っていたのは石橋の向こう側,つまり美禰子と看護師が三四郎の前を通り過ぎる前にいた方角です。三四郎は石橋の上まで行って,野々宮と簡単な話をします。野々宮はポケットから何かを探し出そうとしましたが,それを探し当てることはできませんでした。三四郎に分かったのは,野々宮のポケットには封筒が入っていて,封筒に書いてある文字が女の筆跡であるということだけでした。
 この部分は,一般的には美禰子が三四郎を誘惑したというように読めます。この部分は長いので,テクストを実際に読んでもらうほかありませんが,読めば確かにそのように読解できると思います。

 9月23日,木曜日。午後8時55分にピアノの先生から電話がありました。26日にピアノのレッスンが予定されていて,その開始時刻の通知でした。
 9月24日,金曜日。妹の福祉乗車券を郵便局で購入しました。妹の福祉乗車券は10月1日から翌年の9月30日までという期間になっていますので,この時期に購入するのは毎年の恒例です。だれでもこの期間になっているのかということは僕には分かりません。妹の誕生日が9月14日ですので,妹の場合はそれと関連しているかもしれません。価格は1200円です。これを購入した後で,妹を迎えに行きました。この日は出勤日に該当していましたので,迎えに行ったのは通所施設です。福祉乗車券は路線バスに乗車するために必要なものですが,あくまでも期間中に有効なものを使用しなければなりません。ですからこの日の帰りに妹が使用した福祉乗車券は,この年の9月30日までのもので,この日に購入したものは10月1日以降に使用を開始しています。健康保険証などは入手すれば期間前から使用することができるのですが,それとは異なります。
 9月26日,日曜日。8月22日に横浜市長選挙がありましたが,そのときに磯子区から選出されていた市議会議員がひとり立候補しました。このために市議会議員に欠員が生じたので,この日にその補欠選挙がありました。なので妹と一緒に投票に行きました。23日に電話があったように,この日はピアノのレッスンもありました。このレッスンは投票からの帰宅後で,午後4時からでした。
 9月27日,月曜日。妹を送りました。この日は在宅でしたから,送ったのはグループホームです。帰宅後,横浜市の専用のホームページから,妹の新型コロナウイルスのワクチン接種の予約を入れることができました。このページはこの頃は月曜に更新されることが多かったので,それで空きがあったのだと思います。予約を入れればその日は接種のために妹を家に連れて帰っておかなければなりませんし,副反応が生じることも考慮すれば,その後も何日かは休ませる必要があると思えました。なので予定を変更する必要があり,グループホームのその内容を電話連絡しました。
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水都大垣杯&許諾

2022-03-13 19:27:03 | 競輪
 大垣記念の決勝。並びは飯野‐菊地‐大森の北日本,平原‐石川の関東,郡司‐岩本の南関東,山口‐村田の中部近畿。
 大森がスタートを取って飯野の前受け。4番手に平原,6番手に山口,8番手に郡司で周回。残り3周のバックの出口から郡司が上昇。ホームで飯野を叩きました。郡司ラインに続いていた山口がコーナーで郡司の前に出ると,さらに平原が動いてバックで山口の前に。引いた飯野が巻き返し,平原を叩いて打鐘。結局は周回中と同じ並びでの一列棒状に。残り1周のホームの出口から山口の内を掬って郡司が発進。これに合わせて平原も発進すると,菊地が番手捲り。郡司は不発となり,菊地と平原の捲り争いは外から平原が捻じ伏せ,先頭で直線に入ってそのまま優勝。郡司に掬われて発進が遅れた山口が大外から捲り追い込んで半車身差の2着。不発の郡司から内に切り替え,直線で菊地と大森の間を突いた岩本がタイヤ差で3着。
                                        
 優勝した埼玉の平原康多選手は1月の大宮記念以来の優勝で記念競輪29勝目。大垣記念は2013年昨年に優勝していて連覇となる3勝目。このレースは山口と郡司と平原の争い。山口と郡司が後方になったので,少し有利になりました。このあたりは位置取りの巧みさで優ったといえるでしょう。菊地の番手捲りのさらに外を捲っての優勝ですから,内容の面でも強かったと思います。レース巧者ぶりには磨きがかかっているように思いますので,まだまだ活躍を期待してよさそうです。

 9月3日,金曜日。妹の本牧脳神経外科への通院でした。この通院があったので,この週は木曜日に妹を迎えに行っておいたのです。この日は診察だけでなく,採血もしました。妹の新型コロナウイルスのワクチンの接種の可否については,僕の方から尋ねましたが,発作は落ち着いているので,接種しても大丈夫だとのことでした。これは他面からいえば,もしも発作が恒常的に発生している場合は,接種は避けなければならないということであったと思われます。この日は帰りにО眼科にも寄り,目薬の処方箋を出してもらい,薬局では癲癇の薬だけでなく,目薬も出してもらいました。
 本牧脳神経外科の主治医の許諾が得られましたので,帰宅してから横浜市のサイトで接種の予約を取ることにしました。ところがこのときは僕が予約したときとは状況が異なり,満杯だったので取ることができませんでした。
 この日に通所施設からの郵便物が届いていました。このときの神奈川県には,緊急事態宣言が発出されていたのですが,その期間中の通所施設への出勤に関する通知でした。期間というのは12日までで,7日と10日は通所施設への出勤で,その他の日は在宅ということでした。妹の場合は在宅というのはグループホームで待機するということです。
 9月6日,月曜日。妹を送りました。3日に届いた通知にあるように,この日は在宅です。ですのでこの日は通所施設にではなく,グループホームに送りました。新型コロナウイルスのワクチン接種について,予約が一杯なので目途が立っていないということを職員に伝えておきました。
 9月10日,金曜日。О眼科に眼科検診に行きました。異常はありませんでした。
 9月11日,土曜日。通所施設から郵便物が届けられました。緊急事態宣言は12日までの予定でしたが,30日まで延長されることになりました。それに伴う,30日までの出勤の予定です。出勤は火曜日と金曜日。在宅が月曜日と木曜日。水曜日は9月15日のみが出勤となっていました。
 9月20日,月曜日。この日は秋の彼岸会がありましたのでお寺に行きました。いつものように塔婆を会堂に立ててから帰りました。
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マイナビ女子オープン&利便性

2022-03-12 19:02:28 | 将棋
 昨日の第15期マイナビ女子オープン挑戦者決定戦。対戦成績は里見香奈女流四冠が6勝,山根ことみ女流二段が0勝。
 振駒で山根二段の先手。後手の里見四冠の中飛車に対して先手が向飛車に振っての相振飛車。相振飛車としては珍しい戦型だと思いました。早い段階から派手な戦いになりましたが,これは先手にとっては想定外だったようです。とはいえうまく対応して指しやすい局面になりました。
                                        
 ここで☗7五歩と突いたのが,先手としてはこの将棋で初めての失着らしい失着に。☖4六銀☗同銀☖同飛☗4七歩☖4五飛となり,すぐに☗7四歩とは取り込みにくくなりました。
                                        
 第1図近辺では,先手が後手の銀を取り切れるかどうかが重要。第1図で☗4五歩と取るのは有力で,☖同飛に☗7五歩。それを☖同飛なら☗8四角があり,飛車交換になるなら先手に分がある戦いでした。
 里見四冠が勝って挑戦者に。マイナビ女子オープンの五番勝負には第12期以来となる3期ぶりの出場。第一局は来月5日に指される予定です。

 僕がKさんの意見も理解できると思ったのは,床に座った生活よりも,椅子とテーブルを中心とした生活を送った方がよいということを,僕自身も経験として認識していたからです。これは以前にも書いたことがあったと思いますが,僕がそのように感じる契機となったのは,にS字結腸癌が見つかり,闘病生活を送るようになってからのことです。簡単にいうと,人間は立ち上がるときには,床に座っている状態から立ち上がることよりも,椅子から立ち上がる方が楽なのです。少なくとも病人にとってどちらがより快適な生活であるのかといえば,後者の方であるということは明白であるというように,僕は母を見て感じていました。
 妹は母のような病気があるわけではありませんが,バランス感覚はかなり悪いところがあります。僕が妹と外出するときには常に手を繋いで歩く理由のひとつはそれですし,強風にあおられて妹が転倒してしまったのも,それがひとつの要因にはなっていたでしょう。ですから妹は今の時点で,床に座って暮らすよりも,椅子とテーブルの暮らしに変えた方が,楽だと感じるであろうということは間違いないと僕にも思えました。だからKさんの意見ももっともだと思ったのです。
 ただ,妹は今は基本的に週末は家で過ごすようにしてあります。家の生活を今から椅子とテーブルを中心としたものに変えることは困難です。なので,そのように暮らしていかれる間は,床に座った生活をしてほしいと僕は思っています。滞在する時間は家よりもグループホームの方がずっと長いですから,グループホームで楽な暮らしに慣れてしまうのは,家での暮らしに負担がかかるでしょうし,加齢による衰えもより早くなると推測されます。ですからKさんの話は理解できますが,まだグループホームで椅子とテーブルを中心とした生活を送ることができるような態勢にはしてありません。もちろん,どうしてもそうしなければならないという状況になれば,必ずそうするでしょう。
 この利便性については,一般的な事柄として伝えたいと思っています。だれにも老いはやってきます。老後の生活を考慮すれば,椅子とテーブルを中心にしておいた方がよいでしょう。
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受動的な満足&椅子と机

2022-03-11 19:17:47 | 哲学
 第四部定理五二は,理性ratioから生じる自己満足acquiescentia in se ipsoが最高の満足であるといっています。また,第五部定理二七では,第三種の認識cognitio tertii generisから最高の精神mensの満足が生じるといわれています。理性から生じるのであれ第三種の認識から生じるのであれ,これはどちらも能動actioですから,自己愛philautiaではなく自己満足であるということになります。つまり,能動的な自己満足とというのは,人間にとっての最高の満足であることになります。
                                   
 では受動的な満足のうち最高の満足はどのような感情affectusであるのかといえば,それは受動的な自己満足すなわち自己愛であると僕は考えています。このことは以前に考察して示してありますから,なぜ僕がそのように考えているのかということについてはここでは繰り返しません。ただ,受動的な満足のうち最高の満足は自己愛であると僕がいうとき,気を付けておいてほしいことがあるのです。
 自己満足あるいは自己愛は,第三部諸感情の定義二五により,基本感情affectus primariiとしては喜びlaetitiaの一種です。したがって,受動的な満足のうち最高の満足は自己愛であるというとき,それは現実的に存在する人間にとって最高の受動的な喜びは自己愛であると解してもらっても構いません。ただそれが最高であるというとき,僕は価値的な側面からそのようにいうのではないのです。むしろ量的な面からいっているのです。つまり僕は,人間が受動的である限りによって最も大きな喜びを齎すのは自己愛であるといっているのであって,自己愛という感情が受動的な感情のうち最も肯定的に評価されるべき感情であるといっているのではありません。むしろこの側面からみれば,自己愛は最も否定的に評価されるべき感情になり得ます。なぜなら,スピノザの哲学における新たな道徳律は,能動と受動passioの比較なのですから,最も能動的な喜びは高く評価されなければならず,最も受動的な喜びは低く評価されなければならないことになるからです。
 第三部定理二六備考は,自己愛の一種である高慢superbiaを狂気といっています。それは高慢が最も大きな受動的な喜びとなり得るがためのことだと解するのも有力だといえるでしょう。

 9月2日,木曜日。妹を迎えに行きました。この日まで通所施設は休業でしたから,迎えに行ったのはグループホームです。このとき,グループホームに地域担当支援主任のSさんがいましたので,話を伺ったところ,8月24日に出勤していたのは73人だったとのことでした。この73人というのは,おそらく利用者だけでなく,職員も含めた数だったと思います。その73人は全員がPCR検査を受けました。妹もそのひとりに含まれていたわけです。検査の結果は73人全員が陰性であったとのことでした。
 その後,妹の前の担当者であったKさんに妹の部屋に通されました。そして,椅子と机があった方がいいのではないかと言われました。妹の部屋にはベッドとテーブルがありましたが,テーブルは床に置くタイプのものですから,妹は基本的に床に座って生活をしていました。新型コロナウイルスが流行してからは,妹は食事も部屋で摂取するようになりましたから,そのときも床に座ってテーブルの上に並べられたものを食べていたのです。このテーブルを撤去して,椅子とその椅子に合わせた高さの机を用意してはどうかというのが,Kさんの話の主旨でした。
 僕が住んでいる家が建ったのは僕が3歳のときで,そのとき,2階は洋室でしたが,1階は和室でした。リビングは1階ですから,僕も妹も基本的に和室で暮らしていたことになります。要するに畳の上に卓袱台を出して,その卓袱台を囲んで家族で食事をしていたのです。1階をリフォームしたのは祖母,の母が同居するようになってからで,そのときに1階も洋室にしました。ただリビングには掘り炬燵を設置しましたので,その掘り炬燵の上に,これは固定のテーブルを設置し,このテーブルを囲んで食事をするという習慣に変化は起こりませんでした。父も祖母も母も死にましたが,これは固定のものですから現在も使い続けています。つまり僕たちは椅子とテーブルという生活は送ったことはありません。その意味でいえば,グループホームの部屋での妹の生活は,僕たちが,あるいは妹が産まれてからずっと,家で送ってきた生活と同じ生活ではありました。ただKさんの意見も僕には分かるものでした。
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中日新聞杯名古屋大賞典&陰性

2022-03-10 19:17:54 | 地方競馬
 第45回名古屋大賞典
 ジンギが逃げて半馬身差の外にアナザートゥルース。最初は前に行こうとしたものの控えたトミケンシャイリがケイアイパープルと並んで3馬身差の3番手。3馬身差でホーリーブレイズとクリンチャー。3馬身差でブルーヘスターとアドマイヤムテキとアメリカンフェイス。エブリワンブラック,ドリームスイープル,サンマルティンという順で1周目の正面を通過。ミドルペースでした。
 ジンギとアナザートゥルースは同じ間隔のまま2周目の3コーナーへ。そこからケイアイパープルが動いていき,3頭が雁行になると,コーナーの途中でアナザートゥルースは一杯。外から捲り切ったケイアイパープルが先頭で直線に。コーナーで雁行の3頭の後ろを追い掛けたクリンチャーが,直線でケイアイパープルの外から追い詰め,ぎりぎりのところで差し切って優勝。ケイアイパープルがアタマ差で2着。捲られたものの直線では盛り返すところもあったジンギが4馬身差で3着。
 優勝したクリンチャーは昨年の名古屋大賞典以来の勝利で重賞5勝目。この馬は大レースでも馬券圏内に入れるようになっていましたので,ここでは実力上位。小さな着差での優勝となったのは,直線がきわめて短いコースであったことと,斤量に差があったことが要因だと思われ,実力上位であるということは示したといっていいでしょう。年齢的に大レース制覇までいかれるかどうかは微妙だと思います。父はディープスカイ。母のひとつ下の半妹に2001年の兵庫ジュニアグランプリを勝ったミスイロンデル。Clincherは決定打。
                                        
 騎乗した川田将雅騎手は第37回,43回,44回に続く三連覇となる名古屋大賞典4勝目。管理している宮本博調教師は第44回からの連覇で名古屋大賞典2勝目。

 8月24日は妹も出勤していました。したがって,妹もPCR検査を受けなければなりませんでした。妹の検査は31日に予定されているとのことでした。これは,24日に出勤していた利用者の全員が31日に検査を受けることになったのかもしれませんし,何らかの順番があったのかもしれません。もしも妹から陽性反応が出た場合は,僕の方に保健所から連絡が入るとのことでした。もしも陰性であれば何も連絡はないので,連絡がないのであれば陰性であったと判断してもよいと告げられました。保健所の業務は逼迫していましたから,陰性者にはいちいち連絡はしないという決まりになっていたのだろうと思います。
 僕の方からひとつ確認をしました。僕は9月2日に妹を迎えに行く予定になっていたのです。送迎は通所施設になりますから,その日の午後3時に通所施設に迎えに行くという予定を,事前にグループホームと通所施設に伝えてありました。ところが2日までは通所施設は休業になるとのことでしたから,その日は妹はグループホームに滞在することになるのだろうと推測されました。もちろんそれは,PCR検査の結果が陰性であった場合です。なのでそのようになるのかということを確認し,そうであるとのことでしたので,その日はグループホームに迎えに行くことにするということを伝えました。時間は午後3時と,通所施設に迎えに行く場合と同じです。
 通所施設が休業になった理由は不明です。僕に推測することができるのはふたつで,ひとつは,24日に出勤していた全員がPCR検査を受けることになりましたので,その結果が9月2日にはすべて判明するからであったということです。もうひとつは,施設内を消毒するためで,その作業が2日にならないと終了しないということです。いずれにしても推測ですので,はっきりとしたことは分かりません。
 9月1日,水曜日。グループホームの妹の担当者であるSさんから,午後8時40分に電話がありました。この時点で保健所からの連絡はありませんでしたので,妹のPCR検査の結果は陰性であったことになります。電話の内容は,翌日の迎えのことと,9月の予定に関することでした。
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TOKYO MX賞フジノウェーブ記念&サービス申請書

2022-03-09 20:18:55 | 地方競馬
 第13回フジノウェーブ記念。ストーミーデイは右後ろ脚の蹄の底の内出血のため競走除外となり14頭。
 クルセイズスピリツが抜群のダッシュ。周回コースに入ったあたりで早くも2馬身のリード。2番手集団はルーチェドーロ,ワールドリング,ハートプレイス,リコーワルサー,サヴィの5頭。1馬身半差でレッドフレイ。8番手にリンゾウチャネル。4馬身ほど離れてハルディネロとクロスケ。2馬身差でブルーウィザード。12番手がオンザロックス。13番手がヒカリオーソ。最後尾にブラックバゴという隊列。前半の600mは35秒3のミドルペース。
 3コーナーではルーチェドーロが単独の2番手。リコーワルサーが3番手に上がり,その後ろからレッドフレイ,ワールドリング,リンゾウチャネルが追ってきました。直線に入ると逃げるクルセイズスピリツとの差を自然に詰めたルーチェドーロが,後方も確認してから追い出され,盤石の抜け出しとなって優勝。ずっと内を回り,直線だけ少し外に出されたレッドフレイもクルセイズスピリツを差して3馬身半差の2着。逃げ粘ったクルセイズスピリツが2馬身半差で3着。
 優勝したルーチェドーロは南関東重賞初勝利。3歳の昨年まではJRAで走り,今年から南関東へ。転入初戦は4着でしたがこれは距離が1000mと不足していたため。JRA時代の実績からは距離が伸びたここはチャンスだろうと考えていました。それにしても思っていた以上の着差をつけての優勝で,このくらいの距離の南関東重賞ではかなりの活躍が見込めそうです。母の父はクロフネ。Luce d'Oroはイタリア語で黄金の光。
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は雲取賞以来の南関東重賞51勝目。第2回,4回に続く9年ぶりのフジノウェーブ記念3勝目。管理している川崎の池田孝調教師は南関東重賞は9勝目。フジノウェーブ記念は初勝利。

 8月20日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。また,この日にサービス申請書という書類を郵送しました。このサービス申請書というのは,妹が受給する福祉サービスを,どのようにするのかという意向を市が確認するためのもので,郵送先は区役所です。妹の受給者証は毎年2月に更新されますが,その更新の内容が,このサービス申請書によって決定されるということです。もちろん更新の期間中に状況が変わるということがありますから,その場合は新たに申請することになります。たとえば妹がグループホームに入所するようになったときなどがそれに該当します。その場合は区役所まで出向くことになるわけです。このサービス申請書によっても,申請の内容を変更することはできますが,今はとくにサービスを変更する事由がありませんから,これまで通りのサービスの受給を継続するという内容で郵送しました。この際,グループホームに入所している場合には,その家賃も知らせる必要があります。これは金額によりますが,家賃の全額ないしは一部がサービスの対象になるからです。ですから事前にグループホームとの契約書の家賃の部分をコピーして,それも合わせて送付する必要があります。
 8月21日,土曜日。午後7時10分にピアノの先生から電話がありました。翌日のレッスンの開始時刻の通知です。
 8月22日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後4時半の開始でした。この日は横浜市長選挙の投票日でしたから,レッスンの終了後に,妹と一緒に投票に行きました。
 8月23日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 8月24日,火曜日。お寺の奥さんからショートメールが入りました。彼岸会の日時が決定したという報知でした。
 8月27日,金曜日。午後8時20分に,この夜に宿泊するグループホームの職員のSさんから電話がありました。妹の通所施設の利用者の中から,新型コロナウイルスの感染者が出たために,通所施設は8月30日から9月2日までは休業になるとのことでした。また8月24日に出勤していた利用者は全員がPCR検査を受けることが決定したとのことでした。
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追い風&夏季休暇

2022-03-08 19:07:23 | 将棋トピック
 無実であった三浦に対して不当な処分を科したことにより,会長であった谷川と理事であった島は辞任。佐藤が新会長に就任した後,処分をした当時の理事に対する解任の動議が提出され,多くの理事が解任されました。このこと自体は将棋連盟には自浄能力があるということを外部に見せつけたという点から僕は評価していますが,組織としていえばこの時期の将棋連盟は大きなピンチを迎えていたといえるでしょう。しかし三浦のA級の地位の保全のために,僕には公平性に欠ける裁定が下されたことについて記述したときの最後にいったように,この時期の将棋連盟には幸運も舞い降りていたと僕は考えています。そもそもこの特例によって翌年のA級順位戦は11人が10局を戦うというルールになったわけですが,その結果として6人が6勝4敗で並んで名人挑戦をかけたパラマス式のトーナメントが行われることになりましたが,これなどはその典型であったといえるでしょう。苦境の末に出された苦肉の策によって,大きなドラマが生まれることとなったからです。もっともこれは1年後のことです。僕はこの同じ時期に,将棋連盟には向かい風だけでなく追い風も吹いていたと思っています。
                                        
 ちょうど三浦の処分が下される頃,藤井聡太が中学生で四段に昇段しました。中学生のうちにプロになった棋士はいずれも大成しています。藤井が後に大成することは間違いないと思われましたが,実際にはその想定以上の逸材であったのです。史上最強の棋士になるかもしれない逸材がこの時期にデビューしたのは,将棋連盟にとって追い風以外の何ものでもなかったでしょう。
 そして佐藤が新会長に就任した頃,AbemaTV内に将棋チャンネルが開設されました。当然ながらそれは急に開設できるものではなく,事前につまり谷川が会長であった時代から準備されていたものでしょう。このことにより手軽にプロの将棋を視聴することができるようになったという点で,将棋チャンネルの開設はきわめて大きな出来事,いい換えれば強い追い風でした。開設されて最初の中継が,2月のA級順位戦の一斉対局でしたが,こうした対局を簡単に視聴できるような機会は,それまでにはなかったからです。
 そしてこのふたつの追い風が,相乗効果を齎して,さらに強い追い風を吹かせていくことになります。

 8月12日,木曜日。この日から妹は夏季休暇に入りました。そしてこの日に,妹の通所施設から封書が届きました。これは緊急事態宣言の発出に伴うもので,夏季休暇明けの通所施設の予定に関する通知でした。緊急事態宣言中であっても,夏季休暇明けは通常通りに出勤することが可能というもので,ただし期間中は,自主的に自宅で待機することも可能であるということでした。これまでは緊急事態宣言中であれば,曜日を絞っての出勤となっていたのですが,このときから,毎日の出勤が可能になったということです。自主的な待機が可能というのは,たとえ自宅で待機しても,つまり通所施設に出勤しなくても,欠勤という扱いにはならないという意味です。
 8月13日,金曜日。妹の指定歯科であるみなと赤十字病院への通院がありました。この日もクリーニングをしただけです。以前は妹は熱いものや冷たいものを食べると,歯の痛みを訴えることがあったのですが,この頃からはそれも一切なくなっていました。たぶん妹の世話を僕が中心にするようになってから,歯の状態は最も良好なのではないかと思えます。
 8月14日,土曜日。午後5時にお寺の奥さんから電話がありました。秋の彼岸の塔婆に関する確認でした。
 8月17日,火曜日。妹の夏季休暇は16日まででしたので,この日に妹を通所施設に送りました。僕が購読している週刊競馬ブックは,発売が月曜日です。ですがこのときのように,妹が家にいる場合には月曜日に購入することはできません。僕は妹が滞在していても,午前中であればひとりで外出することがありますが,週刊競馬ブックは夕刊紙と一緒にコンビニエンスストアに配送されるので,その時間帯に購入することはできません。妹の起床後はさすがに妹をひとりで家に置いて外出するわけにはいきませんし,かといって週刊競馬ブックを買うために妹と一緒に外出するというのはばかげています。ハッピーマンデーの影響もあり,こうしたことは年に何回かありますが,こういう場合は火曜日の午前中に妹を通所施設に送った帰りに,上大岡のコンビニエンスストアで購入することにしています。もちろんこの日もそうでした。
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棋王戦&総講

2022-03-07 19:18:15 | 将棋
 新潟市で指された昨日の第47期棋王戦五番勝負第三局。
 永瀬拓矢王座の先手で角換り相腰掛銀。先手は9筋の位を取り,後手の渡辺明棋王が先手が銀を腰掛けた瞬間に銀をぶつけていく将棋。前例があり,その後に先手が新手を放つ展開になりました。
                                        
 僕の推測では,第1図の近辺で後手に誤算があったのだと思います。
 ここから後手は☖8六歩と突きました。先手は☗7六銀と角を取ります。対して☖8七歩成は☗同銀で無効なので☖同歩はこの一手。先手はそれから☗8六歩と取ります。
 ここで後手は☖3八銀と飛車金取りに打ちましたが,これが敗着だったかもしれません。先手はどちらも受けずに☗4四銀。こうされては後手としてもどちらかを取らざるを得ません。実戦の☖2九銀不成は変わった手で,普通は後で香車も取れるように☖2九銀成とするところでしょうが,大勢に影響するわけではありません。
 そこで☗4三角と打つのが好手。☗4三銀なら☖4二銀で後手玉も簡単には寄らないのですが,角の場合は☗3四角成で銀を持ったまま馬を作られてしまい後手は収拾がつきません。なので☖2三銀と打つことに。
                                        
 第2図は先手も緩めるとよりが戻ったのですが,☗3二角成と取ってしまうのが好手。以下,先手の一気の寄せが決まりました。たぶん後手は☗4三角を軽視していて,打たれるまで気付かなかったか,途中で気付いたものの取り返しがつかなくなっていたのだと思います。
 永瀬王座が勝って1勝2敗。第四局は20日に指される予定です。

 8月6日は遅くまで寝ていたわけではありません。血糖値が99㎎/㎗で熱が36.1℃であったことはすでにいった通りで,起床時刻も普段と同じだったわけですから,2回目のワクチン接種による副反応は完全に治まっていたことになります。
 8月7日,土曜日。妹の健康診断の結果が送付されてきました。医師のコメントはふたつありました。ひとつはLDLコレステロールに関してで,基準値よりわずかに低いけれども問題ないものと思われるとのことでした。LDLコレステロールの基準値の下限値は70㎎/㎗で,結果は50㎎/㎗でしたから,僕にはわずかに低いというようには思えなかったのですが,医師の判断だとそういうことなのでしょう。もうひとつはγ-GTの値が基準値よりわずかに高いけれども,これも問題ないと思われるとのことでした。γ-GTPの基準値の上限値は50U/Lで,妹の結果は55U/Lでした。これならわずかに上限値を上回ったという所見も僕には納得ができるところでした。一般的にこの値は飲酒によって高くなるとされているのですが,妹は飲酒はしません。この値がなぜ結果として出たのかということは不明です。
 8月8日,日曜日。お寺に行きました。父の命日が4日,母の命日が11日でした。遺骨はお寺の会堂に入っていますので,これは墓参りだと思ってください。
 お寺ではお会式のほかに総講というのがあります。お会式というのは,何らかの催事として行われます。代表的なのは彼岸です。総講はそれとは別に現在は月に5回,決まった日に行われているものです。例会のようなものだと考えてください。いずれも住職の読経があります。もちろん信者の参加も自由です。毎月8日というのはこの総講がある日です。この日も実施していましたので,僕も参加してから帰りました。
 8月11日,火曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。8月10日から13日まで,僕の家の最寄りの停留所から上大岡駅を往復するバスは,夏季特別ダイヤというのが導入されていました。ただ僕たちにはあまり関係ありませんでした。むしろ帰るのがいつもより5分ほど早くなったくらいです。
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金鯱賞争奪戦&留意点

2022-03-06 19:13:50 | 競輪
 名古屋記念の決勝。並びは真杉‐阿部‐伏見の関東北日本,渡辺‐内藤の南関東北日本,松浦‐小川の中四国で高橋と東口は単騎。
 阿部がスタートを取って真杉の前受け。4番手に松浦,6番手に東口,7番手に高橋,8番手に渡辺で周回。残り2周のホームの入口から渡辺が上昇。一気にスピードを上げてホームの出口では真杉を叩きました。松浦は3番手にスイッチ。東口と高橋もそれに続いたので,引いた真杉は7番手に。打鐘を迎えて渡辺がペースダウン。そこを外から真杉が発進。ホームの入口では渡辺を叩いてかまし先行。松浦は4番手にスイッチ。バックから松浦が発進。ただ勢いがそれほどでもなく,最終コーナーでの阿部のブロックで失速。また踏んでいこうとしましたが伏見と接触して落車。このあおりで内藤と高橋も落車。前の争いとなり,逃げ切った真杉が優勝。マークの阿部が4分の3車身差で2着。伏見も4分の3車輪差の3着に続いて関東北日本ラインの上位独占。
 優勝した栃木の真杉匠選手は1月の静岡のFⅠ以来の優勝。記念競輪は初優勝。このレースは松浦が脚力上位で,真杉も3人のラインとはいえ,後ろはほかの地区ですから,必ずしもラインの厚みで対抗できるという形勢ではありませんでした。おそらく強風の影響で松浦のスピードがそれほどでなかったために阿部の牽制がうまくいったものと思いますが,脚力上位で悪い位置ではなかった選手の捲りを封じて逃げ切ったのですから,高く評価していいと思いますし,本人の自信にもなったのではないかと思います。これから上位で戦っていくことができる選手に成長していくのではないでしょうか。

 副反応については1度目の接種についても2度目の接種についても,留意しておいてほしい点があります。
 接種日をどのように決定したのかを説明したときにもいいましたように,僕には火曜日か水曜日という選択肢しかありませんでした。このうち2度目の接種日となる8月4日は,8月6日に妹を通所施設へ迎えに行く必要がないために優先的に選択したのであり,その結果として1度目の接種日は3週間前の7月14日と自動的に決まったわけです。しかし7月16日の金曜日は僕は妹を迎えに行くことが,予約をした段階で予定に入っていました。これを考えれば,水曜日よりも火曜日を選択する方がよかったことになります。
 僕は1度目も2度目も,接種の翌日には何も予定を入れませんでした。それは,その1日を外出せず家で過ごすことになっても構わないようにするためです。僕が住んでいる地域では,水曜日の朝は週に1回の缶や瓶,ペットボトルの収集があります。これに対して木曜日はゴミの収集はありません。ですから水曜日の朝は収集に間に合うように集積場までゴミを出す必要がありますが,木曜日であればそれもしなくてよいのです。したがって水曜日はそれに間に合うように起きなければなりませんが,木曜日であればいくらでも寝ていられます。僕が接種を火曜日ではなく水曜日にしたのは,これが大きな理由でした。
                                   
 僕は朝はアラームを鳴らして起きます。もしアラームが鳴るのより早く目覚めたとしても,アラームが鳴るまではベッドから出ません。ですが接種の翌日はいくらでも寝ていようと思っていましたので,アラームは掛けていませんでした。心積もりとしては昼まで寝ているくらいの気持ちだったのです。若い頃とは違って実際にはそれができませんでしたが,7月15日も8月5日も午前10時過ぎまではベッドの中に入っていました。よって朝食前の血糖値というとき,それを計測したのはその後になります。そして起床する時刻がずれれば朝食だけでなく,昼食や夕食の時刻もそれに伴って遅くなります。最も血糖値も熱も高かった8月5日の昼食前というのは,午後2時半頃のことです。つまり接種から概ね24時間後のことでした。
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戸口の雑感⑩&副反応

2022-03-05 19:10:52 | NOAH
 戸口の雑感⑨の最後のところでいったジャンボ・鶴田とのシングルマッチについては,馬場が絶賛してくれたと戸口は語っています。これ以降,大木金太郎と戸口がタッグを組んで戦うとき,戸口が決勝のフォールを取れるようになったそうです。この当時は3本勝負が多かったですから,これは3本目に戸口がフォールを奪って試合に勝つようになったという意味です。3本目を取る方がチームのリーダーであるという暗黙の了解があるということを僕は知りませんが,最後に試合を決めるということは,観客に対して大きなアピールとなるでしょうから,これは戸口にとって大きかったことなのでしょう。戸口はやっとそうなったと語っていますから,このことには大きな感慨を抱いていたものと考えられます。
 戸口は鶴田の長所については,無尽蔵のスタミナだといっていることは⑨でいいました。一方の短所については,試合中に無駄にアピールをすることだったといっています。戸口からするとこうしたアピールはヒールがやって,観客にブーイングを求める行為であるという認識があったようです。天龍の雑感⑪で,鶴田は相手を見下すところがあったといっていて,こうしたアピールもそれに含まれている可能性がありますが,そのことで鶴田を否定する根拠というのは,天龍と戸口の間で相違があったといっておくべきでしょう。
 なお戸口は,試合後であればヒールでない選手がアピールするのは構わないともいっています。試合中に観客に媚びるのはベビーフェースの選手がやることではないというのが戸口の認識なのです。さらに,鶴田の長所は同時に短所でもあり,相手が10で戦っても鶴田は7でしか戦わないことがあったといっています。このあたりは天龍の考えと似通っているようですが,戸口はアスリートとしてはそれは凄いことだと一定の評価を下していますので,やはりふたりの認識には差異があるとみておいた方がよいでしょう。ただ,プロレスラーであるならば,それを顔に出してはいけないといっています。たとえ7の力で戦っているときでも,9か10で戦っているように見せるのがプロだと戸口は考えているのです。ただそれは鶴田のプロレスの師匠にあたる,馬場とかドリー・ファンク・ジュニアの責任が大きいと戸口は思っているようです。

 僕は平熱が高い方です。新型コロナウイルスが流行し始めてから,37.5℃以上の発熱がある場合には,家で待機することが推奨されていました。僕は仮に37.5℃の発熱であれば,自宅に待機するかどうかは別として,普段と変わらずに生活を送ることができます。いい換えればこの程度の熱だと,自分が発熱しているという感覚はありません。このときは発熱しているという感覚があって熱を計測したのですから,38.5℃と計測されても驚きはありませんでした。というかそのくらいはあって当然だろうくらいに思えました。
                                        
 僕は食事の前にはインスリンを注射します。このときは昼食前でした。もしも何も食べられないようであれば,インスリンを注射するのは危険です。ですがこのときは食事は摂れそうでした。とはいえ実際に食べ始めてやはり無理だったということになっては大変ですから,先に食事を摂り,食べ終えてからインスリンを注射しました。食事が摂れるくらいでしたから,解熱剤も飲んでいません。熱が出たのはワクチンの接種による副反応であるということは分かっていました。ということはそれが治まれば熱も自然に下がるということも分かっていたわけです。日常生活に支障を来しているわけではないので,解熱剤を飲むまでもなかったといったところです。
 夕食前の血糖値は206㎎/㎗でした。このくらいの値は普段でも出ることはあります。とくにこの日は午後は家に滞在していた,つまり運動らしい運動をしていませんから,高くなりやすくなります。とはいえこの時点でも37.9℃の熱がありましたので,副反応が治まっていたというわけではなく,血糖値にもその影響はあった筈です。
 就寝前には292㎎/㎗と,また血糖値が高くなっていました。ただし熱は37.5℃まで下がっていましたので,1日を通して運動が不足していたということの方が影響を与えていたかもしれません。
 8月6日,金曜日。この日の朝の血糖値は99㎎/㎗で,平常の値まで戻っていました。同時に熱も36.1℃まで下がっていました。前述したように,僕は平熱は高い方なので,これは僕にとっては低いくらいです。つまり副反応が出たは5日だけでした。
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読者の位置&2回目の接種

2022-03-04 19:08:18 | 歌・小説
 『漱石と三人の読者』の中で,漱石が三人目の読者,漱石からみれば顔が見えないような読者のことを意識し始めたのは,漱石が朝日新聞に入社して小説を書くようになってからだという主旨のことを石原はいっています。少なくとも新聞社に入社しなければ,この種の読者の存在に気が付くということはない筈ですから,これは当然といえば当然です。ただし,新聞小説を書くようになれば,この種の読者が存在するということに必ず気付くというわけではありませんから,漱石にはそうした存在を察する力があったということはいえるでしょう。
                                        
 この種の読者の存在に気が付くようになって,漱石は小説の書き方を変えたと石原はいっています。それは,小説の中に読者の位置といえるものを置くようになったということです。石原によればそれは,『三四郎』以降の小説に顕著な傾向で,とくに新しい女といわれるような登場人物に対して,読者の位置を確保することに漱石は意識的になったと指摘しています。
 この読者の位置というのは,主人公の死角とでもいうような位置のことを意味します。小説というのをひとつの物語としてみれば,主人公を中心に展開していくことになります。しかし主人公が知り得ないようなこと,あるいは主人公が実際にはなさなかったことなどは,主人公を中心として物語を展開してしまうと,小説の中に組み込むことができません。しかし,もしもこのときに主人公,たとえばAの身に,このときにもしもこうしたことが生じたら,Aはこのようにしたであろうというような文章は,小説の中に組み込むことができます。これがAの死角となる位置であり,同時に読者の位置でもあります。なぜならそのようなことは,Aには実際には生じなかったというだけでなく,Aには知り得なかったことでもあるからです。Aは自身には起こらなかったことが起きたとき,どうしていたかは確実に知りようがありません。
 『三四郎』の場合,三四郎には美禰子の内面が見えていなかったということを語り手が語る部分がいくつか含まれています。それは主人公の三四郎の死角であり,三四郎の死角であるがゆえに読者の特権的な位置なのです。

 8月4日,水曜日。新型コロナウイルスのワクチンの2度目の接種の日でした。会場や,会場内での手順などについては,1度目と同じですからここでは割愛します。ただこの日は全体的に1回目より早く進捗しましたので,予約した午後2時より,5分ほど早く接種を終えることができました。この日もウォーキングを兼ねて徒歩で会場まで行き,帰りはバスを使いました。帰途に弁当を購入して夕食としたのも1回目と同様です。
 1度目のときは注射した当日の夕食前の血糖値が高騰するという身体的反応がったのですが,この日はそれはありませんでした。むしろ75㎎/㎗と,低くなっていました。この程度の血糖値であれば身体に大きな影響はありませんが,80㎎/㎗未満は低血糖とされていますので,これは低血糖の範疇に入れられることになります。入れられることになるというのは,血糖値測定器が自動的にそう判断するということであり,通院の日のサマリーの低血糖に含まれるという意味です。なお,現時点で使用中の測定器は,79㎎/㎗以下の値が計測されると,警告音のようなブザーが鳴り,医師の指示に従ってください,という文字が出るようになっています。就寝前も150㎎/㎗でしたから,正常値よりは高いとはいえ,問題があるような数値ではありません。接種部位の痛み,これは前にもいったように,僕が実際に痛みを感じたのは接種した肩に近い部位よりは,もう少し下の,より肘に近い部分ですが,この痛みはこの日の夜からありました。夜というのは,ベッドに入ってからという意味で,横になっているときの方が痛みを感じる頻度が多くなるのです。なお,2日に薬局で入手することができなかったヒューマログというインスリンは,この日の午後8時40分に配達されました。
 8月5日,木曜日。この日の朝食前の血糖値は216㎎/㎗と,上昇していました。これは副反応の出始めです。昼食前には336㎎/㎗と高騰していました。事前にいわれていたように,やはり2度目の接種の副反応は,接種した翌日がピークになるようです。このときには発熱しているという感じもありましたので,計測すると,38.5℃でした。
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自己満足と自己愛&2021年8月の通院

2022-03-03 19:24:17 | 哲学
 第三部定理五五備考で,スピノザが単に自己満足acquiescentia in se ipsoとはいわず,自己愛philautiaまたは自己満足といって,自己愛と自己満足という,そこでの説明からすれば同じ感情affectusでなければならない感情を,別の語によって示した理由に関する僕の推測は理解してもらえたものと思います。簡単にいえば,自己満足という感情は,現実的に存在する人間にとって,最も肯定的に評価できる感情であり得るのと同時に,最も否定的に評価しなければならない感情でもあるのです。
                                   
 これは僕の推測にすぎないのですが,そこには確かに本来的には同じである感情を,別の語で示す意義というものがあるということは事実だと思います。したがって僕はこれ以降はこの意義を実りあるものとするために,この同じ感情を,自己満足と自己愛とに分けて記述していくことにします。これは,第三部諸感情の定義二五でいわれている自己満足という感情を,二種類に分けて記述していくという意味です。
 これから僕が自己満足というとき,それは能動的な自己満足のことを意味します。これに対してもしも僕が自己愛といったなら,それは受動的な自己満足のことを意味します。スピノザによる定義Definitioによれば,能動的であろうと受動的であろうと,現実的に存在する人間が自分自身ないしは自分の働く力agendi potentiaを観想するcontemplariことによって喜びlaetitiaを感じるなら,すべからく自己満足といわれることになります。ですからこれから僕がこのブログで自己満足といったら,スピノザがいっているのよりも狭い意味になるという点に注意しておいてください。
 第四部定理五二によれば,理性ratioから生じる自己満足は存在し得る最高の満足です。この感情を僕は自己満足といいます。対して第三部諸感情の定義二八説明によれば,高慢superbiaは自己満足の一種です。この場合の自己満足を,僕はこれから自己愛と記述していくことにします。能動的な方を自己満足といい,受動的な方を自己愛という理由,つまりその逆ではない理由は,この説明の中にあります。この説明の中でもスピノザは,高慢を単に自己満足の一種とはいわず,自己満足あるいは自己愛の一種といっているからです。

 7月30日,金曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。そのままО眼科に寄ってから帰りました。この日は目薬を処方してもらっただけです。6日に健康保険証が送付されてきたのは,健康保険証に新しく枝番号というのがついたからでした。この関係で,薬局でもその保険証の提示を求められました。薬局で保険証の提示を求められた記憶は僕にはないのですが,あるいは記憶違いであったかもしれません。
 8月2日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 午後は内分泌科の通院でした。
 病院に到着したのは午後2時10分でした。中央検査室ではだれも採血を待っていませんでした。注射針の処理を済ませるとすぐに僕の順番になりましたので,まずは採血をして,最後に採尿をしました。
 診察が開始になったのは午後3時20分でした。6月の通院のときにいっておいたように,この日は臨時代行の医師による診察でした。
 HbA1cは6.7%と,僕としてはかなり良好な値になっていました。これはやはり季節的なもので,例年のように暑くなってきて,血糖値が安定するようになってきたためです。低血糖は3.8%と,割合が増えていました。ただ,この時点ではまだ問題になるほどではないので,注射する量を減らす措置は採りませんでした。79㎎/㎗以下になると低血糖ですが,その数値に近い低血糖であれば,それほど問題視する必要はないのです。ただまだ暑さはまだ続くので,もしも2日連続で同じ時間帯に低血糖が発生するようであれば,その前のインスリンを0.01㎎減量するように指示を受けました。たとえば就寝前に続いたら,夕食前に注射する超速攻型のインスリンを減量するということです。もしも朝食前に続いたら,持続効果型のトレシーバの量を減らすことになります。
 この日もこれ以外には異常は出ていませんでした。
 予約に空きがなかったために,次の診察は9月27日と,2ヶ月弱の間隔になり,その間に必要なインスリンと注射針が,いつもより多くなりました。この影響もあり,薬局にはヒューマログの在庫が足りませんでした。よってそれは配達を依頼して帰りました。帰宅したのは午後5時5分でした。
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農林水産大臣賞典エンプレス杯&重度障害者医療証

2022-03-02 19:07:11 | 地方競馬
 キヨフジ記念の第68回エンプレス杯
 いつものようにサルサディオーネがハナへ。2番手にショウナンナデシコとクリノフラッシュ。4番手にダイアナブライト。5番手にウェルドーン。6番手にメモリーコウとシャイニングアカリとプリティーチャンス。3馬身差で発馬が悪かったレーヌブランシュ。10番手にカイカセンゲン。最後尾をナラとグレートコマンダーとサルサレイアで併走という隊列で発馬後の向正面を通過。正面に入って外をレーヌブランシュが上昇。2周目の向正面に入ってクリノフラッシュが単独の2番手となり,3番手にショウナンナデシコとレーヌブランシュ。その後ろがウェルドーンとダイアナブライトとプリティーチャンスという隊列になりました。ミドルペース。
 3コーナーからレーヌブランシュが外から動きました。クリノフラッシュより前に出て,逃げたサルサディオーネとほぼ並ぶように直線に。ずっと内を回っていたショウナンナデシコは一旦はサルサディオーネととクリノフラッシュの間に進路を求めましたが,クリノフラッシュが一杯になり,サルサディオーネとレーヌブランシュの競り合いになったこともあり,開いたサルサディオーネの内に進路を変更。そのまま内から競り合う2頭を差し切って優勝。サルサディオーネとレーヌブランシュはフィニッシュまで競り合いましたが,最後まで抜かせなかったサルサディオーネが1馬身半差で2着。レーヌブランシュはクビ差で3着。
 優勝したショウナンナデシコは重賞初制覇。昨年の10月に3勝クラスを勝つと11月にはオープンも連勝。12月のオープンは2着でしたが,いずれも牡馬を相手にしてのもので,牝馬重賞に出走してくれば能力は上位の存在と思われました。実際に初の出走となった前走のTCK女王盃は2着でしたから,ここも優勝候補の1頭。ずっと内を回れた利はありましたが,この着差ですから完勝といっていいでしょう。距離は長い方がよさそうで,オープンでのレース内容から,そうした距離では牡馬が相手でも重賞を狙える能力があるように思えます。父はオルフェーヴル。母の父はダイワメジャー。母の5つ上の半姉の仔,つまり従兄に2017年のシンザン記念を勝っている現役のキョウヘイ。9代母はグランマスティーヴンスの妹です。よって母の9代母と父の10代母が同じ馬になります。
                                        
 騎乗した吉田隼人騎手と管理している須貝尚介調教師はエンプレス杯初勝利。

 午後9時にピアノの先生から電話がありました。18日にピアノのレッスンが予定されていて,その開始時刻の通知でした。
 7月16日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 7月18日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後2時からでした。
 7月19日,月曜日。妹を通所施設に送りました。6日に新しい健康保険証が送付されていましたから,妹のものについてはこの日に持参しました。妹の健康保険証はグループホームに保管してあり,通院などで必要な場合は,妹に持たせてもらうようにしてあります。
 7月24日,土曜日。妹のグループホームがある地区の盆踊りが予定されていました。グループホームの利用者も参加することになっています。ですからこの週は妹を迎えには行かず,週末をグループホームで過ごさせる手筈にしてありました。ただ,盆踊りは新型コロナウイルスの影響で中止となりました。妹がグループホームで過ごすようになってこれで4度目の盆踊りですが,1年目は台風,3年目と4年目が新型コロナウイルスの影響でそれぞれ中止となりましたので,実際に妹が参加することができたのはまだ1度だけです。
 この日に妹の重度障害者医療証が送付されました。重度障害者には,保険診療の自己負担分を助成するという制度があります。このために妹の保険診療は基本的に無料になっています。重度障害者医療証というのは,この助成を受けるために必要な証書だと理解してください。医療機関を受診するときには,健康保険証が必要ですが,妹の場合には,健康保険証のほかにこの重度障害者医療証も必要になるということです。
 7月28日,水曜日。午後4時10分に,グループホームの妹の担当者であるSさんから電話がありました。これは妹の新型コロナウイルスのワクチンの接種の意向に関する問い合わせでした。僕は可能であれば妹にも接種させる意向がありましたし,9日には妹の接種券も送付されていました。ただ前にもいったように,本牧脳神経外科の主治医の判断を仰いでから結論を出したかったので,その旨を伝えました。次の診察が9月なので,早くてもそれ以降になるということです。
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