スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
1日に指された第53回新人王戦 決勝三番勝負第三局。
振駒 で黒田堯之五段が先手となって角道オープン三間飛車。先手から角を交換 した関係で後手の服部慎一郎五段は左美濃に組むことになりました。将棋は先手が飛車角交換して2枚の馬を作り,後手が龍を作るいう攻め合いに。
この局面で☗5九香と受けたのですが,先手はこの手を最も悔いていました。
代案として考えられるのは☗6五桂と跳ねて☗7三桂成を狙っていく手。攻めとしては遅いのですが,遊んでいる駒を使うことができる手なので,それなりに有力だったように思います。
服部五段が勝って2勝1敗で優勝 。昨年の加古川青流戦 以来となる2度目の公式棋戦優勝となりました。
6月2日,木曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。
6月3日,金曜日。妹の本牧脳神経外科 の通院でした。この通院に備えるためにこの週は妹を木曜日に迎えに行きました。この日は診察をしただけです。
6月6日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。
6月13日,月曜日。内分泌科の通院でした。この通院がありましたので,前の週の週末は妹はグループホームで過ごすことになりました。以前は妹を送ってから通院することもありましたが,現在はこのようなパターンにしています。
病院に到着したのは午後2時10分でした。中央検査室では待機している患者がいませんでしたので,すぐに採血をしました。その後に採尿です。この日は使用済みの注射針は持参していませんでした。
この日は診察の開始時刻が午後3時40分と,大幅に遅れました。HbA1cは7.1%と,5月 の通院のときよりもかなり下がっていました。ただしこの間に出た低血糖は2度で,いずれも就寝前でした。これは夕食の摂取量が不足していたためで,発症した原因がはっきりとしていました。ですから注射するインスリンの量を減らすという措置は採りませんでした。
この日はほかにふたつの異常が出ていました。ひとつはアルブミンで,4.0g/㎗と,下限値を下回っていました。これは5月に引き続いての異常ですが,数値としては下限値である4.1g/㎗に近づいています。アルブミンの数値が下限値を下回るという異常は僕にはよく生じる現象ですが,これで4回連続となり,これだけ続いたのは初めてのことです。
もうひとつは中性脂肪で,181㎎/㎗と,上限値である149㎎/㎗を大幅に超過していました。これは2020年10月 に出て以来の異常でした。中性脂肪値は普段の食生活にも影響を受けますが,近々に何を食べたのかということの方が大きく影響します。ですから継続して異常が出るなら対処しなければならないでしょうが,突発的に上限値を超過している場合はさほど問題ありません。
薬局にはインスリンも注射針も在庫がありました。診察の開始時刻が遅くなりましたので,帰宅したのは午後4時50分になりました。
昨晩の四日市記念の決勝 。並びは坂井‐守沢の東日本,小原‐福田の神奈川,橋本‐浅井‐坂口の中部,古性‐村田の近畿。
古性,浅井,守沢の3人がスタートを取りに行きました。誘導の後ろに入ったのは古性で前受け。3番手に橋本,6番手に坂井,7番手に小原で周回。残り3周のバックから小原が上昇。橋本の横で止まりました。福田に続いていた坂井がホームで上昇。バックの入口で古性を叩きました。小原は内から上昇。この上昇を古性が阻みにいき,小原はそれ以上上昇することができなくなり,村田の後ろは打鐘で古性が確保したのですが,やや差が開いてしまいました。この間に橋本が発進。待っていた坂井が合わせきり,橋本は不発。ただ村田と古性の車間が開いていたので,浅井と坂口が村田の後ろに入り,古性はその後ろに。バックから古性が発進すると浅井も自力発進。坂井との車間を開けていた守沢がこれを牽制。そのまま踏み込んだ守沢が優勝。守沢の外から迫った浅井が4分の1車輪差で2着。坂井と守沢の間を突いた坂口が半車輪差で3着。
優勝した秋田の守沢太志選手は昨年6月の別府記念 以来となる記念競輪3勝目。四日市記念は初優勝。この開催は平原が二次予選で敗退となったため,古性と浅井が上位で坂井がそれに対抗するという決勝に。小原がどのような動きをするのかがひとつのカギになるかもしれないと思っていましたが,結果的にその動きが古性にとってやや不利になりました。橋本が不発となったために浅井も余裕をもって捲りにいくことができなくなったので,先行した坂井の番手を得た守沢が有利となりました。守沢は優勝は多くありませんが,安定した成績を残していて,まだ上位で戦い続けることができそうです。
5月22日,日曜日。20日に送付されていた預かり金精算書 は,書類ですから,利用者と保護者,つまり妹と僕のサインと捺印を入れて送り返す必要があるものです。ですからこの日に妹と僕の署名と捺印をして送付しました。妹は上手とはいえませんが字を書くことはできます。ですからこのように妹が家にいる場合は,僕は妹自身に署名をさせます。僕が代筆するのはそうでない場合だけです。また,これは前にいったことがあるかもしれませんが,僕は通所施設に渡す必要がある書類については郵送はせず,妹を送ったり迎えに行ったりしたときに通所施設にある事務所の職員に手渡します。ですがグループホーム に渡す必要がある書類に関しては郵送することにしています。これは事務手続き上の書類であって,グループホームに関する手続きは,グループホームを運営している福祉法人が行うものであり,その手続きをする事務所というのは,通所施設の事務作業をする事務所と同一です。ですからグループホームの書類に関しても通所施設で手渡すということは可能です。それでも僕は通所施設に提出する書類とグループホームに提出する書類とでは,その提出の方法を変えています。この預かり金精算書はグループホームの書類ですから,郵送しました。なお,こうした書類には必ず返送用の封筒が入っていますので,郵送費を僕が負担するということはありません。
5月23日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
5月24日,火曜日。僕はこの日は戸部に出掛けていて,午後2時50分に帰宅したのですが,留守番電話が入っていました。声の主は妹の支援計画を担当してもらっているKさんで,21日に僕が郵送した妹の受給者証 のコピーが送付されたという通知でした。
5月28日,土曜日。この日は土曜レクリエーションでした。なのでこの週は妹を迎えに行っていません。土曜レクリエーションというのは基本的に月に1回なのですが,6月だけはありません。これは土曜レクリエーションを行うのは祝日がない月と決まっていて,現状の日本で祝日がない唯一の月が6月だからです。たぶん職員の出勤日数が関係しているものと推測します。
アイルランドから1頭が遠征してきた第47回エリザベス女王杯 。
ローザノワールが先手を取り,向正面に入るあたりで2馬身のリード。2番手以下はマジカルラグーン,ウインキートス,ウインマイティー,スタニングローズ,ピンハイ,ウインマリリン,デアリングタクトの順で続き,その後ろはクリノプレミアムとナミュールとテルツェットの3頭で併走。アンドヴァラナウトとジェラルディーナが併走で,さらにルビーカサブランカとイズジョーノキセキも併走で続き,その直後のホウオウエミーズまでは一団。3馬身差でライラック。3馬身差の最後尾にアカイイト。最初の1000mは60秒3のミドルペース。
3コーナーを回るとローザノワールが早くもスパート。後ろとの差を広げていくと,ウインマリリンが2番手に上がり,外を回ったジェラルディーナが3番手に。直線に入るとローザノワールは一杯になり,ウインマリリンが一旦は先頭。しかしジェラルディーナが外からあっさりと差し,そのまま抜け出して優勝。後方2番手から大外を追い込んだライラックが一旦先頭のウインマリリンに並び掛けてフィニッシュ。写真判定となってこの2頭が1馬身4分の3差で2着同着。
優勝したジェラルディーナ は前走のオールカマーから連勝。重賞2勝目で大レースは初制覇。この馬は3歳の夏から秋にかけて3連勝してオープン入り。今年の6月に鳴尾記念で2着になると小倉記念の3着を挟んでオールカマーで重賞初制覇。この戦績から分かるように,奥手タイプの馬で,ここにきて馬が本格化してきたということでしょう。良血馬ですので,本格化した以上はかなりの活躍を期待していいものと思います。父はモーリス 。祖母がドナブリーニ で母はJRA賞で2012年 に年度代表馬,2013年 に最優秀4歳以上牝馬,2014年 に年度代表馬に選出されたジェンティルドンナ でその父がディープインパクト 。Geraldinaは人名。
騎乗したのはフランスで騎乗しているクリスチャン・デムーロ騎手でドバイシーマクラシック 以来となる日本馬に騎乗しての大レース5勝目。エリザベス女王杯は初勝利。管理している斉藤崇史調教師はホープフルステークス 以来の大レース8勝目。エリザベス女王杯は初勝利。
妹の歯科検診から帰宅すると,グループホーム からの郵便物が郵送されていました。これは預かり金精算書という書類でした。
この預かり金というのは,いわば小遣いのようなもので,事前に預けてあるものです。預けてあるといっても,現金を渡すという形式ではなく,年度初めに,自動引き落としの形でグループホームに現金が届けられます。グループホームは無料ではなく,金額は異なりますが毎月いくらかの支払いがあります。この支払いは現金ではなく妹の口座からの引き落としで行われるのですが,年度初めに一定の額が現金としてグループホームに支給されると考えてください。その預り金の用途はいくつかありますが,中心になるのはふたつで,ひとつは衣類など,生活必需品が必要になったときの購入費用です。もうひとつは,妹は週末にグループホームに滞在している場合は,職員と共に外出するケースがあり,そのときに自分が食べたいものや飲みたいものを購入することがあります。その費用はこの預かり金から支出されます。ただし,新型コロナウイルスが蔓延するようになってからは,週末だからといって必ず外出するということはなくなりました。なのでこちらの支出は減少しています。
精算書というのは,この預かり金の全支出の決算書のようなものです。したがって,昨年度つまり2021年4月から2022年3月まで,何月何日に何のためにいくら使用したのかということがすべて記述されています。なお預かり金はその全額が使用されるわけではありません。残金に関しては,一定の金額が翌年度,この場合には今年度に繰り越しとなり,さらに残った額については妹の口座に振り込まれることになります。精算書ですから,繰越金がいくらで振り込まれるのがいくらであるのかということも記述されています。
5月21日,土曜日。19日に妹を迎えに行った際に,グループホームから受給者証 を預かっていましたが,その受給者証はこの日のうちにコピーし,Kさんに送付しました。Kさんに送付したというのは,Kさんの自宅に送付したという意味ではなく,Kさんが所属する福祉事務所に送付したということです。
10月28日と29日に富士宮市で指された第35期竜王戦 七番勝負第三局。
広瀬章人八段の先手で相掛り。先手が周到に作戦を用意していて,後手の藤井聡太竜王が正しく対応できなかったため,中盤では先手が優勢になりました。
第1図はひとつの分岐。☗6五歩と桂馬を取るとかなり激しい変化になりますが,先手が勝ちに近づいたようです。なのでそれが最善手でした。
実戦は☗7五同歩と取りました。ただこれも悪手とまでは言えないようです。☖7六歩☗同銀☖6六角と進んだときに☗6四歩と打って☖同銀と進めました。
第2図で☗8二角と打ったのは☗6四歩と打ったときからの継続手なのですが,☖7五飛 と走る強手があり,逆転しました。第2図のように進めた場合は☗6七金と上がって受けに回るよりなく,それなら先手が優勢を維持できました。先手としては着地さえうまくいけば快勝譜となるところで,残念な一局だったといえそうです。
藤井竜王が勝って2勝1敗。第四局は8日と9日に指されました。
このときのKさんとのやり取りで意外なことがひとつだけありました。それはKさんの方から,もしも自分がグループホーム に行って受給者証 のコピーを取る場合には,そのことを了承するようにグループホームの職員に伝達しておいてほしいということでした。Kさんは妹の担当者ですから,グループホームの職員に依頼すればそれを貸してもらえるだろうと僕は思っていました。なので僕はKさんに対してそのように伝えたのですが,実際にはKさんといえども受給者証を無条件で貸してもらうというのは難しいようです。
僕は連絡帳は妹を送っていく日の前日の夜に記入します。送っていく当日の朝はそれほど時間があるわけではないからです。ただ,Kさんからそのように依頼されましたので,Kさんが受給者証のコピーを申し出た場合には,それに協力してほしいということを書き足しました。また,もしもKさんがグループホームに行く機会がないならば,僕がコピーしてKさんに郵送するので,次に妹を迎えに行く日には,受給者証を持たせてほしいという旨も加えました。
妹を通所施設に送っていく日は,概ね9時10分ごろに家を出ます。この日はこの用件を果たしてから妹を送りました。
5月18日,水曜日。眼科検診 に行きました。糖尿病性網膜症については問題はなかったのですが,右目に緑内障を発症する兆候があるということを伝えられました。なので,次回の検診のときに,視野の検査を同時に行うということになりました。僕の眼科検診は4ヶ月に1度という頻度になっていますから,この時点での次回というのは今年の9月ということになり,すでに視野の検査は済ませています。ただその点については時系列で記述することにします。この日のО眼科はきわめて空いていましたので,11時半に帰宅することができました。
5月19日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。月曜に連絡帳に記入しておいたように,この日に受給者証をグループホームから借り受けました。
5月20日,金曜日。妹の歯科検診がありました。この歯科検診のためにこの週は木曜に妹を迎えに行きました。初めて担当する技師でしたが,問題はありませんでした。
6日の防府記念の決勝 。並びは吉田‐神山の茨城栃木,郡司に佐藤‐永沢の北日本,清水‐桑原の山口に園田で東口は単騎。
郡司がスタートを取って前受け。4番手に清水,7番手に東口,8番手に吉田で周回。残り3周のバックの入口から吉田が上昇しようとするのに合わせて清水も上昇。ホームの入口で郡司を叩いたのは清水。東口もこのラインに続いたので郡司は5番手に。ホームに入って吉田が再び上昇。清水を叩き,3番手に清水,6番手に東口,7番手に郡司という一列棒状になって打鐘。ホームから郡司が発進。これを止めにいったのが園田でしたが,郡司に接触してしまい,園田と郡司が共に落車。郡司に続いていた佐藤と永沢も乗り上げてしまい落車。3番手の清水がバックから発進。そのまま捲り切って優勝。マークの桑原が1車身差の2着に続いて地元勢のワンツー。園田が落車したため桑原を追走することになった東口が1車身差の3着に流れ込みました。
優勝した山口の清水裕友選手は3月のウィナーズカップ 以来の優勝。記念競輪は昨年の防府記念 以来となる8勝目。防府記念は2018年 ,2019年 ,2020年 も優勝していてこれで五連覇となる5勝目。このレースは清水にとって最大の強敵は郡司。その郡司が園田の斜行によって落車となりましたので,幸運な面があったのは事実です。ただ,吉田の上昇に先んじて動いて郡司を叩くことによって,吉田ラインの3番手を取ったのはいい作戦でした。仮に郡司が捲ってきたときに,それに合わせて出ることができたかどうかは分かりませんが,作戦面での勝利ということはできるかと思います。
5月13日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。帰宅した後で,妹の3度目の新型コロナウイルスのワクチン接種の予約を入れました。6月の予定は僕の都合で決定することができる時期になっていて,かつ6月中の予約をすでに入れることができる状況になっていたからです。前もっていっておいたように,予約を入れたのは,僕が3度目のワクチン接種を受けた根岸町 にあるクリニック です。ただし,僕が接種したときは武田/モデルナ製のワクチンでしたが,妹の予約を入れた日のワクチンはファイザー製でした。つまり同じクリニックでも,日程によって異なった種類のワクチンを接種していたということです。妹の場合はやはり副反応が生じることに大きな不安があり,その点ではすでに2度の接種を終え,発熱以外の副反応を起こしていなかったファイザー製のワクチンを接種するというのは,悪くない選択でした。
前後しますが,帰宅したときに,支援計画書 を作成してもらっているKさんからの郵便物が届いていました。内容は,Kさんが勤務している福祉事業所の名称が変更になるので,契約を改めて結び直す必要があり,そのために妹の受給者証のコピーを送付してほしいというものでした。ただ,僕は妹の受給者証はグループホームに預けてありますので,すぐに対応することはできませんでした。
午後9時に妹のピアノの先生からの電話がありました。日曜日にピアノのレッスンが予定されていましたので,その開始時刻の通知でした。
5月15日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は午後1時半からでした。これはレッスンの開始時刻としてはかなり早い方になります。
5月16日,月曜日。午前8時半に,Kさんの事務所に電話を入れ,受給者証について連絡しました。郵便物を受け取った日は電話を入れても通じませんでしたし,土曜と日曜は事業所は休みです。なのでこの日の朝の連絡となりました。Kさんは妹以外にもグループホームの利用者の担当者がいますので,グループホームを訪れる機会がそれなりにあります。なのでそのときにコピーをしてよいという旨を伝え,僕も早い段階でコピーを送付すると伝えました。
金沢から1頭が遠征してきた昨晩の第33回ロジータ記念 。
キープクライミングは立ち上がるような発馬になり1馬身の不利。逃げたのはレディオガガ。2番手をプラチナプライドとトキノゴールドとティーズハクアの3頭が併走し,5番手はクールフォルテとスピーディキック。7番手にスティールルージュとラブラブパイロ。9番手以下は,ケウ,エミーブレイズ,レディオスター,コスモポポラリタ,ソレイユスマイル,キープクライミングで発馬後の向正面を通過。正面に入って,ティーズハクアが単独の2番手に。3番手がプラチナプライドとなって4番手がエミーブレイズとクールフォルテの順に。さらにコーナーを回って2周目の向正面に入ると前からレディオガガ,ティーズハクア,スピーディキック,プラチナプライド,ラブラブパイロ,クールフォルテの順になり,6番手と7番手の差は開きました。ミドルペース。
この隊列からレディオガガ,ティーズハクア,スピーディキックの3頭が抜け出して最終コーナーへ。レディオガガはここで一杯。ティーズハクアとスピーディキックは並んでコーナーを回りましたが,直線に入ると外のスピーディキックが楽に抜け出し,ティーズハクアとの差を広げていって快勝。スピーディキックには競り落とされたもののそれ以外の追撃は凌いで粘ったティーズハクアが6馬身差で2着。後方から外を追い上げたコスモポポラリタが1馬身半差で3着。3コーナー手前で離されたもののまた巻き返してきたクールフォルテが2馬身差で4着。
優勝したスピーディキック は戸塚記念 からの連勝で南関東重賞5勝目。この馬はここでは負けられないようなメンバー構成でしたから,よほどのアクシデントが生じない限りは勝つだろうとみていました。次は東京シンデレラマイルに出走する意向のようですが,南関東の牝馬重賞であれば古馬が相手でも通用すると思います。重賞戦線での活躍を期待できる馬ではないでしょうか。父はタイセイレジェンド 。母の父は2003年にシンザン記念と武蔵野ステークス,2007年に佐賀記念 を勝ったサイレントディール 。
騎乗した大井の御神本訓史騎手は東京プリンセス賞 以来の南関東重賞56勝目。第21回 ,25回 に続き8年ぶりのロジータ記念3勝目。管理している浦和の藤原智行調教師は南関東重賞5勝目。ロジータ記念は初制覇。
5月8日,日曜日。6日に妹を送りましたので,この週末は妹は家に不在でした。8日は総講 の日で,妹がいませんでしたから,お寺 に行きました。僕は週末は原則的に予定はありません。ですから妹が家にいない週末に総講があれば,それには出掛けます。信心があるわけではありませんが,それくらいのことはすると理解してください。もちろん主目的は総講にあるわけではなく,墓参りにあります。
5月9日,内分泌科の通院日でした。
病院に到着したのは午後2時です。中央検査室では僕の前にひとりの患者が採血を待っていました。この場合は採尿をしてしまうとその間に僕の順番になってしまう場合があります。注射針を処理するための専用のゴミ箱はこの中央検査室の中にありますので,まず注射針の処理を済ませました。ほどなく僕の順番になりましたので採血をして,最後に採尿をしました。
診察が開始になったのは午後3時5分でした。HbA1cは7.5%で,わずかですが4月 よりも低下していました。僕の場合はHbA1cが下がるときには低血糖を発症しているというケースが多いのですが,この間は1度も発症していませんでした。発症が0になるというのは,血糖値が高くなりやすい冬場でも僕にはあまり生じないことで,2021年2月 の通院のときに記録されて以来のことです。低血糖を生じずにHbA1cが下がったのですから,何らかの処置をする必要はありません。よってインスリンの注射量に関しては,変更しませんでした。
ただしこの日は計測したときの血糖値が64㎎/㎗で,低血糖でした。僕は現在は運動療法のため,途中まで歩いていきますから,その影響もあったと思われます。ただこの後も低血糖が頻発するなら,持続効果型のトレシーバの注射量を減らすように指示されました。
血糖値以外の異常はふたつです。ひとつはアルブミンで3.8g/㎗と下限値を下回りました。これは4月に続いての異常です。もうひとつはLDLコレステロールで,69㎎/㎗と下限値を下回りました。これは2020年8月 以来となる異常です。
この日はインスリンも注射針も足りていました。帰宅したのは午後4時半でした。
東京2歳優駿牝馬トライアルの昨晩の第22回ローレル賞 。
逃げたのはマカゼ。ショコラクイーンとエスプリダーコとトーケンエミスターの3頭が2番手を追走。5番手のサーフズアップとキャッツライズまでは一団。3馬身差でポーチュラカとノーバディエルスとエイシンレア。9番手にスイープステークスとフークエンジェル。12番手にマインドユアミモザ。13番手がチハヤで最後尾にアデリーヌという隊列。前半の800mは51秒7のミドルペース。
3コーナーを回ってもマカゼは快調な逃げ。単独の2番手に上がっていたエスプリダーコは苦しくなり,内からショコラクイーン,外からスイープステークスが上がってこの2頭が2番手で直線に。しかし追ってきた2頭はマカゼに追いつくことができず,悠々と逃げ切ったマカゼが優勝。先に追い上げた2頭を追って内から追い上げ,直線ではショコラクイーンの外から伸びたサーフズアップが2馬身差で2着。スイープステークスのさらに外から追い込んできたエイシンレアが2馬身差で3着。
優勝したマカゼ は5月のデビューから連勝。前走はこのレースのトライアルで2着になっていた馬。4戦目での南関東重賞初制覇。今年は北海道からの遠征馬がいませんでしたので,出走したメンバーの中では実績上位の1頭。ここはその実績に見合った優勝といえるでしょう。ただ現状のメンバーでの争いというレースになった関係から,今後どの程度のレベルで戦うことができるのかということは,まだレースを重ねてみないと分からないように思います。父はフリオーソ 。母の父はゴールドアリュール 。4代母がバブルカンパニー 。
騎乗した大井の矢野貴之騎手はサンタアニタトロフィー に続いての南関東重賞30勝目。ローレル賞は初勝利。管理している川崎の高月賢一調教師 は南関東重賞7勝目。ローレル賞は初勝利。
4月18日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
4月22日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
4月25日,月曜日。妹を通所施設に送りました。帰宅すると,グループホーム からの郵便物が届いていました。これは今年度の前期の三者面談の方式に関するものでした。その三者面談は,対面でも書面でも可能であって,保護者が希望する方の方式で実施するので,どちらを希望するのかを通知し,かつ対面を希望するのであれば,希望する日時も合わせて通知するというものでした。
4月26日,火曜日。前日に届いていた郵便物を送付し返しました。書面での面談を希望しました。書面での面談が可能になったのは,新型コロナウイルスが日本でも流行するようになってからのことで,それ以降の三者面談はここまですべて書面で行われていました。僕はそれで不便さを感じてはいませんでしたので,どちらでもよいのであれば書面の方がよかったのです。対面となればこちらがグループホームを訪問する必要があり,そのための時間を確保しなければなりません。それがないという点では,書面での面談は僕にとってはむしろ有り難いくらいの形式だったのです。
5月2日,月曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。今年のゴールデンウィークは飛び石のようになっていて,4月29日からは3連休でしたが,この2日は出勤になっていました。翌3日からはまた連休でしたので,28日に迎えに行くことはせず,この日に迎えに行きました。この日は帰りにО眼科 に寄り,妹は目の診察を受けました。白内障 の進行はみられないので,引き続き経過を観察することになりました。
5月6日,金曜日。妹を通所施設に送りました。翌日が土曜で,土曜日曜は連休でしたが,金曜のこの日は出勤日になっていたのです。要は今年のゴールデンウィークの日程からすると,4月28日の木曜日に迎えに行って5月2日の月曜に送り,また6日の金曜に迎えに行くか,僕が実際にしたようにするかのふたつの選択肢があったことになります。ただ平日の三連休をグループホームで過ごすのはどうかと思いましたので,僕はこちらの方を選択することにしたのです。
日本時間で6日の未明にアメリカのキーンランド競馬場で行われたブリーダーズカップフィリー&メアスプリントGⅠ ダート7ハロン。
チェーンオブラブは後方3番手の内からのレース。残りの2頭は馬群から離されていましたので,実質的に集団の最後尾といえる位置。コーナーでは早くも騎手の手が動き出しました。直線も大きくばてたというわけではないものの,伸びはまったくみられず,ほぼ道中と同じ位置のまま最後はレースに参加することを諦め,勝ち馬から約16馬身差の10着でした。
この馬は今春にサウジアラビアからドバイに遠征して入着。とはいえアメリカで当地のトップスプリンター相手のレースになるとスピード能力的に厳しかったようです。逆にいえばこのカテゴリーのアメリカの馬のレベルの高さを証明するような結果だったといえるでしょう。
診察 の間にもらうことができなかったサマリー は,会計を済ませた後で受け取りました。サマリーは血糖値計測器から取り出すものですから,サマリーを受け取ったというのは計測器も受け取ったという意味です。
薬局 に寄りましたがこの日は注射針が足りませんでした。配達を依頼して帰りました。帰宅したのは午後4時でした。
4月6日,水曜日。3月30日に予約しておいた歯科検診でした。この日もクリーニングをしただけですが,クリーニングの前の歯茎のチェックがいつもよりも念入りに行われました。4日に配達を依頼しておいた注射針は,この日の夜に配達されました。
4月8日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
4月10日,日曜日。午前11時20分にピアノの先生から電話がありました。これはこの日に予定されていたピアノのレッスンについてです。事前に電話での連絡がない場合はレッスンの開始時刻は午後5時半です。この電話はその確認のためのものでした。したがってこの日のレッスンは午後5時半に開始されました。
4月11日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。
4月13日,水曜日。妹の新型コロナウイルスの3度目の接種券が横浜市から送付されてきました。ただ,今後の僕と妹の予定を勘案すると,4月中だけでなく5月のうちに接種を受けることも難しそうでした。なのでこの時点ではまだ予約を入れることはしませんでした。
4月14日,木曜日。午後6時55分に,グループホームで妹を担当しているSさんから電話がありました。これはゴールデンウイーク中の妹の予定に関する確認でした。ゴールデンウイークというのは4月後半から5月前半にまたがっています。4月の予定は3月中に伝えてありますが,5月の予定についてはまだ伝えていません。何らかの事情で5月前半の予定を確認しておく必要が生じたのだろうと思われます。
4月15日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この日は雨でしたが,雨の場合は送りよりも迎えの方が大変です。上大岡駅でバスを待つとき,送りのときは屋根のあるターミナルの中ですが,迎えのときは屋外のバス停になるからです。
3日に盛岡競馬場のダート2000mで争われた第22回JBCクラシック 。
逃げたのはクラウンプライド。2番手にフィールドセンス。3番手のオーヴェルニュとペイシャエスまでの4頭が先行集団。2馬身差でギガキングとカフジオクタゴン。7番手にテーオーケインズ。8番手のヴァケーションとメイショウハリオまでが好位を形成。2馬身差でセイカメテオポリスとクリノドラゴン。3馬身差でオンザロックス。3馬身差でジェネラルエリアとサンライズハリアーとブルーエクセレンスが最後尾を追走。スローペースでした。
クラウンプライドが先頭のまま直線へ。2番手はフィールドセンスとペイシャエスの併走で,外を回ったテーオーケインズが4番手。2番手の2頭はクラウンプライドに追いつくことができませんでしたが,外のテーオーケインズは直線で差を詰めていき,楽に差し切って優勝。逃げ粘ったクラウンプライドが2馬身半差で2着。ペイシャエスが1馬身4分の1差で3着。
優勝したテーオーケインズ は平安ステークス以来の勝利。大レースはチャンピオンズカップ 以来の3勝目。このレースは能力の関係がかなりはっきりとしていて,きわめて順当な優勝。盛岡はコース適性が問われる面があるので,その点は一抹の不安がありましたが,とくにコース適性が高いという馬も不在だったこともあり,問題ありませんでした。右回りより左回りの方が得意な馬ですので,盛岡での開催というのもこの馬にとってはよかったのではないでしょうか。母の父はマンハッタンカフェ 。4代母がピンクタートル 。母の5つ下の半妹に2016年のレディスプレリュード を勝ったタマノブリュネット 。
騎乗した松山弘平騎手はチャンピオンズカップ以来の大レース8勝目。JBCクラシックは初勝利。管理している高柳大輔調教師はチャンピオンズカップ以来の大レース3勝目。JBCクラシックは初勝利。
門祖がだれであるかわからないというのは不思議に感じられるかもしれません。これは次のような意味です。
何度かいっているように,僕が檀家になっているお寺 は,本門仏立宗 という宗派です。ですから普通に考えて門祖というのは,この本門仏立宗の開祖のことを意味します。ただ,本門仏立宗というのは日蓮宗の流れを汲んでいる宗派です。実際に経典には日蓮の名前がたびたび出てきます。ですから日蓮を門祖とみてもおかしくはありません。この門祖会でいう門祖がどちらであるのかを僕は知らないということです。
4月4日,月曜日。内分泌科の通院の日でした。
病院に到着したのは午後1時50分でした。中央検査室では待機している患者はいませんでした。ですからすぐに採血をして,それから採尿。そして注射針の処理をしました。
僕は診察の予約時間のおよそ10分前に内分泌科の受付をします。この日もそうでした。そして受付が終わると血圧を計測します。血圧は求められないケースもありますが,求められることもあるので,必ず計測はします。この日はその計測が終わるとすぐに診察室に呼ばれました。予約は午後3時でしたから,それより早くに診察が開始されたことになります。この月から主治医が変わりました。
診察の開始が早かったので,サマリーは間に合いませんでした。サマリーは血糖値の計測器から出すもので,計測器は内分泌科の受付に提出するものだからです。ですから口頭での質問だけで診察は終わりました。HbA1cは7.6%で,3月 よりも下がっていたこともあり,インスリンの注射量の変更は行われませんでした。
この日に出ていた異常はほかにふたつでした。ひとつはアルブミンで3.9g/㎗で,下限値を下回っていました。これは3月に続いての異常。値も同じです。そしてもうひとつがP/C比で,300と,上限値を上回っていました。これも3月から連続の異常で,値も同じでした。
僕は自己管理ノートに血糖値を記入しています。サマリーが出るようになってからはそれを持参していませんでしたが,主治医に次回からは持参するように言われましたので,その後は持参するようになりました。
3日の第3回JBC2歳優駿 。
逃げたのはエコロアレスで,向正面に入るあたりで2馬身くらいのリード。2番手にベルピット。3番手にオーマイグッネスとテレパシー。5番手にリストン。6番手にラッキーストーリー。7番手にナチュラルリバーとリアルガー。9番手にスギノプリンセスとゴライコウ。11番手にゴッドインパルス。4馬身差でタイガーチャージ。7馬身差の最後尾にリアルミーという隊列。やや早めのミドルペースでした。
3コーナーから逃げたエコロアレス,2番手のベルピット,3番手にいたテレパシー,さらに5番手だったリストンの4頭が雁行に。向正面から進出してきたゴライコウが5番手に取り付いてきました。外を捲り上げるようなレースになったゴライコウが,直線では内にいた4頭をあっさりと差して先頭。そのまま抜け出して快勝。2番手から最後までじわじわと伸びたベルピットが2馬身半差で2着。離れた最後尾から追い込んだリアルミーが1馬身半差で3着。
優勝したゴライコウ は重賞初挑戦での勝利。このレースは北海道の中距離路線で勝ち負けを繰り返してきたオーマイグッネスとベルピットが,JRAの未勝利を勝ち上がってきた馬と対戦という図式。オーマイグッネスは逃げて好成績を残してきた馬で,ここは自分の競馬ができずに敗退。一方のベルピットは自分の力を出したと思えますので,それに楽勝だったゴライコウは,それだけの力があったとみるべきでしょう。前走のデビュー3戦目となる未勝利戦からブリンカーを着用することによって力を出すようになった馬ですので,精神面は課題として残るといえそうです。父はホッコータルマエ 。従姉に2009年のエーデルワイス賞 を勝ったオノユウ 。
騎乗した北海道の石川倭騎手は一昨年のJBC2歳優駿 以来となる重賞3勝目。2年ぶりのJBC2歳優駿2勝目。管理している新谷功一調教師はJBC2歳優駿初勝利。
副反応だけで考えれば,起きるよりも起きない方がいいわけですから,3度目の接種の方が2度目の方がよかったといえます。ただ,副反応が起きるというのは,接種したワクチンが身体に対して何らかの効果を発揮しているということの証明であるということはできるでしょう。ですから,接種したワクチンの効果という観点からみれば,副反応が起きなかったということは手放しで喜ぶことができるようなことではありません。なので,副反応という観点だけでいえば,武田/モデルナ製のワクチンの方がファイザー製のワクチンよりも僕の身体に対する相性はよかったという可能性はあるのですが,その可能性は同時に,ワクチンの効果という観点からは,ファイザー製のワクチンの方が武田/モデルナ製のワクチンよりも僕の身体に対して効果的であったという可能性も示しているといえるでしょう。
3度目の新型コロナウイルスのワクチンの接種およびその副反応についてはここまでとして,これ以降の日記に進めます。
4月3日,日曜日。お会式 がありましたのでお寺 に行きました。4月は毎年お会式があります。これは門祖会といわれるお会式で,門祖が開山したことを記念するお会式です。門祖が開山した日は当然ながら決まっていますので,それは毎年4月に開かれることになっているのです。今年の春の彼岸会 のときに説明したように,お会式の日は僕の帰宅が遅くなりますので,妹を家に置いておくことができません。なのでこの週は妹を迎えに行っていないのです。そしてこの週末は妹を迎えに行かないでよいということが決定していましたから,僕は3度目のワクチン接種をこの週に予約したのです。ワクチンの接種は木曜日でしたから,仮に副反応が長引くことがあるとしても,日曜日のお会式までには治まるだろうと予測していたわけです。これは一例ですが,僕の予定というのはこの場合のように,やらなければならない一つひとつの事柄の日程が,それ単独であるというより,その他の予定と関係している場合が多いです。
なお,僕が知っているのはこのお会式が門祖会であるということだけで,門祖が具体的にだれを意味するのかは不明です。
3日に盛岡競馬場のダート1200mで行われた第22回JBCスプリント 。
ダンシングプリンスがすっとハナへ。2番手にヘリオスで3番手がラプタス。4番手にリュウノユキナ。5番手はイグナイターとテイエムサウスダン。7番手にキモンルビー。8番手にプライルード。9番手にキラットダイヤ。10番手にスマートダンディー。11番手にコパノフィーリング。12番手がワールドリングで13番手にレッドルゼル。最後尾にティーズダンクという隊列。14頭がほぼ一団でした。前半の600mは34秒4のミドルペース。
ダンシングプリンスは直線に入ったところでも楽に単独の先頭。内から追ってきたのがイグナイターで外からヘリオスとリュウノユキナ。しかしこれらの追撃を寄せ付けず,ダンシングプリンスが逃げ切って優勝。リュウノユキナが4分の3馬身差で2着。ヘリオスが3馬身差の3着で,道中は一旦は最後尾に下がったレッドルゼルが大外から追い込んでアタマ差の4着。内のイグナイターはクビ差で5着。
優勝したダンシングプリンス は北海道スプリントカップ 以来の勝利で重賞4勝目。大レースは初制覇。ここではスピード能力はトップ。負けるパターンももっている馬ですが,ここは楽なペースで逃げることができました。さらにタイムが早くなったときの方が力を発揮することができるこの馬にとって,そういう馬場になったことも味方したといえそうです。父は2012年にアイビスサマーダッシュとキーンランドカップ,2013年に函館スプリントステークスを勝ったパドトロワ 。母の父はバブルガムフェロー 。母の3つ上の半兄がデュランダル 。
騎乗した三浦皇成騎手は2014年の全日本2歳優駿 以来となる大レース2勝目。管理している宮田敬介調教師は開業から2年8ヶ月で大レース初制覇。
夕食前の血糖値 は193㎎/㎗でした。これは正常値よりは高いのですが,激しい副反応が生じているとはいえないような値です。
就寝前に血糖値を計測したところ,311㎎/㎗と,2度目のワクチンを接種した後では最も高くなりました。これはおそらく副反応が生じていたからだと思います。ただ検温の結果は36.9℃でしたので,午後3時ごろよりも下がっていました。ですので処方されていたカロナールは,この夜も飲まずに眠りました。
4月2日,土曜日。この日は午前8時に起床しました。血糖値は242㎎/㎗と,値としては高かったのですが,体調面は良好でした。もう厳寒期は過ぎていますが,冬場だとこれくらいの血糖値が朝食前に出ることはいくらでもあるのです。
昼食前の血糖値は169㎎/㎗でした。だいぶ下がってきたといえるでしょう。
夕食前の血糖値は95㎎/㎗で,これは平常値です。ですから副反応はこの時点では完全に終了していたといえます。血糖値の下がり方から推測すると,早ければこの日の朝,少なくともこの日の昼には終わっていたとみてよいと思います。この血糖値の変動はシックデイ ではなく,ワクチン接種による副反応によることがほぼ間違いありませんでしたので,僕は血糖値が高かったからといってインスリンの注射量を増やすという措置は講じていません。ですからいきなり血糖値が下がるということはなく,徐々に正常値に近づいていくというのが自然なあり方なのであって,4月1日の就寝前に出た血糖値が高すぎますので,それがすぐに正常値に戻るのはむしろ異常といえるのです。
総じていえば,3度目のワクチン接種による副反応は,1度目の副反応よりはひどかったといえますが,2度目よりは楽でした。これは2度目のときよりも僕の身体がワクチンに対して慣れていたからだとみることもできるでしょうし,副反応という観点だけでいえば,武田/モデルナ製のワクチンの方が,ファイザー製のワクチンよりも僕の身体との相性がよかったからだとみることもできるでしょう。ただこのことについても,真の原因がどこにあったのかということについては,はっきりと断定することはできません。
盛岡競馬場のダート1800mで争われた昨日の第12回JBCレディスクラシック 。ゴールデンヒーラーは出走取消で11頭。
逃げたのはサルサディオーネ。2番手がヴァレーデラルナで3番手にショウナンナデシコ。4番手はレーヌブランシュとグランブリッジ。6番手にプリティーチャンス。7番手にジュランビル。8番手にアナザーリリックで9番手にユノートルベル。前半は後方にいたテリオスベルは向正面で3番手まで進出。サルサレイアだけが馬群から離れた最後尾を進みました。スローペース。
テリオスベルが進出したことにより,3コーナーからはサルサディオーネ,ヴァレーデラルナ,テリオスベルの3頭が雁行に。直線に入るとサルサディオーネが脱落。さらにヴァレーデラルナがテリオスベルを競り落としました。内を回ったショウナンナデシコと外を回ったグランブリッジが追い上げてきましたが届かず,ヴァレーデラルナが優勝。外のグランブリッジがクビ差で2着。ショウナンナデシコが1馬身4分の1差で3着。
優勝したヴァレーデラルナ は重賞初挑戦での大レース制覇。この馬は芝のデビュー戦で4着に負けた後,2戦目のダートで初勝利。以降はダートだけを使い4戦連続して2着の後,3連勝していた上昇馬。ここはこの路線でのトップクラスがこぞって参戦していましたので,そこで勝利をつかみ取ったのはとても高く評価できます。迫ってきた2着馬もこの馬と同じ3歳馬ですので,この路線は世代交代が達成されたとみてよいでしょう。父はドゥラメンテ 。Valle de la Lunaはスペイン語で月の谷。
騎乗した岩田望来騎手はデビューから3年8ヶ月で大レース初制覇。管理している藤原英昭調教師はドバイシーマクラシック 以来となる大レース18勝目。第1回 ,2回 を連覇していて10年ぶりのJBCレディスクラシック3勝目。
絆創膏を剥がさなかったことが原因で腕の痛みが生じなかったということが結果として生じたということ,他面からいえば,その日のうちに絆創膏を剥がすことが原因になって,翌日以降に副反応としての腕の痛みを発症したということは,第一部公理三に反するわけではありません。個別の事象は個別に,つまり個別の結果には個別の原因が対応するのですから,これはこの公理に反しないというだけで,この因果関係が正しいということを示すわけではありません。しかし誤っているということを積極的に示しているわけでもないのです。実際に僕は絆創膏を剥がさなかったときには痛みをさほど感じず,絆創膏を剥がしたときには痛みを強く感じました。そして絆創膏を剥がさなかった妹は痛みを感じなかったということは事実です。当日のうちに絆創膏を剥がさないということは,それを試すのに困難があるということではありません。ですからもしそれで副反応を抑制することができないのであるとしても,試す価値はあるだろうと僕は思います。
それでは腕の痛み以外の副反応がどうであったのかを示していきます。
すでにいっておいたように,僕は接種の翌日の4月1日は8時25分に起きました。そしてそのときの血糖値 は202㎎/㎗でした。
朝食を食べた後,僕は外出しています。これは食料品の買い物です。さほど遠くないスーパーへの買い物でしたから,午前10時50分には帰宅しています。この日はこれ以降は外出せず,ずっと家にいました。前もってそうできるようにしておいたからです。
12時25分に昼食を摂りました。このときに食べたのは午前中に買い物に行ったときに買ってきたパンです。このときの血糖値は249㎎/㎗でした。
2度目の接種のときは接種してから概ね24時間が経過してから副反応,これは腕の痛み以外の副反応を意味しますが,その副反応が出始めました。この時点でまだ24時間は経過していませんでしたが,血糖値としては高いですから,その予兆を感じました。
接種から24時間が経過した午後3時に検温したところ,37.5℃でした。これは高いですが僕はこれくらいの熱なら普通に生活できます。
昨晩の第43回サンタアニタトロフィー 。アランバローズは左海騎手の個人的な都合により笹川騎手に変更。
好発のスマイルウィがハナにいくと,逃げたかったアランバローズが並び掛けていき,この2頭が並んで逃げるようなレースに。3番手を併走したリンゾウチャネルとキャッスルトップの4頭が先行集団。2馬身差でファルコンビークが続き,その後ろのサヴィとゴライアスとメイショウワザシの4頭が好位集団。2馬身差でクロスケとマムティキングが続き,4馬身差でハルディネロ。12番手にゴールドホイヤー。13番手にアングライフェンとマッドルーレット。2馬身差でコパノジャッキーとノーブルサターンが最後尾を併走。前半の800mは48秒7のミドルペース。
前の2頭は向正面から徐々に後ろを離していき,直線に入るあたりで3番手のリンゾウチャネルとの差は3馬身。スマイルウィとアランバローズは5頭分くらい内を開けての競り合い。リンゾウチャネルはさらに外まで出しましたが差を詰めることができず,道中からフィニッシュまで前の2頭のマッチレース。一旦は外のアランバローズが前に出たものの,再び差し返したスマイルウィが優勝。アランバローズがクビ差で2着。リンゾウチャネルが2馬身半差で3着。
優勝したスマイルウィ は京成盃グランドマイラーズ 以来の勝利で南関東重賞2勝目。この馬はそれを勝った後の2戦も1600mの南関東重賞で2着でしたから,出走メンバーの中では上位の1頭。2着馬も僕が4頭の有力候補のうちの1頭とみていた馬で,道中から競り合いにはなったものの,ペースもそれほど上がらなかったため,その2頭で決着することになりました。この距離での南関東重賞なら大きく崩れることは考えにくいと思います。父はエスポワールシチー 。
騎乗した大井の矢野貴之騎手は埼玉新聞栄冠賞 以来の南関東重賞29勝目。サンタアニタトロフィーは初勝利。管理している船橋の張田京調教師は南関東重賞8勝目。サンタアニタトロフィーは初勝利。
同じワクチンを接種したのにも関わらず,僕は腕の痛みを感じたけれども妹はそれを感じなかったこと,また,1度目の接種と2度目の接種には感じた痛みを,僕が3度目の接種のときには感じなかったということについては,スピノザの哲学を利用して考察しただけでも,絆創膏をその日のうちに剥がしたのか剥がさなかったのかということとは関係なく,生じ得る事象であるということが理解できます。第一部公理三 によって,ある結果effectusが発生したのであればその結果を発生させた必然的な原因 causaがあるのですが,この公理 Axiomaから理解することができるのはそのことだけです。したがって,腕の痛みが結果として発生した,つまりワクチンの接種の結果として発生したことについてはその必然的な原因があるのであって,それがワクチンの接種そのものであったことは間違いありません。ただし,ワクチンを接種すれば必然的に腕の痛みが発生するのかといえば,必ずしもそうではないということが,妹の例および僕の3度目の接種のときの例から明白です。ですからワクチンを接種しなければ腕の痛みが発生しなかったということはその通りではありますが,腕の痛みの発生の原因をワクチンの接種だけに求めることはできません。しかし第一部公理三からして,原因がなかったということはできないので,それ以外の個別の原因があったということが理解できるのです。つまり第一部公理三は,個別の事象の結果に対して個別の原因があるということをいっているのであり,その原因が何であるのかということを示しているわけではありません。
その個別の原因が何であったのかということは,確実にこれであるということはできません。ですから,僕が3度目のときにはその日のうちに絆創膏を剥がさなかったこと,また妹は1度目も2度目もその日のうちに絆創膏を剥がさなかったことが,痛みが生じなかった,あるいは生じたとしてもきわめて軽微であったことの原因であると断定できるわけではありません。しかしそれは断定できないというだけなのであって,そうではなかった,それが原因ではなかったということを意味しているわけではありません。むしろそうだった可能性も示します。
10月28日に指された第44期女流王将戦 三番勝負第三局。
振駒は歩が4枚で里見香奈女流王将の先手となり,5筋位取り中飛車。後手の西山朋佳女王の向飛車でしたが,先手がすぐに2筋に飛車を戻したので,先手の居飛車,後手の振飛車の対抗型の将棋になりました。先手が急戦策を採用。
3筋で銀の交換が行われたところ。先手の急戦ではよくありますが,この将棋は後手の方が2筋の位を取っているので,純粋な対抗型とは異なります。後手はそれを生かして第1図で☖2六歩と突きました。
これに対しては☗1五銀と打ち,☖2二飛に☗2六銀と取り,銀を手放しても歩得で互角という形勢でした。ただ自ら仕掛けて交換した銀を受けのために手放して互角というのでは,急戦策を採用したのがあまりうまくいっていないということなのだろうと僕は思いました。
先手がどう思っていたかは分かりませんが銀は打たずに☗同歩と取りました。ただこれには☖4五銀と手厚く打つのが好手。☗3七飛に☖2六飛☗2七歩☖7六飛☗7七歩☖5六飛と捌いて後手が優勢です。
対抗型の急戦は玉の固さに差があるので,居飛車有利の分かれでも振飛車にチャンスが訪れることはままありますが,振飛車有利の分かれになってしまうと居飛車が勝つのは容易ではありません。この将棋も第2図以降の先手はノーチャンスでした。
2勝1敗で西山女王が女流王将を奪取。第41期 ,42期 に続き3期目の女流王将獲得です。
僕は1度目と2度目はファイザー製のワクチンを接種しましたが,3度目は武田/モデルナ製のワクチンの接種でした。したがって,第二部自然学②公理一 に即していえば,1度目と2度目に対して3度目は,動かす方の物体の本性 naturaも異なっていたことになります。だから1度目と2度目は腕の痛みはあったけれども,3度目はそれほどの痛みを感じなかったということは,接種したワクチンおよびそのために使用された注射器の本性の相違によるものであったという可能性も否定することができないのであって,絆創膏の処置の仕方によって変化があったと断定することができるわけではありません。
ワクチンおよび注射器の本性の変化というのは,いくつかの意味をもっています。まず単に,ファイザー製と武田/モデルナ製では,注射するワクチンの成分が異なります。ですから単にこのことをもって,ファイザー製のワクチンと武田/モデルナ製のワクチンでは,その現実的本性 actualis essentiaが異なるというのは明白だといわなければなりません。
さらにこの現実的本性の相違は医学的にも意味をもつのであって,このためにふたつのワクチンは接種する量が異なっています。単純に体内に入れる成分の量だけでいうと,武田/モデルナ製のワクチンは,ファイザー製のワクチンのおよそ半分です。そして注射しなければならないワクチンの量が異なるのであれば,おそらくそれに使用する注射器も異なったものになると考えられます。よって,注射器の現実的本性も,ファイザー製を使用する場合と武田/モデルナ製を使用する場合では異なることになると推測され,その注射器の現実的本性の相違が,腕の痛みの有無の相違となって表れたという可能性も否定することはできないでしょう。
また,接種するワクチンの量そのものの影響も考えられないわけではありません。もしもある特定の物質が僕の腕の痛みを発生させるとして,その成分がファイザー製のワクチンにも武田/モデルナ製のワクチンにも同じように含まれているとするなら,含まれている量自体は武田/モデルナ製の方が,半分になるかは分かりませんが,少なくはなるでしょう。よってそれも痛みの有無の原因 causaになり得ます。
京王閣記念の決勝 。並びは吉田‐坂井‐高橋の関東,森田‐平原‐宿口‐中田の埼玉で,佐々木と北井は単騎。
平原がスタートを取って森田の前受け。5番手に吉田,8番手に佐々木,最後尾に北井で周回。残り3周のバックを過ぎると佐々木がインから上昇。中田の後ろに入ったので,5番手に佐々木,6番手に吉田,最後尾に北井という隊列に。ホームで誘導を外した森田は後ろを牽制しつつ打鐘前のバックから発進。だれも追い上げてこなかったのですが突っ張り先行のような形になりました。この後のコーナーでまた佐々木がインから上昇。ホームで宿口の内に取り付きましたが,ここは宿口が守りました。バックに入って吉田が発進。しかしこれはさほどの勢いがありませんでした。吉田がいけないとみた坂井が自力で発進。こちらはよいスピードでしたが,森田の番手の平原が合わせて出て執拗に牽制。このために内が開き,そこを突いた宿口が抜け出して優勝。平原の牽制でスピードを失ったものの,平原を差すことはできた坂井が半車身差で2着。平原が4分の3車輪差で3着。
優勝した埼玉の宿口陽一選手は昨年10月のドームスーパーナイトレース 以来となるGⅢ2勝目。記念競輪は初優勝。このレースは埼玉勢が4人で結束しましたので,森田の先行が有力。ただ早い段階からの先行になったので,番手を回った平原にはあまり余裕がなかったようです。坂井を牽制しての動きではありますが,宿口のために内の進路を開けたとも受け取れますので,自身が優勝できなくても埼玉勢から優勝者が出ればよいという考えが平原にはあったのではないかと思います。そういう意味では森田の頑張りと平原のアシストを受けての宿口の優勝だったということになりそうです。
僕も妹もファイザー製のワクチンを接種したのですから,ワクチンの構成成分は同一です。また,接種した会場は異なりましたが,横浜市の集団接種という点では同じなのですから,接種のために用いた注射器に大きな違いがあったとは思えません。それなのに僕は腕の痛みを感じましたが,妹は感じなかったのです。そして接種後の処置の相違として僕と妹とで何かが異なっていたのだとすれば,それは注射した部位に貼られた絆創膏を,腕の痛みが出る前の当日の夜に剥がしたか,剥がさずに貼ったままにしておいたかという点が,僕にとって思い当たるところでした。なので僕は3度目の接種のときには当日のうちにはそれを剥がさないまま入浴して眠ったのであり,かつこのことが腕の痛みを軽減させる可能性があるのではないかと推測していたのです。そして実際にその腕の痛みは,まったくなかったということはないのですが,1度目と2度目に比べればかなりましでした。というかその比較の上では出なかったといえるくらいでした。
ただし,これは本当に絆創膏を貼ったままにしておいたからそうなったと断定できるわけではありませんので注意してください。スピノザの哲学を利用して少しだけ説明を加えます。
第二部自然学②公理一 から理解できるように,現実的に存在するAという物体corpusとBという物体が関係することによってAという物体に何らかの運動motusが生じるとき,この様式はAという物体の本性 naturaからと同時にBという物体の本性から生じます。この場合でいえば,僕の腕の痛みというのは,僕の腕の本性と同時に注射したワクチンおよび注射器の本性から生じるのです。一方,この接種によって妹の腕に何らかの運動が生じる場合にも,それは妹の腕の本性とワクチンおよび注射器の本性から生じるのです。なので,同じ注射器で同じワクチンをほぼ同じ腕の部位に接種したとしても,僕は腕に痛みを感じ,妹は痛みを感じないということは,絆創膏の処置をどうするかということとは無関係に生じ得ることです。僕の腕の現実的本性 actualis essentia,もっといえば僕の身体 corpusの現実的本性と,妹の腕あるいは身体の現実的本性は,異なった現実的本性であるからです。