現在、我々の置かれている状況というものは、もはや瓦礫同然と化した原子炉建屋の上部に核燃料プールが乗っている、あるいは曝露された核燃料に水をかけ流ししていて、その同じ島で暮らしているという、平時から見ればとんでもない状態にある。
思えば冷戦期においては、地球を何度も破壊し尽くせるほどの核弾頭が各国に配備され、どこかの国の数人の誰かが連鎖的に何かの間違いを重ねた末に「ぽちっとな」と「核ボタン」を押せば、ほんの20分足らずで着弾して地表が灰になるという、まさに「危なすぎて仕事なんかしてられっか!」という状況だったが、そうした冷戦期の危うさと現在の危険とはまた種類が異なる危機状態だ。
だが、どんな危機状態であろうと、人間は必ず慣れる。慣れてしまう。
そして、慣れきった時が一番危ない。
たとえば、事故直後には外出前に必ず風向きと近場のモニタリングポスト(MP)をチェックしていた人は多いと思う。では今ではどうか。
毎日、出かける前には必ず数値と推移を確認していたのが、そのうち一日一度に減り、週に一回になり、最近は全く見なくなった?
このような「収束ムード」すら漂う中、2012年1月2日から、福島市内の観測地点でセシウムの降下量が激増していることが発表された。
この原因は、今のところ、原発からの新たな放射能漏れ(放射性物質の漏えい)ではなく、福島市内での放射性物質を含む汚泥や瓦礫を焼却したことによる焼却灰、または土埃による二次飛散ではないかと見られている。
だが、このセシウムの降下量の増大が発表されたのは1月4日になってからだ。
つまり、何か異常が起きても、「数値が異常でした」と発表されるのが2日後で、「影響のある人」が取り上げるのはさらに数時間~数日後、一般人の話題になるのはさらにその後で、原因が判明するのはさらにず~っと後のこと。
つまり、「知らないうちに放射性物質が舞う中を出歩いてしまっていた」ということは現在でも十分に起こりうるのだ。というか既に起こっている。
とはいえ、モニタリングポストを毎時間チェックしていたとしても、異常に気付くのは1時間後なのだ。これでも遅い。
そもそもモニタリングポストとは、「(付近の原子力関連施設からの)放射能漏れが無い」「放射性降下物が無い」ことを示すためのものであって、その地域一帯が安全か危険か、または避難をすべきレベルなのかを知るためのものではない。
だが、「事前の警告」があったとして、それが果たしてどれほどの効果を持つかは、はっきり言って疑問だ。
当初の10km圏内の避難指示でさえ、「安全だけど」「万一のことを考えて」「とりあえず」と説得してやっと避難させた(だからペット・貴重品も置き去りにした人が多かった)くらいだったと聞いている。
事故から二か月後に東電が「メルトダウン」をしぶしぶ認めるまでの間の、安全バイアスに支配された人々による「危険を煽るな」「デマを流すな」という、あの異常な興奮状態は忘れられない。
「津波てんでんこ」にならって、「原発てんでんこ」という言葉があるらしい。逃げられる人は他者に構わず逃げろということだが、安全バイアスに支配された人など放っておけというのはまだしも、ただやみくもに逃げたのでは、逆にプルームの真っただ中を通ってしまうおそれがある。プルームとは放射性物質を含む霧のことだ。もちろん人間の眼には見えない。
このプルームの流れを考えれば、避難、すなわち漏えい元から遠ざかる・または風下を避けるために移動するよりも、とりあえずプルームが通過するまでの間は、まず屋内退避することを考えた方がよいのではないか。
以下に示すのは、2011年の3月初頭からの関東南部の空間放射線量の推移を示すグラフと表である。これをもとに考えてみる。
(nGy/hはnSv/hに相当。1nSv/h=0.001μSv/h)
単位:nGy/h
3月15~16日にかけて、三派にわたりプルームが通過したのが分かる。しかし、何号機のどの事象が原因で放射性プルームが生じたのかさえ、いまだ確定はしていない。
原発から放射性物質が放出されると、風向きによるが数時間で首都圏まで到達するが、雨や雪とぶつからなければ、プルームは数時間で通過する(一部は落下するが)。ただし2000メートル級の山は越えられないため、山地に当たるとそこにほぼ全量が降下する。奥多摩などにホットスポットが生じた(これもずっと後になってから分かった)のはそのせいだ。
2011年3月15~16日にプルームが通過したこの間、公的機関およびマスコミからは事前も事後も何の警告も注意も無かった。何もだ。なッにッもッ!!
また、3月21日から23日にかけて首都圏は雨にみまわれたが、この時、グラフにあるように、雨の降り始めからモニタリングの値は急上昇を続けたが、公的機関からの注意報などはほとんどなかった。
私が2011年3月21日に外出する予定を取りやめたのは、「なんかイヤな予感がするぜ!」という動物的なカンよりも、単に「雨が降っててかったりー」という怠惰によるものだったに過ぎない。
「3月21日に何かあるとドイツの気象庁が言ってる」のは情報として知ってはいたが、当時は猛烈に否定的に取り上げられており、ほとんど「海外の連中が過剰反応をしている」「危険を煽るな」という声にかき消されがちだった。事前情報と言えば、いくつかの自治体が、「健康に影響ないけど」「念のため」というレベルでさりげなくサイトに掲載した程度だ。
逆に、ある新聞社などは、空間線量がぐんぐん上昇しているさ中、「降雨時に空間放射線量が上昇するのは自然現象」なる記事をウェブサイトに載せていた。
上のグラフを見れば一目瞭然であるが、通常の降雨時の上昇と、放射性物質を含む雨とでは、放射線量の上昇幅も、その後の線量の下降スピードも全く異なる。放射性雨は降雨後も放射性物質(主にセシウム)が残るため、降雨後もピーク時に近い線量を維持し、その下降スピードもなだらかだ。線量減少のスピードは降雨に含まれる物質の半減期による。ヨウ素が含まれていれば当初はある程度急減を示し、その後鈍化する。つまり、放射性降雨があった場合、線量の減り方でヨウ素の有無、つまり原発で新たな核反応が起きたために放出されたのか、それとも二次飛散によるものかどうかが推測できる。
結局、「3月15日と16日に放射性プルームが首都圏を通過しました」とか、「3月21日に大量の放射性物質が雨とともに降り注ぎました」ということが分かったのは、ず~っと後になってからのことである。リアルタイムでは発表などされなかったし、ましてや事前に「~かもしれない」「~のおそれがある」の段階で公に警告が出されることなど、今後も無いだろう。
まして事前に風向きなども含めてプルームの流れを把握するなど不可能に近い。よって「素早く避難したつもりが、逆にプルームの真っただ中に突っ込んでしまった」という事態を避けるために、異常時にはやみくもに非難するよりも、まず屋内に退避することを優先した方がよいのではないか。
上のグラフを見ると分かる通り、プルームは数時間で通過する(通過後は放射線量は急減する)。この期間を屋内でやり過ごした方が出歩くよりはマシである。
都内の空間放射線量が最大に達したのは3月15日のプルーム通過時で、3月21日に降雨で放射性物質が降下定着したときではない。もしも、3月15日のプルーム通過時に都内で大規模な降雨があったならば、今のこの国のあり方はだいぶ違っていただろう。
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思えば冷戦期においては、地球を何度も破壊し尽くせるほどの核弾頭が各国に配備され、どこかの国の数人の誰かが連鎖的に何かの間違いを重ねた末に「ぽちっとな」と「核ボタン」を押せば、ほんの20分足らずで着弾して地表が灰になるという、まさに「危なすぎて仕事なんかしてられっか!」という状況だったが、そうした冷戦期の危うさと現在の危険とはまた種類が異なる危機状態だ。
だが、どんな危機状態であろうと、人間は必ず慣れる。慣れてしまう。
そして、慣れきった時が一番危ない。
たとえば、事故直後には外出前に必ず風向きと近場のモニタリングポスト(MP)をチェックしていた人は多いと思う。では今ではどうか。
毎日、出かける前には必ず数値と推移を確認していたのが、そのうち一日一度に減り、週に一回になり、最近は全く見なくなった?
このような「収束ムード」すら漂う中、2012年1月2日から、福島市内の観測地点でセシウムの降下量が激増していることが発表された。
この原因は、今のところ、原発からの新たな放射能漏れ(放射性物質の漏えい)ではなく、福島市内での放射性物質を含む汚泥や瓦礫を焼却したことによる焼却灰、または土埃による二次飛散ではないかと見られている。
だが、このセシウムの降下量の増大が発表されたのは1月4日になってからだ。
つまり、何か異常が起きても、「数値が異常でした」と発表されるのが2日後で、「影響のある人」が取り上げるのはさらに数時間~数日後、一般人の話題になるのはさらにその後で、原因が判明するのはさらにず~っと後のこと。
つまり、「知らないうちに放射性物質が舞う中を出歩いてしまっていた」ということは現在でも十分に起こりうるのだ。というか既に起こっている。
とはいえ、モニタリングポストを毎時間チェックしていたとしても、異常に気付くのは1時間後なのだ。これでも遅い。
そもそもモニタリングポストとは、「(付近の原子力関連施設からの)放射能漏れが無い」「放射性降下物が無い」ことを示すためのものであって、その地域一帯が安全か危険か、または避難をすべきレベルなのかを知るためのものではない。
だが、「事前の警告」があったとして、それが果たしてどれほどの効果を持つかは、はっきり言って疑問だ。
当初の10km圏内の避難指示でさえ、「安全だけど」「万一のことを考えて」「とりあえず」と説得してやっと避難させた(だからペット・貴重品も置き去りにした人が多かった)くらいだったと聞いている。
事故から二か月後に東電が「メルトダウン」をしぶしぶ認めるまでの間の、安全バイアスに支配された人々による「危険を煽るな」「デマを流すな」という、あの異常な興奮状態は忘れられない。
「津波てんでんこ」にならって、「原発てんでんこ」という言葉があるらしい。逃げられる人は他者に構わず逃げろということだが、安全バイアスに支配された人など放っておけというのはまだしも、ただやみくもに逃げたのでは、逆にプルームの真っただ中を通ってしまうおそれがある。プルームとは放射性物質を含む霧のことだ。もちろん人間の眼には見えない。
このプルームの流れを考えれば、避難、すなわち漏えい元から遠ざかる・または風下を避けるために移動するよりも、とりあえずプルームが通過するまでの間は、まず屋内退避することを考えた方がよいのではないか。
以下に示すのは、2011年の3月初頭からの関東南部の空間放射線量の推移を示すグラフと表である。これをもとに考えてみる。
(nGy/hはnSv/hに相当。1nSv/h=0.001μSv/h)
単位:nGy/h
3月15~16日にかけて、三派にわたりプルームが通過したのが分かる。しかし、何号機のどの事象が原因で放射性プルームが生じたのかさえ、いまだ確定はしていない。
原発から放射性物質が放出されると、風向きによるが数時間で首都圏まで到達するが、雨や雪とぶつからなければ、プルームは数時間で通過する(一部は落下するが)。ただし2000メートル級の山は越えられないため、山地に当たるとそこにほぼ全量が降下する。奥多摩などにホットスポットが生じた(これもずっと後になってから分かった)のはそのせいだ。
2011年3月15~16日にプルームが通過したこの間、公的機関およびマスコミからは事前も事後も何の警告も注意も無かった。何もだ。なッにッもッ!!
また、3月21日から23日にかけて首都圏は雨にみまわれたが、この時、グラフにあるように、雨の降り始めからモニタリングの値は急上昇を続けたが、公的機関からの注意報などはほとんどなかった。
私が2011年3月21日に外出する予定を取りやめたのは、「なんかイヤな予感がするぜ!」という動物的なカンよりも、単に「雨が降っててかったりー」という怠惰によるものだったに過ぎない。
「3月21日に何かあるとドイツの気象庁が言ってる」のは情報として知ってはいたが、当時は猛烈に否定的に取り上げられており、ほとんど「海外の連中が過剰反応をしている」「危険を煽るな」という声にかき消されがちだった。事前情報と言えば、いくつかの自治体が、「健康に影響ないけど」「念のため」というレベルでさりげなくサイトに掲載した程度だ。
逆に、ある新聞社などは、空間線量がぐんぐん上昇しているさ中、「降雨時に空間放射線量が上昇するのは自然現象」なる記事をウェブサイトに載せていた。
上のグラフを見れば一目瞭然であるが、通常の降雨時の上昇と、放射性物質を含む雨とでは、放射線量の上昇幅も、その後の線量の下降スピードも全く異なる。放射性雨は降雨後も放射性物質(主にセシウム)が残るため、降雨後もピーク時に近い線量を維持し、その下降スピードもなだらかだ。線量減少のスピードは降雨に含まれる物質の半減期による。ヨウ素が含まれていれば当初はある程度急減を示し、その後鈍化する。つまり、放射性降雨があった場合、線量の減り方でヨウ素の有無、つまり原発で新たな核反応が起きたために放出されたのか、それとも二次飛散によるものかどうかが推測できる。
結局、「3月15日と16日に放射性プルームが首都圏を通過しました」とか、「3月21日に大量の放射性物質が雨とともに降り注ぎました」ということが分かったのは、ず~っと後になってからのことである。リアルタイムでは発表などされなかったし、ましてや事前に「~かもしれない」「~のおそれがある」の段階で公に警告が出されることなど、今後も無いだろう。
まして事前に風向きなども含めてプルームの流れを把握するなど不可能に近い。よって「素早く避難したつもりが、逆にプルームの真っただ中に突っ込んでしまった」という事態を避けるために、異常時にはやみくもに非難するよりも、まず屋内に退避することを優先した方がよいのではないか。
上のグラフを見ると分かる通り、プルームは数時間で通過する(通過後は放射線量は急減する)。この期間を屋内でやり過ごした方が出歩くよりはマシである。
都内の空間放射線量が最大に達したのは3月15日のプルーム通過時で、3月21日に降雨で放射性物質が降下定着したときではない。もしも、3月15日のプルーム通過時に都内で大規模な降雨があったならば、今のこの国のあり方はだいぶ違っていただろう。
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