北海道新ひだか町静内海岸
洲本城代家老稲田家(淡路島)の一行が静内に到着したのは明治4年
明治改元直後の同時期に士族が北海道に移住したのは戊辰戦争で幕府方に付いて敗れた会津藩と仙台藩などごく一部だ。
洲本城代家老稲田氏一行が北海道に移住することになったのは明治3年1870年6.11 の庚午事変(こうごじへん)がきっかけだ。
徳島藩蜂須賀氏は公武合体派で稲田氏は尊王攘夷派で藩内で内紛があり、蜂須賀方が急襲した。稲田方は犠牲者を多数出しながら無抵抗で耐えた。その結果、徳島藩側主謀者10人切腹、八丈島への終身流刑27人、その他禁固。10.15 朝廷から被害を受けた稲田家の稲田邦植と家臣全員が、北海道の静内郡と色丹島へ移住開拓を命ぜられた。
稲田家の墓誌 新ひだか町静内
稲田家の墓 新ひだか町静内
牧場もあった
静内地方は馬の生産地
祭の踊りが残っている
稲田家と伊達家の北海道移住