同支社大学が名誉博士号を贈ったのは、
1945年(昭和20年)に獄死した韓国人の詩人、尹東柱(ユンドンジュ)さん、
同志社大学は過去の過ちを認めた上で、
歴史の暗部に光を当てるための名誉博士号授与だそうです。
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そう、日本では歴史の暗部に触れることをためらう傾向があります、
過去の過ちを素直に、謙虚に認めることが、
次の時代を切り拓いていく前提だと思うのですが、、、
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過去の日本国の過ちを認めようとすると、
一部保守層からの『自虐的歴史観』という陰湿な言葉の刃が飛んできます、
政治や教育の現場でも、直截的な反省行為を避ける傾向があると考えています、
この記事も『自虐的歴史観』と非難を受けるのかな??
、
本題に入りましょう、
詩人の尹東柱さんとは?
ソウルの大学を卒業後、立教大学(キリスト教系)を経て、
1942年(昭和17年)の同志社大学(キリスト教系)に入学、
ハングルで詩を書いていました、
第2次世界大戦下の時代、国は尹東柱さんを抗日運動に参加したとして逮捕、投獄、
1945年2月に獄中で亡くなりました、27歳、
素直に、27歳の青年がなぜ獄中で亡くなったのか?疑念が湧きます、
そこで何が起こったのか?想像に難くありません、
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2025年、この尹東柱さんに同志社大学が名誉学士号を贈りました、
その理由は・・・
同志社大学が戦時中に犯した過ちに光を当てるため、
素直に過去の過ちを直視し、過ちを繰り返さないための礎を築くため、
というようなことのようです、
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では、同志社大学が戦時中に犯した過ちとは・・・
毎日新聞2025年2月14日(金)夕刊1面に詳しく掲載されていますが、
残念ながら本記事は有料記事 ⇒ こちらで会員になれば読めます、
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ので、ざっくり要約します、
同志社大学が戦時中に犯した過ちとは・・・
以下は毎日新聞記事から要約抜粋、
(「同志社百年史」から、同志社大学神学部教授 小原克博教授が語った内容)
・神棚事件(1935年) 同志社高等商業学校(当時)の柔剣道場の創設者:新島襄の肖像画に代えて、学生が無断で神棚を設置
・チャペル籠城事件(1937年) 配属将校に扇動された学生が礼拝堂に立てこもり、キリスト教儀式の廃止、マルクス主義教授の処分を求めた
・定款の改訂(1940年) キリスト教主義を残しつつ、定款で教育勅語の理念に配慮、
記事によると、この定款の改定で、
“同志社は戦時体制への最後の曲がり角をまがった”そうです、
軍国主義に迎合した同志社大学はこの後、外国人教師を次々に追放、
学徒出陣を後押しし、多くの学生を戦場へ送り込みました、
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国民の自由と権利を奪った戦時下の日本国、
それに抗しきれなかった同志社大学、
この歴史の暗部を素直に直視し、その過ちの本質を明らかにすることで、
次の時代に同じ過ちをしないよう警笛を鳴らす、
これがまさに同志社大学が目指している未来の姿だと思いました、
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実はワタシも同志社大学OBです、
が、戦時中の同志社の暗部について考えたことはないし、
触れたこともなかったです、はい、
、
今まさに世界でいくつもの戦争が進行している2025年、
尹東柱さんへの名誉博士号授与は、
同志社大学の平和への祈りを体現した英断と歓迎します、
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1995年、キャンパス内に在日コリアンの同志社OBらにより詩碑がたてられました、
そこに刻まれている尹東柱さんの詩です、
死ぬ日まで空を仰ぎ 一点の恥辱なきことを、
葉あいにそよぐ風にも わたしは心痛んだ。
星を歌う心で 生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を 歩みいかねば。
今宵も星が風に吹き晒される。
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