千恵子さんの切り絵

2013年01月31日 | 思う

最近の私ですが、ある一定量のお酒を飲みますと

記憶がまだらに飛びます。

先日などは、オークションで古本を買った(らしい)のですが

酔った状態で入札したので、記憶に残りませんでした。

2週間くらいして、入金がないので「キャンセル」させていただきますというメールをいただいた時には驚きました。

なんなく「高村光太郎」の本を(入札したかもしれない)の夢のような記憶もあり

相手様には深くお詫びをして買わせていただきました。

私が買った!と確信したのは、その本が500円だったから。

酩酊状態でも、抑えるとこは抑えているのね わたくしー

前置きが長くなりました。

本が届いて、少しページの取れかかった本を手に取り、

落ち着いた気持ちで本を開きます。

思っていた以上に良い本でした。

私は「光太郎先生」の蝉や柘榴などの木彫りの小作品に心を動かされ

その本の中の「千恵子」さんの切り絵に感動し

書かれている内容、詩集ではわからない2人の生活を知りました。

この小さな蝉を、千恵子は大事そうに懐にしまって、機嫌よく過ごしていたんだと

その気持ちがよくわかる気がいたしました。

千恵子の切り絵に話を進めます。

この本によると、千恵子が切り絵を作り始めたのは、

見舞いにやってくる光太郎がもってくる手土産の包装紙や

缶詰のレッテル、チョコレートの銀紙、せんべいの袋など

ただ台紙に貼ることから始まったものらしい。

驚くべき速さで上達し、光太郎も驚いてそれからは、上質の紙も持って行ったとのことです。

先の反ったマニキュア用の挟を使い、仕上がったものは

丁寧にしまわれ、光太郎が来たときだけお見せして、

モチーフになる花や果物に嬉々とお辞儀をして

独り言を言いながら制作を始めたというのです。

※ みづゑ 1976年 7月号より

私は、古い本特有のにおいを感じながら、光太郎の作品と

千恵子の切り絵の色や形、反りかえった小さな挟で切った細い細い線

薄い紙が(たぶん年月によって)少し折り目がついているのですら

あ いえ あの小さな折り目は必要だと感じた千恵子がつけたのかしら

どれも無駄なく、簡潔、色使いもすばらしい

じっと眺めていますと、なんだかとっても丁寧な気持ちになり、

ついついわたしもお辞儀をしてしまいたくなるのです。

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これですもの

光太郎は 「千恵子」 「千恵子」 と生きているときも呼び

肉体がなくなっても 「千恵子」 「千恵子」 と呼ぶんだわ。

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