スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

三井晩鐘は琵琶湖に轟いて・・・

2007-05-25 22:43:06 | 西国三十三箇所めぐり



<14番札所  長等山 園城寺(三井寺) (ながらさん おんじょうじ (みいでら))



園城寺というよりも「三井寺」の名のほうが有名。

天台寺門宗の総本山で、古くから日本四箇大寺の一つに数えられている。
俗に「三井寺」と呼ばれるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」と呼ばれていたものからきているとか。

重要文化財の仁王門は1452年の建立。徳川家康が甲賀の常楽寺より移築・寄進したものだ。
この門をくぐると目の前に国宝の金堂。今は修理中であるが、お堂内の仏像は観る事が出来た。

三井の晩鐘は、宇治の平等院、高尾の神護寺とともに日本三名鐘に数えられ、荘厳な音色は「日本の残したい音風景百選」にも選ばれている。300円で突かせてくれるのだ。

広大な境内にある「仁王門」「釈迦堂」「鐘楼」そして、左甚五郎の龍の彫刻がある「閼伽井屋」。弁慶の引き摺り鐘がある霊鐘堂。室町時代の「一切経蔵」。「唐院」。1616年建立の「毘沙門堂」など全て重要文化財なのだ。

14番札所の観音堂の本尊は「如意輪観音」は平安時代の重要文化財で、33年ごとに開扉される秘仏。


徳川家康により移築・寄進された仁王門。

本尊の弥勒仏は天智天皇が信仰していた霊像。現在の建築は豊臣秀吉の北政所により1599年に再建された、桃山時代を代表する名建築である。


榊莫山書による石碑があった。


三重塔。


観音堂。本尊の「如意輪観音」は、33年ごとに開扉される秘仏。


観月舞台。


何しろ境内は広大だ!


大津の街並みと琵琶湖を一望できるのだ。


「源氏物語」が生まれた瀬田川のほとり

2007-05-25 21:02:55 | 西国三十三箇所めぐり


<13番札所  石光山 石山寺 (いしやまでら)



琵琶湖に注ごうとしている瀬田川のほとり。
1200年前、聖武天皇の勅願により良弁僧正によって開基されたものだ。
良弁僧正は奈良東大寺の創建者。東大寺の建築資材は琵琶湖周辺の山から切り出されたとき、この石山の地から奈良に運ばれたとか。

36000坪の境内には、日本唯一の巨大な天然記念物、世界的にも珍しい「硅灰石(けいかいせき)」があり、境内一帯がこの石の上にあり、国宝の蓮如堂、本堂、多宝塔が奈良、平安、鎌倉時代からの文化財が鎮座している。

国宝の本堂には、聖徳太子伝の秘仏「如意輪観世音菩薩」をはじめ、紫式部が「源氏物語」を執筆した「源氏の間」がある。


仁王像が出迎える東大門。


本堂には「如意輪観世音菩薩」が・・。


境内のカエデは美しい。


硅灰石の上には「多宝塔(国宝)」がある。この多宝塔には大日如来坐像がある。次回開扉は2024年である。


硅灰石とは、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したものだ。これが石山寺の「石山」の起こりとなったのです。


本堂から見下ろすと、カエデの緑色が綺麗だ。

この日は、小学生の課外学習とかで、高学年の一団が本堂をはじめ、境内のいたるところで、メモを取っていた。

東大門前の駐車場となる一角は、土産物店、食堂が軒を連ねている。琵琶湖・瀬田川の「志じみめし」が名物なのかノボリがはためいていた。

次の「園城寺(三井寺)」に急ごう!


雷除け・汗かき・厄除け観音

2007-05-25 17:42:29 | 西国三十三箇所めぐり

<12番札所  岩間山 正法寺 (岩間寺)(いわまさん しょうほうじ (いわまでら))>

場所:滋賀県大津市石山内畑町82


不動明王を祀る不動堂。

滋賀県と京都府の境にある標高445m岩間山嶺上にあり、静寂に包まれた境内には「芭蕉池」もある。

養老6年(722年)泰澄大師が第44代女帝元正天皇の勅命で建立、本尊は「汗かき観音」「雷除観音」「厄除観音」として親しまれている。

本尊の「金銅造千手観音立像」は身の丈15cm。インドのエンブ川で採れる砂金で作られたもので、元正天皇の御念持仏とか。
泰澄大師が自ら等身の千手観音像を刻み、元正天皇の御念持仏をその胎内におさめ祀ったと伝えられている。
現在、その切り株より育った「桂」は、「夫婦桂」といわれている。

境内には、日本一の「桂」の大樹群があり「長寿桂」の樹姿は、圧巻である。


「長寿桂」の樹は、祀られているのだ。


445mの岩間山中腹にある境内から、大津市方面の眺め。

写真を撮るのも忘れるほど、腹ペコだったのだ。
午後1時30分頃、昼食はこのお寺の駐車場での車中となった。

境内の「お土産品」は、全て無人販売なのだ。参拝者を信じての商売なのだ。

松尾芭蕉が『古池や蛙とびこむ水のおと』と詠んだといわれる「芭蕉の池」があるのだが・・・。
その句碑を見ることも無く、次のお寺へ・・・。


太閤秀吉が観桜の宴を・・・

2007-05-25 15:19:24 | 西国三十三箇所めぐり

西国一の難所、笠取山を登る!

<11番札所  深雪山 上醍醐寺(みゆきやま かみだいごじ)>
場所:京都市伏見区醍醐醍醐山1


本堂の「准胝堂」。

創建は874年。ここの山水が「醍醐水」だ。
開基の理源大師聖宝がこの地を訪れた時、現れた老翁が泉の水をすくって飲み、「ああ醍醐味かな」と言って仏法を広めるように言い残したことから「醍醐寺」建立の起源となったという。
千年を経て今も、清水が湧き出ているのである。

「(下)醍醐寺」と「上醍醐寺」の両寺をあわせて「醍醐寺」といい、世界文化遺産に登録されている。

本堂の観音堂には准胝(じゅんてい)観音像が安置されている。現在の建物は昭和43年に再建されたもの。
国宝の薬師堂は907年の創建。薬師如来と日光月光の二菩薩(国宝)が安置されている。

この上醍醐寺は、西国三十三箇所の中で一番の難所と言われている。
 
この上醍醐寺へは、下醍醐寺から豊臣秀吉が醍醐の花見をした「槍山千畳敷」を経ての2kmの登り道である。かなりの急坂とか。

そんなにキツイなら・・・ということで、今回は東側の逆コースである横嶺峠から笠取山の尾根をつたってその頂上にある上醍醐寺を目指したのである。
裏道であるが、かなり楽な道だと聞いていたのだが・・・。とてもとても・・・楽とは・・・。
車で登る途中、山の中で自然に生えている「お茶」の葉っぱを摘んでいる人たちもいたが・・・。さすがお茶の本場である。こんなのんびりもここまで。

京都国際カントリークラブへの道に車を停め、急な階段と石ゴロの登り道で、杖を頼りにあえぎあえぎながらの30分間である。今日は、特に夏日であり、暑い! 汗が吹き出る!

五大堂の下にたどり着き、一息いれ、更に10分ほど下りて平安時代の代表建築である「国宝・薬師堂」前を通り、本堂の「准胝堂」へ。

健脚でないと正面突破は苦しい。そんな中、毎日のように下醍醐寺から上醍醐寺、更に横嶺峠に抜けるコースを歩いておられる方もおられるのだが・・。
帰り道も同じ距離。小さな石の出っ張りに、盛り上がった木の根っ子に上がらなくなった足をつまずかせながらの巡礼帰り道であった。

さて、次の「岩間寺」へ・・・。


急な坂道が続く・・・。さすが西国三十三箇所で一番の難所だ。

五大堂。五大力さんとして広く信仰されている。

国宝の「薬師堂」。薬師如来と日光月光の二菩薩が安置されている。


宇治から近江へ

2007-05-25 12:01:38 | 西国三十三箇所めぐり

夏日と思われる暑さの昨日、京都府・岐阜県をまたに駆けて5箇所を巡ってきた。
10番札所の宇治市の三室戸寺からスタートし、14番の三井寺まで・・・。

午前7時過ぎ自宅出発。昼食はコンビニのおにぎりでを車中で摂るというハードな今回である。

今回の巡礼で、各お寺で巡拝軸と納経帳へのご朱印を貰うたびに「散華」なる紙の札を貰うことができるのだ。今はまだこれだけだ。全てが揃えば、額に入れようと思っている。

 「散華」




周辺は平安貴族の別荘地・・・

<10番札所  明星山 三室戸寺(みょうじょうざん みむろとじ)>

場所:京都府宇治市菟道滋賀谷21


花の寺としても有名。本堂前のハスの花は7月になれば満開!

開基は光仁天皇。宝亀元年(770年)、宇治山の滝から出現した千手観音像を宇治の離宮(御室)に祀って「御室戸寺」と称したが、その後光仁、花山、白河の三帝の離宮となったことから今の三室戸寺の名になったと言われている。
本堂は江戸時代後期に再建されたものである。
また、宝蔵庫には平安時代を偲ぶ五体の重要文化財の仏像がある。
山門右手の杉木立の中には、一面に紫陽花が蕾を持っている。

その緑色の中に、ピンクや赤・しろのシャクナゲが・・・そして、山麓一面に植えられ咲き終わったツツジの剪定作業が行われていた。

このお寺はハスの花が見事だとか。葉っぱだけの睡蓮が幾つも置かれており、鉢の中で繁殖している藻の掃除をされていた。綺麗なハスの花が本堂前で見られるのだ。
7月末~8月始めが見頃だと言われていた。
枯山水、庭園も見事で、池には錦鯉が一杯。近づくと餌を求めて寄ってくる。気持ち悪いほどの大群で・・・口をあけて・・・。

5000坪の境内は、花の名所としても有名なのだ。

 
「大山レンゲ」という花も蕾が・・・。また咲き終わった花には種(?)が・・。

紫陽花の葉っぱの中に「シャクナゲ」が・・・。周囲、そして奥にはツツジの木が・・・。咲き終わり剪定されていた。