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<22番札所 補陀洛山 総持寺(ふだらくさん そうじじ)>
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場所:大阪府茨木市総持寺1-6-1
承和年間(834-847年)、藤原高房が任地の太宰府に向かう途中、息子の政朝が川に落ちてしまうが、翌朝、政朝が大きな亀の背中に乗って帰ってきたという。この亀は高房が前日に漁師から買い取り、川に放した亀であったとか。
感謝した高房は寺の建立を発願。観音像を刻む香木を唐人に祖国で探してくるように頼んだ。
数十年後、『藤原高房公に贈る』と刻まれた白檀が流れ着いたが、この時、高房は既に亡くなっていた。
中納言になっていた子供の政朝が、白檀で仏師に彫らせたのが亀に乗った千手観音だという。
しかし政朝もほどなく死去。その子らがようやく伽藍を完成させたのは890年であったとか。
仁和2年(886年)にこの千手千眼十一面観音を本尊として祀ったのが総持寺の創始と伝えられている。
この観音を「子育て観音」として愛され続いているのは、この父子の姿なのかも知れない。
また、千手観音の本尊は、織田信長の焼き討ちに遭ったとき、その下半身は焼け焦げたが、上半身は焼けずに金色に輝いていたという。このことから、以後、「火除け観音」とも呼ばれ崇敬を集めたといわれている。
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「山門」は楼門形式の堂々とした立派な建物である。お寺の周辺は、住宅と工場が立ち並び、某エレベータ会社の塔も見える。
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これは、何の花だろうか? キョウチクトウ?
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広場奥正面に豊臣秀頼が再建したといわれる「本堂」が建てられている。
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これは境内にあった像。表記されていなかった。これは誰なのかなぁ。