スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

桜を訪ねて「西吉野方面の里」⑪

2008-04-04 22:41:53 | 奈良県・三重県の桜探訪

サクラ・桜・sakura・・・追いかけております。
「もう、桜のことはいいよ!」なんて言わないで、もう少し付き合ってくださいネ。
あとわずかです。すぐに散ってしまいますから・・・。
なんてこと、言いながら、今日も五條市の桜を訪ねました。

<賀名生(あのう)の里>

この賀名生(あのう)という地名。素直に読める人は少ないと思います。「がなう」?「がなお」?「??? 」?

この地の由来は、延元元年(1336年)に遡ります。
足利尊氏によって京の都を追われた後醍醐天皇がこの地に逃げ延びてきて、ここに1週間住まわれたのです。
ということから「賀名生皇居跡」として奈良県の文化財に指定されているのです。
天皇が現在の堀家の先祖「堀孫太郎信増」の家、つまり写真に写っているワラ葺きの屋敷に留まられたのです。これが今日も堀家の住まいとなっているのです。

その昔「穴生(あなふ)」と呼ばれていたこの地に夢現実の願いを込めて「叶名生(かなふ)」と名付け、願いが叶ったという喜びを記して、再度この地の名前を「賀名生(あのう)」という名が付けられたとか。


▲「賀名生皇居跡」にある枝垂桜。





▲賀名生皇居跡の裏山(北側)は、華蔵院跡だと言われています。道の途中で車を停め、皇居跡を上から撮った。

<樫辻の里>

「賀名生(あのう)皇居跡」から、すぐ近くの道から樫辻町に向ったのだが・・・道を間違え・・・梅林の道を進むことに・・・。とうとう頂上に。道端の日陰のところに溶けていない雪の塊が・・・。

人を見つけては道を尋ねて・・・やっとのことで樫辻の集会所(専崇寺樫辻分教場跡)にたどり着いた。

『女姫桜(おとひめさくら)』と名づけられた樹齢200年の枝垂れ桜・・・。
咲きかけは濃いピンク色で、満開時には白く華やかになるのです。
ちょうど満開です。






▲樹齢200年の『女姫桜(おとひめさくら)』 

<吉野町・飯貝の里>

帰途、吉野川の橋の向こうに、寺院の建物とともに桜の花が見えた。
「浄土真宗・本願寺派『本善寺』」とあった。
山門の右手に桜。山門をくぐると満開の桜の木が・・・2本、3本・・。枝垂れ桜も・・・。
まさかこんなところに綺麗な桜があるとは・・・。









まだ続きます。

桜を訪ねて「西吉野方面の里」⑩

2008-04-04 12:40:03 | 奈良県・三重県の桜探訪

<唐古・梨子堂の里>

下市町の梨子堂地区にある「円正寺」に向います。
このお寺の山号は『桜華山』です。
山門と枝垂桜・・・いい感じです。
まだ蕾です。


▲「円正寺」に向う途中、「唐古地区」の「光台寺辺りの花の園」です。


▲『桜華山・円正寺』の枝垂桜。これが満開になれば・・・どんなに綺麗でしょう!


▲境内の内側からの眺めです。奥に↓に紹介の民家の桜も写っています。


▲これは、お寺の前にあった民家の庭に植えられた桜です。蕾硬し・・・というより、逆光です。

<栃原の里>


▲栃原地区の民家の石垣にありました。

<小路の里>

今は、下市町に来ています。
吉野川沿いの阿知加地区を通り小路(しょうじ)地区にある「浄徳寺」に向っています。
「浄徳寺」の裏山にある枝垂桜と、真向かい側の民家横にある枝垂桜を訪ねました。


▲どうも枝先が枯れかかっていて・・・蕾も付いていなかった。ご近所の方に聞くと、年々、花が少なくなっているとか。根元を見ると藤の蔓が木に巻きつき周りの樹木に養分を採られているようだ。


▲「浄徳寺」の真向かいにある枝垂桜とモクレン。(正面より)右端のハクモクレンが枯れているとのこと。また、この木も年々花が少なく、左下側の枝が枯れているようだ。残念だ。


▲上の写真を横から撮ってみた。

さて、次は、五條市の「賀名生(あのう)の里」と「樫辻の里」に向います。