▲発掘現場は、写真下の中央部。中央にあるのは箸墓古墳。桜井市内方向の写真(毎日新聞より)。
『纒向遺跡・・・卑弥呼の宮殿か?』と、今朝の新聞で奈良県桜井市・纒向遺跡で大型建物跡が見つかったと、桜井市教委が発表したと報道された。
今年の春、3世紀前半の建物跡や凸字形の柵が見つかり、その後引き続いて行われた発掘によって、東西方向の同一直線上で南北対称となるよう計画的に配置されている建物跡が見つかり、卑弥呼の「宮殿」の可能性があるという。
以下、新聞から抜粋・・・・
・・・・『推定床面積は約238平方メートル。弥生時代最大規模の環濠(かんごう)集落で、邪馬台国九州説の候補地である吉野ケ里遺跡(佐賀県)で最も大きい「主祭殿」(2~3世紀)の約1.5倍になる。
また、同一直線上で南北対称となる建物配置は、同時期までには例がない。飛鳥時代(7世紀)の宮殿と共通する特徴で、当時の王権中枢の一角であった可能性が高い。』・・・・
・・・・『この纒向遺跡は、奈良県桜井市の三輪山西側に広がる3~4世紀の大規模集落遺跡。東西約2キロ、南北約1.5キロに、最古級の前方後円墳とされる纒向石塚古墳や、卑弥呼の墓との説がある箸墓(はしはか)古墳がある。各地の土器が持ち込まれ、邪馬台国の最有力候補地とされる。71年から発掘調査が始まり、今回で166回目だが、小規模な発掘が多く、全体像は分かっていない。』・・・・<o:p></o:p>
▲毎日新聞11/11朝刊。
▲想像される建物とか・・・。
卑弥呼(248年頃没)と、同時代の3世紀前半の大型建物跡で、柱穴が南北19.2m、東西6.2mの大きさで整然と並び、同じ時代の建物では国内最大級だとか。
邪馬台国の大和説、九州説・・・いろいろ意見が分かれるそうですが、素人の私には分かりません。
ただ、この纒向地区には、箸墓古墳や纒向石塚古墳など多くの古墳や遺跡があり、まだ対象面積全体の5%しか調査されていないとか・・・。
卑弥呼の墓と言われる箸墓古墳から、魏の皇帝から貰ったとされる金印が見つかるか、皇帝からの贈り物の開封を防ぐための封印の粘土(封泥)が見つかればいいのですが・・・。
これらの発掘調査を通じて、1700年前のご先祖の様子を知りたいと願っております。
14、15日には、現地説明会があります。是非、訪ねたいと思っています。