スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

天誅組の足跡を訪ねて ①

2010-01-09 22:16:35 | 志に生きた天誅組・・・終焉の地を訪ねて

最近、サボっております。
でも記事にはしていませんが、東吉野村や五條市を走り回って写真を撮っています。
一昨日は、粉雪が舞う東吉野村の山奥を、「凍結注意」の道路看板を横目に、また今日は、五條市内の細い路地を地図を片手にウロウロしておりました。

前々から東吉野方面を走っていると「天誅組・・・の碑」なんて書かれたものを目にしたことがあったのです。
そもそもこの「天誅」って、何と読むのか・・・。まして「組」と付くからには何か悪い人の集団なのでは・・・・なんて思っておりました。
でも、悪い人のためにこんな立派な石碑とは???  と、思っていましたが・・・それっきりで・・・。 

それにしても多い石碑や看板・・・。そして何年か前、これが「てんちゅうぐみ」と読むと知った。決して悪い人の集団ではないことも・・。

いろいろ調べてみると、先週の日曜日からNHKドラマで「龍馬伝」がスタートしているが、この竜馬より先に活躍した天誅組は幕末維新の心でつながっているようで・・・・。
では、この天誅組とは、どんなメンバーで何を目的に、このヤマトを舞台になぜ『天誅組の変』を起こしたのか・・・。

天誅組に詳しくない私が「大和の天誅組の変」を綴るには、かなりの無理があるが、史跡めぐり通して素人の目で彼らの生きざまを知りたくて・・・現地を訪ね、同じ空気を吸いながら肌で感じたかったのです。
尊王攘夷派によって試みられた最初の倒幕武装蜂起・・・・明治維新のさきがけとなる彼らの行動・・・。

毎日、少しずつ、アチコチの資料を頼りに綴っていきますので、お付き合いください。



▲高知県高岡郡梼原町にある『維新の門』。この梼原の地は土佐の山奥ながら、幕末の志士を輩出した町なのです。
左から前田繁馬(天誅組)、那須信吾(天誅組)、吉村虎太郎(天誅組)、中平龍之助、掛橋和泉、沢村惣之丞、坂本龍馬、那須俊平。
左半分は「動」の動きを、右半分は「静」の動きで、左右対称を成しています。この像の動きでも、3名の天誅組メンバーの荒々しさが伝わってきます。

明日は、大和・五條の元代官所跡からスタートです。