一週間のご無沙汰です。
地域の催しへの参加、親戚の不幸ごと、家の用事などなど・・・いろいろあって・・・。
やっと明日香の里の夕景を撮りに出掛けることができました。
でも、朝焼けと同様、綺麗な夕焼けには出会えません。
向った先は「雷丘」と書いて、「いかづちのおか」。
はじめは難しくて・・・読めませんでした。「IKAZUCHI HILL」の看板を見て、初めて「いかづち」と読めました。
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▲明日香にある雷丘(いかづちのおか)から金剛山に沈む夕陽を撮りましたが・・・どうもスッキリしません。
この「雷丘」は、甘樫丘の北、飛鳥川と山田道の交差する辺りの20mほどの小高い丘です。 『日本霊異記』に、雄略天皇の命を受けた臣下の小子部栖軽(ちひさこべのむらじすがる)がこの丘で雷を捕えたという伝説が記されています。
そういえば今日でも、この辺りでは天候が変わりやすく、雷の多いところとされています。周りの山々と大和平野の気象の関係でしょうか。カミナリ多発地帯にある「雷丘」・・・。
「雷丘(いかづちのおか)」の語源由来は、イカ(厳)ツ(助詞)霊(チ)と言われていますが・・・。
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▲『大君は神にしませば 天雲の 雷の上に 庵(いほ)りせるかも』柿本人麻呂
「大君は神でいらっしゃるので、天雲の中にいる雷の上に 仮の宮殿をお造りになっていらっしゃることだ」
人麻呂が「天皇、雷丘」に出でます時」に作ったと題する歌で、天皇とは一般に天武天皇のこととされている。「日本書記」や「日本霊異記」に、雷神の降臨する説話を伝える聖なる丘であったことが記されており雷丘(いかづちのおか)の名もこれに由来しているらしい。<明日香・案内看板より>
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▲この雷丘からは、2005年11月に5世紀後半の円筒埴輪の破片が多数見つかっています。臣下は雷丘に葬られたとの伝承もあり、古墳があった可能性が高いようです。
金剛山に落ちる夕陽・・・一瞬ですが、赤く染まりました。
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▲雷丘のすぐ近くからは、畝傍山、二上山、葛城山が見渡せます。
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▲冷たい風が、葛城山・金剛山を越えて・・・肌を刺します。
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▲八釣の里にも立ち寄ってみました。綺麗な夕焼け雲には出会えませんでした。残念!!