スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

大和の奇祭・・・「御綱祭り」 ②

2011-02-12 10:41:34 | 出来事


昨日の続きです。

昨日(2/11)は、3年ぶり8cmほどの積雪。朝方の5時頃から止むことなく降り続いています。
そんな銀世界のなか、『御綱祭り』の追っかけで・・・スノータイヤを履いたカミさんの車で出掛けました。

午前8時からの祭典に合わせて、「雌(女)綱」側の大西地区・市杵島神社に向かいます。境内の南東隅にある「御綱神社」にて、御幣を立て、神饌を供えて催される神事が催されました。
雌(女)綱が置かれた御綱神社・建屋には「大神神社」の提灯が吊り下げられています。聞くと、神主さんは大神神社から来て貰っているためという・・・大神神社の一部では、ないとのこと。


▲am8:00 「御綱神社」で神事が行われました。8本の御幣。青竹に杉の枯れ葉に火を点けて・・・その灯かりの中で厳かに・・・。

 
▲神事のあと、綱と区民の皆さんに御祓いが・・・「無事に行われますように・・・」

仲人役・地区の役員が揃い、祝詞奏上、御祓いのあと、力付けのためお神酒が振舞われた。


▲お神酒を頂き・・・身体を暖め・・・いよいよ出発の時間です。

神主さんと仲人さんの先導により、いよいよ綱が担がれて相撲場へ・・・。狭い家並みを縫いながら掛け声と共に進みます。
ところが、あいにくの積雪で踏ん張る足が滑ります。危険なため、今回は一部の区間車に乗せて移動するとのこと。怪我人がでないようにとのことで、致し方ないことです。
途中、相撲場となる田圃では、泥相撲を取ります。(今回は、江包地区に移動したため、撮影出来ず)
泥がつけばつくほどその年は、豊作になるとか。雪と泥にまみれ途中でお酒を飲みながら約1時間ほど行われます。


▲いよいよ担がれて・・・出発です。


▲先導は、神主さんと仲人さん。綱に雪が積もり・・・濡れて重くなります。


▲雪の中、雌綱は進みます。

一方、雄綱の絵包(えっつみ)地区では、「化粧直し」され、引き綱がつけられる。
その後、お神酒を飲んで・・・。境内に置かれた引き綱の上に、祝い事があった家の人々を藁をかぶせ、次々と担ぎ手がかぶさっていく。手荒い祝福だ。今年は、祝う家がなかったが、何かと祝い事をつけて、藁の中に連れ込んでいた。


▲コチラは、雌綱の江包地区。お神酒を飲んで・・・。


▲江包地区で前年に祝い事があった家の人達を、この藁の中に連れ込んで、手荒い祝福をするのです。

やがて綱は、相撲場に運ばれます。今回は、コチラも相撲場まではトラックターでの移動です。

暫くののち、江包地区の泥相撲が始まった。泥が付くほど豊作になるといい、泥の塗りあい合戦だ。四股名は、奥さんの名前に「山」や「川」を付けて、行事の呼び込みです。例えば『美智子山~』と・・・。
大阪場所がなくなったため、「江包場所」開幕だ!。「八百長、するなヨ!」と、観客の声。土俵には観客から雪が投げ込まれ・・ますます冷たさが増します。休憩を挟んで3回ほどの取り組みが1時間ほど催された。


▲雄綱の江包地区の相撲場です。泥と雪のなか、泥んこになります。泥がつけばつくほどいいのですが・・・泥はシャーベット状。力士たちは、寒くて痛いと言っていた。


▲雄姿です。


▲力士たちは、時々、身体を暖めに焚き火にあたります。奈良県警のおまわりさんも抱きつかれて・・・背中に泥が・・・。


▲大西地区の「雌(女)綱」。アスファルトの上は、足が滑ります。


▲大西地区の「雌(女)綱」です。雪が積もって・・・


▲大西地区の「雌(女)綱」が初瀬川の向こう側を通って・・・進みます。先に素盞鳴神社に到着です。ここで、雌綱が「舟入り」の形にされ、雄綱を待つのです。


▲江包地区の雄綱は、大西地区の仲人役・喜田さんの7度半の「呼び使い」に応じて、やっと相撲場から担ぎ上げられます。



▲雄綱は雌綱めがけて・・・さぁ、突入です。よいアングルを狙うカメラマンが邪魔(危険)になって・・・罵声と怒声が飛び交います。

素盞鳴神社の前で「入船式」が行われ、両者が繋がって、神前に吊るされる予定だったが、余りの重さに耐え切れず吊り下げる支柱が倒れたため、吊り下げを諦めることに・・・。
尻尾は、雄・雌の両方とも長く張って、雌綱は、初瀬川を越えて対岸の大木にくくりつけられた。


▲あまりの重さに支柱が倒れ掛かり、吊り下げが困難です。1時間掛けても・・・無理でした。


▲何とか、「入舟式」だけは終えることができたが・・・結果、吊るすことが出来なかった。


▲何とか「入舟式」を終えました。下になっているのが雌綱。上にあるのは雄綱です。見事なドッキングです。この形で吊り下げられる予定だったが・・・。


▲両地区が入り乱れて称えあいます。コチラにも、お酒を勧められたが・・・あいにく車のため・・・断ったが・・・。
老人いわく・・・『わしらの若い頃は、綱を川に入れて、わざと重くして運んだものや。今の若いモノは、力ないなぁ。仕方ないけどなぁ。』



▲双方の参加者が手打ちし、大西側の仲人と村役だけが残り、江包側と社殿で式が行われた。



文部省の方も3日間にわたり、この奇祭の一部始終を見に来られ、村人にいろいろと尋ねておられた。無形民俗文化財(既に県としは登録済み)としての視察なのだろうか。

大西地区の雌綱を作る藁(ワラ)は、村の役員が1反3畝(1,089㎡)の稲藁をコンバインで粉砕せずに天日干ししたものとか。

過疎化が進む中で、江包地区は40戸、大西地区では85戸余りで、この祭りを守り続けておられる。若者が少なくなり、元々旧正月10日に催されていたが、今日では祝日となる211日に催されている。

『いつまで、続けられるか・・・。若い人たちに繋いでいきたいのです。』と、昨年までの仲人役・喜田さんは心配されていた。
この奇祭がいつまでも続いていくことを願うものです。


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まさかの大雪。
靴と上着は、ずぶ濡れ。長靴でなく、はじめは傘を差していたが邪魔になって・・・カメラに雪が積もるのを払いながらの撮影となった。
加えて、泥んこの人達の中をウロウロしたため、上着にも泥が・・・。
撮り終えたのは、午後1時40分。約6時間の撮影です。ぐったり疲れました。
でも、珍しい雪景色の中、貴重な祭りを見ることが出来ました。


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