<32番札所 繖山 観音正寺(きぬがさやま かんのんしょうじ)>
場所:滋賀県蒲生郡安土町石寺2
宗派:天台宗
本尊:千手千眼観世音菩薩
開基:聖徳太子
聖徳太子が琵琶湖の中から出てきた人魚に、『仏道を信じず生前に無益な殺生を重ねてきたため、こんな姿にされてしまいました。どうか成仏できるよう、ここに観音さまを安置し、供養して下さい』と頼まれたという。
この願いを聞き入れた聖徳太子は、千手観音像を自ら刻み、推古13年(605年)に堂を建立し、観音像を祀ったのが寺の創始である。
かつての本堂は明治15年(1882年)に彦根城にあった建物を移したものであったとか。
ところが平成5年(1993年)5月22日に全焼したのだ。これにより本堂に安置されていた重要文化財の本尊、木造の秘仏千手千眼観音立像をはじめ平安後期の毘沙門天像など仏像9体も灰燼に帰したのだ。
平成16年(2004年)3月に再建され、本尊の千手千眼観世音菩薩坐像はインドから特別の許可を得た白檀で造られている。
同年5月22日に落慶されたもので、まだ本堂の裏側は工事が続いていた。
駐車場に建つ石碑。ここからの参道は平坦な木立の中を歩くのだ。本来の参道は「繖山」の麓から自然石や丸太の細い山道が1.4kmも続くという、三十三カ所最大の難所であったとか。今では、この地まで車で来れるのだ。
山門が無いお寺である。その代わり少し広くなった場所に一対の仁王像が置かれている。むき出しで、大丈夫なんだろうか?
「鐘楼」の造りは簡素である。
この「本堂」は平成16年(2004年)3月に再建され、本堂の周囲はまだ整理中の状態で、裏側も工事中であった。
本尊の千手千眼観世音菩薩坐像は、白檀の原木23トンを使用した高さ4.8mの総白檀造りである。
本堂の廊下に置かれていた大きな「硯石」。これは何だろう?
本堂の右手の山側に大きな石が積まれている。寺の方に聞くと「本堂火災により、もう少し敷地拡張するため、山を削った際に出てきた石です。」と言われていた。ところが途中に大きな石が出てきてそこまでにしたとか。
中央に見える大きな石を動かせなかったため、本堂敷地の拡張を諦めたとか・・・。
巨大な石の上には観音像が佇んでいる。
雨が降る中、境内から下界を撮ったのだが・・・。寺の方に聞くと、湖東方面で、晴天の日には近江平野の眺望がいいとか・・・。
これは「観音正寺」の本堂にて買った小冊子。ご住職が著者・発行されているのだ。
2冊で66項目から成っており、私たちが日頃何気なくつかっている言葉の中に、「仏教語」を使っていることがわかる。
その一つを紹介します。
1.しゃかりき(釈迦力)
私たちは普段何気なく「しゃかりきに~する」と言いますよね。
平仮名で書くよりもカタカナで書いたほうがしっくりしそうな言葉ですが、「釈迦力」と漢字で書けば「へぇ~」とうなずかれるのではないでしょうか。
お釈迦さまは今から約2500年前インドでお生まれになり、苦しむ人々を救おうと仏教を開かれ、すべての人が平安に暮せるように、一生懸命に教えを説かれました。ここから転じてわきめもふらず物事にのぞむさまを「しゃかりき」というようになりました。