スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

すくすく育つ「苗木」たち。

2007-06-26 19:52:51 | 出来事
種から植えたものが芽を出し、少しずつ伸びてきた。


ヤマボウシ。昨年9月に種から植えたものだ。


蝋梅(ロウバイ)。今年1月に親戚から貰ったものだ。昨年暮れに種から新芽が出たところだったのだが・・。


樫(カシ)。今年の春、孫たちが近くの神社で拾ってきた樫の実を植えておいたのだ。


奥の新芽は自宅の椿の根から生えてきたもの。手前の2鉢は親戚の椿の木の下に種が落ちて、生えていたものを引き抜いて持ち帰ったものだ。


孫娘の歯が抜けた!

2007-06-25 16:42:42 | 出来事
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コレ、何だかワカリマスカ?
娘が携帯メールに添付してきた5歳になる娘(孫娘)の「歯」なのだ。

「下の歯なので、屋根の上に投げればいいのよね。
 
マンションだからどこへ投げればいいのかなぁ?」 

1ケ月ほど前から、グラグラしていると聞いていたが・・・。
やっと抜けたのだ。そして、あと2本ほどがグラグラとか。
そして、返答メール発信。(近くに住む嫁ぎ先の実家があるので・・・。) 
「○○家の屋根に投げさせてもらったら・・・」 

こんな風習って、まだあるのかなぁ?
わが家だけ?




平成5年に本尊・秘仏9体も灰燼に・・・

2007-06-24 11:21:42 | 西国三十三箇所めぐり

<32番札所  繖山 観音正寺(きぬがさやま かんのんしょうじ)>  


場所:滋賀県蒲生郡安土町石寺2

宗派:天台宗
本尊:千手千眼観世音菩薩
開基:聖徳太子

聖徳太子が琵琶湖の中から出てきた人魚に、『仏道を信じず生前に無益な殺生を重ねてきたため、こんな姿にされてしまいました。どうか成仏できるよう、ここに観音さまを安置し、供養して下さい』と頼まれたという。
この願いを聞き入れた聖徳太子は、千手観音像を自ら刻み、推古13年(605年)に堂を建立し、観音像を祀ったのが寺の創始である。

かつての本堂は明治15年(1882年)に彦根城にあった建物を移したものであったとか。
ところが平成5年(1993年)5月22日に全焼したのだ。これにより本堂に安置されていた重要文化財の本尊、木造の秘仏千手千眼観音立像をはじめ平安後期の毘沙門天像など仏像9体も灰燼に帰したのだ。

平成16年(2004年)3月に再建され、本尊の千手千眼観世音菩薩坐像はインドから特別の許可を得た白檀で造られている。
同年5月22日に落慶されたもので、まだ本堂の裏側は工事が続いていた。


駐車場に建つ石碑。ここからの参道は平坦な木立の中を歩くのだ。本来の参道は「繖山」の麓から自然石や丸太の細い山道が1.4kmも続くという、三十三カ所最大の難所であったとか。今では、この地まで車で来れるのだ。


山門が無いお寺である。その代わり少し広くなった場所に一対の仁王像が置かれている。むき出しで、大丈夫なんだろうか?



「鐘楼」の造りは簡素である。


この「本堂」は平成16年(2004年)3月に再建され、本堂の周囲はまだ整理中の状態で、裏側も工事中であった。


本尊の千手千眼観世音菩薩坐像は、白檀の原木23トンを使用した高さ4.8mの総白檀造りである。


本堂の廊下に置かれていた大きな「硯石」。これは何だろう?


本堂の右手の山側に大きな石が積まれている。寺の方に聞くと「本堂火災により、もう少し敷地拡張するため、山を削った際に出てきた石です。」と言われていた。ところが途中に大きな石が出てきてそこまでにしたとか。


中央に見える大きな石を動かせなかったため、本堂敷地の拡張を諦めたとか・・・。


巨大な石の上には観音像が佇んでいる。


雨が降る中、境内から下界を撮ったのだが・・・。寺の方に聞くと、湖東方面で、晴天の日には近江平野の眺望がいいとか・・・。





これは「観音正寺」の本堂にて買った小冊子。ご住職が著者・発行されているのだ。
2冊で66項目から成っており、私たちが日頃何気なくつかっている言葉の中に、「仏教語」を使っていることがわかる。

その一つを紹介します。

1.しゃかりき(釈迦力)  

私たちは普段何気なく「しゃかりきに~する」と言いますよね。
平仮名で書くよりもカタカナで書いたほうがしっくりしそうな言葉ですが、「釈迦力」と漢字で書けば「へぇ~」とうなずかれるのではないでしょうか。
お釈迦さまは今から約2500年前インドでお生まれになり、苦しむ人々を救おうと仏教を開かれ、すべての人が平安に暮せるように、一生懸命に教えを説かれました。ここから転じてわきめもふらず物事にのぞむさまを「しゃかりき」というようになりました。


300歳(?)の長寿にあやかりたい

2007-06-24 09:04:18 | 西国三十三箇所めぐり

<31番札所  姨綺耶山 長命寺(いきやさん ちょうめいじ)>
 

場所:滋賀県近江八幡市長命寺町157

宗派:天台宗
本尊:千手十一面聖観世音菩薩三尊一体
開基:聖徳太子

景行天皇に仕えた武内宿彌(たけのうちのすくね)がこの山に登り、柳の大木に『寿命長遠諸願成就』の文字を彫って祈願したところ、300年もの長寿を保ったと伝えられている。

その後、聖徳太子がこの地を訪れ山に登り、この柳の木を見て感銘を受け、自らこの木で千手十一面聖観音三尊一体の像を刻み、本尊として祀り、長命寺と名付けたのがこの寺の創始とされている。

戦国時代に焼失した伽藍を再建したのは豊臣秀吉なのだ。
今は、「長生きの観音さん」として、有名である。

 
バス停傍の土産物屋の前を通ると、すぐに石段が出迎えてくれる。ここから808段の参道が続く。雨が降っていることもあって上まで車で・・・???。


コチラは、途中まで車で登る。左の石碑には「健康長寿の観音さん」と彫られている。左の奥には石段が見えている。


このお寺の山門? 極めて簡素なものである。他の寺院とは異なっているのだ。


参道の両脇にはアジサイが・・・「あじさい祭り」が6月末に催されるという。


本堂の正面入り口。でも、本尊はこちら側でなく右に回った面で南側を向いているのだ。


鐘楼のあるところから、手前より護法権現社、三仏堂、本堂、そして三重塔を撮ったのだが・・・三重塔は見えない。雨と霧の中の境内は幽玄の世界だ。


「護法権現社」の裏、山の斜面に大きな岩がある。これは「修多羅岩(すたらいわ)」と呼ばれており、開山、武内宿彌のご神体であると案内されていた。


「三仏堂」は佐々木義秀の菩提を弔うために造立されたもの。釈迦、弥陀、薬師の三尊が祀られている。


ちょっと一休み。雨が振る中、軒を見上げると緑色が綺麗だ! 

琵琶湖・神秘の島にたたずむ寺

2007-06-23 15:30:54 | 西国三十三箇所めぐり

<30番札所  巌金山 宝厳寺(がんこんざん ほうごんじ) >


場所:滋賀県長浜市早崎町1664

宗派:真言宗豊山派。
本尊:大弁才天像。観音堂の本尊は千手千眼観世音菩薩。
開基:行基菩薩。

神亀元年(724年)に聖武天皇の勅願により、行基が竹生島に渡り弁才天像と千手千眼観音を祀ったのがこの寺の創始と伝えられている。

平安時代には天台宗の僧が渡り、天台宗の修行の場として繁栄し、昌泰3年(900年)には宇多天皇も行幸したという。

宝厳寺は湖上の小島にあるにも拘わらず何回も火災に遭っている。
永禄元年(1558年)には堂塔はことごとく焼失。この後、戦国動乱の中、豊臣秀頼の力添えにより寺容が回復したと伝えられている。
かつては「宝厳寺」と「都久夫須磨神社」は一体であり、明治の神仏分離により両者は分離されたのだ。

「神を斎(いつくし)き祀る島」という意味から「斎島(いつくしま)」が島の名前になったとか・・・。


島に渡るには、船便で・・・。長浜港から片道30分。一人往復2980円だ。


竹生島の船乗り場に建っている石柱。「八町」の文字が・・・。1町は110mだから、島から880m以内は殺生、つまり漁をしてはならぬことを示している。


数軒のお土産店を過ぎるとすぐに参道の石段(169段)となる。なんと急なこと・・・。雨に濡れた石段が怖い。



本堂の内部。本尊の弁財天像は行基が刻んだ像といわれており、開扉は60年に一度。日本三大弁財天の中でも、とくに大弁財天像と呼ばれている。


三重塔。国宝の「法華経序品(竹生島経)」、重要文化財の釈迦三尊像などの文化財があるのだ。

よく見かける花なのだが・・・名前が出てこない。

境内にあった樹齢400年の「モチの木」。


本堂から観音堂には急階段を下りることになる。途中に唐門と観音堂がある。


手前が「唐門」。それに密着して屋根が見えるのが「観音堂」である。唐門は国宝。唐門、観音堂共に慶長7年(1602年)に京都東山の豊国廟から移築されたものとか。何れも桃山時代の代表的な建築物である。


観音堂の壁面には、牡丹の花の彫刻が彫られていた。この壁面を右手にして都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)との間に建てられた国宝の「舟廊下」に向かう。


この「舟廊下」も、唐門、観音堂と同じ年、慶長7年(1602年)に豊臣秀頼により京都から移築されたものである。 


都久夫須麻神社。


湖畔に建てられた鳥居に向かって「素焼きの皿」に願い事と名前を書いて鳥居を潜れば願い事が成就するという・・・・。

 
「素焼きの皿」2枚一組で200円。投げたが・・・1枚はやっとのことで潜れたが・・・。隣のご夫婦は二人とも失敗されていたが・・・。


「観音堂」も「舟廊下」も、山の斜面に建っており、舞台造りとなっている。 


昨日(6/22)、琵琶湖の北部・東部に位置する「宝巌寺」と「長命寺」そして「観音正寺」の三箇所にお参りした。
出発時は、曇り空。名神高速に入るころから小雨が降りだした。
長浜港からの始発は9時。30分も前に到着した。雨が本格的に降りだした。
雨の振る中、竹生島行きに乗船するのは、4組の夫婦と2人の男性だけ。
湖面すれすれに飛ぶ「鵜」。この鳥の多さは今や問題とは・・・。
30分間で島に上陸。昔の巡礼者は小船で何時間もかかって来たと思うと・・・ありがたいものだ。
傘をさしながらカメラを濡らさぬように・・・撮影は素早く・・・。雨の中の撮影は大変だぁ。  
3箇所を巡り終えての帰路に、やっと雨が止んだのだが・・・。
巡拝者・観光客が少なく、心が落着く。雨の中の巡拝も、たまにはいいものだ。



琵琶湖の「鵜」の棲みかがこの島だ。この鳥の糞で樹木が枯れつつあると売店の方が言っていた。なんとかならないものなのかなぁ?
だけど、石碑には「殺生はスルナ!」と書かれていたし・・・。樹木は枯れても仕方がないか・・・。
 


竹生島には、僧以外は住むことが許されず、民家がない。お土産店の方たちは、船で島を行き来しているのだ。この日は2軒が開店していた。