国道169号を北に向かい窪之庄町交差点を東へ入る。ここは、奈良市内の南の端に位置する。
途中、「錦の里へようこそ」という看板が見える。 「錦」って?
あとで気づくのだが、この「錦」とは・・・今回訪ねた「正暦寺(しょうりゃくじ)には楓樹が多く、全山紅葉に染められその鮮やかさを愛でて、古人が名づけたとか・・・。そういえば、訪ねた「福寿院」の軒下にも楓の苗木が販売されていた。
駐車場から参道を進むと「日本清酒発祥之地」なる石碑が立つ広場があった。
このお寺で室町時代に「濁り酒が清酒に改良された」とか・・。その建物跡だろうか、石碑の近くには礎石だけが置かれていた。
▲「日本酒発祥之地」の石碑。この周りには、酒蔵建物の礎石?が置かれていた。
先年、この地で、奈良県下14の酒造で作る清酒研究会が奈良県工業試験場とともに、地元産の「こしひかり」と乳酸菌から「酒母」を作ることに成功。
「酒母」は、各酒造に持ち帰り、独自の味付けをして地酒となっている。
この正暦寺は、992年に一条天皇の勅願で、関白の九条兼家(かねいえ)の子、兼俊けんしゅん)大僧正の創建によるもの。
かつて最盛期には86坊の堂塔伽藍が建ち並ぶ大寺であったが、平重衡の南都焼討の際全焼し、建保6年(1218年)信円僧正が真言密教・法相宗の教学禅定の道場として再興され、今は、本堂、鐘楼、福寿院を残すのみ。
▲本堂。かつて86坊の堂塔伽藍があったが・・・今は本堂、鐘楼、福寿院を残すのみ。
国指定重要文化財の1681年に建てられた「福寿院」には、「孔雀明王坐像」や狩野永納の襖絵「富獄」などがある。ここはカメラ持込み禁止のためもあり、今回は、時間の都合でパス。
さすが「楓の里」で、参道は楓樹がおおいかぶさり、隣を流れる菩提仙川の渓流が涼しさを演出してくれる。
今回の目的は、白壁に映える「サルスベリ」の花を撮りに来たのだが、既に遅し。「福寿院」前の巨木に咲く花は散ってしまっていた。
▲外から見る「福寿院」の白壁。残念ながら、サルスベリの花は終わっていた。中には入らず・・・ここの中庭が素晴らしいと、あとで知ったが・・・。残念! 紅葉の頃に訪ねたい。本堂に向かう石段の手前には、100体の石仏が並ぶ。
あきらめて本堂に向う。更に楓の緑色が濃くなる。苔むした石垣が往時の壮大さが偲ばれる。
観音の誓願にちなむ33段、阿弥陀にちなむ48段の石段の登り口には、建て縦列に100以上の石仏が並び、その両側には鎌倉時代の十三重塔が建っている。
▲紅葉の頃は綺麗だろうなぁ。
階段を登りつめたところに建つのが「鐘楼」。その周りのシュウメイギクはまだ蕾。掃除をされていたお寺の方は、「もう少しで咲きますよ。下の庭では咲いていますよ。」と教えて貰った。
▲鐘楼の周りに咲いていた「コムラサキ」と「シュウメイギク」。
本堂には国重文で秘仏の奈良時代の像高35cmの「金剛薬師如来倚像」がある。年に3回ほど観られるそうだ。
本堂の周りは広い。今は緑色の楓樹に囲まれ、ひっそりと佇む。紅葉の頃には多くの観光客が訪ねるのだろう。
▲本堂前には「サルスベリ」が残り少ない花を咲かせていた。
▲本堂横の池には「スイレンが」・・・収蔵庫の横には「ムクゲ」が・・・。
▲渓流の土手に咲く「シュウカイドウ」。福寿院の下にある庭で咲く「ギボウシ」。
▲咲いていた「シュウメイギク」。「ハナトラノオ」。
▲これは「ハナズオウ」の花と豆果だろうか。あまりにも太い木であったため・・・驚いた。
▲参道のいたるところに咲いていた「ヤブラン」と「ヒガンバナ」。
▲枯れている時、歯がないから「ウバユリ」・・。「フヨウ」も咲いてます。
他にも、「ナンテン」の実がたわわになっていた。この実も色付き、「錦」に色を加えるのだろう。
神仏習合の中で、鎮守や仏に献上するお酒を、荘園からあがる米を用いて僧侶が作る酒「僧坊酒」。
これを飲むから「錦色」に染まるのでは・・・なんて思ったりして・・・。
楓樹が色付く「錦の里」・・・秋が深まった頃に訪ねたいところです。
<さらに、近くの「弘仁寺(こうにんじ)」に向います。>