現地時間の12月6日(日本時間の12月7日)、カシオ一家とテディ・ライリーがオプラ・ウィンフリー・ショーに出演。
Cascio's family on Oprah 1/2 HD
和訳は、TACOS TACOS TACOSさんのブログより引用させていただきました。
●カシオ家の紹介…25年間にわたって、秘かにマイケル・ジャクソンと家族ぐるみの付き合いをして、マイケルから「第2の家族」として大切にされてきた一家。マイケルはたびたびニュージャージーにある彼らの家に滞在し、楽しいひとときを過ごしたり、音楽を作ったりしていたが、その関係については全く誰にも知られることはなかった。
ドミニク(父):最初にマイケルに出会ったのは、私がホテルに勤務していたときです。私はスイートルームや貸室の管理をしていて、マイケルはよくそこに滞在していたのです。マイケルは私に、「結婚しているの?子供はいる?」などと質問してきて、ある日子供達に会いたいと言われたのです。
コニー(母):彼は素晴らしかったわ。私たちは、彼を家族の一員のように扱った。KING OF POPとしてではなく、一人の人間としてね。
ドミニク(父):いつも私たちのことを、「愛の家族」「僕の第2の家族」と呼んでいたよ。
フランク(長男):僕が5歳、弟(エディ)が3歳の時から、文字通り、彼と一緒に育ったんだ。彼と一緒に居ることが普通だった。
エディ(次男):マイケルはとても謙虚で、あの"マイケル・ジャクソン"って(スターのような)感じになることはなかったよ。彼は、僕達のマイケル、友達だったんだ。
●ホームビデオを交えながら、しばらく家族で、楽しい食事をした話(マイケルはThanksgivingの時に食べるようなターキーが好きだった)や、甘いもの好きなマイケルが、ネバーランドの自宅にあるようなスイーツがたくさん並んだキャンディーカウンターを、カシオ家にも作るようにしむけた話、マイケルが普通に家でくつろいで、ゴミ出しまでしてくれた話、など、思い出話が続きます。
オプラ:これまで、彼らはマイケル・ジャクソンとの関係を公にすることはありませんでした。小さい頃からマイケルと共に過ごし、ホームビデオの中でピアノを弾いていたエディは、マイケルの指導のもと、作曲を学びました。これから発売されるアルバム「MICHAEL」に、マイケルと共に作った曲が数曲収録されます。
エディ、なぜ今ここ(この番組)に来ようと思ったの?
エディ:なぜなら、マイケルの本当の姿を、世界に知らせることが重要だと思ったからです。特に僕達、家族にとって。
オプラ:初めて彼に会ったとき、あなたは、まだほんの小さな子供だったでしょう?ちょっとママに聞いてみるわ。コニー、ご主人が最初に「マイケル・ジャクソンがちょっと遊びに来るよ」なんて言ったとき、どう思ったの?
コニー:(笑)マイケルは、訪問前に連絡してくることはなかったの。いきなりドアの前に立ってるのよ。たまに夜中にドアをノックしに来ることがあって、私は子供達を起こして(笑)みんなパジャマ姿で半分寝ながら遊んだりしてね。
オプラ:どうやってずっと秘密にしていたの?
エディ:マイケルはとても引っ込み思案なんです。彼は僕達家族の温かさを感じて、僕達が彼を、彼自身でいることを尊重していたのを知っていました。彼は僕達に、よそでマイケル・ジャクソンの事を話すような家族、分かるでしょ?そんな風になってほしくなかった。僕たちは決してそんな事はしませんでした。
コニー:私たちは、マイケルに自分自身でいる機会をあげたかったの。彼がセレブだからそばに居るんじゃなくて、家族として支えたいということを知ってほしかった。だから、不幸なときもずっと一緒にいたわ。私たちはあの不幸な時期の前から彼のことを知っていたけれど…(オプラ:不幸な時期って、児童性的虐待で訴えられたことね?)ええ。私たちはそれで態度を変えることはなかったし、ずっと彼の味方だったし、「ずっとそばに居る」と言っていた。彼は感謝してくれたわ。
オプラ:これはどうしても聞きたいんだけど、その不幸な時期、児童への性的虐待で訴えられたときに、あなたたちには二人の小さな息子たちと娘がいた。子供達に、彼から何か不適切な行いを受けたかどうか確認した?
ドミニク:…父親として、尋ねたよ。(オプラ:父親としてね。)そして彼らは、私をまっすぐみて、「…(いぶかしげに)真剣に言ってるの?」って言った。ただ私は、確認しなきゃいけなかっただけさ。
コニー:子供達には、説明しないといけなかったの。何のことか分かっていなかったのよ。(オプラ:じゃあ、子供達に聞くけど、何か不適切なことはあった? 子供達3人:いいえ。全く。)
エディ:彼は、ハエすら傷つけられなかったよ。彼は本当に優しくて、穏やかな心の持ち主だったんだ。
オプラ:じゃあ、彼が訴えられたと聞き、そしてまた訴えられたと聞き、裁判にかけられた。どう思ったの?
エディ:ばかげてると思った。とんでもないよ。(コニー:最悪よ。)マイケルは標的だった。そして不幸なことに、狙われたんだ。(オプラ:では、その裁判の間に、あなた方の子供達に危険が及ぶと考えたことはなかったのね? 両親:全く。疑いすら持たなかった。)
オプラ:彼自身に子供が生まれてからも、訪ねてきたの?
コニー:ええ。もちろんよ。子供達が生まれたとき、私たちは彼を訪ねたし(オプラ:実際に訪ねて行ったの?)ええ実際に行ったの。とても喜んでくれたわ。(オプラ:彼は子供達を連れてあなた方の家を訪ねたりした?)もちろん!私たちを誰よりも信頼して、子供たちを預けてくれたわ。ベビーシッターや自分の家族以外で、彼が自分の子供達を預けたのは私たちだけよ。
●エディとフランクが、マイケルに影響を受けて音楽を学んだという話をします。そして、カシオ家の地下のスタジオへ…
●このスタジオの一角で、マイケルが宿泊していた話や、朝起きたらダンスの練習をするので、床の一部をフローリングにして、彼のためのダンスフロアにしていたという話をひとしきり。
エディ:(子供の頃このスタジオで)マイケルが朝起きてダンスするのを、隣でずっと見ていたよ。そして何年か経って…ちょっと早送りして2007年のはじめ。彼はこのスタジオに仕事をしに来たんだ。それが僕達の仕事だよ。長い時間をかけて、スタジオにこもり、録音した。ボーカルはまさにこの部屋で録音されたんだ。マイケルは…きっと今とても興奮してると思う。彼がファンのために作ってきた音楽が、やっとみんなもとへと届けられるんだからね。
・・・後編へつづく。
和訳は、TACOS TACOS TACOSさんのブログより引用させていただきました。
●カシオ家の紹介…25年間にわたって、秘かにマイケル・ジャクソンと家族ぐるみの付き合いをして、マイケルから「第2の家族」として大切にされてきた一家。マイケルはたびたびニュージャージーにある彼らの家に滞在し、楽しいひとときを過ごしたり、音楽を作ったりしていたが、その関係については全く誰にも知られることはなかった。
ドミニク(父):最初にマイケルに出会ったのは、私がホテルに勤務していたときです。私はスイートルームや貸室の管理をしていて、マイケルはよくそこに滞在していたのです。マイケルは私に、「結婚しているの?子供はいる?」などと質問してきて、ある日子供達に会いたいと言われたのです。
コニー(母):彼は素晴らしかったわ。私たちは、彼を家族の一員のように扱った。KING OF POPとしてではなく、一人の人間としてね。
ドミニク(父):いつも私たちのことを、「愛の家族」「僕の第2の家族」と呼んでいたよ。
フランク(長男):僕が5歳、弟(エディ)が3歳の時から、文字通り、彼と一緒に育ったんだ。彼と一緒に居ることが普通だった。
エディ(次男):マイケルはとても謙虚で、あの"マイケル・ジャクソン"って(スターのような)感じになることはなかったよ。彼は、僕達のマイケル、友達だったんだ。
●ホームビデオを交えながら、しばらく家族で、楽しい食事をした話(マイケルはThanksgivingの時に食べるようなターキーが好きだった)や、甘いもの好きなマイケルが、ネバーランドの自宅にあるようなスイーツがたくさん並んだキャンディーカウンターを、カシオ家にも作るようにしむけた話、マイケルが普通に家でくつろいで、ゴミ出しまでしてくれた話、など、思い出話が続きます。
オプラ:これまで、彼らはマイケル・ジャクソンとの関係を公にすることはありませんでした。小さい頃からマイケルと共に過ごし、ホームビデオの中でピアノを弾いていたエディは、マイケルの指導のもと、作曲を学びました。これから発売されるアルバム「MICHAEL」に、マイケルと共に作った曲が数曲収録されます。
エディ、なぜ今ここ(この番組)に来ようと思ったの?
エディ:なぜなら、マイケルの本当の姿を、世界に知らせることが重要だと思ったからです。特に僕達、家族にとって。
オプラ:初めて彼に会ったとき、あなたは、まだほんの小さな子供だったでしょう?ちょっとママに聞いてみるわ。コニー、ご主人が最初に「マイケル・ジャクソンがちょっと遊びに来るよ」なんて言ったとき、どう思ったの?
コニー:(笑)マイケルは、訪問前に連絡してくることはなかったの。いきなりドアの前に立ってるのよ。たまに夜中にドアをノックしに来ることがあって、私は子供達を起こして(笑)みんなパジャマ姿で半分寝ながら遊んだりしてね。
オプラ:どうやってずっと秘密にしていたの?
エディ:マイケルはとても引っ込み思案なんです。彼は僕達家族の温かさを感じて、僕達が彼を、彼自身でいることを尊重していたのを知っていました。彼は僕達に、よそでマイケル・ジャクソンの事を話すような家族、分かるでしょ?そんな風になってほしくなかった。僕たちは決してそんな事はしませんでした。
コニー:私たちは、マイケルに自分自身でいる機会をあげたかったの。彼がセレブだからそばに居るんじゃなくて、家族として支えたいということを知ってほしかった。だから、不幸なときもずっと一緒にいたわ。私たちはあの不幸な時期の前から彼のことを知っていたけれど…(オプラ:不幸な時期って、児童性的虐待で訴えられたことね?)ええ。私たちはそれで態度を変えることはなかったし、ずっと彼の味方だったし、「ずっとそばに居る」と言っていた。彼は感謝してくれたわ。
オプラ:これはどうしても聞きたいんだけど、その不幸な時期、児童への性的虐待で訴えられたときに、あなたたちには二人の小さな息子たちと娘がいた。子供達に、彼から何か不適切な行いを受けたかどうか確認した?
ドミニク:…父親として、尋ねたよ。(オプラ:父親としてね。)そして彼らは、私をまっすぐみて、「…(いぶかしげに)真剣に言ってるの?」って言った。ただ私は、確認しなきゃいけなかっただけさ。
コニー:子供達には、説明しないといけなかったの。何のことか分かっていなかったのよ。(オプラ:じゃあ、子供達に聞くけど、何か不適切なことはあった? 子供達3人:いいえ。全く。)
エディ:彼は、ハエすら傷つけられなかったよ。彼は本当に優しくて、穏やかな心の持ち主だったんだ。
オプラ:じゃあ、彼が訴えられたと聞き、そしてまた訴えられたと聞き、裁判にかけられた。どう思ったの?
エディ:ばかげてると思った。とんでもないよ。(コニー:最悪よ。)マイケルは標的だった。そして不幸なことに、狙われたんだ。(オプラ:では、その裁判の間に、あなた方の子供達に危険が及ぶと考えたことはなかったのね? 両親:全く。疑いすら持たなかった。)
オプラ:彼自身に子供が生まれてからも、訪ねてきたの?
コニー:ええ。もちろんよ。子供達が生まれたとき、私たちは彼を訪ねたし(オプラ:実際に訪ねて行ったの?)ええ実際に行ったの。とても喜んでくれたわ。(オプラ:彼は子供達を連れてあなた方の家を訪ねたりした?)もちろん!私たちを誰よりも信頼して、子供たちを預けてくれたわ。ベビーシッターや自分の家族以外で、彼が自分の子供達を預けたのは私たちだけよ。
●エディとフランクが、マイケルに影響を受けて音楽を学んだという話をします。そして、カシオ家の地下のスタジオへ…
●このスタジオの一角で、マイケルが宿泊していた話や、朝起きたらダンスの練習をするので、床の一部をフローリングにして、彼のためのダンスフロアにしていたという話をひとしきり。
エディ:(子供の頃このスタジオで)マイケルが朝起きてダンスするのを、隣でずっと見ていたよ。そして何年か経って…ちょっと早送りして2007年のはじめ。彼はこのスタジオに仕事をしに来たんだ。それが僕達の仕事だよ。長い時間をかけて、スタジオにこもり、録音した。ボーカルはまさにこの部屋で録音されたんだ。マイケルは…きっと今とても興奮してると思う。彼がファンのために作ってきた音楽が、やっとみんなもとへと届けられるんだからね。
・・・後編へつづく。
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