今年は雪が全くないので
行ってみました
付近案内図です
県道186号線を須川方面へ進むと
Yの字の分岐点があり
愛宕山展望台入口の案内看板があり
斜め左方向へ進入します
集落内を道なりに進むと
このような標柱が見えます
軽自動車や小型普通車ならこのまま
左折して行けますが
中型普通車以上はそのまま
斜め右方向へ車を進めます
集落内を進むと信号のない交差点
行き当たります
交差点を右折すぐに尾野山公民館
あります
公民館敷地内に
尾野山城跡観光案内板があります
こちらに駐車して車で来た道を
徒歩で先程の標柱まで戻ります
標柱から舗装された道を進むと
ここが登城口です
公民館駐車場から徒歩10分ほどで
駐車スペースの様な場所に
辿り着きます
階段を上り
歩を進めると
展望台がありその脇を進みます
展望台から眺められる景色です
こうして見ると第一次上田合戦で
上田城を攻めた(結果は敗走)後、
真田方の丸子城(丸子氏)を攻める為
徳川勢が布陣した八重原台地が
よく見えます
真田昌幸にとって戦略上重要な城で
あったことがわかります
尾野山配水池脇にある鳥居をくぐり
歩を進めます
2つ目の鳥居をくぐり
3つ目の鳥居をくぐって歩を進めると
愛宕神社社殿に着きます
毎年1月最終の土曜日夕から日曜日
かけて祭事が執り行われるようです
案内の通りに社殿の裏に回ると
今は埋まっていますが堀切を経て
馬の背の様な比較的平坦な三の郭へ
と足を踏む入れることになります
南側斜面には切岸と帯曲輪が
施されています(画像中央当たり)
途中に石祠があります
今は土橋のようになっていますが
その左右には堀切を見る事が出来る
縄張り図が掲示されています
南側の堀切
北側の堀切から竪堀に
小規模な桝形虎口のように
見受けられます
この辺に門があったのでしょうか?
この辺りは切岸部分
二の郭に足を踏み入れます
馬の背の様になっている部分から
斜め左に腰曲輪が平坦に続きます
途中に首なしの石像が
鎮座しています
南側には2段の腰曲輪が見る事が
出来ます
反対の北側はこのような眺めです
手前が尾野山集落で神川や
神川地区(海野平)、条里的遺構が
みてとれる第1段丘の染屋面、
神科地区、豊殿地区、真田地区、
菅平高原、四阿山・根子岳が
望めます
そして戸石城・砥石城や矢沢城、
真田氏本城などが見る事が出来ます
小さな平坦部分
何か施設があったのか?
更に進むと
先程より一回り大きい平坦部分
あります
櫓台だったのでしょうか?
2条の堀切跡
両側にその痕跡がみてとれます
いよいよ主郭へ
高い切岸になっています
主郭 小規模です
西寄りに小さな三峰社社殿が
鎮座しています
近傍には土塁の一部がみてとれます
眺めがイイですね!
海野郷も一望できますしその先の
小諸や御牧原、佐久方面も望めます
これらが掲示されています
主郭後背の搦手側には2条もしくは
3条のからなる大堀切を
見る事が出来ます
大堀切へ下りることが出来ます
搦手側に伸びる平坦な尾根から
主郭を望む
主郭を仰ぎ見る
㈱しなのき書房発行の
上田古地図帖に掲載されている
上田市立博物館所蔵の
信州上田合戦図です
その中央部に尾ノ山に陣取る
真田安房守の軍勢の様子が
記載されています
数字などの信憑性は?です
また、
日付が天正十三年乙酉年八月二日と
なっており、実際には閏八月二日
このほかに
真田源三郎後伊豆守(真田信幸)や
十八歳真田左衛門(真田信繁(幸村))の
名前が記載されています
以上、尾野山城跡の紹介でした
尾野山公民館から行って
帰ってくるまでに1時間ほどです
よく整備されていて
(携わっているみなさんに
感謝いたします)
大変行き易く多くの遺構を見る事が
出来て景色も良くハイキング程度の
感覚で登城することが出来ます
落葉から芽吹きまでの間が
訪れるには一番良いかもしれません
ただし、雪が無ければですが(^ω^;)
今年は
第27回
山城サミット上田・坂城大会が
10月31日(土)~11月1日(日)に
開催されます
たくさんの山城がある上田小県地域
微力ながらいくつかの山城を
紹介できればと思っています