コメント
ノースリッジ
(
たんぽぽ
)
2015-01-17 22:56:42
>ぬるい話をしてすみません。
いえ、とても大切な事ですよ。採り上げていただき、有難うございます。
安全神話・・・本当にあの地震で見事に崩壊しました。丁度、1年前に米国のカリフォルニア州(ノースリッジ地震)があって、それでも映画の映像を観ているような感覚でした。ちょうど、あの地震で日本の道路は大丈夫なのかという取材をしていたはずなんです。私、観たんですけれど、あの映像、特に今となるともう放送されないでしょうね。道路〇団の人にインタビューをしていて、日本の高速道路は絶対に安全です。倒れません。といった回答をしていた事をあの地震で思い出していました。そのノースリッジですが、米国もそうですがあの震災で、海外の救援・支援体制の大きな違いも感じました。もう40分後には出動する準備が整っていたという話だったか報道をこれまた見て、あの体験は戦争は体験していなくてもそれに匹敵するぐらい自分にとっていろんな事が覆されたというか・・・目を見開かされた体験になっています。
実際に目の前に起きている事、それまでの映画のワンシーンのような悪夢な光景一つ一つが現実に起きている事も何だか現実感が半分無いような言葉を失うようなショック、身体が震えたのも単に寒さだけではなかったんですね。あの時、大自然の力ってどうにもならないんだと刻み込まれたようです。そして安全神話。もう一つあったのが、関西では大地震は起きないとか言われていましたっけ。
身を持って完全に信じなくなりました。それでも、安全神話、また出てきますよね。その感覚(?)というか、何だろう・・・今一つ言葉にならないものがあるのですが、このズレは何がそうなってしまうんだろうと不思議になってしまいます。
あのとき
(
hidenori
)
2015-01-18 00:18:34
僕は寝ていたのですが,あまりの揺れの大きさに目が覚めました。
稲光がして、バキッ!とマンションの柱が割れるような音がしました。
家中の物が倒れて、これはたいへんな地震に違いないと思いながら、
ラジオをつけると「関西で大きな地震があったらしい」という
ぼんやりしたニュースが流れていました。
すぐに地方の名産の話に戻ったのでもの凄い違和感がありました。
でも、いまバタバタしても何も出来ないし
もう少し明るくなるまで待とうと、
悠長にベッドから這い出すことも無かったのです。
そしてベッドの中で、会社に行かないといけないなあ、
やだなあ、とか考えていました。
正常性バイアスって言うんですか、
大きな地震ではあったけど壊滅的とは感じていなかったのです。
それが、明るくなって窓の外を見て愕然。
一階のなくなったマンションとか
45度傾いたビルとかが目に入ってきました。
電気が止まっていて情報は入らないし、
お腹すいたけど水も出ない、
トイレも流せない、
ありゃ、日本は壊れちゃったか?と
呆然とするばかり。
家内と外の様子を見に歩き始めると、
どうしてだか涙が溢れて仕方ありませんでした。
もう、何にもする気にならないのです。
倒壊した阪神高速神戸線も近くでした。
ロマ・プリータ地震で高速道路が壊れたとき
日本ではこのようなことは絶対に起こらないという解説を
聞かされていたので
僕はそれを信じ切っていたのですが、
現場はサンフランシスコ以上に激しいものでした。
日本のものは安全だといつの間にか信じ切っていた者にとって
それはまさに衝撃でした。
何もかもが頼りなく、寄る辺ない者となった気がしました。
どうやって生きていくのか見失いそうになったものです。
いま生きていることが、すこし不思議です。
申し訳ありません
(
stravinspy
)
2015-01-19 01:46:57
言葉が出てきません。
想像するしかないんですけど、未来のために積み重ねてきた日常が根底から覆される感じがするというか。
とても耐えられない気がします。
さきほどツイートで、当日、仕事に行こうとした人がたくさんいたと言うのを見かけました。
駅がつぶれていたのであきらめたみたいな。
ぼくもそうしたかもしれないとおもったのですよね。
で、明らかに自分より冷静ではない人を見かけて、ようやく正気に戻るんじゃないかと。(自分なら)
当日の朝
(
たんぽぽ
)
2015-01-19 04:57:00
ちょうど、42度越えの熱にうかされたインフル(その時も仕事行って周囲から顔赤いから帰れと言われ帰宅後倒れました)で生き返った直後、さあ出勤だという日に地震。数時間後、突然海外から数件電話がありました。なんでもCNNで放送していたらしく反応が速かったです。
状況が呑み込めてきたのはその後。電話がかかってきたので、大丈夫だろうと職場に電話していました。誰も出るわけないのに。電車もストップで親から暫く待とうと言われ、待つことに。暫く自宅待機との電話がかかってきたのは、夜でした。今ですと、携帯とかネットがあるけれど、当時、情報というとまずラジオ。幸いテレビが午後ぐらいについたのですが、あの光景をみて愕然としました。言葉でないですよね。。。
空は真っ黒で焦げ臭いし灰が落ちてくる。何だろうと思ったら、鷹取や長田からだったんですね。それぐらいすざまじかった。その後、実際に現地の光景を目の当たりにしてショックでした。10日経過しても息も出来ない、すざまじい臭いがしていました。
>ぼくもそうしたかもしれないとおもったのですよね。
で、明らかに自分より冷静ではない人を見かけて、ようやく正気に戻るんじゃないかと。(自分なら)
そうですね。なんか今から考えると?なんですが、街を歩いて通勤しいろいろ見た事、光景、裸足でパジャマ姿笑いながらさまよっていた人を目の当たりにしたり、・・・その時の事とか今でも言葉に出来ないです。
それまで当たり前だった光景が全く別のものになった事ですとか・・・17日、なんかいろいろ思い出して込み上げて来るものがありました。20年という数字は実感出来ないです。あっという間でした。
断絶
(
hidenori
)
2015-01-20 01:03:34
きのうがあって、きょうがあって、あしたがある。
あしたのために、きょうの営為があって、ずっと積み重ねていくと、
遠いあしたにはどこかに辿り着く。
そういう日々の連続性がいきなり断ち切られた感じでした。
まさに「未来のために積み重ねてきた日常が
根底から覆される感じ」なのです。
人生がいちどご破算になってしまいました。
何にも無くなる。
でも震災のおかげで
計画されながら買収できなかった
土地が買収され美しい道路が出来上がりました。
街並みは整備され、以前よりずっと立派に見えます。
20年の歳月はすべてを立ち直らせたように見えます。
失われた命と、その命と共に生きてきた人々の心から
永遠に失われたものを除いて。
伴侶や子供を失った老人が
立派なマンションに住んでいます。
そして、そんな老人ばかりを
ひとつの街区に押し込んでいます。
村上龍でしたか、死者に誠実を尽くせ、と言ったのは。
でも、それは若者に向けられる言葉です。
若者は自分を次の世代に手渡すことが出来る。
でも、子供たちを失った老人には引き継ぐ者がいません。
たとえ血のつながりが無くても、
その老人たちの元に集う若者がいれば言葉が残って行くのですが、
老人ばかりのマンションに足を向ける者はいません。
わずかにボランティアが声掛けをし、慰めるのみです。
命の波はそこで凍り付いています。
老人が生きた証が何も残って行かない。
その断絶に僕の心は軋みます。
たんぽぽさんも
(
stravinspy
)
2015-01-20 17:15:48
社畜だったのですね。ワーカホリックというか。
おいらも、倒れても仕事してた口ですがw
災害じゃなくても見慣れた風景が変わるのはけっこうショックですよね。
近所の建物が取り壊しになっていく様子を見るだけでも、なかなか辛いものがあります。
まして地震では・・
行政は何をしたいのでしょうね
(
stravinspy
)
2015-01-20 17:35:03
孤独な老人を集める(まとめる)ことが効率のいいことだとでも思っているのでしょうかね。
アメリカの農業みたいですが。
おいらも昔は
(
stravinspy
)
2015-01-20 22:11:11
効率を追求してばっかりだったんですけどね。
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安全神話・・・本当にあの地震で見事に崩壊しました。丁度、1年前に米国のカリフォルニア州(ノースリッジ地震)があって、それでも映画の映像を観ているような感覚でした。ちょうど、あの地震で日本の道路は大丈夫なのかという取材をしていたはずなんです。私、観たんですけれど、あの映像、特に今となるともう放送されないでしょうね。道路〇団の人にインタビューをしていて、日本の高速道路は絶対に安全です。倒れません。といった回答をしていた事をあの地震で思い出していました。そのノースリッジですが、米国もそうですがあの震災で、海外の救援・支援体制の大きな違いも感じました。もう40分後には出動する準備が整っていたという話だったか報道をこれまた見て、あの体験は戦争は体験していなくてもそれに匹敵するぐらい自分にとっていろんな事が覆されたというか・・・目を見開かされた体験になっています。
実際に目の前に起きている事、それまでの映画のワンシーンのような悪夢な光景一つ一つが現実に起きている事も何だか現実感が半分無いような言葉を失うようなショック、身体が震えたのも単に寒さだけではなかったんですね。あの時、大自然の力ってどうにもならないんだと刻み込まれたようです。そして安全神話。もう一つあったのが、関西では大地震は起きないとか言われていましたっけ。
身を持って完全に信じなくなりました。それでも、安全神話、また出てきますよね。その感覚(?)というか、何だろう・・・今一つ言葉にならないものがあるのですが、このズレは何がそうなってしまうんだろうと不思議になってしまいます。
稲光がして、バキッ!とマンションの柱が割れるような音がしました。
家中の物が倒れて、これはたいへんな地震に違いないと思いながら、
ラジオをつけると「関西で大きな地震があったらしい」という
ぼんやりしたニュースが流れていました。
すぐに地方の名産の話に戻ったのでもの凄い違和感がありました。
でも、いまバタバタしても何も出来ないし
もう少し明るくなるまで待とうと、
悠長にベッドから這い出すことも無かったのです。
そしてベッドの中で、会社に行かないといけないなあ、
やだなあ、とか考えていました。
正常性バイアスって言うんですか、
大きな地震ではあったけど壊滅的とは感じていなかったのです。
それが、明るくなって窓の外を見て愕然。
一階のなくなったマンションとか
45度傾いたビルとかが目に入ってきました。
電気が止まっていて情報は入らないし、
お腹すいたけど水も出ない、
トイレも流せない、
ありゃ、日本は壊れちゃったか?と
呆然とするばかり。
家内と外の様子を見に歩き始めると、
どうしてだか涙が溢れて仕方ありませんでした。
もう、何にもする気にならないのです。
倒壊した阪神高速神戸線も近くでした。
ロマ・プリータ地震で高速道路が壊れたとき
日本ではこのようなことは絶対に起こらないという解説を
聞かされていたので
僕はそれを信じ切っていたのですが、
現場はサンフランシスコ以上に激しいものでした。
日本のものは安全だといつの間にか信じ切っていた者にとって
それはまさに衝撃でした。
何もかもが頼りなく、寄る辺ない者となった気がしました。
どうやって生きていくのか見失いそうになったものです。
いま生きていることが、すこし不思議です。
想像するしかないんですけど、未来のために積み重ねてきた日常が根底から覆される感じがするというか。
とても耐えられない気がします。
さきほどツイートで、当日、仕事に行こうとした人がたくさんいたと言うのを見かけました。
駅がつぶれていたのであきらめたみたいな。
ぼくもそうしたかもしれないとおもったのですよね。
で、明らかに自分より冷静ではない人を見かけて、ようやく正気に戻るんじゃないかと。(自分なら)
状況が呑み込めてきたのはその後。電話がかかってきたので、大丈夫だろうと職場に電話していました。誰も出るわけないのに。電車もストップで親から暫く待とうと言われ、待つことに。暫く自宅待機との電話がかかってきたのは、夜でした。今ですと、携帯とかネットがあるけれど、当時、情報というとまずラジオ。幸いテレビが午後ぐらいについたのですが、あの光景をみて愕然としました。言葉でないですよね。。。
空は真っ黒で焦げ臭いし灰が落ちてくる。何だろうと思ったら、鷹取や長田からだったんですね。それぐらいすざまじかった。その後、実際に現地の光景を目の当たりにしてショックでした。10日経過しても息も出来ない、すざまじい臭いがしていました。
>ぼくもそうしたかもしれないとおもったのですよね。
で、明らかに自分より冷静ではない人を見かけて、ようやく正気に戻るんじゃないかと。(自分なら)
そうですね。なんか今から考えると?なんですが、街を歩いて通勤しいろいろ見た事、光景、裸足でパジャマ姿笑いながらさまよっていた人を目の当たりにしたり、・・・その時の事とか今でも言葉に出来ないです。
それまで当たり前だった光景が全く別のものになった事ですとか・・・17日、なんかいろいろ思い出して込み上げて来るものがありました。20年という数字は実感出来ないです。あっという間でした。
あしたのために、きょうの営為があって、ずっと積み重ねていくと、
遠いあしたにはどこかに辿り着く。
そういう日々の連続性がいきなり断ち切られた感じでした。
まさに「未来のために積み重ねてきた日常が
根底から覆される感じ」なのです。
人生がいちどご破算になってしまいました。
何にも無くなる。
でも震災のおかげで
計画されながら買収できなかった
土地が買収され美しい道路が出来上がりました。
街並みは整備され、以前よりずっと立派に見えます。
20年の歳月はすべてを立ち直らせたように見えます。
失われた命と、その命と共に生きてきた人々の心から
永遠に失われたものを除いて。
伴侶や子供を失った老人が
立派なマンションに住んでいます。
そして、そんな老人ばかりを
ひとつの街区に押し込んでいます。
村上龍でしたか、死者に誠実を尽くせ、と言ったのは。
でも、それは若者に向けられる言葉です。
若者は自分を次の世代に手渡すことが出来る。
でも、子供たちを失った老人には引き継ぐ者がいません。
たとえ血のつながりが無くても、
その老人たちの元に集う若者がいれば言葉が残って行くのですが、
老人ばかりのマンションに足を向ける者はいません。
わずかにボランティアが声掛けをし、慰めるのみです。
命の波はそこで凍り付いています。
老人が生きた証が何も残って行かない。
その断絶に僕の心は軋みます。
おいらも、倒れても仕事してた口ですがw
災害じゃなくても見慣れた風景が変わるのはけっこうショックですよね。
近所の建物が取り壊しになっていく様子を見るだけでも、なかなか辛いものがあります。
まして地震では・・
アメリカの農業みたいですが。