コメント
うむむ
(
stravinspy
)
2014-04-14 03:00:14
>結局のところ、自律できない人に救済は訪れないでしょうし。
自分がイタイかも・・
雑感ですが
(
たんぽぽ
)
2014-04-14 05:17:00
彼・彼女達の言い分は一つにこういう事があるようですね。何故彼らの間違いを正そうとしないのか?
例えば、先日デモに大江健三郎さん等が参加なさっていたそうですけれど、百田氏ってどういう方なのかよく存じないもので関連のところを見ていたら、例えば反戦の活動するのなら、まずそうしたがっているのは中国だ、中国へ行って戦争したくない、戦争反対のデモをしろと、そういう言い分のようですね。
ぶっちゃけ、私は韓国も中国へも行った事はないですし、恐らくは今後も無いと思います。左でも右でもありません。個人的な事で直接言った事はあります。黙って謝ってきた人もいれば、激しい口論になった場合もあります。私の場合はそういう次元の話なのですが、好きか嫌いかという質問があったとすると、好きとか嫌いとか言える間は甘いなという大変冷めた次元でもあります。それで私のような人間は、少なくとも日中韓の間の政治であれ、人間関係であれ、自ら関わらない事がベストだと今のところそういう結論でいます。反戦を訴えている人、あるいはその反対に悪口を言っている人達、共に優しいですね、と。そういう心境です。
stravinspyさんは既にご存じのとおり、私は宗教に足を突っ込んでいます。大変恐縮ですが、新約聖書のピリピ3:17~21に「我らの国籍は天にあり」という箇所があります。私は大変冷たい人間です。
すみません
(
たんぽぽ
)
2014-04-14 19:51:13
なんかやはりこういう事を考え始めると、こちらまで思考停止になりそうで、体調にも響き、やばいです。大変失礼致しました。切り替えよう!
今夜は綺麗な月夜です。こんなに綺麗な景色を見ることが出来るのに、何故人は争うのか?もったいないし残念な事ですね。政治や外交の専門家ではないので、私は自分の出来る範囲で出来ることをする、それしかないと考えました。私もイタイかも・・・うむむ。
あんまり気にしないでください
(
stravinspy
)
2014-04-15 01:44:50
火星が大接近なのだそうです。
月のそばで見られるようで。
火星が大接近ですか
(
たんぽぽ
)
2014-04-15 05:30:53
stravinspyさんの出番ですね!ニュースを観ていなかったもので存じませんでした。すごく明るくて綺麗でした。有難うございます。
宗教というのは
(
hidenori
)
2014-04-15 07:19:30
信じるということです。信仰というのですか。
そして、世界には「在る事」を信じる宗教と「無い事」を信じる宗教があります。
「在る事」を信じる宗教はたくさんあります。多くの宗教は神が「在る事」を信じています。神を信じるというのは、けっこうたいへんな筈です。誤解されるに違いありませんが、そこには処世の欺瞞が、信仰と名前を変えあります。とはいえ、それで救われるのなら欺瞞も良薬。
いっぽう「無い事」を徹底して信じる宗教は、殆どない、というか、仏教があるのですが、骨が抜かれています。でも本来は、色即是空ですから存在は無い、諸行も無常ですから、人があると思うものもすべて否定しています。神どころか、何もかも無い。
「無い事」を信じるというのは、もしかしたら「在る事」を信じるよりも、たいへんかもしれません。すがれる者もいないのですから。目の前に在って触れられるものさえ無いと言われると、たしかに難しい。
けれど「無い」という考えは、とても便利です。喪失感を軽減し、不条理を生きる事ができます。
そもそも何の信仰もありませんし、神というなら、それは自分の事だと考えるくらいの者ですが、「無」というのは面白い。無いものは無い、在るものも無い。何にも無い。
無いというところに「べき」は無い。かくあるべし、という教えは遠慮したい。
(何の関係もないコメント失礼)
宗教は
(
stravinspy
)
2014-04-16 04:56:06
難しす。
自分に信仰がないのはおそらくたまたまそういう環境だったからだろうし。
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自分がイタイかも・・
例えば、先日デモに大江健三郎さん等が参加なさっていたそうですけれど、百田氏ってどういう方なのかよく存じないもので関連のところを見ていたら、例えば反戦の活動するのなら、まずそうしたがっているのは中国だ、中国へ行って戦争したくない、戦争反対のデモをしろと、そういう言い分のようですね。
ぶっちゃけ、私は韓国も中国へも行った事はないですし、恐らくは今後も無いと思います。左でも右でもありません。個人的な事で直接言った事はあります。黙って謝ってきた人もいれば、激しい口論になった場合もあります。私の場合はそういう次元の話なのですが、好きか嫌いかという質問があったとすると、好きとか嫌いとか言える間は甘いなという大変冷めた次元でもあります。それで私のような人間は、少なくとも日中韓の間の政治であれ、人間関係であれ、自ら関わらない事がベストだと今のところそういう結論でいます。反戦を訴えている人、あるいはその反対に悪口を言っている人達、共に優しいですね、と。そういう心境です。
stravinspyさんは既にご存じのとおり、私は宗教に足を突っ込んでいます。大変恐縮ですが、新約聖書のピリピ3:17~21に「我らの国籍は天にあり」という箇所があります。私は大変冷たい人間です。
今夜は綺麗な月夜です。こんなに綺麗な景色を見ることが出来るのに、何故人は争うのか?もったいないし残念な事ですね。政治や外交の専門家ではないので、私は自分の出来る範囲で出来ることをする、それしかないと考えました。私もイタイかも・・・うむむ。
月のそばで見られるようで。
そして、世界には「在る事」を信じる宗教と「無い事」を信じる宗教があります。
「在る事」を信じる宗教はたくさんあります。多くの宗教は神が「在る事」を信じています。神を信じるというのは、けっこうたいへんな筈です。誤解されるに違いありませんが、そこには処世の欺瞞が、信仰と名前を変えあります。とはいえ、それで救われるのなら欺瞞も良薬。
いっぽう「無い事」を徹底して信じる宗教は、殆どない、というか、仏教があるのですが、骨が抜かれています。でも本来は、色即是空ですから存在は無い、諸行も無常ですから、人があると思うものもすべて否定しています。神どころか、何もかも無い。
「無い事」を信じるというのは、もしかしたら「在る事」を信じるよりも、たいへんかもしれません。すがれる者もいないのですから。目の前に在って触れられるものさえ無いと言われると、たしかに難しい。
けれど「無い」という考えは、とても便利です。喪失感を軽減し、不条理を生きる事ができます。
そもそも何の信仰もありませんし、神というなら、それは自分の事だと考えるくらいの者ですが、「無」というのは面白い。無いものは無い、在るものも無い。何にも無い。
無いというところに「べき」は無い。かくあるべし、という教えは遠慮したい。
(何の関係もないコメント失礼)
自分に信仰がないのはおそらくたまたまそういう環境だったからだろうし。