相当衝撃を受け、何度も観かえしたい衝動に駆られる紛れも無い傑作。観たのは1月だが公開は12月だったので2005年ベストに滑り込みセーフとした。
ダルデンヌ兄弟、カンヌのパルムドール・・という情報だけで観に行った(恵比寿のガーデンシネマに)
赤ちゃんの売買をめぐるトラブルから「ある子供」というタイトルなのかと思ったら・・・「ある子供」が指しているのは、赤ちゃんの父親(主人公)。
これほどのダメ男が主人公の映画を俺は初めて観た
ダメっぷりはこんな感じ
・とりあえず手に入ったものは全部売る
・いい年して無職。生計を支えるのはかっぱらい
・とにかく独断専行。恋人への配慮なし
・ガキどもにはえばり散らし、ヤクザにはへこへこ。弱いものに強く、強いものの言いなり
・親の自覚なし
・恋人に泣いてすがりつき、許しを請う
主人公に対し、見下しの笑いと哀れみの涙を誘うところが、風変わりな映画。
いつか誰かが助けてくれるさ、という甘ったれ根性全開でその日暮らしの毎日。社会や時代への反抗ではないし、大きな野望や夢があるでもない。いっそニートのように引きこもっていれば誰にも迷惑はかけないが、自分の子供は金で売っぱらうわ、ひったくりするわ、少年を悪に誘うわ・・・社会の害虫である。
監督(ジャン=ピエール・ダルデンヌとリュック・ダルデンヌ)は、そんな負け組み・社会の害毒の男を応援するでもなく、暖かく成長を見守るでもなく、研究サンプルのように観察する。
彼のような男を産んだ社会や環境のせいにはしない。一部で"社会派ドラマ"などと紹介されているが、ちょっと違うと思う。個を通して社会を見つめるでもなく、社会を通して個を見つめるでもなく、そんな批評的なことはせず、ひたすら個を追いかけ観察する。
ゴミ溜めの中に輝く人間性を描くようなことも無い。ゴミ溜めの中にあるものは所詮ゴミでしかない。
モラルも何も無い主人公がトラブルに見舞われる様はスリリングで、一級のサスペンスといってもいい。ただ普通のサスペンスは、主人公がいかにして危機を乗り越えるのか・・というところにドキドキさせられるものだが、この映画の場合、ダメ人間の主人公がいかにして制裁を受けるのか・・・を期待させる。
だからこそ、主人公が自首するのが予想を裏切る展開となる。ただそれも追い詰められた男が他に行き場が無くなったが故であり、成長とは違う。
だいたいあれだけ悪いことやって今更改心したってもう遅い。遅すぎる。
ラストでまたもやオメオメと泣く主人公。罪の重さを悟ってか、恋人が見捨てずに面会に来てくれたことが嬉しかったのか、恥ずかしかったのか、許しを請ってか、人生の破滅を思い知ってか・・・何の説明もない。馬鹿めと見下してもいいし、もらい泣きしてもいいし、良かったねと感動したっていい。どう受け止めるにせよ、観るものの心をどっかしらの方向に揺さぶる。
男のダメさに比べて、女は強い。
ダメ男に見切りをつけ完璧に見下し、同情のそぶりを一切見せずに切り捨てる。全くもって正しい判断。彼女がラストで見せる涙も哀れみの涙でしかない。これほど救いようのない涙はそうそうお目にかかれない。
親としての自覚が持てないガキンチョ男に比べ、自分の腹を痛めて母親となった女はとにかく強い。最後に帰りつく場所は母親の腕の中と甘ったれたこと考えているような男の涙と、すでに自立する腹を決めた大人の女の涙。涙涙のラストシーンは多々あるが、ワンショットに収められた二つの涙がこうまで意味合いが違ってくる映画は少ない。
ダメダメ男を演じたジェレミー・レニエという俳優さん。あれだけできるのは間違いなく上手いからだ。
恋人にして母親を演じたデボラ・フランソワの凛々しさも印象深い。
「ロゼッタ」のエミリー・デュケンヌもその後色々活躍したことだし、「ある子供」の主演2人も今後フランス映画あたりで活躍していくだろう。
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自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
ダルデンヌ兄弟、カンヌのパルムドール・・という情報だけで観に行った(恵比寿のガーデンシネマに)
赤ちゃんの売買をめぐるトラブルから「ある子供」というタイトルなのかと思ったら・・・「ある子供」が指しているのは、赤ちゃんの父親(主人公)。
これほどのダメ男が主人公の映画を俺は初めて観た
ダメっぷりはこんな感じ
・とりあえず手に入ったものは全部売る
・いい年して無職。生計を支えるのはかっぱらい
・とにかく独断専行。恋人への配慮なし
・ガキどもにはえばり散らし、ヤクザにはへこへこ。弱いものに強く、強いものの言いなり
・親の自覚なし
・恋人に泣いてすがりつき、許しを請う
主人公に対し、見下しの笑いと哀れみの涙を誘うところが、風変わりな映画。
いつか誰かが助けてくれるさ、という甘ったれ根性全開でその日暮らしの毎日。社会や時代への反抗ではないし、大きな野望や夢があるでもない。いっそニートのように引きこもっていれば誰にも迷惑はかけないが、自分の子供は金で売っぱらうわ、ひったくりするわ、少年を悪に誘うわ・・・社会の害虫である。
監督(ジャン=ピエール・ダルデンヌとリュック・ダルデンヌ)は、そんな負け組み・社会の害毒の男を応援するでもなく、暖かく成長を見守るでもなく、研究サンプルのように観察する。
彼のような男を産んだ社会や環境のせいにはしない。一部で"社会派ドラマ"などと紹介されているが、ちょっと違うと思う。個を通して社会を見つめるでもなく、社会を通して個を見つめるでもなく、そんな批評的なことはせず、ひたすら個を追いかけ観察する。
ゴミ溜めの中に輝く人間性を描くようなことも無い。ゴミ溜めの中にあるものは所詮ゴミでしかない。
モラルも何も無い主人公がトラブルに見舞われる様はスリリングで、一級のサスペンスといってもいい。ただ普通のサスペンスは、主人公がいかにして危機を乗り越えるのか・・というところにドキドキさせられるものだが、この映画の場合、ダメ人間の主人公がいかにして制裁を受けるのか・・・を期待させる。
だからこそ、主人公が自首するのが予想を裏切る展開となる。ただそれも追い詰められた男が他に行き場が無くなったが故であり、成長とは違う。
だいたいあれだけ悪いことやって今更改心したってもう遅い。遅すぎる。
ラストでまたもやオメオメと泣く主人公。罪の重さを悟ってか、恋人が見捨てずに面会に来てくれたことが嬉しかったのか、恥ずかしかったのか、許しを請ってか、人生の破滅を思い知ってか・・・何の説明もない。馬鹿めと見下してもいいし、もらい泣きしてもいいし、良かったねと感動したっていい。どう受け止めるにせよ、観るものの心をどっかしらの方向に揺さぶる。
男のダメさに比べて、女は強い。
ダメ男に見切りをつけ完璧に見下し、同情のそぶりを一切見せずに切り捨てる。全くもって正しい判断。彼女がラストで見せる涙も哀れみの涙でしかない。これほど救いようのない涙はそうそうお目にかかれない。
親としての自覚が持てないガキンチョ男に比べ、自分の腹を痛めて母親となった女はとにかく強い。最後に帰りつく場所は母親の腕の中と甘ったれたこと考えているような男の涙と、すでに自立する腹を決めた大人の女の涙。涙涙のラストシーンは多々あるが、ワンショットに収められた二つの涙がこうまで意味合いが違ってくる映画は少ない。
ダメダメ男を演じたジェレミー・レニエという俳優さん。あれだけできるのは間違いなく上手いからだ。
恋人にして母親を演じたデボラ・フランソワの凛々しさも印象深い。
「ロゼッタ」のエミリー・デュケンヌもその後色々活躍したことだし、「ある子供」の主演2人も今後フランス映画あたりで活躍していくだろう。
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音楽なしは衝撃的でしたね。
エンドロールの無音で居心地悪くさせるのも、意地になってのか、計算なのか?
いろいろな解釈が出来る映画でしたね。
TBさせて頂きました。m(__)m
二人とも、根底には孤独感があるのでしょうね。
誰かを必要としているし、誰かに必要とされている・・・。
人間は、他者の存在なしには生きていけないということを知った涙のような気がします。
色んな解釈させたかったんでしょうね。悪とか善とか自分たちで裁いちゃいけないという思いなのか、
そんなとこに興味なく、ただ人間たちの反応を描きたかったのか
>マダクニさま
他者の存在に思いっきり依存していた主人公が、居心地よかった子供の世界から、自立した世界にいく事を決意して、子供世界と別れるのが悲しくなって泣いていた・・・そんな風にも思えました。
久しぶりに、音楽なし、ラスト放置を味わいあっけにとられましたが、家に帰ってからは、色々と考えるものがありました。
緊張感は90分くらいが限界ですねー。
ダルデンヌのお二方の映画っていつも90分前後だから助かります。
ブラザーズグリムじゃヨーロッパ映画って感じしないですね(笑)