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マグニフィセント・セブン [フークワはクロサワを追いフラングレンはホーナーを追う]

2017-02-24 08:54:42 | 映評 2013~

久しぶりにアメリカのアクション映画で燃えた。戦う男たちに血がたぎった。理屈なしで楽しめる娯楽アクション映画だった。もちろん「荒野の七人」より、まして「七人の侍」より良いとは言わないが、これはこれで傑作だ。

アントワン・フークワという監督には昔から「黒澤らしさ」を感じて注目していた。
最初に見たのはユンファのハリウッドデビュー作「リプレイスメント・キラー」だが、これは色々残念な映画だった。
その後いくつか映画をみて、そして「ティアーズ・オブ・ザ・サン」でおおっと思った。
この映画はアメリカ人が「七人の侍」に抱く理屈じゃないのはわかるけど腹落ちしてない疑問に対するアンサームービーのように思えた。
なぜ侍たちは農民を助けたのか?
実は「七人の侍」と「荒野の七人」を名作たらしめているのは、戦う理由が漠然としているがゆえに、伝説的風格が備わっているからなのだが、それでも理由をはっきり説明できるかと言えばできない。
アントワン・フークワの「ティアーズ・オブ・ザ・サン」の兵士たちも、七人の侍と同じような選択を迫られる。
金にも名誉にもならず勝ち目もない戦いになぜ参加するのか
答えは政治でも正義でもアメリカでもない。「そういう俺ってかっこいいから」というバカバカしいが納得できる答えを提示していたように思えた。

だからこのアフリカ系アメリカ人の監督は黒澤明が大好きに違いないと、勝手にそんなことを考えていたのだが、果たしてその翌年くらいの「キングアーサー」公開時にインタビューに答えて黒澤明をリスペクトしてるみたいなことを言っていた。
まあ、日本人に「好きな監督は?」と聞かれたアメリカの映画人の推定8割は「もちろんクロサワさ」とリップサービスするだろうから、それだけのことだったのかもしれない。
それでもなんでもやっぱりお前はクロサワ好きだったか!と感動して彼に注目するようになった。
そう思ってみるとフークワの現時点の代表作「トレーニング・デイ」も「野良犬」の変奏曲のように思えてくるし、「キングアーサー」は「隠し砦の三悪人」と、「イコライザー」は「椿三十郎」と対になってるともとれ…るとまで言い切るのは苦しいかなぁと思ってきた。

だがしかし、そのフークワが「マグニフィセント・セブン」を手がけるのだ。
いうまでもなく「七人の侍」のリメイクの「荒野の七人」のさらにリメイクで、だいぶクロサワ風味は薄まってはいるが、「フークワはクロサワを追っている」論に若干の信憑性が出てきた気がする。

さすがにただのリメイクではない。
「七人の侍」と「荒野の七人」の欠点はきちんと直されている。
中学生のころ観た「荒野の七人」はもちろん面白かったのだけど、当時の私には白人ばかりのキャストは正直言ってユル・ブリンナーとスティーブ・マックイーン以外は見分けがつかなかった。おいおい、ブロンソンとコバーンくらいわかれよ、と怒られそうだが、今でも人の顔を覚えるのが苦手な自分には、白人はみな同じ顔に見えた。

でも多分、「七人の侍」をみた当時のアメリカ人たちも正直言って志村喬と三船敏朗以外は見分けがつかなかったのでは、と思う。

その点「マグニフィセント・セブン」は絶対大丈夫。見た目も人種も全然違う七人。中学生だったころの俺でもこれなら大丈夫。
リーダー 黒人
白人は3人いるが、イケメンと白髪混じりのオッサンと、デブ爺さん
メキシコ人
アジア人(しかもよく知ってるイ・ビョンホン)
インディアン

アジア人とインディアンの混同を避けるためか、インディアンは常に真っ赤なメイクとワイルドな衣装というビジュアル配慮もばっちり
(いっそ白人の1人が女だったらもっと完璧だったのにと思うけど、それは3度目のリメイクでの課題としよう。)
これなら大丈夫。さらに言えば、人種比率的にも、デンゼルとクリス・プラットが北軍出身で、イーサン・ホークが南軍出身だったりと、あの七人はアメリカの縮図となっているとも言えようか。

そして、「侍」とも「荒野」とも違うのが戦う理由。
崇高な魂などという漠然としたものではなく、七人それぞれに戦う理由が設定されている。やはり「ティアーズ・オブ・ザ・サン」に若い兵士たちに無理矢理感はあれど戦う理由を与えたフークワらしい。
結果、個人主義の映画となり、伝説としての風格は後退したが、一方でそれぞれの戦う理由が明確化されて、感情移入はしやすくなり、娯楽アクションとしてはより完成度を高めたと見る

山奥の村と違い広大な平野の真ん中に築かれた街は、周囲に天然の堀や要害もなくどこからでも攻め放題。

四方のうち三方の入り口のまもりを固め、騎馬一騎が通れる小道の口に敵を集め、一騎ずつ村に入れては始末して頭数を減らしていく・・などという官兵衛流の策など通用しない。
敵は一斉に四方からなだれ込み、最初から総力戦かつ消耗戦の様相を呈する戦い。
策もクソもない。強い奴が最後に立っている。
この豪快さこそが七人の侍と荒野の七人の決定的な違いであり、侍にクロサワにこだわりすぎる人には、だからつまんねーんだよと思われるかもしれない。
けれども日本には日本の、アメリカにはアメリカの「七人」の戦い方があるのだ。そこをちゃんとわきまえた「荒野の七人」はそれはそれで面白かった。
そしてフークワの「マグニフィセント・セブン」はそんな「荒野の七人」をさらにアクション映画として完成させたのではないかとすら思う。
俺は今回の「荒野の七人」リメイクは大成功にして、新たなスタンダードの誕生とすら思う。

一方で7人中4人死ぬという、「七人」シリーズのお約束は今回も守られていて偉大な前作へのリスペクトも感じる。
果たして誰が死ぬか・・はさすがにここでは書かないが、残った三人と散った四人を思うと胸が少し熱くなる。
ひょっとするとハリウッドお決まりの「エンドを何パターンか作って、試写会でウケのいいやつを採用した」だけかもしれないけど、、
だからひょっとすると、あいつが死んであいつが生き残るバージョンも撮影されていたかもしれない。
それはそれで見たい。

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さて、この映評はまだ終わらない。
どうしても書かなくてはならないことがある。
この作品は映画音楽の巨匠ジェームズ・ホーナーの遺作である。

初めて買った外国映画のサントラはホーナーの「スタートレック2 カーンの逆襲」だった。
私をハリウッド映画音楽好きに開眼させたのは間違いなくホーナーだった。
「タイタニック」は彼の仕事の中では大したことない方だと思うけど、それでもなんでも彼がアカデミー作曲賞と主題歌賞を受賞してオスカーを受け取る場面を見て感動した。
ホーナーが音楽を担当する映画を観た後はCD屋に直行するというのが、90年代の私の映画観賞のお決まりコースだった。

しかし2014年。彼は自ら操縦する自家用飛行機の墜落でこの世を去ったのだった。「アバター2」に向けてイメージを膨らませていたのだろうか。

そのホーナーが生前最後に手掛けたのが本作「マグニフィセント・セブン」だったらしい。

ホーナーの功績の一つが尺八を、ただのアジアンテイスト醸し出しマシンから、ハリウッド映画音楽のデフォルト楽器に昇格させたことではないだろうか。
「コマンドー」とか「ウィロー」とか「レッドブル」とか最近でも「アバター」とか日本と縁もゆかりもない映画で尺八の音を鳴らしまくっていたホーナーが、「七人の侍」の間接リメイクで、やっぱり尺八鳴らしまくって、フィルモグラフィーを締めくくるというのは感慨深いものがある。

とはいっても、ホーナーの本作への関わりは薄い。撮影の最中にテーマ曲の作曲に取り掛かったばかりのころにあの事故が起こったらしい。
おそらく劇中でかかる楽曲のほとんどは共同作曲者としてクレジットされているサイモン・フラングレンの手によるものと推測する。
ところが、サイモン・フラングレンが手掛けたと思しきスコアは、どこを切ってもホーナーっぽさ充満。ホーナーの曲ですと言われても全く疑わないくらいのものだ。
サイモン・フラングレンという作曲家については本作で初めて知ったのだが、長年ホーナーのスタッフとして関わっていたとのこと。
そう思って「アバター」のサントラのスタッフリストを見ると、「電子音楽アレンジャー」という名目で名前が記録されている。
「タイタニック」の有名な主題歌「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」ではホーナーと共に「プロデューサー」として名を連ねている。
最近のホーナーを支えていた重要なスタッフだったようだ。
サントラの解説によると、フラングレンはホーナーの遺したテーマ曲をもとにデモ用の音楽を作成・レコーディングして、フークワに対してプレゼンをして音楽担当を勝ち取ったらしい。
師匠への熱い想いを感じるエピソードである。

そして誰がどう聞いてもホーナー音楽にしか聞こえない完璧ななりきりぶりはどうだろう。
ホーナーは死んでいない。彼の音楽は少なくともフラングレンには完全に受け継がれている。

こう言うとなんだが、ホーナーの悪いくせも含めて完全にホーナーが憑依している。
自作のメロディ再利用とか、他人の曲もうっすらパクるあたり。
オープニングの女性スキャットはいつものホーナーらしいコーラスよりはむしろエンニオ・モリコーネなどのマカロニウェスタン音楽を想起させるが、ホーナーがやりそうなアプローチだ。
そして何よりも臆することなくパクっているのが、超有名な「荒野の七人」のテーマ曲。それもはっきりとはパクらずにうっすら似てる感じが、彼が亡くなった今となっては懐かしさと微笑ましさしか感じない。あの有名なテーマ曲のメロディは使わずに、ジャッジャッジャジャってリズム刻むところだけ、微妙に音程変えてしかもホーナーの大好きな尺八の音にする。このアレンジ。凄いよサイモン・フラングレン。それだよホーナーが絶対やるの。そういう感じだよ!
だけどエンドクレジットではパクリ元の荒野の七人のテーマ曲の新録音バージョンかけちゃう潔さ。それは逆にホーナーならやらなかったかもしれないが

そうしたパクリなところ以外、今回の勇壮な新テーマといい、荒野に不気味にこだまするトランペットといい、からっ風のようにあちこちでこれでもかと吹かれる尺八といい、前述のマカロニ風と例えたスキャットもよくよく聞けば「パトリオットゲーム」に似たメロディがあったりするところなど、鳴っている音楽の隅々にホーナーの魂が染み渡っていた。
サイモン・フラングレンのなりきりテクニックは、しかしながらホーナーの偉大さと、ホーナーを失ったことの大きさを物語っいるのだ。
フラングレンはこう言ったかもしれない。「勝ったのは私ではない。ホーナー先生だ」と

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自主制作映画「唯一、すべて」
第8回ラブストーリー映画祭 入選 上映2017年4月8日予定
うえだ城下町映画祭ノミネート 上映2016年11月20日 上田文化会館
日本芸術センター映像グランプリ公開審査上映 2016年10月29日 東京芸術センター



『唯一、すべて』
2016年作品
45分
映画「唯一、すべて」予告編
制作 ALIQOUI film
監督・脚本 齋藤新
撮影・制作 齋藤さやか
助監督 大谷祐之
アシスタント 林新太郎、井伊樹
照明協力 宮永挙
音楽 横内究
出演 小林郁香、安藤由梨江、宮本敏和、井伊はるか、井伊二三恵、山本恭子、野津山智一、原田淳子、大花混沌、水谷仁彦

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