【交響曲第3番】
心を絞り出すようにして作った印象のある1番と2番とうってかわって、気分転換のように軽い気持ちで作ったような箸休め的ナンバー
ベートーベンの6番、マーラーの4番的な位置付けか。
軽い曲だが、ダメとかヌルいとかつまらんとかそんなことは全くなくて、むしろシベリウスの中では好きな方だ。優しさと楽しさがあふれモーツァルトの交響曲のような穏やかな気持ちに浸れる
なんとなく思うに、1番2番で早くも世界観を完成させてしまい、さてどこへ行こうと考える前にまずは音楽で楽しもうと、そんなことを思ったのではないか?
そう思うと、これを溜めにしての4番5番の壮絶さが分かる気がする
そして6番でまた癒しナンバー挟んでの集大成7番
シベリウスのストーリーはそんな感じではなかろうか
毎回ベルグルンドというのもつまらないので、3番はやはりフィンランド人のオスモ・ヴァンスカのアルバムを購入。
演奏はミネソタ交響楽団。うん、初めて聴いた。名前の通りアメリカのオケだろう。でもベルグルンドに通じるややせっかち気味に次々と楽譜をめくっていくような、早く次を聞きたくて仕方ないような子供っぽさを感じて微笑ましい。
----
【交響曲第4番】
シベリウス交響曲では異色すぎて、一体何があった?と心配になるナンバー
とにかく第1楽章がおどろおどろしい。
1番〜3番まで、優しさ、悲しさ、楽しさ、儚さ、女性的で子供っぽくて、なんて言ってたのに、どうして急にこんなホラー映画みたいな曲を書く気になったのか、全く理解はできないのだけど…
しかし、曲としては、ガシガシ心にくる。
人の感情のようなものは感じない不気味さ、でも終楽章でかろうじていつものシベリウスに戻ってくる感じが、心の闇を彷徨っていた人が鬱を脱したような感動を与える。息詰まる曲で、シベリウスで一番、いや唯一のどっと疲れる曲だが、なかなか心を震わす。
きっと悩んでいたのだろうなシベさん。音楽ってなんだ?!って。
ベートーベンやマーラーみたいにならなくて良かったね。
アルバムはフィンランド系からいったん離れてドイツ系の演奏を聴いてみようと、クルト・ザンデルリンク×ベルリン交響楽団の演奏を買う。
ベルリン交響楽団は有名なベルリンフィルとは別のオケで、ベルリンフィルが西ベルリンにあったのに対して、ベルリン響は東ベルリンにあったとか。きっと対抗意識もやしてたんだろうな。
ザンデルリンクはこれが買うの初めてで、ベルリン響をずっと支えてきた人らしい。マーラーやショスタコーヴィッチも得意だったみたい。
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【交響曲第5番】
第4番の闇を脱したシベリウスが開き直ったようにペカペカに明るく人生最良の時を謳歌するようなナンバー
鬱後の躁という気もしないではない。2番の後がこれならわかるのだが、3番→4番→5番における振り幅の激しさは戸惑わされつつも、ドラマチックでエキサイティングである。
アルバムは泣く子も黙るカラヤン×ベルリンフィルの演奏を購入。
シベリウスはドイツ系の重厚な演奏よりフィンランド人の感情に委ねた演奏の方が似合ってるなどと、知った口して語った自分だが、生前のシベリウス はカラヤンのことを「私の音楽の最大の理解者」と絶賛していたとのこと。私やクラシックファンの意見はさておき、シベリウス本人はドイツ的カラヤン的演奏がお気に入りだったようだ。
ベルグルンドとカラヤンの比較は後に「フィンランディア」でもっと語ってみたい。
つづく
心を絞り出すようにして作った印象のある1番と2番とうってかわって、気分転換のように軽い気持ちで作ったような箸休め的ナンバー
ベートーベンの6番、マーラーの4番的な位置付けか。
軽い曲だが、ダメとかヌルいとかつまらんとかそんなことは全くなくて、むしろシベリウスの中では好きな方だ。優しさと楽しさがあふれモーツァルトの交響曲のような穏やかな気持ちに浸れる
なんとなく思うに、1番2番で早くも世界観を完成させてしまい、さてどこへ行こうと考える前にまずは音楽で楽しもうと、そんなことを思ったのではないか?
そう思うと、これを溜めにしての4番5番の壮絶さが分かる気がする
そして6番でまた癒しナンバー挟んでの集大成7番
シベリウスのストーリーはそんな感じではなかろうか
毎回ベルグルンドというのもつまらないので、3番はやはりフィンランド人のオスモ・ヴァンスカのアルバムを購入。
演奏はミネソタ交響楽団。うん、初めて聴いた。名前の通りアメリカのオケだろう。でもベルグルンドに通じるややせっかち気味に次々と楽譜をめくっていくような、早く次を聞きたくて仕方ないような子供っぽさを感じて微笑ましい。
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【交響曲第4番】
シベリウス交響曲では異色すぎて、一体何があった?と心配になるナンバー
とにかく第1楽章がおどろおどろしい。
1番〜3番まで、優しさ、悲しさ、楽しさ、儚さ、女性的で子供っぽくて、なんて言ってたのに、どうして急にこんなホラー映画みたいな曲を書く気になったのか、全く理解はできないのだけど…
しかし、曲としては、ガシガシ心にくる。
人の感情のようなものは感じない不気味さ、でも終楽章でかろうじていつものシベリウスに戻ってくる感じが、心の闇を彷徨っていた人が鬱を脱したような感動を与える。息詰まる曲で、シベリウスで一番、いや唯一のどっと疲れる曲だが、なかなか心を震わす。
きっと悩んでいたのだろうなシベさん。音楽ってなんだ?!って。
ベートーベンやマーラーみたいにならなくて良かったね。
アルバムはフィンランド系からいったん離れてドイツ系の演奏を聴いてみようと、クルト・ザンデルリンク×ベルリン交響楽団の演奏を買う。
ベルリン交響楽団は有名なベルリンフィルとは別のオケで、ベルリンフィルが西ベルリンにあったのに対して、ベルリン響は東ベルリンにあったとか。きっと対抗意識もやしてたんだろうな。
ザンデルリンクはこれが買うの初めてで、ベルリン響をずっと支えてきた人らしい。マーラーやショスタコーヴィッチも得意だったみたい。
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【交響曲第5番】
第4番の闇を脱したシベリウスが開き直ったようにペカペカに明るく人生最良の時を謳歌するようなナンバー
鬱後の躁という気もしないではない。2番の後がこれならわかるのだが、3番→4番→5番における振り幅の激しさは戸惑わされつつも、ドラマチックでエキサイティングである。
アルバムは泣く子も黙るカラヤン×ベルリンフィルの演奏を購入。
シベリウスはドイツ系の重厚な演奏よりフィンランド人の感情に委ねた演奏の方が似合ってるなどと、知った口して語った自分だが、生前のシベリウス はカラヤンのことを「私の音楽の最大の理解者」と絶賛していたとのこと。私やクラシックファンの意見はさておき、シベリウス本人はドイツ的カラヤン的演奏がお気に入りだったようだ。
ベルグルンドとカラヤンの比較は後に「フィンランディア」でもっと語ってみたい。
つづく