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富士登山記

2010-07-25 09:41:47 | 映画と関係ない雑談
富士登山記

2010/7/22(木)
会社を休んで富士山に向かう。
人気の吉田口ルート(河口湖口とも)を避けることと、下りの砂走りが楽しそうなので、須走口から登る事にする


朝5:00に自宅近くで集合。メンバーは私と妻と、現在編集中の作品「せば・す・ちゃん」に出演のK子さん、と「リバーサイドで朝食を」に脇役出演の他多くの作品でアシスタントを努めてくれたMちゃん。名付けてユンファ組登山部。

出発に先立ち、K子が旅のしおりを作ってきたのでびびる。やる事細かい。さすがA型と妻の分析。そのK子さんが家から借りたハイエースなるワゴン車で出発。
西友で買い物したのち、塩尻ICより中央道に入る。
8時半には須走口5合目(標高1990m)に到着。


高山病を用心して、しばらくそこでウダウダして体を慣らす。
会社の人へのおみやげを買ったり。車にしばらく置いとくことになるので溶けたりしないものがよかろうと富士山サブレ購入。
5合目でお茶飲んだりしていると、「救護班」とか「頂上班」とかいった文字がプリントされたキャップを被った一団が通り過ぎていく。5合目の売店のおばちゃんが本7合目の見晴館に泊まるのかい。今日はにぎやかだよ。と言っていた。
その一団が電通の新人研修のスタッフであるとはその後に知る。

9時半頃より登山開始。

荷物
・キャップ
・帽子止め
・サングラス(そのため眼鏡をはずしてコンタクトに)
・携帯酸素
・ビデオカメラ(兼スチールカメラ)
・登山用ストック
・カメラ用一脚(下りでは二本目のストックになる)
・アウトドア用コンロと燃料
・インスタントコーヒー等
・水2リットル
・レインウェア
・スパッツ(靴に砂や小石が入るのを防ぐ)
・ヘッドライト
・もしも着替え
等々

私のザックはColumbiaの黒い35Lの。妻のお下がり。
妻は発売されたばかりのCHUMSのSPLING DALE 35L。かわいい
MちゃんはColumbiaのカラフルなかわいいやつ。30Lと聞いて買ったそうだが、どうもそんなに入るようには見えない。
K子さんはNorce Face の35Lの紫のやつ。彼女はストックを二本買ってそれぞれザックの左右のポケットにさしているのだが、その姿がなんとなくガンダムっぽい。

私たちは先週放送のNHKためしてガッテンで紹介された、山に楽に登る方法をためした。ゆっくりな演歌を歌いながら登るという方法である。ようするにゆっくり登ればいいのだが、あえて放送内容通りに演歌で登る。思いつく限りの演歌を歌う。天城越え、氷雨、矢切の渡し、みちのく一人旅、津軽海峡冬景色、そのうち演歌ネタがつきてくるとメンバーの年齢層の事情から自然、昭和の歌謡曲やアイドル曲にスイッチしていくのだった。

新6合目、本6合目までは森の中。比較的ゆるやかなのぼり。それでも30分に一度休憩しながら登る。
新6合目、本6合目ではジュース300円くらい。本6合目ではサービス品として味噌汁100円だったので喜んで買う。



本6合を超えた当たりから坂がきつくなってきた気がする。植物も次第に丈が低くなってくる。7合目になると植物はほとんど見かけなくなる。


向かって左手に下りルートの砂走り道が見える。1歩でうんmというペースで一気に駆け下れるという。ほんとだろうか。
途中で外国人カップルに会う。Tシャツ、スニーカー、ショルダーバッグという出で立ち。そんな軽装で大丈夫だろうか。あの人たちはどこまで登ったのだろう。そういえば一ヶ月前に雨の中、八ヶ岳を登った時も、スブ濡れになりながらTシャツ一枚で登る白人登山者に会った。ヨーロッパ人種は高地を何とも思わないのだろうか? 富士山で追い抜いたあのカップルはどこまでいったのだろう。

いかにもな山女子。ジーンズ履きで彼氏に文句言いながら登る女子。山慣れしてる感じの老人など、色々な人たちを見かけるのも楽しい。
7合目太陽館に2時ごろ着。昼食。ラーメン1050円。


宿泊予定は本7合目の山小屋、見晴館。あと一息だが、ここからがその日で一番きつい道だった。
それでも写真撮ったりしながら3時ごろ見晴館に着。標高3200m


見晴館には「電通」の旗がはられていて、5合目でみかけたスタッフ帽を被った方々が待機している。
山小屋に入り名を告げるが、休憩場所がいっぱいでとりあえず寝床の側の通路に荷物を降ろして待っていてほしいと山小屋の主に言われる。まずは打ち合わせ。翌日の出発時刻の確認であるが、私たちは12時前には出るつもりだと言うと、主は苦笑して2時で十分だよと言う。最悪頂上での御来光に間に合わなくても東斜面だからどこからでも御来光は見える。焦って頂上を目指すより途中で見てもいいや、くらいの余裕で行く事を勧められる。
了解。2時出発に変更。

4時ごろ早めの夕食。カレー。山で食べる暖かいものや塩っぱいものは何でも美味く感じる法則。


ところでこのころからオレンジのキャップを被った若者たちが通り過ぎていくようになる。株式会社電通の恒例行事、新入社員研修富士登山らしい。電通のスタッフは山小屋内に無線機を持ち込んでおり、そこから常時声が聞こえている。けっこう大きな音で。私たちがカレーを食べている席のすぐ隣に無線機がある。カレーを食べる傍らでスタッフの一人がキレ気味に無線機に話したりする。山小屋内の一般客の雰囲気を悪くする事におかまい無しという感じ。無線機はうるさいし、山小屋内にスタッフが一人しかいない時や、一人もいない時も鳴り続けている。もう少し配慮のある使い方はできないものか。
何より感じが悪いのは電通のスタッフは私たち一般客を無視しているかのようにしていたこと。誰か一般客対応兼クレーム処理のスタッフの一人でも置いて「お騒がせして申し訳ありません」の一言でもかけてくれれば、印象はだいぶ良くなったはずだ。一般登山客にも水とか味噌汁とか振る舞ったりすれば、一般客と電通社員の両方で楽しく盛り上がれたかもしれない。
この後電通の登山研修は夜の9時くらいまで続き、山小屋の外では「電通ガンバレ!!」とエールをおくるスタッフたちの喧噪。気持ちはわかるが、とうとう一般客からうるさいとクレームが出る。寝なきゃ明日がつらいという焦りと、電通のせいばかりではないが寝られないイライラとが合わさり、残念な結果となった。



それはさておき、朝が早いこともあって早めに寝る。K子さんは7時くらいに、Mちゃんは8時くらいに、私と妻は酒を飲んでから9時くらいに寝床に潜り込む。
標高3200mとは人生において最高高所での泊まりになる。
寝床は上下二段。壁、柵、パーテーションの類いはなく知らない者同士が隣り合って寝る。山小屋の主は男女の並びに気を使う。主が言うには女性はあまり気を使わずに寝る方が多いが、男性は痴漢に間違われたくなくて棒のように硬直してしまい眠れなくなるとか。
この日の寝床の配置は向かって右から女性客のスペース、そして私のパーティになり、妻の隣が私で、私を境に男性客のスペースとなる。そして向かって右側の一番端に一組のカップルが入りもちろん女性が壁際になる。うまく考えられている。

富士山関連の本などを読むと、夏でも夜は冷え込むとか、レインウェアを防寒着代わりにして寝たとかいった話をよく読んだため、寒くなるのを覚悟していた。
が、暑い。
掛け布団はフワフワで臭いもなく快適だったが、快適すぎるのかとにかく暑い。
着の身着のままで寝るつもりだったが、次第に耐えられなくなってくる。
耳栓代わりにiPodのイヤホンを両耳に突っ込むが、そうすると自分の脈拍の音が耳にこだましてかえって眠れない。おそらく高所のせいだろう。
まわりのお客さんへの配慮もあって明かりをつけることもできないので、眠くなるまで本を読むとか、携帯やiPodいじるとかいったことははばかられた。
とにかく全力で眠ろうと思って目を閉じるが、眠れず時間ばかりが過ぎていく。起きて外の空気にあたったりもしたがあまり効果はない(しかも外はさすがに寒い)。少しでも楽になろうと布団の中で、身につけているものを次第に脱いでいき、最後は肌着だけになったがまだ暑い。12時過ぎになって方針を転換。逆に服を着込んで布団を被らずに寝てみたらようやく心地よい眠気が到来。1時半ごろ妻に起こされる。1時間は寝たと思う。

ちなみに私の隣には小学生くらいの男の子が寝ており、夜中に普通の大きさの声でしゃべり出したり、寝相が悪くて私の方に転がってきたりした。その都度となりのお父さんが子供を元の位置に戻すのだが、そのうちお父さんも寝たのか子供がどんなに私に接近してきても位置を直したりする事も無くなり、俺の子供かと思うくらいの近さでその子は眠った。ときどき私の肘を蹴ったりしながら。

朝の二時に、ユンファ組登山部出発。まだ寝ているお客さんもいるので静かに音を抑えて準備。
出発して皆と話してわかったが、全員がほとんど眠れなかったが、一生懸命眠ろうと努力していたとのこと。眠れない理由はおおむね暑さ。早くから寝たK子とMちゃんは電通の無線機や外のスタッフの声がうるさかったことも一因に上げた。そのころに前述の一般客からのクレーム事件が起こったという。丁度そのころ私と妻は外で酒を飲みながら遠くの空の稲妻を見ていたので直接は知らない。

ともあれ山頂を目指す私たち。ヘッドランプを照らして夜道を進む。ヘッドライトは全員同じもの。BLACK DIAMONDというブランドのLEDヘッドランプ。2000円くらいで購入。
夜は寒いと思ったが、上り坂はすぐ暑くなり汗が流れ出発前に着込んだ防寒着を各自一着は途中で脱いだ。
8合目を超えてしばらく行くと、人気の河口湖口登山道と合流する。ここから渋滞が始まる。ヘッドランプを点した登山者の行列が頂上まで途切れる事無く進んでいる。


行列についてのろのろゆるゆると進んでいるうちに、空に朝の気配が見えてきた。
オレンジから青へのグラデーションが美しい。


日の出の予定時刻は4時半。たいして時刻はすでに4時でやっと9合目を超えたくらい。
途中の石段のような場所に4人が座って荷物を置ける程度のスペースを発見。
頂上はあきらめそこに陣取ることに決定したのはユンファ組登山部部長K子


そしてあとは御来光を待ち続ける。座っているとさすがに寒い。
防寒着を着込んで、私はビデオカメラをスタンバイ。
カメラのファインダーを中心で見てしまうため、御来光を肉眼で観る事のできない悔しさ。しかしそれ以上にカメラ小僧魂がうずきどうしても御来光の瞬間をカメラに収めたいという気持ちが勝ってしまう。損な性格。

空は次第に明るくなっていく。眼下に広がるのは主に雲海。山中湖がかろうじて見えるくらいだが、その山中湖は朝日で赤く輝き美しい。
4時半は超えたがまだ太陽は見えない。それでも待ち続ける事10~15分。ついに太陽が雲海の果てに姿を表す。イメージ的にはあっと思ったらポコっと出てきた感じ。その姿はやっぱり奇麗だ。妻は感動のあまり涙が出てきたと言った。私は泣いたわけではないが、泣く価値はある光景なのは間違いない。どうして登山客の多くが御来光を見たがるのかよく判った。




御来光の中、写真撮ったりしていると、気温は急速に上がってきた。防寒着を脱いで、頂上を目指す。


5時30分ごろ頂上の鳥居をくぐる。標高3700mくらい。ここでも妻は泣く。妻はよく泣く。



6時だというのに頂上は昼のように明るく、暑い。
お鉢巡りを始める。富士山最高点の剣が峰を目指す。


途中でレジャーシートを広げて朝食。山小屋で弁当としてもらったおにぎり。そしてK子持参の味噌汁と、Mちゃん持参のココア。山で口に入れる温かいものは何でもうまいの法則。

8時半ごろ剣が峰に立つ。標高3776m。


だがよく見るとその3776mの二等三角点より数十センチは高かろうという岩肌が。そこに立つ。日本最高地点。標高3776.6m(推定)
お鉢巡りで、富士山火口を見下ろす。巨大な火口である。ラドンとか出てきそうだ。周囲は3キロくらいとのこと。ちなみにMちゃんは富士山火口の面積をざっと4畳半から6畳程度であろうとの予測を語った事がある。



お鉢を巡って一周してくると、その日に河口湖ルートで行われていた富士山登山マラソンのランナーたちがゴールしている光景に出くわす。5合目から頂上まで一気に駆け上がる。高山病にならないかと心配だ。ランナーは登山者の格好ではなくランナーの格好。

ちょっとした不運。
下山を始めた私たちだが、下り道があれほど砂道であるとは思っていなかった。本を読んでも砂走りの際には防塵対策がいると書いてはいたが、7合目から始まる砂走り道より前の下山道についてはさほど書かれてはいなかった。


だが、この下りルートがたいそうな砂道で、しかも運の悪い事に、ゴールインした富士山ランナーたちがそのままの勢いで駆け下っていき、もうもうと砂煙を上げる人たちが続々と私たちを追い越していく。おかげで砂走りに入る前に、全員砂まみれになってしまった。
ほぼ全員のランナーが我先にと駆け下っていくので富士登山マラソンは下った先にゴールがあるのかと思った。ところが後から聞いた話だが、富士登山マラソンのゴールは頂上で、下りを皆が駆け下るのは好きでやっていることで競技には関係ないらしい。走り屋集団が転んでは起き上がりながら猛スピードで下っていく様は無邪気な面白さに満ちていた。
ちなみに富士登山マラソンは、麓から5合目までの15Kmの部と、5合目から頂上までの部。5合目までの15Kmを2時間半以内で走る事ができれば、次回は頂上の部にエントリーできるのだとか。これらは、下山後の宿泊先の旅館で一緒になった富士登山マラソン参加者から聞いた話。

そして7合目まで降りてきた私たちは、いよいよ砂走りに入る。


下りを猛スピードで駆け下ることができるという砂走り。見ると砂の直線ルートの中には大きめの石もゴロゴロとあり、走るのは危険ではないかと不安にもなった。
だが走った。それまでの道とは比べ物にならないほど、砂が柔らかでクッションになり膝への衝撃はだいぶ緩和される。勢い、スピードを上げて下りたくなるし、実際猛スピードで駆け下りてみた。面白い。女性たちはゆっくり降りてくるが私はぶっちぎりで駆け下った。二本のストック(正確には1本はカメラ用一脚)を使い、スキーでもするように。
これだけでもレジャーとして成り立つのではないかと思うくらい楽しかった。ただし、膝や足への痛みは少ないとはいえやっていることはランニングなので息は上がるし、汗はかくし、疲れる。
最後の方にはなぜか妻が競争をふっかけてきて、いい歳した二人で砂走り道の終点の売店・吉野屋まで競争。
ちなみに足の防砂用のスパッツはこの一回の砂走りで破れてしまった。あまり高価なものを買わないことをお勧めする。

砂走りで変に疲れたため、そこから5合目までの森の中の下り道が長く感じた。
だがなんとかかんとか3時頃に下山。
砂にまみれた荷物を車に積み、靴を履き替え、宿泊先の山中湖畔の旅館へ。
ついてすぐにとりあえず風呂。(そこで前述のマラソン参加者と話し込む)

近くの居酒屋でビールを呷り、魚を喰らい、コンビニで酒を買って帰り、テレビをつけると「となりのトトロ」がやっていて、それをBGVに呑んでだべって気がつくと寝ていた。めいちゃんが行方不明になった場面を見た覚えが無いので、眠ったのは10時半より前だろう。
Mちゃんは顔パックのまま仁王立ちのような格好で眠っていて、それが覆面レスラーみたいで面白かった。
K子は日光東照宮に徳川埋蔵金が埋まっているという伝説に興味があり、そのため家康が眠るかの地に行きたいということを熱く語っていた。
私と妻は例によって最後まで起きて酒を飲み続けていたが、翌日一番筋肉痛が少なかったのは私と妻だった。ストレッチをちゃんとしたからか、履いていたランニング用のタイツが効果的だったのか、一週間前に小布施町のハーフマラソンを完走して足腰が鍛えられていたのか。

翌日は中央道で一気に帰宅。かえってすぐにやったことはもちろん砂まみれになったウェアやザックの洗濯。


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