映画を見まくる生活を20年近く続けていると、「好きな監督」ができる一方で、「嫌いな監督」というものもできてしまう
批評家受けも、一般受けも良く、様々な映画賞を受賞し、ヒットも飛ばし、でも個人的に全然好きになれない監督。
そういう監督で反射的に思いつくのが4人、いや4組ほどおりまして
・コーエン兄弟(ただし「オー・ブラザー」は大好きだ)
・タランティーノ(ただし「フォー・ルームス」の第4話は好きだ)
・大林宣彦(ただし「四月の魚」は好きだ)
そんでもう一人が阪本順治であります。
コーエン、タラさん、大林については、「○×□な特徴があって、そこが人気があって、でも俺はそこが嫌い」というだけにすぎないと、なんとなく納得しているのだけど、阪本氏についてはほんとうに、みんなこの人の映画のどこに魅力を感じるのかてんで判らない。
「顔」も「KT」も、面白いの?あれ?
安っぽい映像と、わざとらしい台詞まわし、ぬるいアクション、ストーリーもつまんなくて
この人の映画で少しでも面白いと感じたのは「新・仁義なき戦い」くらい。ただしこれも映画が面白いっていうより布袋の演技が面白かっただけだった。
そんな阪本順治嫌いの私にとって「亡国のイージス」とはどんな映画だったか・・・
やっぱりつまんない映画だったのだが、それでも過去に観た阪本作品の中では一番面白かった。ちょっと見直した。
そうは言っても、つまらないのは一目瞭然な映画だが、そのつまんなさの責任を監督に押し付けるのは可哀想な気がする。
この映画のつまんなさは、企画の問題である。同種のハリウッド映画と比較したら、観るも無惨な駄作と言わざるを得ない。それでも監督は、このしょうもない企画を何とか少しはマシなものにしようと最大限の努力をしていた気がする。
同じ1800円払うならハリウッド映画観た方が100倍マシな映画の中に、かすかに光る監督の努力を紐解いてみようと思う。
***********************
まず第一にこの映画はアクション映画ではない。目指したのはそこかもしれんが、アクションシーンが異様に少ない。
銃撃戦や格闘で敵をねじ伏せる映画ではなく、「説得」と「説教」で何とか収めようとする映画である。芸達者4人を集めた意味はそこにあった。激しいアクションの変わりに説得合戦。必殺技ではなく決め台詞。
しゃべる前にやることは色々ありそうだがみんなとにかく喋る。まるで戦いたくないかのように・・・
一番ツボにはまったのは岸辺一徳の「この進路だと火力発電所に突っ込むぞ」と、やる気ない棒読み調の説明台詞だ。阪本作品常連の彼は呼吸があっているのか何なのか?俺はテンションの抜き役さ。そんな感じか。
そして、この映画は国防とか自衛隊とか平和憲法とかに対する思想の映画である。原作者殿は何かその辺に対するご立派な思想をお持ちのようですが、映画は妙に歪んだ形で戦争放棄を選んだ日本人の誇りと茨の道が描かれている。・・・な筈ないんだけど、そう解釈できる辺り、プロパガンダ映画として大失敗してます。少なくとも私はこの映画で原作者と制作者の意図と正反対の思想に感銘を受けそうになりました。
悪党と対峙したら決め台詞一発銃弾一発で悪党を射殺したり惨殺したりするのがハリウッド流。
だがこの映画は違う。この映画の日本人たちは簡単に銃を撃たない。びびって撃てないイージス艦の乗組員たち。さっさと撃てばいいのに、質問したり説教したりする人たち。だから冷酷なテロリスト(こちらはハリウッド流の問答無用で善人を射殺する人たち)に撃たれたりする。
だが主人公真田広之は「それでいい」と言う。
撃つ前に考え悩むのが人間だ!!と!!!
ハリウッド映画とまともに戦っても勝てないなら、銃を使わない説得アクションで勝負。おお、いかにも戦争を放棄した日本人ぽい戦い方じゃないか。このどうしようもなくださくて弱くてかっこ悪いスタイルを貫きそして勝利する。
ところが、撃つ前に考えろといわれた若造はよりにもよって一番デンジャラスな中井貴一と対峙した時に先輩の教えを忠実に守って考え込み撃たれてしまう。ありゃりゃマヌケ!!! 柔軟性ある臨機応変な対応ができないマニュアル人間。それでも我々はそうやって国際社会を生きていくしかない。バカで弱くてかっこ悪くてもいい。その思想は真田広之の絶叫系台詞が象徴している。
「どんなにみっともなくてもいい。とにかく生きろ!!」
***********************
さらに女性テロリストの激しく意味不明な行動と無駄な存在感。
圧巻は中井貴一の回想シーン。横浜スタジアム(?)かどっかでどうも血縁関係にあるらしい女とコンタクトするシーンを思い出す中井貴一。なんでそこ??なんかよっぽど印象深かったらしい。あいつはベイスターズが好きだったなあ・・・とか思い出していたのだろうか? 全く意味不明だが群衆の熱気とスローモーションでなんか美しく、印象深いシーンだ。
女テロリストの戦いの最中のキスも観客おいてけぼり。????????が頭の中を飛び交うがインパクトだけはあるシーンを挿入してアクションのゆるさを見事に誤摩化す。
こういう意味不明だが印象深いシーンは、飽き始めた観客たちの意識を再集中させる効果を持つ。
***********************
さてさて、この映画がアクション映画になれなかった原因は、予算の問題と原作者のクダラナイ思い入れのため回避不可能だった企画上の致命的欠点である舞台設定にある。イージス艦だ。
だいたい、グソーなる新兵器わざわざ危険犯してイージス艦に持ち込まなくたって、新幹線に乗って東京に持ってきゃいいのに・・・イージス艦という舞台を用意したのは自衛隊のあり方にもの申したかっただけで、思想的には必要な設定でもストーリー的に必然性がない。
けど、ま、今言いたいのはそんなことでないです。
なんだかんだでイージス艦て狭くて小さくて大暴れできません。
半径30kmの艦船と航空機を攻撃できるとか凄そうな事いっぱい説明しても、あのサイズでは動きはちまちまするし、だいたい映像的インパクトがない。全長165mってことは走れば30秒とかからずに艦首から艦尾まで移動できる(実際には、船はゆれるし段差もあるし真っ直ぐ走れないし、ブリッジ通らないと船尾⇔船首の行き来できなそうだし、もっとかかるだろうが)。それでもゴジラより大きいのだけど。ばかばか爆発するアクションなんかしたら、乗員は死に船はぶっ壊れ、映画が終わってしまう。
それでも、せめて最後はアクションシーンで終わらせたい!!!それでどうするか、と言えば・・・瀕死の男2人に、指一本動かすのもつらそうな体力の限界ぎりぎりで異常なまでに緩慢な、けれど全力な格闘をさせる。
そんなシーンが観たくて金を払ったわけじゃないのだが、舞台設定上の制約の中、瀕死アクションでクライマックスを乗り切るアイデアは面白かった。
***********************
そんなこんなで散々なデキでありながらも、普通じゃない阪本流変化球演出が微妙に炸裂していた本作。
ちょっと阪本順治監督を見直すことができたのが、私的には最大の収穫であった。
それにしても、福井晴敏イヤーなどという騒ぎも一段落し、振り返って一番面白かったのは、一番トンデモなデキだった「ローレライ」というのは笑える。10億ずつかけて三本の映画撮るより30億で一本の映画撮りゃいいのに・・・とは映画製作の実情を知らない一映画ファンの身勝手な意見であります。
***********************
あ、最後に
音楽にトレバー・ジョーンズって渋すぎる人選。
80年代から90年代前半は素晴らしい仕事をいっぱいしていた。「暴走機関車」「ラビリンス」「エンゼル・ハート」「父の祈りを」と重厚なシンセの音に僕は魅了されたものさ。「ラスト・オブ・モヒカン」あたりから普通のオーケストラ作曲家になって、つまんなくなった。既に旬は過ぎている作曲家だけど、どこを切ってもチープな本作にやたらスケールのでかい音楽を提供。TV放映時に音楽かかってるところを5分だけ観れば「ハリウッド大作に匹敵する映画だ!!」と勘違いさせる効果がある。
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そういう監督で反射的に思いつくのが4人、いや4組ほどおりまして
・コーエン兄弟(ただし「オー・ブラザー」は大好きだ)
・タランティーノ(ただし「フォー・ルームス」の第4話は好きだ)
・大林宣彦(ただし「四月の魚」は好きだ)
そんでもう一人が阪本順治であります。
コーエン、タラさん、大林については、「○×□な特徴があって、そこが人気があって、でも俺はそこが嫌い」というだけにすぎないと、なんとなく納得しているのだけど、阪本氏についてはほんとうに、みんなこの人の映画のどこに魅力を感じるのかてんで判らない。
「顔」も「KT」も、面白いの?あれ?
安っぽい映像と、わざとらしい台詞まわし、ぬるいアクション、ストーリーもつまんなくて
この人の映画で少しでも面白いと感じたのは「新・仁義なき戦い」くらい。ただしこれも映画が面白いっていうより布袋の演技が面白かっただけだった。
そんな阪本順治嫌いの私にとって「亡国のイージス」とはどんな映画だったか・・・
やっぱりつまんない映画だったのだが、それでも過去に観た阪本作品の中では一番面白かった。ちょっと見直した。
そうは言っても、つまらないのは一目瞭然な映画だが、そのつまんなさの責任を監督に押し付けるのは可哀想な気がする。
この映画のつまんなさは、企画の問題である。同種のハリウッド映画と比較したら、観るも無惨な駄作と言わざるを得ない。それでも監督は、このしょうもない企画を何とか少しはマシなものにしようと最大限の努力をしていた気がする。
同じ1800円払うならハリウッド映画観た方が100倍マシな映画の中に、かすかに光る監督の努力を紐解いてみようと思う。
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まず第一にこの映画はアクション映画ではない。目指したのはそこかもしれんが、アクションシーンが異様に少ない。
銃撃戦や格闘で敵をねじ伏せる映画ではなく、「説得」と「説教」で何とか収めようとする映画である。芸達者4人を集めた意味はそこにあった。激しいアクションの変わりに説得合戦。必殺技ではなく決め台詞。
しゃべる前にやることは色々ありそうだがみんなとにかく喋る。まるで戦いたくないかのように・・・
一番ツボにはまったのは岸辺一徳の「この進路だと火力発電所に突っ込むぞ」と、やる気ない棒読み調の説明台詞だ。阪本作品常連の彼は呼吸があっているのか何なのか?俺はテンションの抜き役さ。そんな感じか。
そして、この映画は国防とか自衛隊とか平和憲法とかに対する思想の映画である。原作者殿は何かその辺に対するご立派な思想をお持ちのようですが、映画は妙に歪んだ形で戦争放棄を選んだ日本人の誇りと茨の道が描かれている。・・・な筈ないんだけど、そう解釈できる辺り、プロパガンダ映画として大失敗してます。少なくとも私はこの映画で原作者と制作者の意図と正反対の思想に感銘を受けそうになりました。
悪党と対峙したら決め台詞一発銃弾一発で悪党を射殺したり惨殺したりするのがハリウッド流。
だがこの映画は違う。この映画の日本人たちは簡単に銃を撃たない。びびって撃てないイージス艦の乗組員たち。さっさと撃てばいいのに、質問したり説教したりする人たち。だから冷酷なテロリスト(こちらはハリウッド流の問答無用で善人を射殺する人たち)に撃たれたりする。
だが主人公真田広之は「それでいい」と言う。
撃つ前に考え悩むのが人間だ!!と!!!
ハリウッド映画とまともに戦っても勝てないなら、銃を使わない説得アクションで勝負。おお、いかにも戦争を放棄した日本人ぽい戦い方じゃないか。このどうしようもなくださくて弱くてかっこ悪いスタイルを貫きそして勝利する。
ところが、撃つ前に考えろといわれた若造はよりにもよって一番デンジャラスな中井貴一と対峙した時に先輩の教えを忠実に守って考え込み撃たれてしまう。ありゃりゃマヌケ!!! 柔軟性ある臨機応変な対応ができないマニュアル人間。それでも我々はそうやって国際社会を生きていくしかない。バカで弱くてかっこ悪くてもいい。その思想は真田広之の絶叫系台詞が象徴している。
「どんなにみっともなくてもいい。とにかく生きろ!!」
***********************
さらに女性テロリストの激しく意味不明な行動と無駄な存在感。
圧巻は中井貴一の回想シーン。横浜スタジアム(?)かどっかでどうも血縁関係にあるらしい女とコンタクトするシーンを思い出す中井貴一。なんでそこ??なんかよっぽど印象深かったらしい。あいつはベイスターズが好きだったなあ・・・とか思い出していたのだろうか? 全く意味不明だが群衆の熱気とスローモーションでなんか美しく、印象深いシーンだ。
女テロリストの戦いの最中のキスも観客おいてけぼり。????????が頭の中を飛び交うがインパクトだけはあるシーンを挿入してアクションのゆるさを見事に誤摩化す。
こういう意味不明だが印象深いシーンは、飽き始めた観客たちの意識を再集中させる効果を持つ。
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さてさて、この映画がアクション映画になれなかった原因は、予算の問題と原作者のクダラナイ思い入れのため回避不可能だった企画上の致命的欠点である舞台設定にある。イージス艦だ。
だいたい、グソーなる新兵器わざわざ危険犯してイージス艦に持ち込まなくたって、新幹線に乗って東京に持ってきゃいいのに・・・イージス艦という舞台を用意したのは自衛隊のあり方にもの申したかっただけで、思想的には必要な設定でもストーリー的に必然性がない。
けど、ま、今言いたいのはそんなことでないです。
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半径30kmの艦船と航空機を攻撃できるとか凄そうな事いっぱい説明しても、あのサイズでは動きはちまちまするし、だいたい映像的インパクトがない。全長165mってことは走れば30秒とかからずに艦首から艦尾まで移動できる(実際には、船はゆれるし段差もあるし真っ直ぐ走れないし、ブリッジ通らないと船尾⇔船首の行き来できなそうだし、もっとかかるだろうが)。それでもゴジラより大きいのだけど。ばかばか爆発するアクションなんかしたら、乗員は死に船はぶっ壊れ、映画が終わってしまう。
それでも、せめて最後はアクションシーンで終わらせたい!!!それでどうするか、と言えば・・・瀕死の男2人に、指一本動かすのもつらそうな体力の限界ぎりぎりで異常なまでに緩慢な、けれど全力な格闘をさせる。
そんなシーンが観たくて金を払ったわけじゃないのだが、舞台設定上の制約の中、瀕死アクションでクライマックスを乗り切るアイデアは面白かった。
***********************
そんなこんなで散々なデキでありながらも、普通じゃない阪本流変化球演出が微妙に炸裂していた本作。
ちょっと阪本順治監督を見直すことができたのが、私的には最大の収穫であった。
それにしても、福井晴敏イヤーなどという騒ぎも一段落し、振り返って一番面白かったのは、一番トンデモなデキだった「ローレライ」というのは笑える。10億ずつかけて三本の映画撮るより30億で一本の映画撮りゃいいのに・・・とは映画製作の実情を知らない一映画ファンの身勝手な意見であります。
***********************
あ、最後に
音楽にトレバー・ジョーンズって渋すぎる人選。
80年代から90年代前半は素晴らしい仕事をいっぱいしていた。「暴走機関車」「ラビリンス」「エンゼル・ハート」「父の祈りを」と重厚なシンセの音に僕は魅了されたものさ。「ラスト・オブ・モヒカン」あたりから普通のオーケストラ作曲家になって、つまんなくなった。既に旬は過ぎている作曲家だけど、どこを切ってもチープな本作にやたらスケールのでかい音楽を提供。TV放映時に音楽かかってるところを5分だけ観れば「ハリウッド大作に匹敵する映画だ!!」と勘違いさせる効果がある。
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自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
「ローレライ」笑いすぎておかしくならないようにしてくださいね
原作を読む気にはなれないのですが(かなり長いようなので)、「ローレライ」でも見てみようかと思ってます。
岸辺一徳、「トイレで貸してもらったハンカチ、返せよ・・・」ってずっと思ってました。洗って返すのか?(笑)「抜き役」なんですかね、やっぱり。
「どんなにみっともなくてもいい。とにかく生きろ!!」→おっしゃるとおり、このセリフは戦後日本をある意味100%肯定しているという点で、原作の主張とは180度違う映画になっているともいえますね。
本当に、ダメなところを突っ込む気すら失せてしまうダメ作品でした。
監督の責任よりも、製作者・脚本家の責任のほうが大きいでしょうね。
あれはマンガチックなところが良かった。
無理にリアリティを持たせて、大河ドラマの総集編のような詰め合わせ映画にするなんて、自己満足以外の何物でもないような・・・
確かにその通りですね(^^;見終わってから、あ~だ、こ~だと文句言うのにはちょうど良い映画ですかね。私も『ローレライ』の方が好きです。