先日、某大物アーティストがMCをつとめるラジオ番組をクルマの中で聴いていた。
とあるリスナーの投稿が読まれたが、やられたという思いで今でも腹が立っているとの内容だった。
事のてん末はこうだ。
・取引先の若い担当者がミスをして、自分の会社に多額の損害を出した。
・当日直接会って話をした時、ミスをした彼は号泣して平謝りするばかりであったので、とりあえず場を収めた。
・後日、リスナーのFacebookに彼が友達候補として登場したので眺めてみると、ミスの当日に彼が酔って騒いでいる画像が。
・彼自身のコメントに「今日は負けたフリ勝ちー!相手の会社いちおう大きいからとりあえず謝っといた」という言葉が。
自らのミスにより取引先に多額の損害を与えた人間がその当日に馬鹿騒ぎして反省一つない様子をSNSに上げる。
これにはさすがの大物アーティストも絶句して、ようやく「相手が一枚上手だったんだろうが、証拠が出てきたんなら言ってやってもいいんじゃない?」との反応があった。
もともとわが国には「負けるが勝ち」という言葉があって、あえて相手に譲ることで相手にダメージを与える事ができる場合もあるのは確かだ。
ただ、このケースはミスに対する反省が何一つないのがいけない。
お互いに正当と思う言い分があって、そこであえて負ける事を選んだのではなく、明らかに落ち度があるほうが形だけ謝って「負けたフリ勝ち」というのはやはり常識がある行いとは言えない。
最近は、「とにかく何でもいいから人に勝ちたい」という思想の持ち主である職場の若い男性の事をよく書いている。
物事は負けるよりは勝つほうがいいだろうが、とあるスマホのゲームで「違う土俵」(片や無課金、片や課金しまくり)で戦って「勝った勝った」とほくそ笑んでいるのは以前にも書いた。
たかが206(←わが愛車、被害事故のため入院中、笑)に、明らかにスペック的に大きなGT-Rか何かで挑めば速さで勝つのは目に見えている。
そんな勝ち方をして満足しているというなら、いかにも卑小な人間と言わざるを得ない。
もともとSNSのプロフィールにも「自撮り」の画像を堂々とのせ、職場の昼休みにはお得意のダンスや筋トレにいそしみ、会社の宴会ではカッコいいが誰も知らない歌ばかりを延々とやるという典型的なナルシストというのが彼の本質であろう。
仕事はいちおう前向きにやる人間なので、かろうじて周囲の攻撃は免れているが、残念ながら職場の上の評価もあまりよろしくないとはどこかで聞いた。
どれだけ職場が忙しくても「自分の時間を大切にしたい」と言って絶対に定時以後には協力していかないのがその原因らしい。
ヒマな日はいいが、どんな日も当たり前のように定時にいなくなられては上も頼りにはしづらいと思う。
勝つ事だけに執着し、「正々堂々」が抜け落ちている人間はやはり残念ながら若い人に多い。
世代でくくるのは乱暴かもしれないが、不幸な事に生まれてこのかたわが国が「夢のない時代」の中にあっただけに、私の世代ではなかった苦労も多かったであろうから同情すべき点はある。
ただ、コンプレックスを悟られまいと姑息な表現方法に走る人間が多い事もまた事実である。
夢のない時代を作ったのは上の世代だが、夢を持てないからといって形だけ人に勝っていればいいという考え方に流れていい事にはならない。
その先に待っているのは、現実世界での友人がどんどんいなくなるという悲劇なのであろう。
とあるリスナーの投稿が読まれたが、やられたという思いで今でも腹が立っているとの内容だった。
事のてん末はこうだ。
・取引先の若い担当者がミスをして、自分の会社に多額の損害を出した。
・当日直接会って話をした時、ミスをした彼は号泣して平謝りするばかりであったので、とりあえず場を収めた。
・後日、リスナーのFacebookに彼が友達候補として登場したので眺めてみると、ミスの当日に彼が酔って騒いでいる画像が。
・彼自身のコメントに「今日は負けたフリ勝ちー!相手の会社いちおう大きいからとりあえず謝っといた」という言葉が。
自らのミスにより取引先に多額の損害を与えた人間がその当日に馬鹿騒ぎして反省一つない様子をSNSに上げる。
これにはさすがの大物アーティストも絶句して、ようやく「相手が一枚上手だったんだろうが、証拠が出てきたんなら言ってやってもいいんじゃない?」との反応があった。
もともとわが国には「負けるが勝ち」という言葉があって、あえて相手に譲ることで相手にダメージを与える事ができる場合もあるのは確かだ。
ただ、このケースはミスに対する反省が何一つないのがいけない。
お互いに正当と思う言い分があって、そこであえて負ける事を選んだのではなく、明らかに落ち度があるほうが形だけ謝って「負けたフリ勝ち」というのはやはり常識がある行いとは言えない。
最近は、「とにかく何でもいいから人に勝ちたい」という思想の持ち主である職場の若い男性の事をよく書いている。
物事は負けるよりは勝つほうがいいだろうが、とあるスマホのゲームで「違う土俵」(片や無課金、片や課金しまくり)で戦って「勝った勝った」とほくそ笑んでいるのは以前にも書いた。
たかが206(←わが愛車、被害事故のため入院中、笑)に、明らかにスペック的に大きなGT-Rか何かで挑めば速さで勝つのは目に見えている。
そんな勝ち方をして満足しているというなら、いかにも卑小な人間と言わざるを得ない。
もともとSNSのプロフィールにも「自撮り」の画像を堂々とのせ、職場の昼休みにはお得意のダンスや筋トレにいそしみ、会社の宴会ではカッコいいが誰も知らない歌ばかりを延々とやるという典型的なナルシストというのが彼の本質であろう。
仕事はいちおう前向きにやる人間なので、かろうじて周囲の攻撃は免れているが、残念ながら職場の上の評価もあまりよろしくないとはどこかで聞いた。
どれだけ職場が忙しくても「自分の時間を大切にしたい」と言って絶対に定時以後には協力していかないのがその原因らしい。
ヒマな日はいいが、どんな日も当たり前のように定時にいなくなられては上も頼りにはしづらいと思う。
勝つ事だけに執着し、「正々堂々」が抜け落ちている人間はやはり残念ながら若い人に多い。
世代でくくるのは乱暴かもしれないが、不幸な事に生まれてこのかたわが国が「夢のない時代」の中にあっただけに、私の世代ではなかった苦労も多かったであろうから同情すべき点はある。
ただ、コンプレックスを悟られまいと姑息な表現方法に走る人間が多い事もまた事実である。
夢のない時代を作ったのは上の世代だが、夢を持てないからといって形だけ人に勝っていればいいという考え方に流れていい事にはならない。
その先に待っているのは、現実世界での友人がどんどんいなくなるという悲劇なのであろう。