いよいよ旅も最終日である。
限られた時間の中、この日は当初なかった予定を付け足すことにしていたので、ふた晩世話になった高崎のホテルを若干早めに出た。
JR両毛線に揺られ1時間あまり、栃木県に入り、着いたのは足利駅であった。
ここを目指したのは一も二もなく、森高千里さんの名曲「渡良瀬橋」(1993年)で歌われている風景をこの目で見たかったからだ。
駅から歩いて20分ほど、渡良瀬川にいくつもかかる橋の一つが渡良瀬橋であった。
橋の近くには歌碑が建てられており、押しボタン信号よろしく曲の再生ボタンまで設置されていた。
橋と歌碑との位置関係は3枚目の写真にて。
本来なら、歌詞にもある通り、橋の向こうに沈んでいくであろう夕日を見てみたかったが、次の予定もありまたの楽しみとすることにした。
足利駅から折り返し、昨夜も下りた前橋駅で下車。
新幹線駅が高崎にあるため県庁所在地の駅としてはやや地味ではあるが、駅前の雰囲気は清潔感があってよかった。
旅の最後は、ヤマダグリーンドーム前橋での寛仁親王牌(G1)観戦であった。
ヤマダ電機がいつネーミングライツを取ったかは知らないが、利根川沿いにある前橋公園の中というロケーション、日本に二つしかないドーム競輪場の一つとしても個人的には好きな競輪場である。
短走路の前橋はどのレースも動き出しのタイミングが早く見ている方は面白い。
ただ、面白いのと車券は別で、決勝戦を前に若干の負けであった。
決勝戦は稲垣裕之選手(86期・京都)の念願のタイトルがかかる一戦で、展開もある程度は予想できるメンバーであった。
果たして展開は予想通りとなり、果敢に飛ばした脇本雄太選手(94期・福井)の番手から稲垣選手が出て、内から急襲した平原康多選手(87期・埼玉)の追撃をギリギリしのいだところがゴールだった。
稲垣選手の初タイトルはもちろん喜ばしいが、富山の共同通信社杯(G2)での落車から立ち直った平原選手の走りもまた素晴らしかった。
車券もトータルで何とかプラスになったし、旅の締めくくりはいいものになった。
3日間まるまる使って、追加の予定も含めてやれることは全部盛り込んで楽しい旅行ができた。
特に今回はいろいろな偶然が重なったし、また予想されていた雨もほとんど降らなかった。
今年は一つ一つが印象深い旅行ができている。
あと何回機会があるかは分からないが、引き続き体調には気をつけ、また元気に旅ができるようにしたい。
限られた時間の中、この日は当初なかった予定を付け足すことにしていたので、ふた晩世話になった高崎のホテルを若干早めに出た。
JR両毛線に揺られ1時間あまり、栃木県に入り、着いたのは足利駅であった。
ここを目指したのは一も二もなく、森高千里さんの名曲「渡良瀬橋」(1993年)で歌われている風景をこの目で見たかったからだ。
駅から歩いて20分ほど、渡良瀬川にいくつもかかる橋の一つが渡良瀬橋であった。
橋の近くには歌碑が建てられており、押しボタン信号よろしく曲の再生ボタンまで設置されていた。
橋と歌碑との位置関係は3枚目の写真にて。
本来なら、歌詞にもある通り、橋の向こうに沈んでいくであろう夕日を見てみたかったが、次の予定もありまたの楽しみとすることにした。
足利駅から折り返し、昨夜も下りた前橋駅で下車。
新幹線駅が高崎にあるため県庁所在地の駅としてはやや地味ではあるが、駅前の雰囲気は清潔感があってよかった。
旅の最後は、ヤマダグリーンドーム前橋での寛仁親王牌(G1)観戦であった。
ヤマダ電機がいつネーミングライツを取ったかは知らないが、利根川沿いにある前橋公園の中というロケーション、日本に二つしかないドーム競輪場の一つとしても個人的には好きな競輪場である。
短走路の前橋はどのレースも動き出しのタイミングが早く見ている方は面白い。
ただ、面白いのと車券は別で、決勝戦を前に若干の負けであった。
決勝戦は稲垣裕之選手(86期・京都)の念願のタイトルがかかる一戦で、展開もある程度は予想できるメンバーであった。
果たして展開は予想通りとなり、果敢に飛ばした脇本雄太選手(94期・福井)の番手から稲垣選手が出て、内から急襲した平原康多選手(87期・埼玉)の追撃をギリギリしのいだところがゴールだった。
稲垣選手の初タイトルはもちろん喜ばしいが、富山の共同通信社杯(G2)での落車から立ち直った平原選手の走りもまた素晴らしかった。
車券もトータルで何とかプラスになったし、旅の締めくくりはいいものになった。
3日間まるまる使って、追加の予定も含めてやれることは全部盛り込んで楽しい旅行ができた。
特に今回はいろいろな偶然が重なったし、また予想されていた雨もほとんど降らなかった。
今年は一つ一つが印象深い旅行ができている。
あと何回機会があるかは分からないが、引き続き体調には気をつけ、また元気に旅ができるようにしたい。