体も元気になり、週イチのお楽しみ(といってもサラッと飲むだけだが)もつつがなく終わって、この土曜は勤務ではなく朝は惰眠をむさぼり時計を見たら時刻は8時を過ぎていた。
インフル明けの体でまずは一週間乗り切ることしか考えてなく、今日のことを考える余裕はなかったから、いつものヒマな土曜日のパターンでまずは洗濯、そして病気をはさんでずいぶんやっていなかった部屋の掃除など一通りの雑事をこなす。
それらが済んだらもう一回横になってゆっくりするのが至福のひと時である。
二度寝の後、目が覚めると13時を過ぎていて、やや遅めの昼食を外でとるため久々に車を出した。
昼食の後はスーパーに寄って当面の食材を仕入れ、近場で写真撮影のスポットを探してみたが、市内には案外入り組んだ狭い路地が多く、住宅密集地では駐車もままならずで、あきらめて自宅に戻った。
こういう気楽な一日を過ごしてさらに明日も休みというのは、土曜日がほぼ出勤であった1月を考えると大変に有難く感じられる。
明日をどのように過ごすかはまだ決めてはいないが、土曜日をのんびり過ごせると体力気力も戻り、日曜は外に出ようという気になってくる。
今月は病気のために動きたくても動けない状態を約十日間も続けてしまったからなおさらだ。
取り返すということではないが、面白そうな催しがあったらぜひ行ってみようと思う。
さて、詳しい中身は書くことはできないが、先月の終わり頃には会社として大変残念なことが起き、管理職は後処理のため信じられないような帰宅時間になったりと、他社の施設を借りて仕事をいただいている会社の悲しさそのものという事態となっている。
発注の流れの中で最下流にある会社が何かを起こしてしまうと、管理職は説明やら釈明やら今後の対策やら、最上流が納得するまでそちらに忙殺されるばかりか、事後にあっても上流の皆様がかわるがわる現場を視察に訪れるなど、息苦しさは増すばかりとなる。
残念ながら、直近で何かを起こした会社は「目をつけられる」ということになってしまう。
目をつけられるという言葉にいいイメージを抱く人はほぼ100%いないと思われるが、ある日の朝礼では「我が社は一目置かれているから気をつけてください」という言葉を聞いてひっくり返りそうになった。
一目置かれるというのは、どちらかというといいイメージで使われることが多い言葉で、例えば最初は軽く見られていた人が徐々に力を発揮し始め、周囲からある程度認められてくる過程で使われたりする。
今の我が社の状況は、とてもではないが一目置かれている状況ではなくて、むしろ逆である。
仮に今後残念なことが立て続けに起これば、上流の判断次第では仕事を取り上げられる危険すらあるのだ。
発言の主も、当面は悪い意味でマークされる立場に置かれるという意味合いを伝えたかったのだとは思うが、人の上に立つ者の発言としてはややお粗末ではなかったかと思う。
言葉は人間のみに許されたコミュニケーション手段である。
会社私事を問わず、生きていると一言足らないとか多いとか、伝え遅れとか意味違いとか、言葉を使う動物ならではの難しいことが生じ、後々大きな不便が出ることも珍しくない。
会社の仲間くらいの関係で「あうんの呼吸」が通用するとは考えられないから、よほど言葉というものを大事にしないとその組織は後々衰えることになる。
良かれ悪しかれ、言葉一つで日本中世界中に影響を与えることもあるのだし、この情報社会にあっては言葉の大切さをあらためて考えざるを得ないのである。
インフル明けの体でまずは一週間乗り切ることしか考えてなく、今日のことを考える余裕はなかったから、いつものヒマな土曜日のパターンでまずは洗濯、そして病気をはさんでずいぶんやっていなかった部屋の掃除など一通りの雑事をこなす。
それらが済んだらもう一回横になってゆっくりするのが至福のひと時である。
二度寝の後、目が覚めると13時を過ぎていて、やや遅めの昼食を外でとるため久々に車を出した。
昼食の後はスーパーに寄って当面の食材を仕入れ、近場で写真撮影のスポットを探してみたが、市内には案外入り組んだ狭い路地が多く、住宅密集地では駐車もままならずで、あきらめて自宅に戻った。
こういう気楽な一日を過ごしてさらに明日も休みというのは、土曜日がほぼ出勤であった1月を考えると大変に有難く感じられる。
明日をどのように過ごすかはまだ決めてはいないが、土曜日をのんびり過ごせると体力気力も戻り、日曜は外に出ようという気になってくる。
今月は病気のために動きたくても動けない状態を約十日間も続けてしまったからなおさらだ。
取り返すということではないが、面白そうな催しがあったらぜひ行ってみようと思う。
さて、詳しい中身は書くことはできないが、先月の終わり頃には会社として大変残念なことが起き、管理職は後処理のため信じられないような帰宅時間になったりと、他社の施設を借りて仕事をいただいている会社の悲しさそのものという事態となっている。
発注の流れの中で最下流にある会社が何かを起こしてしまうと、管理職は説明やら釈明やら今後の対策やら、最上流が納得するまでそちらに忙殺されるばかりか、事後にあっても上流の皆様がかわるがわる現場を視察に訪れるなど、息苦しさは増すばかりとなる。
残念ながら、直近で何かを起こした会社は「目をつけられる」ということになってしまう。
目をつけられるという言葉にいいイメージを抱く人はほぼ100%いないと思われるが、ある日の朝礼では「我が社は一目置かれているから気をつけてください」という言葉を聞いてひっくり返りそうになった。
一目置かれるというのは、どちらかというといいイメージで使われることが多い言葉で、例えば最初は軽く見られていた人が徐々に力を発揮し始め、周囲からある程度認められてくる過程で使われたりする。
今の我が社の状況は、とてもではないが一目置かれている状況ではなくて、むしろ逆である。
仮に今後残念なことが立て続けに起これば、上流の判断次第では仕事を取り上げられる危険すらあるのだ。
発言の主も、当面は悪い意味でマークされる立場に置かれるという意味合いを伝えたかったのだとは思うが、人の上に立つ者の発言としてはややお粗末ではなかったかと思う。
言葉は人間のみに許されたコミュニケーション手段である。
会社私事を問わず、生きていると一言足らないとか多いとか、伝え遅れとか意味違いとか、言葉を使う動物ならではの難しいことが生じ、後々大きな不便が出ることも珍しくない。
会社の仲間くらいの関係で「あうんの呼吸」が通用するとは考えられないから、よほど言葉というものを大事にしないとその組織は後々衰えることになる。
良かれ悪しかれ、言葉一つで日本中世界中に影響を与えることもあるのだし、この情報社会にあっては言葉の大切さをあらためて考えざるを得ないのである。