blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

住めば都、かもよ。

2017-04-10 20:52:23 | 日記
自分の仕事を卑下するわけではないが、わがチームの仕事はお世辞にも華やかではなくハッキリ言って地味である。
退屈とまではいかないが平板で単調な平日が終わると、だいたい週に一度のペースでお楽しみとして外で食事をとることは前回も書いた。
仕事から完全に離れてひたすらバカ話に興じ、仕事場では出ないような爆笑また爆笑の時間を作ることで何とか週単位での気持ちのバランスを取っている。
笑うこと同様にマイクを取って思い切り歌うのもいい。
きっちり週イチとはいかなくても、笑ったり歌ったりして腹の底から声を出す機会は今の生活には欠かせないし、それができる場所が当地に何とか見つかっていることは幸せである。

さて、つい最近のお話相手のひとりは、少し前に実家のある関西に帰省したようで、ほんの短い時間が「関西自慢」のようになっていた。
仕事場に当地を選んでいる人にして、当地は関西と比べて活気がないように感じるという。
例えばエレベーターが閉まりそうになって「開ける」のボタンを押して誰かを入れてあげたら、関西なら必ず「すんまへんな」などと言葉があるが、当地の人は黙っていることが多いらしい。
人間の数はそれなりにいるが、どうもその人の地元と比べると当地は人と人との言葉のコミュニケーションが少なく感じられるようだ。

私は関西でも東海でもなく、もっと田舎の北陸・富山の出身だ。
当地に活気がないかと言われると、さすがに自宅近くまで来てしまえばともかくも、名古屋市内の中心部は深夜になっても明るいところも多くて見た目の活気というなら富山とは比べものにならない。
通りすがりに地元発アイドルのライブが見られることも田舎ではまずありえない。
私は関西に住んでいたこともあるが、あえて関西と当地がどうだという答えは出さず、自分は田舎の出だから分からない程度の話しかできなかった。
関西では、人との心理的な距離の詰め方が急な人が多いので私自身はそれに戸惑ったこと、また「あなた」という意味で使う「自分」になじめなかったことなど、お相手の期待に背くような話になってしまったところでちょうど「お時間」となってしまった。

北陸の出の人間から見て当地の人々を見る時、本欄でも常々書いているが「ヨソ者は決して自分たちのサークルの中には入れずにあくまでヨソ者として扱う」イメージはある。
私もそのヨソ者のひとりとして、当地では尋常ならぬアウェイ感の中で暮らして来たことも本欄で何度も書いた。
田舎者を見下ろすのは正直関西も当地もそれほど変わらない。
本人に対してズバッと言葉にして言ってしまうか、本人には言わないで陰でコソコソ言っているかの違いだけである。

結局人は生まれ育った場所がいちばん快適に過ごせるのであって、数ヶ月単位でやはり地元の空気を吸いたくなるのは私ばかりではなく故郷を離れている人間の自然な感情だろう。
いわゆる三英傑(信長・秀吉・家康)を生んだ土地というプライドの高さは端々に感じられるとしても、少なくとも私の住む尾張の北東部はわりあい品のいい土地柄には思えるので、自分から良いところを見つけてより住みやすくしていけたら最高だ。
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