blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

ずっと、変わっていない

2009-03-29 21:47:32 | 日記
少し前の記事になるが、ちょうど30歳を迎えようかという時期に「うつ」に見舞われて、最初の勤め先を辞めることになった。
この出来事をきっかけに、これからは開き直って「やりたいこと」をやっていこうと思ったのは事実である。

仕事はそれまでの金融業から一転、旅行業にシフトした。
つらいことばかりではなく、仕事にも「楽しいこと」があるのだと知ったことは収穫であった。
プライベートでは、長く心に温めていたドラムに取り組み始めた。
結果、今はもう参加していないが、2つのバンドに所属して貴重な経験をすることができた。

小さなときからしんどい出来事ばかりが続いた私が、30歳を境に少しずつ生きることの楽しさを知るようになったのは、ガマンしないで素直に生きることをようやく覚えたからであろう。
不思議とよい出会いにも恵まれ、少しはモノの考え方もやわらかくなったのかもしれない。

「うつ」以前と以後で違いがあるとすれば、自分には「言葉以外の何か」で表現できる力があると知ったことである。
それは音楽とか、あまり数はこなしていないが写真とか、いわゆる芸術的な方面であろう。

とはいえ、昨日も書いたように、人づきあいのヘタっぷりは小さなときから一貫している。
自分を表現するまでに時間がかかりすぎて、特に第一印象が大事な仕事の場面ではずいぶん損をしてきたように感じる。
プライベートでも、たとえばバンドで出演したあとの「打ち上げ」も、苦痛とは言わないまでも何となく居心地の悪さを感じたりしていた。
一緒に楽しみ、決して敵ではないはずの他のバンドの皆さんにも「話しかける」ことはなかなか難しかった記憶がある。

結局「うつ」になる以前から、私は言葉によるコミュニケーションが本当にヘタクソで、それは今も全然変わっていない。
変わっていないということは「問題としてあり続けている」ということである。
私が体験した「うつ」は、その流れの中の「二次的な災い」であって、本質的に私が人生で解決すべき問題はまだそのままなのである。

1人の人間として普通に経済生活を送るには、言葉による伝達が避けられない。
確かに、今までどの会社や組織にあっても、他の人よりは怒られたり攻撃されたりといった苦労は多かったと思う。
だからといって社会との接触を避けるわけにもいかない。

私は生まれながらにある種の「欠陥」を抱えて生きてきたのかもしれない。
そうでも考えないと、子供の頃から感じてきた「生きづらさ」が説明できない気がする。
近いうちに、中立な立場の方の意見を聞く機会を作りたい。
そこでもし「人生の謎」が解けたなら、あとは自分でそれを受け入れて生きていこう。
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