生まれつき心臓に問題が有ったと言っていた。
具体的な病名を聞いたかもしれない。
たしか、弁膜欠損だったと思う。
出会ったのは15年くらい前のことだ。
その頃の久我さんは、呂律が回っていなかった。
多分、脳卒中の類の後遺症だろう、と思ったものだ。
これも、具体的な病名や時期を聞いたのだと思う。
けれど、呂律が回っていないので、うまく聞き取れなかった。
私は私で、聴覚情報処理障害が有るので、
ひとの言っていることが聞き取りにくいことが多い。
それで、何かを聞き返すことがとても多い。
何度も聞き返していると、相手がイヤそうになる事が多い。
それがイヤで、聞き取れなかったことを聞き返すことが苦手だ。
滑舌の悪い久我さんとの会話は、だから私には苦手だった。
それさえ無ければ、こんな気楽な兄貴はいない。
他にも、大動脈乖離もやっている。
数年前にはまた何かで入院しているし、
今年の春には心臓の手術もしている。
けれどその度に、回復しているのだ。
※
何年か経つうちに、久我さんの滑舌は次第に良くなっていった。
ここ数年は、ほぼ聞き返さずに何を言っているか分かる。
付き合いやすくなったぜ。
※
日頃の久我さんは、スポーツマンだ。
プールに行ってたくさん泳ぐ。
自転車で毎日すごい距離を走る。
きれいに日焼けしている。
トライアスロンをやっていたと聞く。
※
7月の初めに、久我さんと会った。
渡したい物が有る、会いたい。と連絡が有った。
でも約束した日は猛暑36℃の予報で、
私はその日の午前になって、断りのメッセージを送った。
でも、久我さんは「今日が都合が良い」のだと言う。
75歳の久我さんを労わって断ろうとしたのではない。
自分がしんどかったのだ。
来週になれば少し暑さも落ち着くからどう?と言っても、
久我さんは頑として譲らなかった。
急いでいる感じが、イヤだった。
イヤという言葉をもっと具体的にすれば、
不吉、だった。
※
昼間に、私の住む私鉄沿線まで来てくれると言う。
電車で来ると言う。
〈あれ?車の運転やめたんでしたっけ?〉
「いや、やめてないよ。明日からの旅行も車で行くし。
せっかくす~さんと会うなら一杯飲みたいからさ。」
あ、そうか。
でも私は昼間に酒を呑むと、まるで使い物にならなくなってしまう。
ましてや暑い日では、ダルい。
大きな荷物を持って家まで帰れる気がしない。
私は車で行って、荷物を受け取った。
そして、そこから車で少し行った所のアイスクリーム屋さんに誘った。
短い時間で申し訳ないけれど、
私はほんとに暑いのは苦手なんだ。
※
久我さんは、今年の春の心臓手術と入院で、
ずいぶん身体が衰えてしまって、気弱になっているようだった。
「す~さんも気を付けたほうがいいよ。」
〈久我さんみたいに運動してる人から言われると、
これ以上どうすればいいか分からなくなるな。〉
「いや僕の場合は、運動しちゃいけなかったんだよ。
もともと心臓に病気が有ったしさ。」
鍛えられた身体なので、ついつい心臓のことも忘れてしまう。
※
だから、その後わりとすぐに交通事故で入院したと知った時には、
驚いたけれど、必ず無事で帰って来る、と信じていた。
疑う余地が無かった。
※
早くリハビリを進めたいのに、医者がなかなか進めてくれない、
と、もどかしそうな投稿をFacebookに日々アップしていた。
ある日、「見て見て!」と、
ベッドの上で右脚を持ち上げている画像がアップされた。
本当は、ベッドの上の自分の写真なんか見せたくないはずだ。
同じ日に、永原元さんが子どもたちに打楽器を教える活動をしていることを伝える
新聞記事の写しを投稿している。
ほんと、ステキな活動だよね。
それから、
「さあ、もういっぺん!」
という、文字だけの投稿。
写真無しの、
Facebookのフォーマットを利用した、投稿。
珍しい。
「もういっぺん」って、なんだよ。
ちょっとイヤな予感がして、私は「いいね!」を押せなかった。
※
1ヶ月後。
私は、
ずっと久我さんの投稿を見ていないことに気付いていた。
9月に入ってから、ずっと、
気になりながら、気にしないふりをしてきた。
けれど、
お彼岸も過ぎた頃、
もう本当に確認しなければいけない、と思った。
そうして、久我さんのタイムラインを訪れた。
8月末の日付の、誰かの投稿が少し有って、
9月1日の投稿が目にとまった。
「久我一午の家族です。
突然の投稿をお許しください」
と始まる、読めば、娘さんによる投稿であった。
それは、「去る8月26日、父の人生 27,872日目の早朝に、
久我一午は76歳にて永眠いたしました」と告げていた。
「会いたい人が居る 行きたい場所がたくさんある
ライブも 旅行も
病院なんかに世話になっている場合じゃない
くやしい とにかく早く退院したい
ポテトサラダ食べたいなぁ 切ったリンゴの入ってるあれ
そんな風に話していて
担当医にリハビリの予定を前倒ししたいと催促するぐらいで
退屈だけはつらかったものの 気力はあふれており
家族は快復を信じて疑いませんでした
しかしリハビリ中に腸閉塞を患い、回復が叶いませんでした」
※
この世において、人生において、それぞれの人の生きている中で、
悔しい事、思いどおりにならない事、叶わぬ事、
色々な事が有ると思う。
けれど、
こんなに悔しい事が有るだろうか。
あんなに色んな所に行って色んな人に会うのが好きな人が、
こんなふうに願ってリハビリして、
でも叶わなくて。
こんな悔しさが有るか。
私は自分の今までのあれこれの悔しさがちっぽけであったと思い、
今後もそんなちっぽけに心を煩わせるのはイヤだと思った。
※
昨日は、毎月一日に書いている法螺話の日であったので、
死んだはずの久我さんに登場いただいた。
話を終わりにしたくなくて、いつまでも書き続けていたいと思った。
そうもいかないよね。と
久我さんに帰りを促すかのように書いているのは、
実は自分に対しての言葉だと言える。
さて、
どうしてくれよう。
つづく
具体的な病名を聞いたかもしれない。
たしか、弁膜欠損だったと思う。
出会ったのは15年くらい前のことだ。
その頃の久我さんは、呂律が回っていなかった。
多分、脳卒中の類の後遺症だろう、と思ったものだ。
これも、具体的な病名や時期を聞いたのだと思う。
けれど、呂律が回っていないので、うまく聞き取れなかった。
私は私で、聴覚情報処理障害が有るので、
ひとの言っていることが聞き取りにくいことが多い。
それで、何かを聞き返すことがとても多い。
何度も聞き返していると、相手がイヤそうになる事が多い。
それがイヤで、聞き取れなかったことを聞き返すことが苦手だ。
滑舌の悪い久我さんとの会話は、だから私には苦手だった。
それさえ無ければ、こんな気楽な兄貴はいない。
他にも、大動脈乖離もやっている。
数年前にはまた何かで入院しているし、
今年の春には心臓の手術もしている。
けれどその度に、回復しているのだ。
※
何年か経つうちに、久我さんの滑舌は次第に良くなっていった。
ここ数年は、ほぼ聞き返さずに何を言っているか分かる。
付き合いやすくなったぜ。
※
日頃の久我さんは、スポーツマンだ。
プールに行ってたくさん泳ぐ。
自転車で毎日すごい距離を走る。
きれいに日焼けしている。
トライアスロンをやっていたと聞く。
※
7月の初めに、久我さんと会った。
渡したい物が有る、会いたい。と連絡が有った。
でも約束した日は猛暑36℃の予報で、
私はその日の午前になって、断りのメッセージを送った。
でも、久我さんは「今日が都合が良い」のだと言う。
75歳の久我さんを労わって断ろうとしたのではない。
自分がしんどかったのだ。
来週になれば少し暑さも落ち着くからどう?と言っても、
久我さんは頑として譲らなかった。
急いでいる感じが、イヤだった。
イヤという言葉をもっと具体的にすれば、
不吉、だった。
※
昼間に、私の住む私鉄沿線まで来てくれると言う。
電車で来ると言う。
〈あれ?車の運転やめたんでしたっけ?〉
「いや、やめてないよ。明日からの旅行も車で行くし。
せっかくす~さんと会うなら一杯飲みたいからさ。」
あ、そうか。
でも私は昼間に酒を呑むと、まるで使い物にならなくなってしまう。
ましてや暑い日では、ダルい。
大きな荷物を持って家まで帰れる気がしない。
私は車で行って、荷物を受け取った。
そして、そこから車で少し行った所のアイスクリーム屋さんに誘った。
短い時間で申し訳ないけれど、
私はほんとに暑いのは苦手なんだ。
※
久我さんは、今年の春の心臓手術と入院で、
ずいぶん身体が衰えてしまって、気弱になっているようだった。
「す~さんも気を付けたほうがいいよ。」
〈久我さんみたいに運動してる人から言われると、
これ以上どうすればいいか分からなくなるな。〉
「いや僕の場合は、運動しちゃいけなかったんだよ。
もともと心臓に病気が有ったしさ。」
鍛えられた身体なので、ついつい心臓のことも忘れてしまう。
※
だから、その後わりとすぐに交通事故で入院したと知った時には、
驚いたけれど、必ず無事で帰って来る、と信じていた。
疑う余地が無かった。
※
早くリハビリを進めたいのに、医者がなかなか進めてくれない、
と、もどかしそうな投稿をFacebookに日々アップしていた。
ある日、「見て見て!」と、
ベッドの上で右脚を持ち上げている画像がアップされた。
本当は、ベッドの上の自分の写真なんか見せたくないはずだ。
同じ日に、永原元さんが子どもたちに打楽器を教える活動をしていることを伝える
新聞記事の写しを投稿している。
ほんと、ステキな活動だよね。
それから、
「さあ、もういっぺん!」
という、文字だけの投稿。
写真無しの、
Facebookのフォーマットを利用した、投稿。
珍しい。
「もういっぺん」って、なんだよ。
ちょっとイヤな予感がして、私は「いいね!」を押せなかった。
※
1ヶ月後。
私は、
ずっと久我さんの投稿を見ていないことに気付いていた。
9月に入ってから、ずっと、
気になりながら、気にしないふりをしてきた。
けれど、
お彼岸も過ぎた頃、
もう本当に確認しなければいけない、と思った。
そうして、久我さんのタイムラインを訪れた。
8月末の日付の、誰かの投稿が少し有って、
9月1日の投稿が目にとまった。
「久我一午の家族です。
突然の投稿をお許しください」
と始まる、読めば、娘さんによる投稿であった。
それは、「去る8月26日、父の人生 27,872日目の早朝に、
久我一午は76歳にて永眠いたしました」と告げていた。
「会いたい人が居る 行きたい場所がたくさんある
ライブも 旅行も
病院なんかに世話になっている場合じゃない
くやしい とにかく早く退院したい
ポテトサラダ食べたいなぁ 切ったリンゴの入ってるあれ
そんな風に話していて
担当医にリハビリの予定を前倒ししたいと催促するぐらいで
退屈だけはつらかったものの 気力はあふれており
家族は快復を信じて疑いませんでした
しかしリハビリ中に腸閉塞を患い、回復が叶いませんでした」
※
この世において、人生において、それぞれの人の生きている中で、
悔しい事、思いどおりにならない事、叶わぬ事、
色々な事が有ると思う。
けれど、
こんなに悔しい事が有るだろうか。
あんなに色んな所に行って色んな人に会うのが好きな人が、
こんなふうに願ってリハビリして、
でも叶わなくて。
こんな悔しさが有るか。
私は自分の今までのあれこれの悔しさがちっぽけであったと思い、
今後もそんなちっぽけに心を煩わせるのはイヤだと思った。
※
昨日は、毎月一日に書いている法螺話の日であったので、
死んだはずの久我さんに登場いただいた。
話を終わりにしたくなくて、いつまでも書き続けていたいと思った。
そうもいかないよね。と
久我さんに帰りを促すかのように書いているのは、
実は自分に対しての言葉だと言える。
さて、
どうしてくれよう。
つづく
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