犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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地上最大の矛盾くん

2014年03月27日 | 椰子の実の中
[あらすじ] 異論を排除すると腐敗する。異文化と接触すると発展する。
個人の中に相反するものを内包し、その矛盾と闘うと、成長する。


成長なんて簡単な言葉でまとめてしまったが、
お菓子職人の話のところで書いたように、
結果うまれてくるものは、他の人にも喜びをもたらす。



人間界でちょっとこれ以上は無いかな、という矛盾を抱えた人が、かつていた。
自分は、神であり、人である。と言うのである。

えーそんなの無理無理。

と思うけれど、そういう約束で産まれてきちゃったんだからしょうがない。
大体、神さまってのは、神さまであって、絶対的だ。
人間どもが地上の生活であれこれ苦しんで、間違いを犯したって、
そんな気持ち分からない。
だから、町ごと燃やすとか、全部水びたしにしちゃうとか、
キョーレツな罰を与えてきた。

それでも人間は良くならない。あらためない。
なんでなんだ!と神さまなりに悩みもしたのかもしれない。
ついに、分身で人間として生活することにした。
これがイエス・キリストさんだ。

キリストさんは、人間であり、神の子である。
そんな人間、フツーいない。
人間は人間から産まれて人間として生きる。
神は絶対。人間はあやまちだらけ。
個人の中で、こんなに大きな背反があるだろうか?

神は死んだことがない。
しかし、人間はもれなく、死ぬ。
人間として地上で生きて、死に直面して神に祈る。
「わが神、わが神、どうして私を見捨てたのですか?」

神の子として奇跡を起こしたり、新しい言葉を伝えたりしてきたのに、
死ぬのはやっぱり怖い。
だって人間なんだもの。
神ははじめて死の恐怖を体験する。

人間として、死ぬ。
けれど、神でもある、という証拠に、三日後によみがえる。
ばあ。



私がここでキリストさんのことを書くのは、キリスト教を広めたいからではないので、
どうぞそこはご理解ください。
それでも私は、神と人という、無茶な組み合わせを内包した個人としてのキリスト、
というコンセプトが好きだ。
そこいらの思春期の煩悶どころの騒ぎじゃなかっただろうと思う。
けっこう苦しかったんじゃないかな。

キリストさんは、絶対的だった神に、人間の苦しみを体験させた功労者だ。
殺される、という犠牲を払ってまで、神さんにはできっこないことをさせたのだ。
ヒーローには犠牲がつきものだねぇ。
アンパンマンなんか、頭をかじられるだけだけど、キリストさんは死んじゃったんだ。
神は、旧約聖書の世界より、ぐっと人間に理解を持ち、優しくなったに違いない。

矛盾と葛藤すると、救いがうまれる。


ただ、もう一つのポイントがあると考えている。
つづく。

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