ストーリーに関わらない部分だけ、坊さんの言葉を抜いてみる。
「物言えば唇寒しと申します。
昔から、何か言うことは侮られ誹られ、誤解され曲解される元でした。
屋下に屋を架すという言葉もあります。
既に良い詩があるのに、似たような詩を作って何になるのかと嘲笑って言う言葉です。
この世には無数の詩、無数の絵、無数の教えがある。
ですがそれでもなお人々は詩を作り、絵を描き、
どうすればこの苦しいばかりの生に耐えられるのか考え続けている……。
それはなぜでしょう」
※
何年か前に、報道写真の展覧会でのギャラリートークに参加した。
https://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/e71ea88f129dfe2174b37ca5bb2e4d66
アフリカからマルタ島へと亡命する人々の写真だ。
ボートに溢れるほどに難民たちが乗って来る。
そして、実際、溢れる。
地中海の群青の海面に、救命胴衣のオレンジ色が浮かび、
こちらに向かって強く伸べられた手のひらが鮮烈な写真だ。
http://www.tufs.ac.jp/event/2017/post_1178.html
この写真を撮ったルピ氏自身が語る。
「目の前で救いを求めているのに、なぜ写真を撮っていたのか。」という批判を受けた、と。
報道写真につきまとう批判だ。
難民を救うための船に乗り、撮影していたそうだ。
救命具を投げるなど、活動をしている、
その後ろから望遠レンズで撮影したと言う。
目の前で苦しんでいるように見えるのは写真の技術の生み出した
言わば効果なのだ。
※
以前、米澤作品を読んだ時、印象的な出会いであった。
行きつけの深大寺の図書館で、なんとなく選んだ。
コブシの咲く、春先だった。
短編集を読み進み、最後の一篇を読んで驚いた。
舞台に深大寺が登場した。
しかも、コブシ咲く道が描かれていた。
※
友人が「米澤穂信の『黒牢城』が云々」と言う。
米澤穂信?一冊だけ読んだ記憶が有る。あの作家か。
書名を調べた。
「私は『満願』を読んだよ。」
友人はちょうど『満願』を買ったところだ、と言う。
こういう偶然は見過ごしにしたくない。
翌日、図書館に行って、米澤の作品から適当に一冊を選んだ。
※
日本の記者がカトマンズを訪れる。
宿の周辺で現地の物売りの少年と出会う。
少年とはその後も何度も会話を重ねていく。
医療が進み、子どもが死ななくなった。
仕事は増えない。
外国からの記者は、過酷な条件で子どもが労働させられていることを報じる。
国際的な圧力も有り、さらに仕事は減る。
そのような苦しい構造を、少年は語る。
主人公の記者がネパールに入った翌日に、王宮で王族が何人も殺害される事件が起こる。
宿のおかみの紹介で、その時に王宮にいた軍人と、記者は接触する。
何のために取材し、何のために報道するのか。
軍人は記者に疑問を投げかける。
記者は、記事をどう書くべきか、
なぜ書くのか、思い悩む。
記者と同じ宿に泊まる外国人旅行者たちの中に、
日本から長期滞在している仏僧がいる。
この坊さんとの問答の中で、記者はずいぶん救いを得る。
※
これ以上はネタバレになると思う。
ミステリ作品として、ストーリーは進む。
私はこの頃、サンスクリットを学んだり、チベット仏教入門講座を受けてみたりしているので、
デーヴァナーガリーがどうしたとか、坊さんが釈迦の話をしたりする部分に
とても興味を惹かれた。
チベット仏教入門の講師は坊さんで、ZOOMの講座の中でも
ずいぶん問答をしかけてくる。
坊さんは問答をしかけてくるものなんだな。
※
「世の中に多様性を持たせるため、でしょうか」
八津田は優しい顔つきになった。
「なるほど、いい答えだと思います。
ですが、多様であることがそのまま良いとは言えない」
「……はい」
「私の考えは、似ていますが違います。
我々は完成を求めている。
詩であれ絵であれ、教えであれ、
人類の叡智を結集させた完成品を作り上げるために、
それぞれが工夫し続け、智恵を絞り続けているのではないかと思うのです。
お釈迦さまは哲学の分野に一つのパーツを加えた。
とても大きな、要になるパーツを加えたのです。」
※
「完全」とはどういうことか、
あれこれ考えていたところなので、
「完成を求める」という言葉には納得のいくものがあった。
※
あ、良いお年をお取りあそばせ~
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