犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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第三のモノ

2014年03月28日 | 椰子の実の中
[あらすじ] 異論と接触することで文化は成長する。
対立するもの同士の葛藤の末にナニカ良いことが起きる。


昨日は世紀の大葛藤をしたヒーロー、キリストさんに登場いただいた。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/0a04eb0d4eb7baf799bc47878fe14085
この話の中ではちょっと山場だったわりには読者数が近来になく落ち込んだので、
磔じゃない、貼り付けるからまだの方は読んでね。↑

キリストさんは人んちの子に産まれて、人間らしく死んでいった。
が、一方で神でもあるので、その証拠としてよみがえった。
ここいらまでは"クリスマス"とか"イースター(復活祭)"とかで、
一般にも知られている。

その後、めでたく昇天した。
よみがえりっぱなしだと都合悪いもんね。
これもめでたいことなんだが、それよりも、次に人々に遺したものがよりめでたい。

キリスト教会では、復活祭から50日後あたりに祝う、"ペンテコステ"のことだ。
なんだそのへんてこなのは。
聖霊降臨祭。

キリストさんは昇天する時に「近いうちに聖霊が降ってくるよ」と
風変わりな天気予報をした。
ある日、弟子などが集まって祈っていたら、天から炎のような舌が降ってきて、
みんなは様々な言語でしゃべりだした、というのだ。

まあ、天にも届けというバベルの塔をおっ建てた人間の傲慢に、
神は、お互いの言葉を通じなくするという罰を与えた、
その穴埋めみたいなできごとでしょうかね。
これで以後、世界中の人のための宗教になる、っていうような意味も
見ることができるとも思うし、それは後付けなんじゃないの?という疑いも持っている。

ともあれ、ここに、三位一体の三番目の概念が誕生する。
新しい。

神であり人間である、というキリストさんがいなかったら、こんな新しい概念は
わざわざできる必要は無かった。
それまでは神と人は離れて対立しているだけだったのだ。
けれど、人間として神を体験し、神も死を通じて人間を体験し、
お互い、このままじゃいられないね、ってことになった。

神そのものでも人そのものでもないけれど、そこに宿るなにかきよらかで力強いもの。
そういう発想が生まれた。
これが、キリストさんがわざわざ産まれて死んだことで得た、
でっかい功績だと思う。

葛藤の末には、救いが生まれる。

まだつづくよ
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