ものごとにはどうもレベルというかランクというか格というか
階梯の差というものがある。
ある段階の人にとって正しい答になることが、
他の段階の人にとっては間違いになったりする。
絶対的な真理のようなものがどこかにあるのかもしれないが、
今言っているのは、それよりずっと手前の話だ。
なぜなら、私が真理にはほど遠いところにいるから。
ある先生がある生徒に指導する内容と、
他の生徒に指導する内容が、一見食い違うようなこともある。
しかしそれは、習う側のレベルによって、
理解できることだとか、必要な練習であるとかが違うのだ。
その人が今どんなレベルにいて、どんなことが必要なのかは、
何段階か上のレベルにいる先生でないと、見極められない。
だから、自分より上のレベルの生徒(あに弟子)のしている事を
真似ても、あまり役に立たなかったり、害にしかならなかったりすることもある。
あに弟子から、師匠の教えを伝え聞くことも、危険なこともあるわけだ。
※
子どもの頃から、「ほんとうのこと」が知りたかった。
けれど、自分のいる位置からでは到底知ることができない、とも感じていた。
天に昇れば全部わかるのだろうか、とも思った。
それは死後のことなのだろうか。
疑問は、いつも「自分は何者なのか」というところから始まっていた気がする。
階梯の差というものがある。
ある段階の人にとって正しい答になることが、
他の段階の人にとっては間違いになったりする。
絶対的な真理のようなものがどこかにあるのかもしれないが、
今言っているのは、それよりずっと手前の話だ。
なぜなら、私が真理にはほど遠いところにいるから。
ある先生がある生徒に指導する内容と、
他の生徒に指導する内容が、一見食い違うようなこともある。
しかしそれは、習う側のレベルによって、
理解できることだとか、必要な練習であるとかが違うのだ。
その人が今どんなレベルにいて、どんなことが必要なのかは、
何段階か上のレベルにいる先生でないと、見極められない。
だから、自分より上のレベルの生徒(あに弟子)のしている事を
真似ても、あまり役に立たなかったり、害にしかならなかったりすることもある。
あに弟子から、師匠の教えを伝え聞くことも、危険なこともあるわけだ。
※
子どもの頃から、「ほんとうのこと」が知りたかった。
けれど、自分のいる位置からでは到底知ることができない、とも感じていた。
天に昇れば全部わかるのだろうか、とも思った。
それは死後のことなのだろうか。
疑問は、いつも「自分は何者なのか」というところから始まっていた気がする。
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