[あらすじ] 同居母86歳パーキンソン病要介護2認知症状少々、
5日間のショートステイ・・・
から、本日午前10時30分にご帰宅。
「久々のオフで」と、
送って来てくれた車から降りにくそうだ。
パーキンソン病では、
薬の効かないウェアリング・オフという状態が起こることが有る。
ここ数週間では、ほぼ毎日、一日に一回、オフになっていた。
病人当人でない傍観者として冷淡に言えば、
薬が効いていない状態、つまり病気である自身本来の状態だと思う。
ショートステイ中、オフが起きなかったと言うなら、
4日もの間オフが無かったということになる。
今回の施設は、丁寧な介護記録を渡してくれる。
見てみると、確かにオフらしい記録は無い。
さて、このところほぼ毎日有るオフが、なぜショートステイの4日間、無かったのか。
なぜ、帰宅のタイミングになってオフが起きたのか。
(最後まで読んでも特に答えは出せておりません。)
※
記録とともに、いつも写真を一枚くれる。
毎回感心するのだが、スナップ写真がとても上手だ。
誰が撮ってくれているのだろう。
今度聞いてみよう。
日頃、「目が開けられない。」と言う。
確かに、まぶたの筋力は落ちてはいる。
しかし、開けられないことはない。
気分次第なのだ。
気分の落ち込みに弱いのだ。
物を見る時は、指でまぶたを押し広げる。
そんな母が、笑顔でカメラのレンズに視線を向けている。
今回は、七夕イベントだったようだ。
笹に願い事の短冊なんか付けて飾っている。
パーキンソン病の症状の中に、小字症というのが有る。
字を書くとチビちゃって小っこくなるのだ。
母はよく書き物をするし、私にもメモを書いてよこすが、
読めないくらい小さかったりよじれたりしていることが多い。
そんな母が、筆ペンか何かで上手に願い事を書いている。
ケアスタッフがかなり達者に盛り上げてくれているのだろうと思う。
※
【私にとって最も大切なことを、いま、すぐ教えて下さい。】
これを読んだら神様はなんて言うだろう。
とりあえず私は、
その他力本願をまずやめること。
って言うなあ。
※
その次に、
贅沢な注文をやめようか。
と言うかなあ。
「最も」「今すぐ」って、
商業サービスを受けるかのような態度だ。
いや、お急ぎのところというのは分かりますけどね。
大切なことは何か。って、
生きている間ずっと考えていることじゃないかしらね?
子どもなりに、若者なりに、中年なりに。私が経験しているのはここまでだが。
そして、その答えは、その時々によって違う。
だから、とっしょりなりに大切なことを知りたい、
早く知らないと残りの時間が無いわい。
ということだろう。
でも、母の人生においても、今までのいつだって、
その答えは誰かが「教えて」くれるものではなかったはずだ。
なーんで「教えて下さい。」という表現になるかなあ。
「知りたい。」というなら分かるのだが、
「教えて下さい。」だと、自分で考えて自分で答えを出そう、そして行動につなげよう、という
責任感に欠けるように聞こえる。
※
そもそも、なんだって七夕は短冊に願い事を書くイベントになったんだろう。
牛飼いと機織り娘の逢瀬が一年に一度叶うから。
そこにかこつけたわけか。
わからなくはないが、いつ、どこで始まった風習なのか。
どうせ日本だろ。(きめつけ)(だが、サッと調べたところどうやらそうらしい。)
神頼みは「日本人」の習性か。
※
いや、今日の私に大切なことは。
ケアスタッフさん、母に心地よく過ごせる時間を、ありがとうございました。
本人はなんだかんだ不満を言うけれど、
顔の表情と文字の様が、心身の過ごしやすさを表している。
5日間のショートステイ・・・
から、本日午前10時30分にご帰宅。
「久々のオフで」と、
送って来てくれた車から降りにくそうだ。
パーキンソン病では、
薬の効かないウェアリング・オフという状態が起こることが有る。
ここ数週間では、ほぼ毎日、一日に一回、オフになっていた。
病人当人でない傍観者として冷淡に言えば、
薬が効いていない状態、つまり病気である自身本来の状態だと思う。
ショートステイ中、オフが起きなかったと言うなら、
4日もの間オフが無かったということになる。
今回の施設は、丁寧な介護記録を渡してくれる。
見てみると、確かにオフらしい記録は無い。
さて、このところほぼ毎日有るオフが、なぜショートステイの4日間、無かったのか。
なぜ、帰宅のタイミングになってオフが起きたのか。
(最後まで読んでも特に答えは出せておりません。)
※
記録とともに、いつも写真を一枚くれる。
毎回感心するのだが、スナップ写真がとても上手だ。
誰が撮ってくれているのだろう。
今度聞いてみよう。
日頃、「目が開けられない。」と言う。
確かに、まぶたの筋力は落ちてはいる。
しかし、開けられないことはない。
気分次第なのだ。
気分の落ち込みに弱いのだ。
物を見る時は、指でまぶたを押し広げる。
そんな母が、笑顔でカメラのレンズに視線を向けている。
今回は、七夕イベントだったようだ。
笹に願い事の短冊なんか付けて飾っている。
パーキンソン病の症状の中に、小字症というのが有る。
字を書くとチビちゃって小っこくなるのだ。
母はよく書き物をするし、私にもメモを書いてよこすが、
読めないくらい小さかったりよじれたりしていることが多い。
そんな母が、筆ペンか何かで上手に願い事を書いている。
ケアスタッフがかなり達者に盛り上げてくれているのだろうと思う。
※
【私にとって最も大切なことを、いま、すぐ教えて下さい。】
これを読んだら神様はなんて言うだろう。
とりあえず私は、
その他力本願をまずやめること。
って言うなあ。
※
その次に、
贅沢な注文をやめようか。
と言うかなあ。
「最も」「今すぐ」って、
商業サービスを受けるかのような態度だ。
いや、お急ぎのところというのは分かりますけどね。
大切なことは何か。って、
生きている間ずっと考えていることじゃないかしらね?
子どもなりに、若者なりに、中年なりに。私が経験しているのはここまでだが。
そして、その答えは、その時々によって違う。
だから、とっしょりなりに大切なことを知りたい、
早く知らないと残りの時間が無いわい。
ということだろう。
でも、母の人生においても、今までのいつだって、
その答えは誰かが「教えて」くれるものではなかったはずだ。
なーんで「教えて下さい。」という表現になるかなあ。
「知りたい。」というなら分かるのだが、
「教えて下さい。」だと、自分で考えて自分で答えを出そう、そして行動につなげよう、という
責任感に欠けるように聞こえる。
※
そもそも、なんだって七夕は短冊に願い事を書くイベントになったんだろう。
牛飼いと機織り娘の逢瀬が一年に一度叶うから。
そこにかこつけたわけか。
わからなくはないが、いつ、どこで始まった風習なのか。
どうせ日本だろ。(きめつけ)(だが、サッと調べたところどうやらそうらしい。)
神頼みは「日本人」の習性か。
※
いや、今日の私に大切なことは。
ケアスタッフさん、母に心地よく過ごせる時間を、ありがとうございました。
本人はなんだかんだ不満を言うけれど、
顔の表情と文字の様が、心身の過ごしやすさを表している。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます