[あらすじ] A3コピー機を処分。win95デスクトップは押し入れに。
家の片付けをしているのは、老母がショートステイに入っているからである。
のびのびと片付けができる。
このところ、2ヶ月に一度9日程度のショートステイという
ペースでやってきた。
しかし、7月と8月は5日づつに分けてみた。
今回お世話になっているショートステイは、
13時にお迎えに来て、帰りは10時半だ。
5日間とは言え、午後お迎えで午前に帰って来るとなると、
実質は中三日というところだ。
あっという間さ。
というわけで、今回のショートステイ中の家の片付けは
コピー機の処分、跡地の介護スペース整備、
この一点に絞った。
※
台所もきれいに片付けて、自分の使いたいタイミングで
気持ち良く使える。
だから、のびのびと料理もできるというものであり、
自分の食生活の立て直しもショートステイのテーマの一つだ。
だが、せっせと片付けをしていると、くたびれて料理する気にもなれない。
結局、普段とあまり変わり無いような感じになってしまっている。
とにかく中三日は短い。
休んでいる暇は無い。
※
とかくペーパーレスを言われるご時勢だ。
しかし、学者の家は本に溢れている。
原稿用紙に溢れている。
そしてコピー機で増幅する。
我が家からペーパーを排除したら、すっからかんになるだろう。
※
40年あまり前、母が『奄美方言分類辞典』の仕事をしていた頃、
一つひとつの項目はカードで作っていた。
もちろん、紙のカードだ。
名刺2枚分くらいの小ささのカードに、
一つの言葉の発音や意味などを書いて、それを整理する。
思えば、この辞典は手書きだった。
今じゃ考えられないような作業だが、
方言研究とか辞書編纂とかいった仕事の基本だったわけだろう。
※
方言のネイティブ・スピーカーに会って、話を聞き、発音記号に起こすのが母の仕事だった。
最初の頃は、録音機材すら使っていなかったようだ。
島へ行くようになって、カセットテープレコーダーを使うようになった。
それから、それがデジタル化した。
デジタルのカセットテープだ。なんて言ったっけ。あれは短命だった。
そういった録音テープも、山のように保管してある。
データ化する価値が有る物も、中にはあるのではないか。
方言調査の録音データは、調査員の手元だけでなく、
研究センターにもコピーを渡していたのか。
まあ、私が心配することじゃあないのだ。
※
人が何十年と仕事をすると、ずいぶんたくさんの物が蓄積される。
記録の物が残るタイプの仕事をする人だったからだ。
仕事にもいろいろ種類が有るが、
今後はどうなっていくのか。
たとえば母が愛用してきたワープロからパソコンのメーカーである
富士通は、ものづくりから撤退していくようだ。
どうなるのだ。
本当に、物というものから離れて、人間の生活はどうなっていくのか。
※
音楽に関するメディアも、
レコードやカセットテープ、MDの頃が有り、
CDも今や無くなりつつあり、データ配信の時代になってきている。
でも音楽づくりにはやはり物は必要だ。
楽器という物は無くなるはずも無い。
ライブの楽しみは絶えることは無いだろう。
※
私は物が好きだ。
物をいじくることも好きだ。
物づくりのための道具も好きだ。
※
我が家に溢れている物、
本、原稿、録音などは、
どれも記録であり、データ化できるものだ。
物ではあるが、内容が主なのだ。
楽器や工具などとは種類が違う。
データ化できる物は、片付けることができる時代になったのだ。
と、思う。
家の片付けをしているのは、老母がショートステイに入っているからである。
のびのびと片付けができる。
このところ、2ヶ月に一度9日程度のショートステイという
ペースでやってきた。
しかし、7月と8月は5日づつに分けてみた。
今回お世話になっているショートステイは、
13時にお迎えに来て、帰りは10時半だ。
5日間とは言え、午後お迎えで午前に帰って来るとなると、
実質は中三日というところだ。
あっという間さ。
というわけで、今回のショートステイ中の家の片付けは
コピー機の処分、跡地の介護スペース整備、
この一点に絞った。
※
台所もきれいに片付けて、自分の使いたいタイミングで
気持ち良く使える。
だから、のびのびと料理もできるというものであり、
自分の食生活の立て直しもショートステイのテーマの一つだ。
だが、せっせと片付けをしていると、くたびれて料理する気にもなれない。
結局、普段とあまり変わり無いような感じになってしまっている。
とにかく中三日は短い。
休んでいる暇は無い。
※
とかくペーパーレスを言われるご時勢だ。
しかし、学者の家は本に溢れている。
原稿用紙に溢れている。
そしてコピー機で増幅する。
我が家からペーパーを排除したら、すっからかんになるだろう。
※
40年あまり前、母が『奄美方言分類辞典』の仕事をしていた頃、
一つひとつの項目はカードで作っていた。
もちろん、紙のカードだ。
名刺2枚分くらいの小ささのカードに、
一つの言葉の発音や意味などを書いて、それを整理する。
思えば、この辞典は手書きだった。
今じゃ考えられないような作業だが、
方言研究とか辞書編纂とかいった仕事の基本だったわけだろう。
※
方言のネイティブ・スピーカーに会って、話を聞き、発音記号に起こすのが母の仕事だった。
最初の頃は、録音機材すら使っていなかったようだ。
島へ行くようになって、カセットテープレコーダーを使うようになった。
それから、それがデジタル化した。
デジタルのカセットテープだ。なんて言ったっけ。あれは短命だった。
そういった録音テープも、山のように保管してある。
データ化する価値が有る物も、中にはあるのではないか。
方言調査の録音データは、調査員の手元だけでなく、
研究センターにもコピーを渡していたのか。
まあ、私が心配することじゃあないのだ。
※
人が何十年と仕事をすると、ずいぶんたくさんの物が蓄積される。
記録の物が残るタイプの仕事をする人だったからだ。
仕事にもいろいろ種類が有るが、
今後はどうなっていくのか。
たとえば母が愛用してきたワープロからパソコンのメーカーである
富士通は、ものづくりから撤退していくようだ。
どうなるのだ。
本当に、物というものから離れて、人間の生活はどうなっていくのか。
※
音楽に関するメディアも、
レコードやカセットテープ、MDの頃が有り、
CDも今や無くなりつつあり、データ配信の時代になってきている。
でも音楽づくりにはやはり物は必要だ。
楽器という物は無くなるはずも無い。
ライブの楽しみは絶えることは無いだろう。
※
私は物が好きだ。
物をいじくることも好きだ。
物づくりのための道具も好きだ。
※
我が家に溢れている物、
本、原稿、録音などは、
どれも記録であり、データ化できるものだ。
物ではあるが、内容が主なのだ。
楽器や工具などとは種類が違う。
データ化できる物は、片付けることができる時代になったのだ。
と、思う。
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